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埼玉西武ライオンズの歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

これまで多くの名選手が守りに就いてきた埼玉西武ライオンズの外野のポジション。

今回は埼玉西武ライオンズの外野を守った歴代選手の成績や最高年俸などをリサーチして、埼玉西武ライオンズ歴代最強の外野手をご紹介します。

福岡の地と所沢の地でファンを熱くさせてきた名選手たちの成績を振り返っていきましょう!!

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埼玉西武ライオンズの歴代外野手一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主に外野を守った選手を一覧にしてみました。多くの選手が複数のポジションでレギュラーを経験していることがわかりました。

それではライトから順にご紹介します。

埼玉西武ライオンズの歴代外野手(ライト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 小暮 力三 27 83 0.266 5 22
1951 永利 勇吉 25 90 0.294 14 45
1952 永利 勇吉 25 75 0.218 9 31
1953 大下 弘 3 114 0.307 12 61 ベストナイン
1954 大下 弘 3 138 0.321 22 88 ベストナイン、MVP
1955 大下 弘 3 139 0.301 12 63
1956 玉造 陽二 54 136 0.297 1 33
1957 大下 弘 3 111 0.306 4 55 ベストナイン、日本シリーズMVP
1958 玉造 陽二 22 124 0.251 0 24
1959 大下 弘 3 90 0.303 3 27
1960 花井 悠 45 115 0.313 1 32
1961 田中久寿男 28 125 0.306 12 58
1962 田中久寿男 28 85 0.290 5 29
1963 田中久寿男 28 110 0.229 5 28
1964 田中久寿男 28 128 0.265 13 47
1965 伊藤光四郎 3 126 0.263 6 42
1966 伊藤光四郎 3 105 0.230 6 32
1967 伊藤光四郎 3 130 0.265 7 36
1968 伊藤光四郎 3 122 0.272 9 41
1969 東田 正義 22 90 0.253 17 37
1970 東田 正義 22 124 0.233 13 48
1971 阿部 良男 35 104 0.227 2 14
1972 大田 卓司 25 99 0.250 12 36
1973 東田 正義 22 114 0.261 16 51
1974 高橋二三男 14 113 0.226 4 18
1975 アルー 2 123 0.282 8 45
1976 ジェナス 26 101 0.227 6 19
1977 竹之内雅史 27 119 0.263 26 51
1978 立花 義家 34 124 0.250 0 39
1979 タイロン 1 58 0.291 8 24
1980 タイロン 1 128 0.276 35 68
1981 テリー 45 123 0.316 22 100 ベストナイン
1982 立花 義家 34 107 0.251 1 25
1983 テリー 45 129 0.278 38 109 ベストナイン
1984 ジェリー 3 130 0.243 27 68
1985 田尾 安志 2 127 0.268 13 60
1986 ブコビッチ 20 121 0.265 18 67
1987 ブコビッチ 24 101 0.244 14 46
1988 平野 謙 24 130 0.303 7 46 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1989 平野 謙 24 98 0.268 2 32 ゴールデングラブ賞
1990 平野 謙 24 123 0.267 2 42 ゴールデングラブ賞
1991 平野 謙 24 125 0.281 3 41 ゴールデングラブ賞
1992 平野 謙 24 122 0.280 4 45 ゴールデングラブ賞
1993 平野 謙 24 100 0.239 0 25 ゴールデングラブ賞
1994 吉竹 春樹 2 101 0.243 4 21
1995 ジャクソン 7 128 0.289 20 68 ベストナイン
1996 ジャクソン 7 126 0.266 19 64
1997 佐々木 誠 1 121 0.304 13 57 ベストナイン
1998 小関 竜也 51 104 0.283 3 24 新人王
1999 小関 竜也 51 123 0.268 1 34
2000 小関 竜也 31 125 0.262 1 32
2001 小関 竜也 31 133 0.280 3 38
2002 小関 竜也 31 135 0.314 4 50 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2003 小関 竜也 31 113 0.280 1 33
2004 佐藤 友亮 30 105 0.317 2 27
2005 栗山 巧 52 84 0.297 10 28
2006 福地 寿樹 53 117 0.273 0 20
2007 G.G.佐藤 46 136 0.280 25 69
2008 G.G.佐藤 46 105 0.302 21 62
2009 G.G.佐藤 46 136 0.291 25 83
2010 高山 久 44 116 0.291 11 48
2011 坂田 遼 31 71 0.233 2 11
2012 大崎雄太朗 0 107 0.269 1 22
2013 坂田 遼 31 53 0.289 6 34
2014 木村 文紀 51 100 0.215 10 27
2015 脇谷 亮太 7 118 0.294 3 22
2016 金子 侑司 2 129 0.265 1 33
2017 外崎 修汰 44 135 0.258 10 48
2018 外崎 修汰 5 119 0.287 18 67
2019 木村 文紀 9 130 0.220 10 38
2020 木村 文紀 9 90 0.231 8 33
2021 愛斗 9 97 0.219 8 39
2022 愛斗 9 121 0.243 9 28
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1950年代

戦前から選手としてプレーしていた小暮力三選手が50年は守りましたが1年限りで退団し、翌年からの2年間は永利勇吉選手が務めました。

52年にセンターでベストナインを受賞していた「青バット」の大下弘選手が53年はライトに回り、ライトでもベストナインを受賞、翌年は打率.321、22本塁打、88打点を記録してベストナインとMVPに輝きました。

大下選手は55年、57年、59年もライトを守り、57年はベストナインと日本シリーズMVPを受賞する等、主力外野手として活躍しました。大下選手が病気により調子を崩した56年と怪我で離脱した58年は玉造陽二選手が代わりを務めました。

1960年代

大下選手は59年限りで引退し、花井悠選手が60年に規定打席未到達ながら打率.313をマーク、61年からの4年間はピッチャー出身の田中久寿男選手がクリーンアップの一角を担い、61年に打率.306を記録しました。

その田中選手に代わって65年からレギュラーとしてプレーしたのは62年に阪神からトレードで加入していた伊藤幸四郎選手で、68年に自己最高打率をマークしました。

69年はプロ2年目の東田正義選手が17本塁打を放ちました。

1970年代

70年も東田選手が務め、71年と72年はレフトに回り、阿部良男選手が71年、大田卓司選手が72年にライトで起用されました。

東田選手は73年に再びライトを守りましたが74年は出場試合数が減り、71年にセンターでレギュラー経験のあった高橋二三男選手が務めました。

メジャーリーグ経験豊富だったマティ・アルー選手が75年に来日して123試合に出場、翌76年はアルー選手と同じくドミニカ共和国出身のウィンストン・ジェナス選手が加入してライトを守りました。

77年はセンターやレフトでレギュラーとして出場していた竹之内雅史選手が起用され26本塁打を放ち、78年はプロ2年目の立花義家選手が124試合に出場、79年はシーズン後半に入団したジム・タイロン選手が多く起用されました。

1980年代

タイロン選手は80年に35本塁打を記録しましたが、81年開幕直前に南海へ移籍、メジャーリーグからやってきたテリー・ウィットフィールド選手が打率.316、22本塁打、100楕円を記録してベストナインを受賞しました。

82年はテリー選手がセンターに回り、センターを守っていた立花選手がライトへ、83年は再び2人が入れ替わり、テリー選手は38本塁打109打点をマークして2回目となるベストナインを獲得しました。

活躍を見せていたテリー選手は84年にメジャーリーグに復帰し、代わりにジェリー・ホワイト選手が入団して27本塁打を記録しましたが、大洋へトレードとなり、中日の主力として活躍していた田尾安志選手がトレードで入団して85年はライトでプレーしました。

田尾選手がセンターに回った86年はジョージ・ブコビッチ選手が守り、2年間務めた後、中日でいぶし銀の働きを見せていた平野謙選手がト87年オフにトレードで加入し、全130試合に出場してベストナインとゴールデングラブ賞を受賞、89年もゴールデングラブ賞に輝きました。

1990年代

平野選手は移籍1年目の88年から93年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞しましたが、打撃で思うような成績が残せなくなり93年限りでチームを離れ、翌年はレフトでレギュラー経験があった吉竹春樹選手が守りました。

95年からの2年はダリン・ジャクソン選手が主に1番を打って95年にベストナインを受賞、97年にメジャーリーグに復帰するとセンターから佐々木誠選手が移りベストナインに輝きました。

98年は高卒4年目の小関竜也選手がポジションを掴み、パリーグでは唯一となる4年目での新人王を獲得し、安定した守備力を武器にレギュラー定着を果たしました。

2000年代

小関選手は03年までレギュラーを務め、02年は打率.314を記録してベストナインとゴールデングラブ賞を受賞してリーグ優勝に貢献しました。

03年は外野の全ポジションと内野を守れる佐藤友亮選手、05年は高卒4年目で一軍に定着した栗山巧選手が務めました。

06年は開幕直前に広島からトレードで加入した俊足の福地寿樹選手が交流戦からトップバッターを務めて自己最多タイとなる91試合に出場し、25盗塁を記録しました。

07年に抜擢されたのはアメリカでのプレー後に入団テストを受けて03年のドラフト会議で指名を受けて入団していたG.G.佐藤選手でした。自慢の長打力を発揮して25本塁打を放つと翌年以降も20本塁打以上を記録する等活躍し、ライトのレギュラーを09年まで務めました。

2010年代

G.G佐藤選手は10年にレフトへコンバートされますが、打撃不振でレギュラーを失い、空いたライトは長打力を期待されていた高山久選手が主に起用されました。11年は高山選手に代わって左打ちの坂田遼選手、12年はプロ6年目で初めて開幕一軍を決めた大崎雄太朗選手が自己最多となる107試合に出場しました。

翌13年は坂田選手、14年はピッチャーから転向して2年目の木村文紀選手がポジションを掴み、二桁本塁打を記録しました。

15年は13年オフにFAで巨人へ移籍した片岡選手の人的補償でチームに加わった本職が内野の脇谷亮太選手が初めて外野のレギュラーを掴み、脇谷選手がFAで巨人に戻るとショートから金子侑司選手が移りました。

17年からの2年は内野も守れる万能型で長打力が武器の外崎修汰選手が守り、外崎選手がセカンドへ移ると再び木村選手がライトのポジションを掴み、木村選手は21年も開幕からスタメンで出場しましたが、シーズン途中に日本ハムへ移籍し、愛斗選手が抜擢されて97試合に出場してレギュラー定着への足掛かりとなったシーズンを送りました。

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埼玉西武ライオンズの歴代外野手(センター)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 上野 義秋 6 102 0.242 2 17
1951 小田野 柏 24 77 0.286 1 17
1952 大下 弘 3 99 0.307 13 59 ベストナイン
1953 塚本 悦郎 29 116 0.273 5 37
1954 高倉 照幸 25 90 0.255 3 16
1955 高倉 照幸 25 136 0.276 17 71
1956 高倉 照幸 25 148 0.259 9 58
1957 高倉 照幸 25 120 0.279 11 40
1958 高倉 照幸 25 112 0.276 5 30
1959 高倉 照幸 25 121 0.304 5 34 ベストナイン
1960 玉造 陽二 17 134 0.263 7 39
1961 高倉 照幸 25 121 0.301 15 37
1962 高倉 照幸 25 134 0.294 12 51
1963 高倉 照幸 25 143 0.254 27 62
1964 高倉 照幸 25 116 0.317 16 61 ベストナイン
1965 高倉 照幸 25 74 0.266 9 31
1966 玉造 陽二 17 124 0.225 4 26
1967 三好 守 27 117 0.227 6 18
1968 和田 博実 12 112 0.262 10 40
1969 竹之内雅史 2 103 0.205 10 26
1970 ポインター 41 126 0.260 22 67
1971 高橋二三男 1 118 0.249 1 8
1972 阿部 良男 9 120 0.256 7 26
1973 福富 邦夫 3 117 0.273 12 42
1974 福富 邦夫 3 113 0.260 4 42
1975 白仁天 6 102 0.319 16 53 首位打者、ベストナイン
1976 白仁天 6 121 0.288 17 59
1977 ロザリオ 2 107 0.218 5 18
1978 デービス 8 127 0.293 18 69
1979 立花 義家 34 123 0.246 6 36
1980 立花 義家 34 130 0.301 18 60
1981 立花 義家 34 124 0.271 6 51
1982 テリー 45 122 0.272 2 71
1983 立花 義家 34 114 0.309 8 42
1984 西岡 良洋 23 81 0.266 7 28
1985 岡村 隆則 28 119 0.241 4 38
1986 田尾 安志 2 106 0.265 8 28
1987 秋山 幸二 1 130 0.262 43 94 本塁打王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1988 秋山 幸二 1 130 0.292 38 103 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1989 秋山 幸二 1 130 0.301 31 99 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1990 秋山 幸二 1 130 0.256 35 91 盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1991 秋山 幸二 1 116 0.297 35 88 ベストナイン、ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP
1992 秋山 幸二 1 130 0.296 31 89 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1993 秋山 幸二 1 127 0.247 30 72 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1994 佐々木 誠 1 126 0.285 20 84 盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1995 佐々木 誠 1 130 0.271 17 55 ベストナイン
1996 佐々木 誠 1 105 0.243 9 40
1997 大友 進 37 128 0.278 5 45
1998 大友 進 37 129 0.269 2 31 ゴールデングラブ賞
1999 大友 進 37 130 0.270 4 26 ゴールデングラブ賞
2000 大友 進 37 82 0.244 2 19
2001 柴田 博之 12 113 0.265 3 28
2002 宮地 克彦 58 100 0.267 3 29
2003 佐藤 友亮 30 85 0.288 2 22
2004 赤田 将吾 9 122 0.259 9 41
2005 赤田 将吾 9 131 0.272 3 24
2006 赤田 将吾 9 124 0.293 2 34
2007 栗山 巧 52 112 0.278 5 29
2008 ボカチカ 55 78 0.251 20 47
2009 栗山 巧 1 140 0.267 12 57
2010 栗山 巧 1 144 0.310 4 74 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2011 秋山 翔吾 55 110 0.232 1 21
2012 秋山 翔吾 55 107 0.293 4 37
2013 秋山 翔吾 55 144 0.270 13 58 ゴールデングラブ賞
2014 秋山 翔吾 55 131 0.259 4 47
2015 秋山 翔吾 55 143 0.359 14 55 最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2016 秋山 翔吾 55 143 0.296 11 62 ゴールデングラブ賞
2017 秋山 翔吾 55 143 0.322 25 89 首位打者、最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2018 秋山 翔吾 55 143 0.323 24 82 最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2019 秋山 翔吾 55 143 0.303 20 62 最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2020 金子 侑司 7 86 0.249 3 21
2021 岸 潤一郎 68 100 0.220 9 30
2022 鈴木 将平 46 58 0.250 1 13
 
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1950年代

戦前からプロの世界でプレーしていた上野義秋選手小田野柏選手が務め、52年は東急から加入した大下弘選手が守り、ベストナインを受賞しました。

大下選手は翌年からライトに回り、53年は塚本悦郎選手、54年からは高卒2年目の高倉照幸選手がポジションを掴みました。

高倉選手は55年に17本塁打を記録し、59年には初めて打率が3割を超えてベストナインを受賞しました。

1960年代

60年シーズン途中に高倉選手は怪我により離脱して代わりを玉造陽二選手が務めましたが、翌61年に高倉選手がレギュラーに復帰し、64年には打率.317、16本塁打、61打点の好成績を残して2回目のベストナインに選出されました。

66年は高倉選手がレフトに回り、レフトを守っていた玉造選手が再びセンターを守りました。67年は三好守選手、68年はレフトから和田博実選手が回り、69年はプロ2年目の竹之内雅史選手が抜擢されて103試合に出場しました。

1970年代

70年に加入したアーロン・ポインター選手は主に4番を打ち22本塁打を記録しましたが、翌年は打撃不振に陥り、高橋二三男選手阿部良男選手の起用が多くなりした。

73年から2年はトレードでヤクルトから移籍してきた福富邦夫選手、75年に日本ハムで長くプレーしていた韓国出身の白仁天選手が入団し、移籍1年目の75年に首位打者に輝き、ベストナインにも選ばれました。

白仁天選手は77年にロッテに移籍し、75年にロッテでプレー経験のあったジミー・ロザリオ選手を獲得しましたが1年限りで退団、78年は前年に中日で72試合に出場していたウィリー・デービス選手が起用されましたが、こちらも1年で退団しました。

79年は前年ライトのレギュラーを掴んだ立花義家選手がセンターに回りました。

1980年代

立花選手は80年に打率.301、18本塁打、60打点を記録して打線を牽引し、81年までセンターを守り、82年はライトにポジションを移しましたが、翌83年に再びセンターでプレーしました。

その立花選手と入れ替わる形でセンターを守ったのはテリー・ウィットフィールド選手で、82年は122試合に出場しました。

84年は守備に定評のあった西岡良洋選手、85年は西岡選手とレギュラーを争った岡村隆則選手が務め、同年5月に岡村選手はサイクルヒットを達成しました。

85年にライトを守っていた田尾安志選手が86年はセンターに回りましたが、87年に阪神へトレードで移籍し、代わってサードから秋山幸二選手が移りました。

秋山選手は抜群の身体能力で毎年好成績を収め、87年は自身3年連続となる40本塁打以上(43本塁打)を記録して初の本塁打王に輝き、88年は38本塁打、89年は31本塁打を放つ等、中軸打者として活躍を続けました。

毎年盗塁も数多く記録し、89年は史上5人目となるトリプルスリーを達成、守りでも強肩と守備範囲の広さを見せつけて外野転向1年目だった87年から連続してゴールデングラブ賞を受賞しました。

1990年代

秋山選手は90年に盗塁王を獲得し、本塁打も毎年30本塁打以上を放ち、ベストナインとゴールデングラブ賞も93年まで連続受賞を続け、走攻守で黄金時代を築いたチームの中心選手として活躍していましたが、93年オフに3対3の大型トレードでホークスに移籍しました。

その秋山選手とのトレードで入団した佐々木誠選手はホークスでも主力として活躍していましたが、移籍後も中心選手としてプレーし、94年に盗塁王を獲得ベストナインは94年から2年連続で受賞しました。

佐々木選手がライトに回った97年はプロ2年目の大友進選手が抜擢され、主に2番打者で務めて31盗塁王を記録しました。優勝した98年は広い守備範囲で好守を連発し、初のゴールデングラブ賞に輝きました。

2000年代

大友選手は00年もレギュラーとして出場を重ねていましたが、シーズン途中で右肩を負傷し、以降は出場機会が減少しました。01年は柴田博之選手、02年は宮地克彦選手が100試合に出場し、03年はユーティリティプレーヤーの佐藤友亮選手が多く起用されました。

04年にレギュラーを掴んだのは松坂世代の1人であるスイッチヒッターの赤田将吾選手で、同年はプロ6年目で初めて規定打席に到達、06年は自己最高打率を記録しましたが、翌年以降は怪我に悩まされました。

07年は05年にライトで出場していた栗山巧選手、その栗山選手がレフトに回った08年はヒラム・ボカチカ選手が守り、出場78試合で20本塁打を記録しました。09年は再び栗山選手が務め、140試合に出場しました。

2010年代

栗山選手は10年に打率.310を記録して自身2回目となるベストナインと初めてのゴールデングラブ賞を受賞、11年からは再度レフトに主戦場を移しました。

10年のドラフト会議で3位指名を受けて入団した秋山翔吾選手は1年目から外野の一角を担い、夏場以降はセンターに固定され、広い守備範囲と強肩を見せ安定した守備力を発揮しました。守りでは13年にゴールデングラブ賞を受賞し、評価が上がっていきましたが、打撃では12年に打率.293を記録したものの2割台中盤で終始するシーズンが続きました。

15年に打撃フォームを変更すると一気に飛躍し、この年は打率.359のハイアベレージを真マーク、プロ野球新記録となるシーズン216安打を放ち、最多安打のタイトルを獲得しました。

以降は安打を量産し続け、17年に首位打者と最多安打、18年と19年は最多安打を獲得し、20年にメジャーリーグに挑戦しましたが、安打製造機として現役選手の間でも認識されており、秋山選手が不在となった20年に最多安打のタイトルを獲得したホークスの同学年・柳田悠岐選手は最多安打のイメージを聞かれて「秋山翔吾というタイトルです」と答えていました。

20年は俊足の金子侑司選手、21年は独立リーグを経て入団したパンチ力のある岸潤一郎選手、高卒6年目の鈴木将平選手が起用されましたが、秋山選手以降にレギュラー定着を果たした選手はまだ現れていません。

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埼玉西武ライオンズの歴代外野手(レフト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 新留 国良 26 96 0.285 4 45
1951 関口 清治 27 99 0.285 16 59
1952 関口 清治 27 94 0.260 21 59
1953 関口 清治 27 119 0.276 14 72
1954 関口 清治 27 139 0.276 27 87 ベストナイン
1955 関口 清治 27 134 0.298 14 66
1956 関口 清治 27 150 0.255 13 73
1957 関口 清治 27 116 0.300 12 65
1958 関口 清治 27 125 0.276 16 77 ベストナイン
1959 関口 清治 27 120 0.217 2 25
1960 関口 清治 27 106 0.262 9 34
1961 玉造 陽二 17 129 0.260 4 35
1962 玉造 陽二 17 128 0.281 2 35
1963 玉造 陽二 17 146 0.262 6 41
1964 玉造 陽二 17 149 0.284 6 44
1965 玉造 陽二 17 136 0.268 2 22
1966 高倉 照幸 25 121 0.279 11 36 ベストナイン
1967 和田 博実 12 125 0.237 7 36
1968 広野 功 3 113 0.232 20 55
1969 ボレス 29 115 0.242 18 56
1970 ボレス 29 119 0.254 28 59
1971 東田 正義 22 125 0.284 23 58
1972 東田 正義 22 114 0.273 9 42
1973 ビュフォード 1 130 0.242 20 60
1974 藤井 栄治 9 105 0.231 4 38
1975 竹之内雅史 27 122 0.267 19 55
1976 土井 正博 3 121 0.259 25 73
1977 土井 正博 3 123 0.248 24 67
1978 竹之内雅史 27 117 0.267 14 44
1979 マルーフ 4 129 0.290 12 48
1980 大田 卓司 25 86 0.280 12 42
1981 大田 卓司 25 100 0.277 24 64
1982 大田 卓司 25 106 0.279 17 58
1983 大田 卓司 25 105 0.297 20 67 日本シリーズMVP
1984 立花 義家 34 95 0.226 3 12
1985 金森 永時 26 129 0.312 12 55 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1986 金森 永時 26 112 0.298 3 34
1987 安部 理 25 83 0.271 7 26
1988 安部 理 25 107 0.263 8 49
1989 吉竹 春樹 2 98 0.314 3 28
1990 笘篠 誠治 4 90 0.271 0 7
1991 吉竹 春樹 2 108 0.256 2 16
1992 安部 理 25 84 0.245 7 25
1993 笘篠 誠治 4 112 0.258 0 21
1994 ブリューワ 33 74 0.232 8 31
1995 垣内 哲也 12 95 0.216 14 37
1996 垣内 哲也 12 121 0.253 28 57
1997 垣内 哲也 12 64 0.225 3 12
1998 佐々木 誠 1 75 0.259 1 21
1999 垣内 哲也 55 113 0.248 15 49
2000 垣内 哲也 55 108 0.233 13 51
2001 垣内 哲也 55 91 0.226 14 38
2002 和田 一浩 5 115 0.319 33 81
2003 和田 一浩 5 126 0.346 30 89 ベストナイン
2004 和田 一浩 5 109 0.320 30 89 ベストナイン
2005 和田 一浩 5 129 0.322 27 69 首位打者、最多安打、ベストナイン
2006 和田 一浩 5 131 0.298 19 95 ベストナイン
2007 和田 一浩 5 138 0.315 18 49
2008 栗山 巧 1 138 0.317 11 72 最多安打、ベストナイン
2009 佐藤 友亮 10 105 0.241 0 21
2010 佐藤 友亮 10 98 0.249 2 16
2011 栗山 巧 1 144 0.307 3 60 ベストナイン
2012 栗山 巧 1 103 0.289 2 33
2013 栗山 巧 1 144 0.279 12 73
2014 栗山 巧 1 144 0.288 3 61
2015 栗山 巧 1 142 0.268 10 42
2016 栗山 巧 1 135 0.279 3 41
2017 栗山 巧 1 116 0.252 9 46
2018 金子 侑司 8 111 0.223 1 34
2019 金子 侑司 8 133 0.251 3 33 盗塁王
2020 スパンジェンバーグ 22 111 0.268 15 57
2021 栗山 巧 1 117 0.251 4 43
2022 オグレディ 30 123 0.213 15 46
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1950年代

50年は新留国良選手が守り、51年からは同年入団した関口清治選手が務めました。関口選手は53年以降、毎年100試合以上に出場して54年には打率.276、27本塁打、87打点を記録、ベストナインを受賞しました。

58年にも再びベストナインを受賞し、外野のレギュラーの一角を担いました。

1960年代

関口選手は60年までレギュラーを務め、61年から65年までは60年にセンターを守っていた玉造陽二選手が回りました。玉造選手は強肩と俊足が持ち味で、62年は13捕殺を記録し、63年は自己最多となる23盗塁を記録しました。

66年に玉造選手と入れ替わる形でセンターから高倉照幸選手が移り、66年は自身3回目となるベストナインを受賞しましたが、67年に巨人へトレードとなり、67年は和田博実選手、68年は中日からトレードでやってきた広野功選手が務め、広野選手は20本塁打を放ちました。近鉄からカール・ボレス選手が69年に加入し、115試合に出場しました。

1970年代

引き続きボレス選手が守り、70年は28本塁打を記録しましたが、71年はシーズン途中に退団し、69年と70年にライトのレギュラーを務めていた東田正義選手が2年間レフトで起用されました。

73年はメジャーリーグ経験豊富なドン・ビュフォード選手が来日して20本塁打を記録、ビュフォード選手がサードへ回った74年は阪神から加入したベテランの藤井栄治選手が105試合に出場しました。

75年になると竹之内雅史選手がファーストから再び外野にポジションを移し、76年は前年にファーストで本塁打王を獲得していた土井正博選手がレフトで起用され、76年は25本塁打、77年に24本塁打を放つ等、長打力を発揮しました。

78年は竹之内選手が再び起用され、79年は主に1番打者で出場したジャック・マルーフ選手がチームを牽引しました。

1980年代

80年からの4年間は大田卓司選手が務め、81年に24本塁打、83年に20本塁打を記録し、83年の日本シリーズでは大活躍を見せて日本シリーズMVPに輝きました。

84年はセンターから立花義家選手が移り、85年からの2年は金森永時選手が主に2番で起用され、85年に自身初の規定打席に到達して打率.312をマーク、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

87年にポジションを掴んだ安部理選手は2年間起用され、89年は吉竹春樹選手が98試合の出場ながら打率.314を記録しました。

1990年代

90年からは1年ずつレギュラーが代わり、90年はセカンドでのレギュラー経験があった笘篠誠治選手、91年は吉竹選手、92年は安部選手がメインで起用されました。

93年は再び笘篠選手が務め、94年は左の大砲として期待されたロッド・ブリューワ選手が守りましたが、三振が多く、1年限りで退団しました。

翌年レギュラーに抜擢されたのは、キャッチャーとして入団し、91年から外野に転向していた垣内哲也選手でした。

垣内選手はレギュラー2年目の96年に28本塁打を放ち、右のスラッガーの片鱗を見せ、膝の故障もあった98年は佐々木誠選手にポジションを譲りましたが、99年にレギュラーに復帰して15本塁打を記録しました。

2000年代

01年まで垣内選手が務め、02年に伊原春樹監督が就任すると和田一浩選手がキャッチャーから本格的に転向しました。

和田選手は02年に打率.319、33本塁打、81打点を記録してチームのリーグ優勝に大きく貢献すると、翌年は打率.346、30本塁打、89打点、翌々年は打率.320、30本塁打、89打点の好成績を収めて、両年ともベストナインに選出されました。

05年には初めての首位打者と最多安打を獲得、03年に初受賞したベストナインは06年まで連続受賞し、主軸打者として活躍していましたが、07年オフに地元・岐阜県に近い中日へFAで移籍しました。

和田選手の後はセンターから栗山巧選手が回り、ユーティリティプレーヤーの佐藤友亮選手の起用も多くありました。

2010年代

11年になると栗山選手が本格的にレフトでプレーするようになり、11年にベストナインを受賞する等、クリーンアップの一角としてチームを牽引しました。

栗山選手が指名打者に移った18年は俊足の金子侑司選手が起用され、19年に盗塁王を獲得、コロナ禍で120試合制だった20年はコーリー・スパンジェンバーグ選手が111試合に出場しました。

21年は栗山選手が久しぶりにレフトでの起用が多くなり、22年はブライアン・オグレディ選手がレギュラーを務めましたが、リーグ最下位の打率に終わり1年限りで退団しました。

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【埼玉西武ライオンズ】歴代外野手の年俸ランキング!歴代最高年俸はダリン・ジャクソン選手と和田一浩選手の2億7500万円!

ここでは埼玉西武ライオンズ歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 1995 D.ジャクソン 2億7500万円 0.289 128
1 2007 和田 一浩 2億7500万円 0.315 138
3 2015 栗山 巧 2億4000万円 0.268 142
4 2019 秋山 翔吾 2億3500万円 0.303 143
5 1995 佐々木 誠 2億2000万円 0.271 130

数々のスター選手がプレーした埼玉西武ライオンズの外野ですが、1位は2人が並びました。95年にライトのレギュラーを務めたダリン・ジャクソン選手と07年にレフトのレギュラーを務めた和田一浩選手2億7500万円が歴代最高年俸となりました。ジャクソン選手は来日1年目だった95年にベストナインを受賞し、和田選手は02年のレギュラー奪取後、毎年安定した成績を残し、ライオンズでプレーした最後の年となった07年も打率.315を記録して、中心選手として活躍しました。

3位は15年の栗山巧選手2億4000万円です。外野の全ポジションでのレギュラー経験があり、レフトに定着したのは11年からでした。11年にベストナインを受賞し、1・2番やクリーンアップの一角を担うことが多く、勝負強さを発揮してチームの勝利に貢献してきました。

4位は19年の秋山翔吾選手でした。15年にプロ野球史上1位となるシーズン216安打を記録する等、日本球界を代表するヒットメーカーに上り詰め、19年の年俸は2億3500万円になりました。メジャーリーグ挑戦前最後のシーズンとなったこの年も3年連続4回目となる最多安打とベストナイン、5年連続6回目となるゴールデングラブ賞に輝き、攻守でチームを牽引しました。

5位は95年の佐々木誠選手。ホークスの中心選手として活躍した後、93年オフにライオンズの顔だった秋山幸二選手とのトレード(3対3)で入団、ライオンズでもレギュラーとしてプレーしました。移籍1年目の94年に盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得、95年の年俸は2億2000万円となり、95年もベストナインを受賞しました。

和田一浩氏の凄さがわかる名言!天才バッターの伝説エピソードと共にその人柄や人生哲学に迫る!

 

私が思う最強の埼玉西武ライオンズの歴代外野手は秋山幸二選手!

スター選手を多く輩出した埼玉西武ライオンズの外野手ですが、歴代最強は80年代から90年代にかけての黄金時代を支えた秋山幸二選手だと考えます。

ここで、秋山幸二選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球評論家
生年月日:1962年4月6日
身長:186cm
出身:熊本県
最終学歴:八代高校
血液型:O型

1962年(昭和37年)4月6日生まれ、熊本県八代郡氷川町出身。八代高校から81年1月にドラフト外で西武ライオンズに入団しました。

高校時代はピッチャーを務めており、プロ入りと同時にサードへ転向し、プロ1年目は3試合の出場ながらプロ初ヒットを記録しました。レギュラーを掴んだのは85年で、ポジションはサード、高卒5年目で40本塁打を記録する活躍を見せました。

徐々に外野での出場が多くなり、86年は外野の出場での出場が32試合だったにもかかわらずベストナインを受賞、87年からセンターでの起用がメインとなりました。センター1年目の87年は自身3年連続となる40本塁打以上(43本塁打)を放ち、初めての本塁打王を獲得、以降は93年オフにホークスにトレード移籍するまで毎年30本塁打以上を記録しました。

抜群の身体能力を誇り、三拍子揃った大型外野手としてライオンズの黄金期を支え、ベストナインとゴールデングラブ賞はセンターのレギュラーを務めた全ての年(7年連続)で選出され、90年には盗塁王を獲得する等、オールラウンドプレーヤーとして「メジャーリーグに一番近い選手」と評されるようになりました。

ライオンズ黄金時代に中心選手として活躍し、走攻守すべてでトップの実力を持ち、数々のタイトル獲得と勝利に貢献した秋山幸二選手が埼玉西武ライオンズ史上歴代最強の外野手で間違いありません。

秋山幸二監督の凄さがわかる名言!天才が残した成績・記録から人生哲学にも迫る!

 

埼玉西武ライオンズの歴代外野手に関する豆知識

歴代最強選手で紹介した秋山幸二選手と同姓の秋山翔吾選手。同じセンターを務め、プレースタイルは違うもののオールドライオンズファンからするとチームの象徴だった「センター・秋山」の復活は感慨深いものがあったのではないでしょうか。

その秋山翔吾選手ですが、秋山幸二選手に負けない活躍を見せ、プロ1年目の11年からレギュラーを務め、15年には歴代1位となるシーズン216安打を記録、在籍した19年までで4回最多安打を獲得する等、日本を代表するヒットメーカーになりました。

小学校6年生に時に父を亡くした経験から、親子の時間を楽しんでもらうため、15年にひとり親家庭を球場に招待する社会貢献活動を始め、ライオンズでは在籍した19年まで続けました。メジャーリーグを経て広島在籍2年目となる23年に同取り組みを再開させており、子どもたちに夢を与え続けています。

 

まとめ

・埼玉西武ライオンズの外野は同じ選手が複数の外野のポジションでレギュラーを務めている。

・ライトでは平野謙選手や小関竜也選手、センターでは高倉照幸選手と秋山翔吾選手、レフトでは関口清治選手や栗山巧選手が長くレギュラーを務めた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、95年シーズンのダリン・ジャクソン選手と和田一浩選手の2億7500万円。

・秋山幸二選手は身体能力が高く、走攻守三拍子揃った外野手としてチームを牽引し、本塁打王等、数々のタイトルを獲得した埼玉西武ライオンズ歴代最強の外野手である。

 

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