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川上哲治の凄さが分かる名言・語録集!球界レジェンドのリーダーシップ論から人生哲学に迫る!

2018/08/30


かつて使用するバットの特長から異名に結びついた選手たちがいます。「青バット」の大下弘、「黒バット」の南村侑広、「物干し竿」の藤村富美男、そして「赤バット」の川上哲治です。

よく「名選手、名監督にあらず」と言いますが、川上は「打撃の神様」といわれる名選手でありながら、読売ジャイアンツのV9を成し遂げた名監督としても知られた、まさに日本球界のレジェンドです。

戦前は投手と打者の二刀流として、戦後は打者として活躍し、日本プロ野球史上初の2000本安打を記録。1646試合での到達は現在も日本最速記録です。監督としては11度のリーグ優勝を果たし、そのすべてで日本一に輝いています。

今回は「赤バット」「打撃の神様」「テキサスの哲」など、数々の異名を持つ、大打者であり名監督である川上哲治の凄さについて、名言や語録から、球界レジェンドのリーダーシップ論や人生哲学に迫ります。

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川上哲治氏について

まずは川上哲治氏の経歴を追ってみます。

1920年3月23日生まれ、熊本県球磨郡(現人吉市)生まれ。熊本県立工業高校から1938年に東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)に入団。入団当初は投手と一塁手のいわゆる二刀流の選手で、4年間で11勝をあげています。
しかし打者としての才能が開花し、入団二年目には19歳で首位打者を獲得

1944年陸軍に召集。直接戦場に出ることはなく終戦。
1946年、プロ野球再開と共に復帰。運動具メーカーから提供された「赤バット」で安打を量産しました。

18年の現役生活で、通算安打2351本、本塁打181本、通算打率.313。シーズン3割以上12回は歴代3位、8年連続3割以上は歴代2位。首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回という素晴らしい記録を残します。

1958年シーズン限りで引退し、1961年から読売ジャイアンツの監督に就任。
メジャーリーグのロサンジェルスドジャースのコーチが書いた「ドジャースの戦法」を参考に緻密な野球を構築。ジャイアンツを常勝球団へと育て上げます

14年の監督生活で11度のリーグ制覇と日本一に輝きます。特に1965年から1973年までのV9は今でも日本プロ野球のアンタッチャブルレコードとして伝説になっています。
監督としての通算1066勝は歴代11位ですが、上位者は20年前後の就任期間があり、500勝以上している監督の中で勝率は鶴岡一人に次いで2位です。

【巨人】歴代監督を成績と一緒に徹底解説!優勝回数最多は川上哲治監督!

 

ジャイアンツ退団後は解説者などをしていましたが、2013年、数々の伝説を残し、93歳で亡くなりました。

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私が選ぶ、川上哲治の凄さがわかる名言・語録

【名言語録その1】

「努力に際限などない。努力していると思っている間は、本当に努力しているのではない」

「打撃の神様」と呼ばれていますが、この神様は練習熱心で知られていました。
コーチ時代の藤田元司が、監督の川上に釣りを教えたそうです。すると川上がすっかり夢中になってしまい、シーズン中もナイトゲームが終わってから、江の島へ連れて行けと言われ、朝になるまで釣りをしていたそうです。
微笑ましいと共に、すごい集中力と体力、そして熱心さを感じます。

 

「中途半端だと愚痴がでる。いい加減だと言いわけがでる。真剣にやれば知恵がでる」

その何事にも真剣なエネルギーが、まさに知恵を生み出し、監督になると「ドジャースの戦法」と呼ばれるものを取り入れ、常勝球団を作り上げる基礎になります。

V9時代の後半には王貞治と長嶋茂雄がいるのだから勝って当たり前だとか、面白くない野球だとか、多くの批判も受けました。
確かに王と長嶋は傑出した選手でしたし、手堅いスモールベースボールは勢いのある高度経済成長期時代の娯楽としてはつまらないと感じさせる部分もあったことでしょう。
しかしその戦略は、たとえ王と長嶋が打てなくでも勝つためのものであり、様々な方法で1点をもぎ取るモダンな野球でした。

それまでのプロ野球には複雑なサインプレーなどありませんでしたし、ランナーを進塁させるためのバッティングなど見向きもされなかった時代ですが、それをしっかり評価対象にするなど、現在の野球につながる先進的な試みをしています。
その基本が「フォア・ザ・チーム」にあったことは、間違いありません。

 

【名言語録その2】

「勝っている時に負けの原因をつくっているのは確実ですね。やるべきことをやらんで手抜きがでてきます」

まさに好事魔多し、という事なのでしょう。
似たような言葉が他にもあります。

 

「スランプというのは、好調の時にその原因が作られている。だから好調の時が一番心配です」

調子がいい時は、つい勢いに任せてしまいがちで、そのような時に問題や課題を見つけだすのはなかなか難しいことです。
しかし、どんなに用意周到であっても、物事は必ずしも思うようにはなりません。

 

「どんなに遠まわりに見えても、勝つためには、基本の積み重ねしかない」

その言葉のように、川上は苦しい時も常に基本に立ち返り、必要なことを繰り返すことで、勝利をもぎ取ってきたのでしょう。

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【名言語録その3】

「ときに部下や周囲の不興を買うことがあったとしても、大義を表現するために成すべきことを成す。そういう強い信念を持った人間でないとリーダーは務まりません」

さて、ここで言う「大義」とは何でしょう?

 

「監督の仕事の大義とは試合に勝つことです。そのために能力と経験を身につけた人間が選ばれている。いかにして試合に勝つか。この一点こそが、唯一絶対の目的であり、それを達成する過程においては、個々のプレーヤーへの同情や感傷などの小事は禁物なのです」

大義である「勝つ」ために、はえぬきの選手が一人前になってきても、次々とスター候補を入団させ、競争させるというジャイアンツの伝統は、川上によってもたらされました。

 

「組織は常に刺激しなければいけない。停滞すれば澱む」

そう言って王や長嶋がいる一塁手や三塁手でさえ、有望選手を獲得し、レギュラーを刺激し続けました。

またマスコミの取材を厳しく規制したため、当時の東西冷戦になぞられて「哲のカーテン」と呼ばれるなど、人気球団だったジャイアンツの嫌われ者的な役回りをひとりで負っていました

 

「組織のリーダーは、自らが良く思われたいという我執、とらわれの気持ちを捨てねばなりません。」

そのような徹底した信念があったからこそ、V9の偉業は成し遂げられたのでしょう。
「巨人・大鵬・卵焼き」といわれた戦後大衆文化の一端を作り上げたのは、川上の自制的で強い信念と、モダンな戦略にあったのだと思います。

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【名言語録 番外編】

「ボールが止まって見えた」

川上の名言中の名言として有名ですが、実は報知新聞の記者が、松竹ロビンズ(現横浜DeNAベイスターズに合併消滅)の小鶴誠の発言を、小鶴では地味なので川上の言葉として紹介したものだとわかっています。

小鶴はシーズン161打点の日本記録を持ち、日本プロ野球初のシーズン50本塁打を放った強打者です。地味というのはちょっと可哀想な気がします。

とはいえ川上は1951年に424打席で三振わずかに6三振という日本記録を作っていますから、止まって見えたという逸話も、まったく作り話ではないかもしれません

 

名言からの学び

・努力に終わりはなく、常に真剣に向き合えば、必ず知恵という実になる。

・調子の良い時に決して驕らず、遠回りに思えても基本に立ち返って見直すことが、成功につながる。

・リーダーは自分を良く見せるためではなく、皆の大義のために尽くさなければならない。

 

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