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掛布雅之の凄さが分かる名言・語録集!球界レジェンドの努力論から人生哲学まで

2018/08/30


日本プロ野球で伝統の一戦といえば「読売ジャイアンツVS阪神タイガース」。前者は現存するプロ野球球団で最古のチーム、後者は二番目に古いチームです。
この両チームには誰もが知る「ミスター」と呼ばれるスター選手がいます。なかでも4代目「ミスタータイガース」として知られるのが掛布雅之です。

父親の熱心な売り込みでなんとか滑り込んだドラフト6位という状況から、チームの顔にまで上り詰め、3度の本塁打王を取り、通算349本塁打を記録。

1985年には3冠王のランディ・バース、後にタイガースの監督になる岡田彰布とのクリーンアップによる伝説の三者連続バックスクリーン本塁打を放ち、タイガースの21年ぶりのリーグ制覇、38年ぶりの日本一に貢献しました。

今回は4代目ミスタータイガース掛布雅之の名言や語録から、球界レジェンドの努力論から人生哲学までを探ります。

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掛布雅之について

まずは掛布雅之の経歴を追ってみます。

1955年5月9日生まれ、千葉県千葉市出身。習志野市立習志野高校を卒業しますが、無名の球児であり、父親が様々なツテをたどって、何とか阪神タイガースの二軍キャンプに参加することができ、そこで認められてドラフト6位で入団

1年目から一軍枠に入りますが、巧打者としての素質は見られたものの、後に本塁打王になるとは想像できませんでした。しかし完全にレギュラー三塁手として定着した3年目からは、強靭なリストを生かした打撃で本塁打も目立つようになりました。

当時、ジャイアンツのV9時代は終わったとはいえ、テレビ中継はジャイアンツ中心。そんな中、掛布が全国に知られるようになったきっかけは1978年のオールスター戦でしょう。
日本中の視聴者が見ている第3戦、かつて広島カープのエースだった佐伯和司、通算165勝でノーヒットノーラン達成の佐藤義則、野村克也など多くのプロが最も速かった投手として名を上げる伝説の剛速球投手山口高志、という面々から三打席連続本塁打を打ちます。

その後は怪我をした1980年を除き、タイガースの主砲として大活躍します。
1985年には関西人の悲願であった日本一に貢献。いつしか4代目ミスタータイガースと呼ばれるようになりました。

しかし優勝の翌年、死球による骨折をきっかけに成績は低迷。他球団からの誘いを断り、1988年シーズンをもって引退。33歳の若さでした。

現役生活15年間で、通算安打数1656本、通算打率.292、通算打点1019、通算本塁打349本。
本塁打王3回、打点王1回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞6回という記録を残しました。

引退後は解説者となり、2015年から2年間、古巣タイガースの二軍監督として活躍した後、球団のシニア・エグゼクティブ・アドバイザーとしてフロント入りしています。

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私が選ぶ、掛布雅之のの凄さがわかる名言・語録

「4番が負けの責任を一人で負うことで、他の選手の負担を減らせるんです」

チームの顔として、責任を自覚する人の言葉です。
熱烈なファンが多い阪神タイガースだけに、一度成績が落ちてくると、車のボンネットに酷い落書きをされたり、家ではいやがらせの電話が鳴りやまず、カミソリ入りの手紙を送ってこられたりしたそうです。

「ファンとマスコミと戦ってましたね。大嫌いでした」

そう語るほどのプレッシャーを受けながらも、長くタイガースの主砲であり続けました。

多くの選手が本塁打は安打の延長だと言いますが、掛布は逆のことを語っています。

「ホームランの短縮がヒット」

つまり基本は本塁打を狙っていて、それでも安打は打てる、というのです。
その独特の感覚は、名コーチとして知られる山内一弘の指導もあったとはいえ、日々スイングだけで4時間も繰り返したという練習の結果でしょう。

スランプに陥った掛布が、同郷である長嶋茂雄に電話をした際、長嶋は電話越しにバットを繰り返し振らせて、その音で「今のスイングだ」とアドバイスしてくれたそうです。まったく同じようなエピソードが同じ長嶋と、松井秀喜の間でもありました。

面白い話ですが、もっとも注目すべきことは、いかに同郷とはいえ、ライバルチームの偉大なるOBにでもアドバイスを求める姿勢です。そこにはいかにファンに叩かれようと、ミスタータイガースとしての責任感がうかがえます。

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「ミスタータイガース云々というのは、自分でいうことではないと思うんです。ただファンの方々がそう言ってくださるのは嬉しいですよ。タイガースの4番としての宿命なんですから」

阪神タイガースの長い歴史で、「ミスタータイガース」と呼ばれたのは、「物干し竿」と呼ばれる長いバットで活躍した藤村富美男、「ザトペック投法」で長嶋茂雄の好敵手だった村山実、王貞治の連続本塁打王を13年で止めた田淵幸一に続き、掛布が4人目です。

日本プロ野球史上有名な「空白の一日」事件で、タイガースがドラフトで1位指名した江川卓と、異例のトレードという形でタイガース入りした小林繁が、「阪神には伝統ない」というようなことを言い、それに対する反発心があったと語る掛布ですが、小林の言葉にも一理あります。

確かにタイガースはジャイアンツに次ぐ長い歴史を持つ球団ですが、日本一はわずかに1回のみです。それは新興球団の東北楽天イーグルスと同数です。
常勝球団だったジャイアンツの選手からみれば、間違いなく「勝つ」伝統はないと言えます。

「胴上げは勝者がするもの」

掛布は二軍監督をやめる際、選手による胴上げをそう言って固辞しました。
唯一、日本一を知るミスタータイガースとして、勝利の重さを知ったからこそだったのではないでしょうか。

 

「31点ということで」

阪神タイガースで2年間の二軍監督を終えた後、報道陣に監督生活に点数をつけるとどれくらいか問われて、すぐに自身の背番号をもじってこう答え、笑いを誘ったそうです。

『やらされる野球』ではなく主体性を持った『やる野球』をしよう。

指導の基本をそう表現し、選手目線と近い形を模索していたようです。

 

「孫の世代の選手と我々と、違いますからね。選手に変れと言うより、僕らが変われる部分は変って距離感を詰めてあげるのが大切かなと感じてました」

多くの指導者は、相手を自分と同じ目線に引き上げようとしますが、掛布は自ら目線を下げるという方法を取りました。年齢と経験を重ねた人間は、無自覚なのかもしれませんが、どうしても横柄になりがちです。意識的に目線を下げるというのはなかなかできることではありません。

ただし二軍は学校ではないので、結果に結びつくかどうかがプロにとっては重要です。それを検証するためにも、わずか2年間という期間は短すぎたように思えます。
現役生活同様、指導者としても、できればもう少し頑張って欲しかった、というのはファンだけでなく、本人の中にも渦巻く思いであったかもしれません
もしかしたらその意味もこめての、31点なのではないでしょうか。

 

名言からの学び

・責任を全うするためには、自分自身が研鑚を積むのはもちろんのこと、時には誰にでも教えを乞い、最善を尽くす。

・歴史の長さと伝統は似ているが別物である。しかし歴史を継ぐも、伝統を継ぐも、簡単なことではない。

・どんなことでも誰かに『やらされる』のではなく、自ら率先して『やる』ことで、覚えることの方が多い。

 

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