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和田一浩氏の凄さがわかる名言!天才バッターの伝説エピソードと共にその人柄や人生哲学に迫る!


42歳11ヶ月という、日本プロ野球史上、最年長で2000本安打を打った男。
そんな超遅咲きの強打者、和田一浩氏。

他にも最年長での通算300本塁打や、20代で一度も規定打席に達していないとか、29歳までわずかに149本安打しか打っていないなど、和田氏の遅咲き伝説はたくさんあります。

西武ライオンズと中日ドラゴンズで19年間で、通算2050安打、319本塁打を記録。大学から社会人を経由してプロ入りした選手として、2000本安打は史上3人目、300本塁打は初の快挙です。

今回はそんな大器晩成という言葉がぴったりはまる和田一浩氏の凄さがわかる名言から、さまざまなエピソードや、その人柄や人生哲学にも迫ってみましょう。

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和田一浩氏について

まずは和田一浩氏の経歴を追ってみます。

1972年6月16日生まれ、岐阜県岐阜市出身。県立岐阜商業高校から東北福祉大学へ進学。仙台六大学リーグで強肩捕手として活躍。首位打者やMVPを取りますが、プロからは声がかからず神戸製鋼へ入社。2年後の1996年に西武ライオンズからドラフト4位指名を受けてプロ入りします。

しかし当時のライオンズには不動の正捕手である伊東勤がおり、その優しすぎる性格からリードに難があると言われ、出場機会には恵まれませんでした。2002年になりその打力を生かすため外野手にコンバート。30歳にしてようやくレギュラーを獲得しました。

レギュラーに定着すると2003年から4年連続でベストナインに選ばれ、2005年には首位打者と最多安打を獲得。一気にリーグを代表する右バッターへと飛躍を遂げます。

2007年シーズン後にFA権を行使して、和田氏の地元ともいえる中日ドラゴンズへ移籍。
2014年には史上最年長での300本塁打、更に翌年史上最年長での2000本安打、そして史上3人目の両リーグ1000本安打を達成。しかしそのシーズンを最後に引退します。

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個人記録としてはMVP1回、首位打者1回、最多安打1回

4000打席以上記録した選手の中で通算3割を超えている選手はわずか24名(現役選手が2名いるのでその二人は確定していません)。和田氏は通算.303で18位、5000打席以上ならば10位に位置する記録を残しました。

 

私が選ぶ、和田一浩氏の凄さがわかる三つの名言

「たとえ99回キツイ思いをしても、ひとつのいいことは絶対にある。そのたったひとつのいいことをいかに目指していけるかが大事」

ドラゴンズ時代、自打球を当てて骨折しながらも、当時の落合監督に「代打でしか使えないなら二軍」と言われて、出場し続けた和田氏。

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捕手として大成しなかったのは、優しい性格のせいだと言われましたが、その内側にはとてもストイックな面を持っていたからこそ、地道な努力と共に才能が開花したのでしょう。

99回も厳しい思いをして、その見返りはたったひとつでもいい、という和田氏の哲学は、何事も等価交換だと思い込んでいる人に是非とも知ってほしい言葉です。

何事を成すにも、その背後にある努力は必ずしも結果と等価にはならない。
しかし努力せざる人に、よい結果が舞い込む可能性は限りなく低い。

当たり前のことなのですが、当たり前をちゃんと言える人は、その努力をしっかりした人です。

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「一歩目がなければ二歩目はない。夢を叶える力、それは強く思うこと。自分はできると思い込むこと」

遅咲きの名選手である和田氏。
決して諦めない気持ちがあったからこそ、30歳でレギュラーを取れたのでしょう。
ただし、そこには前記の名言のように、努力が伴っていたからこそ。

和田氏が入学した東北福祉大学には、上級生に斉藤隆がおり、後輩に門倉健がいて、入れ違いで卒業した先輩には佐々木主浩、金本知憲、矢野燿大と、そうそうたる顔ぶれがいます。

他にもプロではあまり活躍はできなかったものの、和田氏のチームメイトにはプロ入りした選手が何人もいます。

和田氏が「できると思い込む」ことができたのは、そういうレベルの高い仲間たちの実力を、肌で感じていたからなのではないかと思います

彼らに負けなければ、プロになれるという明確な目標が目の前にあったわけです。

とはいえ当時、同大学の野球部に集まってくる学生の多くは、東京六大学や東都リーグのセレクションから漏れた者たちであり、努力を惜しんでいては、はい上がることはできません。
やはりそこにも努力という前提があるのです。

まさに諦めずに力を尽くし、日々一歩ずつ踏み出し続けたことが、次の二歩目三歩目につながり、夢を叶える力になったのでしょう。

 

「不安が消えていくのは、もういいや、と思い始めた時ではないでしょうか。そうなったらラクになるかもしれませんが、向上はないと思います」

多くの名選手が同じように口にするのが、いつも不安だという言葉です。
毎年シーズンの初めには、打てるか、あるいは勝てるか、どんな一流の選手でも不安になるものだそうです。

和田氏はそんな自分を丸ごと受け入れられるようになったのは、40歳を過ぎてからだったと言っています。それまでは「できない自分ばかりを見て無理していた」とのこと。

しかし、そうやって悩み、向上心を持ち続けたからこそ、数々の最年長記録を作り、両リーグで1000安打以上という大杉勝男、落合博満に続く、史上三人目の記録を作ることができたのでしょう。

優しすぎる性格から捕手から外されましたが、それでも着実に実績を積み重ねた和田氏
その優しさが伝わってくるのは、ご夫婦で更新するブログです。お二人の温かさがよく感じられます。

そのことは優しさや温かさが、勝負の世界で必ずしもマイナスにはならないことを、教えてくれている気がします。

大事なのは、努力し続け、向上しようとする心の強さなのです。

 

名言からの学び

・たくさんの努力に対して、多くの結果を求めすぎてはいけない。努力とはひとつひとつの成果を目指すものである。

・漠然と一歩を踏み出すのではなく、自分の成すべきことを強く思い、日々、一歩一歩を踏み出し続けることが大事。

・不安は向上の過程において付き物。優しさや温かさも向上心の邪魔にはならない。

 

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