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ロバート・ローズの凄さが分かる名言・語録集!史上最強助っ人の伝説エピソードから努力論まで

よく成功をつかみ取ったことを「華を咲かせる」と言いますが、外国人助っ人が日本に来て、大輪の華を咲かせるケースがあります。右バッター最強といわれる助っ人も、まさにその名前通り、素晴らしい薔薇のような成功をおさめました。ロバート・ローズです。

有名スポーツ雑誌の特集で、1990年代までに来日した助っ人の中で最強は誰かという投票において、1位バース、2位クロマティ、3位ブライアント、4位デストラーデに続いての5位に選ばれたローズ。日本語では同じ表記名の464本塁打のタフィ・ローズや、助っ人唯一の三冠王ブーマーらを上回る評価であり、右打者としては最上位です。

プロ野球史上、歴代2位となるシーズン153打点の他、右打者として当時の日本記録だったシーズン打率、セリーグ記録だったシーズン安打数、8年間在籍したうち7シーズンで打率3割越えなど、数々の結果を残し、「横浜マシンガン打線」の中核を担いました。

今回は史上最強助っ人ロバート・ローズの凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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ロバート・ローズについて

まずはロバート・ローズの経歴を追ってみます。

1967年3月15日生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。サンディマス高校のシニアシーズン(小学校から通算で12年目のこと)には打率.515の成績を残し、1985年のドラフト5巡目でカリフォルニア・エンジェルス(現ロサンジェルス・エンジェルス)に指名されて入団します。

1989年にメジャーリーグデビューを果たすまで、途中でグラフィック会社で働いたこともありますが、少しずつメジャーでの経験を積み上げていた1992年、チームバスの事故に巻き込まれて右足首を痛めてリタイア。この年のオフに横浜ベイスターズと契約しました。

1993年の来日当初は、あまり打撃面は期待されていませんでしたが、二塁打の多い中距離打者として、3割を越える高打率と、勝負強さを見せつけ、見事に打点王を獲得します。翌年は僅かに打率3割に達しませんでしたが、その後は2000年まで6年連続で3割を打ち続けます。

特に1998年はチームの主軸として38年ぶりとなる日本一に貢献。1999年シーズンは当時のセリーグ記録となる192安打、日本歴代2位となる153打点を放ちました。自己ベストのシーズンである1999年の6月に突然引退宣言をしますが、後に撤回。2000年も活躍をするものの退団。2年のブランクの後、2022年に千葉ロッテマリーンズと契約しますが、春季キャンプ中に引退します。

メジャーリーグ通算4年間で49安打、5本塁打、通算打率.245。日本プロ野球通算8年間で1275安打、167本塁打、通算打率.325。首位打者1回、打点王2回、最多安打2回、ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞1回。

その後はテキサスレンジャーズやボルチモア・オリオールズ傘下のマイナーチームでコーチを務めました。

 

私が選ぶ、ロバート・ローズの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「味方にサポートが必要なときは行くしかない」

取材嫌いの気難しい人物としても知られるローズ。スカウティングに関わった渉外担当の牛込惟浩の印象も「大人になりきっていない」というものでしたが、奥さんがしっかり者なので大丈夫だろうと思ったそうです。時に辛辣な言葉を吐いたりもしましたが、それらは決してチームメイトに向けられるものではありませんでした。

入団当初は守備要員と言われ、同じ年に契約した怪力マッチョのスラッガーであるグレン・ブラッグスのおまけ扱いで、見た目にも地味な印象だったローズですが、乱闘シーンでは高校時代にやっていたというアメリカンフットボールばりの激しいタックルを見せました。

谷繫元信や石井琢朗、鈴木尚典たち同僚については「一緒にプレーして彼らが成長していく姿を見るのが楽しみ」だと語っていたローズ。仲間のためにはタックルも厭わない熱い心の持ち主でした。

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【名言語録その2】

「ノーは新しい人生を始めるサインだった」

日本での助っ人外国人選手の待遇について、辛辣な言葉で批判もしていたローズ。「いい時期に自分の判断でやめたい」と語り、自身のベストシーズンであった1999年のシーズン途中に引退を宣言し、その後はホームランを打つたびに「今日が最後かもしれないから」と、使用したバットのグリップに日付と相手投手の名前を書き入れてました。結果的にキャリアハイとなる37本塁打を放ち、バットの数は増え続けました。

結局、ローズの引退を止めたのは奥さんでした。そこは牛込惟浩の見込み通りだったと言えそうです。しかしそれも一年の延命に過ぎず、翌年には交渉がもつれて退団。その背後には信頼していた権藤博監督の勇退もあったようです。ベイスターズ最後の年の契約更改で「新しい監督の野球に、イチからやり直して合わせる精神的、体力的なスタミナがない」と泣いていたというローズ。増え続けたバットの数は自分を鼓舞するための努力でもあったのでしょう。

2003年にはマリーンズと契約するものの「野球への情熱がなくなった」と語り、春季キャンプ中に退団してしまいました。やはりプロ野球人としてのローズは、ベイスターズで燃え尽きていたのでしょう。

 

【名言語録その3】

「このような形で戻ってこられてうれしい」

2012年4月4日、ベイスターズの試合前セレモニーで、10年ぶりにローズが横浜スタジアムのグラウンドに現れました。投手は大魔神佐々木主浩、捕手は谷繫元信。ローズは見事にレフト前に打球を放ちました。

なかなか日本に馴染まず、気難しがりやで、マスコミ嫌いで知られたローズ。コロナ禍の最中、松山さんというベイスターズファンが、古着をリメイクした手作りマスクの写真をネットにあげました。元となったのはローズの背番号をあしらったTシャツ。すると「素晴らしい。可能であれば譲ってくれないか」とのメッセージが届きます。なんとローズ本人からでした。

最初はイタズラか何かだと疑っていたそうですが、間違いなく本人だとわかり、早速贈ると、ローズからはサインボールと、サイン入りのベースボールカードなどと共に、そのマスクをつけたローズの写真が届きました。

マスコミ嫌いで気難し屋と言われたローズの姿は、プロとしてのこだわりや在り方であり、その一方でファンに対しては優しく、真摯であるのが伝わってきます。

 

名言からの学び

・チームメイトは敵ではないし、敵にしてはいけない。

・続けることも努力が必要である。

・大切にすべきものには真摯であるべきである。

 

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