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巨人

巨人の歴代投手(エース)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

12球団で最も長い歴史を持つ巨人のマウンドには多くの投手が上がってきました。

今回は伝統ある巨人の歴代投手の成績や最高年俸などを調べ、巨人歴代最強の投手についてまとめてみました。

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巨人軍の歴代投手(エース)一覧まとめ!

1950年以降、そのシーズンの主な先発・中継ぎ・抑えの選手を一覧表にしてみました。

まずは先発から見てみましょう。

巨人軍の歴代投手(先発)一覧まとめ!

選手名 背番号 先発登板 防御率 勝利数 投球回 完投数 タイトル
1950 藤本英雄 17 34 2.44 26 360.1 33
1951 松田 清 29 28 2.01 23 227.2 15 新人王、最優秀防御率、最高勝率
1952 別所毅彦 11 41 1.94 33 371.1 28 最多勝利、MVP、ベストナイン、日本シリーズMVP
1953 大友 工 20 29 1.86 27 281.1 22 最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞、ベストナイン
1954 別所毅彦 11 34 1.80 26 330 23
1955 大友 工 20 34 1.75 30 303.2 25 最多勝利、最高勝率
1956 別所毅彦 11 35 1.93 27 340.1 26 最多勝利、MVP、ベストナイン
1957 藤田元司 21 18 2.48 17 235.2 4 新人王
木戸美摸 29 22 2.36 17 202 5 最高勝率
1958 藤田元司 18 36 1.53 29 359 24 最高勝率、MVP
1959 藤田元司 18 35 1.83 27 330 24 最多勝利、最高勝率、MVP、ベストナイン
1960 堀本律雄 20 35 2.00 29 364.2 26 新人王、最多勝利、沢村賞
1961 中村稔 26 24 2.13 17 241 5
1962 城之内 邦雄 15 31 2.21 24 280.2 14 新人王
1963 伊藤芳明 21 32 1.90 19 236.1 18 沢村賞
1964 城之内 邦雄 15 32 2.23 18 262 17
1965 城之内 邦雄 15 40 2.44 21 258 13
1966 城之内 邦雄 15 35 2.01 21 282 21
1967 城之内 邦雄 15 33 2.58 17 227 16
1968 堀内恒夫 18 29 3.31 17 206.2 12
1969 高橋一三 21 27 2.21 22 256 19 最多勝利、最高勝率、沢村賞、ベストナイン
1970 渡辺秀武 11 31 2.53 23 260.1 18
1971 高橋一三 21 27 2.94 14 226.2 13
堀内 恒夫 18 33 3.11 14 226 14
1972 堀内恒夫 18 34 2.91 26 312 26 最多勝利、最高勝率、MVP、沢村賞、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞、日本シリーズMVP
1973 高橋一三 21 37 2.21 23 306.1 24 沢村賞、ベストナイン
1974 堀内恒夫 18 37 2.67 19 276.2 21 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1975 堀内恒夫 18 29 3.79 10 213.2 8 ダイヤモンドグラブ賞
1976 小林 繁 19 29 2.99 18 217.1 7
1977 小林 繁 19 30 2.92 18 216.1 11 沢村賞、ベストナイン
1978 新浦寿夫 28 9 2.81 15 189 5 最優秀防御率、最優秀救援投手、ベストナイン
1979 新浦寿夫 28 28 3.43 15 236.1 12 最多奪三振
1980 江川 卓 30 34 2.48 16 261.1 18 最多勝利、最多奪三振、ベストナイン
1981 江川 卓 30 30 2.29 20 240.1 20 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、MVP、ベストナイン
1982 江川 卓 30 31 2.36 19 263.1 24
1983 江川 卓 30 29 3.27 16 217.2 10
1984 西本 聖 26 28 3.12 15 224.2 15 ゴールデングラブ賞
江川 卓 30 28 3.48 15 186 13
1985 斎藤雅樹 41 20 2.96 12 155 5
1986 江川 卓 30 26 2.69 16 194 8
1987 桑田真澄 18 27 2.17 15 207.2 14 最優秀防御率、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1988 ガリクソン 20 26 3.10 14 203.1 14
1989 斎藤雅樹 41 30 1.62 20 245 21 最多勝利、最優秀防御率、沢村賞、ベストナイン
1990 斎藤雅樹 11 27 2.17 20 224 19 最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1991 桑田真澄 18 27 3.16 16 227.2 17 ゴールデングラブ賞
1992 斎藤雅樹 11 25 2.59 17 187.2 12 最多勝利、最高勝率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1993 槙原寛己 17 24 2.28 13 173.2 5
1994 桑田真澄 18 27 2.52 14 207.1 10 最多奪三振、MVP、ゴールデングラブ賞
斎藤雅樹 11 27 2.53 14 206.1 11
1995 斎藤雅樹 11 27 2.70 18 213 16 最多勝利、最多奪三振、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1996 ガルベス 59 27 3.05 16 203.2 12 最多勝利
斎藤雅樹 11 25 2.36 16 187 8 最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1997 ガルベス 59 27 3.32 12 192.2 8
槙原寛己 17 24 3.46 12 150.2 4
1998 桑田真澄 18 27 4.08 16 181 7 最高勝率、ゴールデングラブ賞
1999 上原浩治 19 25 2.09 20 197.2 12 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2000 メイ 42 24 2.95 12 155.1 3
工藤公康 47 21 3.11 12 136 1 最高勝率
2001 入来祐作 20 26 3.71 13 162.1 5 最高勝率
2002 上原浩治 19 26 2.60 17 204 8 最多勝利、最高勝率、沢村賞、ベストナイン
2003 上原浩治 19 27 3.17 16 207.1 11 最多奪三振、ゴールデングラブ賞
2004 上原浩治 19 22 2.60 13 163 2 最高勝率
2005 工藤公康 47 24 4.70 11 136 1
2006 内海哲也 26 28 2.78 12 194 6
2007 内海哲也 26 28 3.02 14 187.2 2 最多奪三振
高橋尚成 21 27 2.75 14 186.2 2 最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン
2008 グライシンガー 29 31 3.06 17 206 0 最多勝利、ベストナイン
2009 ゴンザレス 49 23 2.11 15 162 2 最高勝率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2010 東野 峻 17 26 3.27 13 157 1
2011 内海哲也 26 26 1.70 18 185.2 4 最多勝利
2012 内海哲也 26 28 1.98 15 186 3 最多勝利、ベストナイン、日本シリーズMVP
2013 内海哲也 26 25 3.31 13 160.1 1
菅野智之 19 26 3.12 13 176 1
2014 菅野智之 19 23 2.33 12 158.2 3 最優秀防御率、MVP、ベストナイン
2015 マイコラス 39 21 1.92 13 145 4 最高勝率
2016 田口麗斗 90 26 2.72 10 162 2
2017 菅野智之 19 25 1.59 17 187.1 6 最多勝利、最優秀防御率、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2018 菅野智之 19 27 2.14 15 202 10 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2019 山口 俊 11 26 2.91 15 170 0 最多勝利、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン

1950年代

50年代は6人の投手の名前が挙がります。藤本英雄投手は戦前からエースとして活躍し、50年は34試合の先発で33完投し、6月にはプロ野球史上初の完全試合を達成しています。翌年はその藤本投手から伝授されたスライダーを武器に2年目の松田清投手が23勝を挙げ、新人王と最優秀防御率のタイトルを獲得しましたが、翌年に13勝を挙げて以降は勝ち星がありませんでした。

52年からの5年間は別所毅彦投手大友工投手がチームを引っ張りました。別所投手が52年と56年に最多勝を獲得すると大友投手も53年と55年に獲得し、30勝以上を挙げ黒星が一桁だった投手はセリーグでは55年の大友投手のみです。

57年はルーキーの藤田元司投手3年目の木戸美摸投手がそれぞれ17勝を挙げ、藤田投手は翌年に29勝、翌々年には27勝を挙げる活躍を見せ、2年連続のMVPに輝きました。

1960年代

60年代はサイドスローのエースが活躍します。60年は新人の堀本律雄投手がサイドスローから内角を突く投球で新人ながら最多勝に輝きました。61年は5年目の中村稔投手がチェンジアップを習得して17勝を挙げて川上監督の初優勝に貢献し、63年は伊藤芳明投手が19勝を挙げ沢村賞を受賞しました。

60年代に最も活躍した投手は堀本投手と同じくサイドスローの城之内邦雄投手です。新人だった62年は24勝を挙げ新人王、64年から67年までチームの勝ち頭の活躍を見せ、入団から5年で100勝を達成した投手は城之内投手以降現れていません。

60年代後半からは堀内恒夫投手高橋一三投手が左右のエースとしてチームを引っ張っていくことになります。高橋投手は69年に最多勝と沢村賞に輝きました。

1970年代

左右のエースと同時期に活躍したアンダースローの渡辺秀武投手が70年に23勝を挙げる活躍を見せると、71年は堀内投手と高橋投手がそれぞれ14勝、72年は堀内投手が26勝を挙げ最多勝とMVPを獲得、73年は高橋投手が23勝で沢村賞を受賞しました。堀内投手はその後も2年、チームの勝ち頭でした。

76年からは後年「江川事件」で阪神に移籍することになる小林繁投手が2年連続で18勝を挙げ77年に沢村賞を受賞しました。78年は新浦寿夫投手が9試合の先発を含む63試合に登板して15勝、翌年は28試合の先発を含む45試合に登板し、先発兼左のリリーフエースとしてチームトップの勝ち星を挙げました。

1980年代

80年は怪物と長嶋巨人を支えた「三本柱」のうち2人が台頭します。「江川事件」の当事者である江川卓投手は2年目の80年に16勝を挙げ最多勝に輝くと翌年には20勝を記録し、以降も順調に勝利数を積み上げていきました。84年は江川投手とライバル関係にあった西本聖投手も15勝を挙げ、2人がチームトップでした。江川投手は86年もチームトップの16勝を記録しますが、右肩に故障を抱えていたため87年限りで引退します。

江川投手の晩年にサイドスローの斎藤雅樹投手がブレイクします。入団2年目の85年に12勝を挙げ、89年には11試合連続完投勝利を含む20勝、21完投を記録平成初の沢村賞投手となりました。斎藤投手とともに90年代の巨人を支えることになる桑田真澄投手も2年目の87年に15勝を挙げ沢村賞を受賞、以降2桁勝利を続けていきます。

東京ドーム元年となった88年はメジャーリーグで活躍していたビル・ガリクソン投手が入団し、14勝を記録しました。

1990年代

90年は前年に続き斎藤投手は20勝を記録し、MVPを獲得しました。翌年は桑田投手が16勝でチーム勝ち頭となり、92年は斎藤投手が17勝で最多勝に輝きました。

翌年の93年は「三本柱」の槙原寛己投手が13勝を挙げ、初めてチームトップになりました。94年は桑田投手と斎藤投手が14勝で並び、桑田投手が防御率で0.01、投球回数で1イニング上回りMVPを獲得しました。同年10月8日に行われた勝ったチームが優勝というプロ野球史上初の同率首位決戦となった中日戦では先発に槙原投手、二番手に斎藤投手、最後を桑田投手が締める継投で巨人が勝利し、優勝しました。

斎藤投手は96年にバルビーノ・ガルベス投手と分け合い、自身5度目の最多勝を獲得し、史上4人目となる3回目の沢村賞を受賞しました。ガルベス投手は巨人の外国人で初めて最多勝を獲得し、翌年も槙原投手と並びチームトップの勝利数を記録しましたが、翌年に降板しベンチに戻る途中、審判にボールを投げつける暴挙で処分されるなど素行不良の面が見られました。ちなみにガルベス投手は在籍した5年で10本塁打を放ち、99年にはシーズン2本の満塁本塁打を記録しています。

98年は前年に右肘の手術から復活を果たした桑田投手が最多勝争いを繰り広げ、99年にスーパールーキーがタイトルを総なめします。大阪体育大学から逆指名で入団した上原浩治投手が20勝を記録し、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手四冠に加え沢村賞を受賞し一気に巨人、球界のエースへと上り詰めました。

2000年代

00年以降上原投手は怪我で離脱するシーズンがありながらも02年は2回目の最多勝と沢村賞を受賞しています。

上原投手が離脱したシーズンで穴を埋めたのは、阪神から移籍してきたダレル・メイ投手やダイエーからFAで入団した工藤公康投手、生え抜きの入来祐作投手でした。工藤投手は04年に200勝を達成し、達成した試合ではプロ初本塁打もマークしています。

チームが下位に沈んだ06年は前年に結果を残せなかったものの堀内監督が我慢強く起用した内海哲也投手がチームトップの12勝を挙げ、以降の巨人を支えていきます。3連覇がはじまった07年は内海投手と高橋尚成投手の両サウスポーが先発陣を引っ張り、08年はヤクルトから移籍してきたセス・グライシンガー投手が2年連続の最多勝に輝き、09年は前年オフにヤクルトを自由契約となったディッキー・ゴンザレス投手が5月から昇格し、自身初の2桁勝利などキャリアハイの成績を残しました。

2010年代

10年代に入ると内海投手と菅野智之投手の活躍が目立ちます。内海投手は10年こそ怪我で離脱しましたが、11年は巨人のサウスポーとしては高橋一三投手以来42年ぶりの最多勝を獲得、12年も最多勝に輝き、2年連続の獲得は巨人のサウスポー史上初のことでした。

内海投手が離脱した10年は、04年ドラフト7巡目指名だった東野峻投手が13勝を挙げて翌年の開幕投手も務めますが、以降は思ったような成績が残せませんでした。

13年からは菅野投手が先発陣の中心になります。ルーキーイヤーからチームトップの13勝をマークすると翌年も12勝挙げMVPを獲得、16年は9勝に終わりますがプロ入り後7年で6回の2桁勝利をマークしています。圧巻だったのは18年シーズンで15勝、10完投、8完封はそれぞれリーグトップ、投球回202に対して奪三振は200を数え、200イニング200奪三振は81年に江川投手が記録して以来37年ぶりの快挙でした。

15年はマイルズ・マイコラス投手が来日1年目の外国人として初の10連勝(11連勝まで記録更新)を達成し、16年は高卒3年目の田口麗斗選手がチーム唯一の2桁勝利を挙げました。

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巨人軍の歴代投手(中継ぎ)一覧まとめ!

続いて中継ぎ投手の一覧です。最優秀中継ぎのタイトルが創設された1996年からの表になります。05年にホールドポイント(ホールド+救援勝利)が導入されるまでは登板数が一番多い投手を掲載しています。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 ホールドポイント タイトル
1996 河野 博文 40 39 3.29 6 - 最優秀中継ぎ賞
1997 入来 祐作 20 56 3.10 1 -
1998 西山 一宇 47 47 2.48 4 -
1999 木村 龍治 41 53 3.77 5 -
2000 岡島 秀樹 28 56 3.11 5 -
2001 三浦 貴 39 49 3.41 3 -
2002 前田 幸長 29 53 2.74 4 -
2003 前田 幸長 29 50 3.15 5 -
2004 シコースキー 42 62 2.67 5 -
2005 久保 裕也 11 63 3.43 7 24
2006 林 昌範 30 62 2.88 4 24
2007 豊田 清 20 35 3.38 2 22
2008 山口 鉄也 47 67 2.32 11 33
2009 山口 鉄也 47 73 1.27 9 44 最優秀中継ぎ賞
2010 久保 裕也 11 79 2.77 8 40
2011 山口 鉄也 47 60 1.75 5 30
2012 山口 鉄也 47 72 0.84 3 47 最優秀中継ぎ賞
2013 山口 鉄也 47 64 1.22 4 42 最優秀中継ぎ賞
マシソン 20 63 1.03 2 42 最優秀中継ぎ賞
2014 山口 鉄也 47 60 3.04 4 39
2015 山口 鉄也 47 60 2.73 4 33
2016 マシソン 20 70 2.36 8 49 最優秀中継ぎ賞
2017 マシソン 20 59 2.24 4 31
2018 澤村 拓一 15 49 2.94 1 25
2019 中川 皓太 41 67 2.37 4 21

1990年代

最大11.5ゲーム差をひっくり返して優勝した96年に最も登板したのは河野博文投手でした。前年オフにFAで日本ハムから入団して序盤は二軍暮らしでしたが、それまでの先発ではなく中継ぎとして昇格するとフル回転、リリーフポイントによって決定することとなった最優秀中継ぎ賞の初代受賞者になりました。

97年はルーキーの入来祐作投手が場面を問わず登板し、98年は150キロの直球とフォークを武器に西山一宇投手が安定した投球を見せました。

99年にはなかなか一軍に定着できていなかった6年目の木村龍治投手が最多の54試合に登板し、左投手の柏田貴史投手とともに中継ぎで奮闘しました。

2000年代

長嶋巨人最後の優勝となった00年にブルペンを支えたのは大型左腕の岡島秀樹投手でした。ロングリリーフもできるタフネス左腕として活躍し、抑えの槙原寛己投手が不調に陥ると抑えも務めました。岡島投手が抑えに回った01年は東洋大学から入団した三浦貴投手が1年目から登板を重ねていきましたが、翌年に頭部への死球で危険球退場を命じられてから登板機会はなくなり野手に転向しました。

原巨人初優勝となった02年は前年オフにFAで中日から入団した前田幸長投手が自己最多の53試合に登板、リリーフ陣が決壊して厳しい戦いが強いられた翌年も安定した成績を残しました。04年からはマウンド上で腕を全力でぐるぐる回すパフォーマンスが人気だったブライアン・シコースキー投手、先発も中継ぎもできる多彩な変化球の使い手の久保裕也投手、長身左腕で角度のある直球が武器の林昌範投手が中継ぎを支えました。

原監督の復帰が決まった05年オフに西武の守護神だった豊田清投手がFAで加入しましたが、抑えから中継ぎに配置転換されており、07年はセットアッパーとして抑えに回った上原浩治投手に繋ぐ役割を果たしました。その07年に原巨人を長く支える左腕がデビューしています。

07年のシーズン序盤に育成から支配下登録された山口鉄也投手は同年初勝利を挙げるなど32試合に登板すると08年は67登板で11勝を挙げ育成出身初の新人王に輝き、09年には73試合に登板して防御率1.27、44HPで最優秀中継ぎ賞を獲得しました。

2010年代

山口投手は10年も73試合に登板しますが、それ以上に登板したのは久保投手でした。07年以降は登板数が減少していましたが、10年は復活の年となりリーグ最多の79試合に登板して40HPを記録しました。

巨人史上屈指の外国人投手と評されたスコット・マシソン投手も毎年数多くの試合に投げ、13年には山口投手と最優秀中継ぎ賞を分け合い、16年には単独でタイトルに輝きました。山口投手は3回、マシソン投手は2回最優秀中継ぎに輝き、抑えの西村健太朗投手と合わせて「スコット鉄太朗」は原巨人の黄金時代を支えました。

18年は肩の故障から復活した澤村拓一投手が25HP、19年は4年目の中川皓太投手が抑えを兼任しながら自己最多の67試合に登板し21HPを記録しています。

 

巨人軍の歴代投手(抑え)一覧まとめ!

ここではその年一番多くセーブを記録した投手を掲載しています。

74年からセーブがプロ野球に導入されましたが、導入当初は最終回だけ投げる投手は少なく、ロングリリーフをして結果的にセーブを記録するケースが多くありました。また、先発の合間にリリーフをこなす選手もおり、そのため登板数に比べて投球回数が多い選手が目立ちました。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 セーブ数 タイトル
1974 倉田 誠 17 37 3.16 5 6
1975 小川 邦和 45 47 3.75 8 4
1976 加藤 初 21 36 3.70 15 8
1977 新浦 寿夫 28 34 2.32 11 9 最優秀防御率、最高勝率
1978 新浦 寿夫 28 59 2.81 15 15 最優秀防御率、最優秀救援投手、ベストナイン
1979 角 三男 12 44 4.02 2 6
1980 角 三男 12 56 2.28 1 11
1981 角 三男 11 51 1.47 8 20 最優秀救援投手
1982 角 三男 11 40 2.00 2 9
1983 角 三男 11 37 3.38 3 18
1984 角 三男 11 49 3.22 3 14
1985 斎藤 雅樹 41 26 2.96 12 7
1986 サンチェ 20 37 2.32 4 19
1987 鹿取 義隆 29 63 1.90 7 18
1988 鹿取 義隆 29 45 3.20 8 17
1989 広田 浩章 28 36 2.36 8 11
1990 水野 雄仁 31 33 1.97 2 11
1991 水野 雄仁 31 31 2.15 5 3
1992 石毛 博史 59 52 1.32 5 16
1993 石毛 博史 59 48 2.96 6 30 最優秀救援投手
1994 石毛 博史 59 45 3.14 5 19
1995 石毛 博史 24 38 4.07 4 11
1996 マリオ 22 39 3.33 3 19
1997 趙 成珉 51 22 2.89 1 11
1998 槙原 寛己 17 28 3.98 6 18
1999 槙原 寛己 17 45 2.83 4 23
2000 槙原 寛己 17 21 4.12 0 9
2001 岡島 秀樹 28 58 2.76 2 25
2002 河原 純一 15 49 2.70 5 28
2003 河原 純一 15 23 9.41 0 7
2004 久保 裕也 11 23 4.08 7 8
2005 林 昌範 30 54 1.61 2 18
2006 高橋 尚成 17 31 4.94 2 15
2007 上原 浩治 19 55 1.74 4 32
2008 クルーン 42 61 2.21 1 41 最多セーブ投手
2009 クルーン 42 46 1.26 1 27
2010 クルーン 42 52 4.26 4 25
2011 久保 裕也 11 67 1.17 4 20
2012 西村健太朗 35 69 1.14 3 32
2013 西村健太朗 35 71 1.13 4 42 最多セーブ投手
2014 マシソン 20 64 3.58 6 30
2015 澤村 拓一 15 60 1.32 7 36
2016 澤村 拓一 15 63 2.66 6 37 最多セーブ投手
2017 カミネロ 44 57 2.42 3 29
2018 カミネロ 44 20 5.79 1 11
2019 中川 皓太 41 67 2.37 4 17

1970年代

導入初年度の74年は倉田誠投手、翌年は小川邦和投手、76年は加藤初投手がそれぞれチーム最多のセーブ数を記録していますが一桁のセーブ数でした。加藤投手はその年先発としてノーヒットノーランを達成しています。

77年と78年に最多を記録した新浦寿夫投手も先発とロングリリーフをこなし、78年は先発登板が9試合だったにも関わらず規定投球回数をクリアし、最優秀防御率と最優秀救援投手を獲得しました。

1980年代

80年に入るとリリーフ専門の投手が登場します。79年にもチーム最多を記録していた角三男投手がリリーフ専門として登板を重ね、82年には20セーブを挙げ最優秀救援投手に輝きました。角投手は二桁セーブを4回記録するなど左のリリーフとして活躍しました。

85年はその年20試合に先発していた斎藤雅樹投手がリリーフとしても26試合に登板し、チーム最多勝と最多セーブを記録しました。86年はルイス・サンチェス(登録名:サンチェ)投手が抑えを務め、サンチェ投手が不振に陥った87年からはサイドスローの鹿取義隆投手が抑えに回り、二桁セーブを記録しましたが翌年は先発完投のチーム方針に加えて勤続疲労で調子が上がらず、広田浩章投手が最多の11セーブを挙げました。

1990年代

90年と91年はリリーフに専念した水野雄仁投手が安定した投球を披露しますが、91年はチーム事情もあり3セーブのみでした。92年からは4シーズン、速球とフォークボールが武器の石毛博史投手が務め、93年には球団記録となるシーズン30セーブを達成して最優秀救援投手になりました。

95年には通算100セーブを達成しましたが、不安定な投球が目立つようになり96年は途中加入のマリオ・ブリトー投手に抑えの座を明け渡しました。マリオ投手は落差の大きいフォークボールで前半戦は好成績を残しますが、後半戦は打ち込まれることも多く、同年限りで退団しました。97年はシーズン後半から趙成珉投手が務め、98年からは先発から槙原寛己投手が回りました。

2000年代

引き続き槙原投手が抑えに起用されましたが負傷離脱もあり思うような投球ができませんでした。01年になると岡島秀樹投手が抜擢され、落差の大きいカーブを駆使して25セーブを記録しました。

原巨人1年目となった02年は先発起用が多かった河原純一投手が抑えに回りました。5勝28セーブを挙げ、1番打者に固定した清水隆行選手とともに原監督就任1年目での優勝の原動力に挙げられました。しかし翌年は不調で救援失敗が目立ち、抑えとしての活躍は1年のみでした。

04年は抑えが固定できず、久保裕也投手が7セーブで最多記録となり、05年はシーズン途中から林昌範投手が起用され18セーブを挙げました。林投手がセットアッパーに回った06年は、開幕早々にベンチ内でファウルボールが直撃し左頬の骨折で戦列を離れていた高橋尚成投手が復帰後、1年のみ抑えに起用されました。

07年はエースが守護神に起用されました。先発で活躍していた上原浩治投手が5月から務め、球団新記録となる32セーブを挙げ5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献しました。連覇を達成する08年は横浜から移籍したマーク・クルーン投手が41セーブを挙げ最多セーブ投手に輝き、翌年も27セーブを記録する活躍を見せました。

2010年代

クルーン投手は10年まで抑えを務め、11年は後半戦から久保投手が回り、3連覇が始まる12年は西村健太朗投手が務めました。12年に32セーブを挙げると13年には42セーブを挙げ、中日の岩瀬仁紀投手や阪神の藤川球児投手などタイトル経験者を抑え最多セーブ投手を獲得しました。翌年は不調で中継ぎに配置転換されると代わりをスコット・マシソン投手が務めて30セーブ、15年からの2年は先発から澤村拓一投手が回り16年には最多セーブ投手に輝きました。

澤村投手は右肩の故障で17年シーズンの登板はなく、代わりにアルキメデス・カミネーロ(登録名:カミネロ)投手が抑えを任され、29セーブを挙げる活躍を見せましたが、翌年はシーズン途中に右肘を故障し満足いくシーズンにはなりませんでした。

5年ぶりの優勝を成し遂げた19年は中川皓太投手がセットアッパーと抑えを兼任し、ホールドポイント数とセーブ数どちらもチーム最多を記録し、優勝の立役者の一人でした。

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【巨人軍】歴代投手の年俸ランキング!歴代最高年俸は菅野智之投手の6億5000万円!

ここでは巨人軍歴代投手を年俸で順位付けしてみました。近年はリリーフ投手の立場が向上してきましたが、それでもリリーフより先発投手の年俸が高くなる傾向があり、トップ5はすべて先発投手がランクインしました。

順位 年度 選手名 年俸 防御率 勝利数 登板数
1 2019 菅野 智之 6億5000万円 3.89 11 22
2 2013 杉内 俊哉 5億0000万円 3.35 11 24
3 2008 上原 浩治 4億0000万円 3.81 6 26
3 2013 内海 哲也 4億0000万円 3.31 13 25
5 2000 B.ガルベス 3億5000万円 3.26 0 6

 

1位は菅野智之投手で、2019年の6億5000万円が歴代最高年俸となりました。プロ6年目だった前年は史上8人目となる7つの選考基準をすべてクリアして2回目の沢村賞を受賞、シーズンを通して圧巻の投球を披露し、横浜で活躍した大魔神・佐々木主浩投手と並び日本人トップタイの年俸になりました。迎えた19年は腰痛に悩まされ、本来の投球と程遠い登板が多くなりましたが、苦しみながらもプロ入り7年で6度目の二桁勝利を達成しました。

菅野智之の凄さがわかる名言・語録集!天才投手の伝説エピソードから人生哲学まで

 

2位は13年の杉内俊哉投手5億円です。11年オフにソフトバンクからFAで入団し、初年度から2桁勝利を記録しました。5月の楽天戦ではあと1人で完全試合を逃したもののノーヒットノーランを達成し、オフに自己最高年俸に到達しました。防御率は悪化しましたが、13年もしっかり勝ち星を二桁に乗せ優勝に貢献しました。

杉内俊哉の凄さが分かる名言・語録集!天才ノーヒッターの伝説エピソードから努力論まで

 

3位は2人がランクインしました。07年に1年限りで抑えに転向した上原浩治投手は球団史上最多となる32セーブをマークし、シーズン20勝を記録したことがある投手の30セーブ到達は江夏豊投手以来2人目となる快挙でした。メジャーリーグ移籍前の最後のシーズンとなった08年を自己最高年俸の4億円で迎え先発に戻りましたが序盤戦は不調、夏に行われた北京五輪に参加して以降調子を上げ、最大13ゲーム差をひっくり返しての大逆転優勝に貢献しました。

上原浩治の凄さがわかる名言・語録集!かっこいい天才投手の伝説エピソードから雑草魂まで

 

同じく3位は13年の内海哲也選手。11年と12年で2年連続最多勝を獲得し、4億円で臨んだ13年は苦しい投球が続きました。春先に行われたWBCに参加し、打たれる場面が多くシーズンも大事なところで痛打されるケースが多くありましたが、二桁勝利を達成しプロ通算100勝も同年達成しました。

 

5位にランクインしたのはバルビーノ・ガルベス投手でした。96年の来日初年度に最多勝を獲得、以降も不祥事でチームを離れることはありましたが安定した成績を残し、99年には巨人初の外国人開幕投手を務めました。同年は負け越したものの大崩れしないピッチングでローテーションの一角として投げ続け、年俸は3億5000万円に達しました。

迎えた00年は不調や故障で6試合の登板で未勝利に終わり、シーズン終了後退団しました。投手ながら通算10本塁打を放ち、99年には横浜スタジアムで場外満塁本塁打を打ちました。

 

私が思う最強の巨人軍の歴代投手は斎藤雅樹投手!

昭和から現在まで、多くの名投手が巨人のユニフォームを着て活躍しましたが、歴代最強の投手は「平成の大エース」と呼ばれた斎藤雅樹投手だと考えます。

ここで、斎藤雅樹投手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球解説者
生年月日:1965年2月18日
身長:181cm
出身:埼玉県
最終学歴:川口高等学校
血液型:AB型

1965年(昭和40年)2月18日生まれ、埼玉県川口市出身。市立川口高校を経て、1982年のドラフト会議で1位指名を受け、読売ジャイアンツに入団しました。

プロ19年で426試合に登板し、先発として301試合マウンドに上がり、防御率2.77、180勝、11セーブを記録しています。投手分業制が採用されている現代野球において21完投を記録したシーズンもあり、通算でも113完投を記録しています。89年にはいまだ破られていない11試合連続完投勝利を達成しました。

一時期は野手への転向も検討されていましたが、藤田監督の指導でサイドスローにフォームを変更し、カット気味の直球とスライダー、カーブを武器にシーズン20勝を2回達成し、最多勝5回、沢村賞を歴代最多タイとなる3回獲得しています。晩年は怪我に泣かされ200勝には届きませんでしたが、「投げれば勝つ」と言われた巨人のエースでした。

昭和時代の数々の名投手、平成に入ってからも上原投手や菅野投手など素晴らしい投手がいますが、野球殿堂入りも果たした「平成の大エース」が巨人歴代最高の投手ではないでしょうか。

斎藤雅樹の凄さが分かる名言・語録集!天才サイドスロー投手の伝説エピソードから人生哲学まで

 

巨人軍の歴代投手に関する豆知識

「投手は9人目の野手」という言葉をよく見聞きしますが、その言葉がぴったりな投手がいました。

桑田真澄投手はPL学園のエースで5番打者として活躍し、甲子園でも通算6本塁打を放っていますが、プロの世界でもその打撃力を発揮、通算7本塁打を放ち通算打率.216は投手としては高い打率を残しています。

そんな桑田投手の打撃力を象徴するエピソードがあります。02年6月の横浜戦の延長11回表の巨人の攻撃、無死一塁の場面で投手に回ってきた打席で代打に送られたのは桑田投手でした。まだベンチには清原和博選手をはじめ3人の野手が残っていましたが原監督は桑田投手を選択し、バントの構えから一転してバットを振り抜きレフト前に運び、バスターエンドランを成功させました。

原監督は試合後「バスターをやらせたらチームで一番だから代打に起用した」と話し、桑田投手の打撃を信じて代打に送ったことがわかります。この年12勝を挙げ最優秀救援防御率のタイトルを獲得するなど本業でも活躍しましたが、打っても.294のハイアベレージを残し、「9人目の野手」として原監督就任1年目での優勝に大きく貢献しました。

桑田真澄の凄さが分かる名言・語録集!球界レジェンドの努力論から人生哲学まで

まとめ

・巨人の先発投手は各年代で長くチーム勝ち頭となった投手がいる。

・先発では城之内投手や江川投手、斎藤投手、中継ぎ山口投手やマシソン投手では抑えでは角投手がチームトップの成績を長く残している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2019年シーズンの菅野智之投手の6億5000万円。

・先発完投型の斎藤投手は最多勝を5回獲得、沢村賞を歴代最多タイの3回獲得している巨人歴代最強の投手である。

 

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