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巨人

巨人の歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

2020/06/28

2020年は2年連続のセリーグ優勝、8年ぶりの日本一奪還を目指す巨人。球団創設が12球団で最も古い伝統球団の歴史にはいつの時代もスーパースターの活躍がありました。

今回は伝統ある巨人の「扇の要」「グラウンドの司令塔」と呼ばれるポジションのキャッチャーを守った歴代選手の成績や年俸などを調べ、巨人歴代最強のキャッチャーについてまとめてみました。

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巨人の歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を一覧にしてみました。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 藤原 鉄之助 6 92 0.244 1 21
1951 楠 協郎 27 84 0.292 6 52
1952 広田 順 6 91 0.277 4 23
1953 広田 順 6 115 0.242 5 39 ベストナイン
1954 広田 順 6 106 0.262 9 37 ベストナイン
1955 広田 順 6 97 0.222 6 30 ベストナイン
1956 藤尾 茂 9 117 0.276 14 58 ベストナイン
1957 藤尾 茂 9 105 0.256 8 30 ベストナイン
1958 藤尾 茂 9 115 0.283 11 58 ベストナイン
1959 森 昌彦 27 105 0.228 3 26
1960 森 昌彦 27 115 0.197 2 18
1961 森 昌彦 27 113 0.223 4 29 ベストナイン
1962 森 昌彦 27 134 0.247 6 44 ベストナイン
1963 森 昌彦 27 132 0.198 4 38 ベストナイン
1964 森 昌彦 27 123 0.27 12 65 ベストナイン
1965 森 昌彦 27 135 0.277 5 58 ベストナイン、日本シリーズ打撃賞
1966 森 昌彦 27 125 0.242 5 62 ベストナイン
1967 森 昌彦 27 109 0.278 6 31 ベストナイン、日本シリーズMVP
1968 森 昌彦 27 127 0.228 11 46 ベストナイン
1969 森 昌彦 27 115 0.256 8 39
1970 森 昌彦 27 97 0.210 0 15 日本シリーズ優秀選手賞
1971 森 昌彦 27 95 0.215 4 22 日本シリーズ優秀選手賞
1972 森 昌彦 27 120 0.210 4 33
1973 森 昌彦 27 97 0.220 3 19
1974 吉田 孝司 9 106 0.205 7 20
1975 矢沢 正 12 100 0.254 7 34
1976 吉田 孝司 9 124 0.260 5 37
1977 吉田 孝司 9 77 0.299 5 25
1978 福島 智春 51 82 0.226 2 8
1979 山倉 和博 15 97 0.208 7 18
1980 山倉 和博 15 127 0.246 17 52
1981 山倉 和博 15 124 0.205 11 40 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1982 山倉 和博 15 129 0.196 7 39
1983 山倉 和博 15 115 0.254 6 41 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1984 山倉 和博 15 114 0.241 12 43
1985 山倉 和博 15 109 0.273 13 41
1986 山倉 和博 15 102 0.237 8 36
1987 山倉 和博 15 128 0.273 22 66 ベストナイン、ゴールデングラブ賞、MVP
1988 有田 修三 9 88 0.292 12 40
1989 中尾 孝義 0 87 0.228 5 27 ベストナイン
1990 村田 真一 56 84 0.273 13 44 ベストナイン
1991 村田 真一 9 111 0.247 17 42
1992 大久保 博元 9 84 0.277 15 43
1993 村田 真一 9 88 0.236 6 28
1994 村田 真一 9 120 0.248 10 41
1995 村田 真一 9 116 0.265 13 38
1996 村田 真一 9 99 0.208 5 26
1997 村田 真一 9 75 0.164 1 6
1998 村田 真一 9 107 0.268 7 47
1999 村田 真一 9 91 0.207 9 28
2000 村田 真一 9 101 0.204 7 34
2001 阿部慎之助 10 127 0.225 13 44
2002 阿部慎之助 10 127 0.298 18 73 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2003 阿部慎之助 10 94 0.303 15 51
2004 阿部慎之助 10 108 0.301 33 78
2005 阿部慎之助 10 130 0.300 26 86
2006 阿部慎之助 10 129 0.294 10 56
2007 阿部慎之助 10 140 0.275 33 101 ベストナイン
2008 阿部慎之助 10 125 0.271 24 67 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2009 阿部慎之助 10 123 0.293 32 76 ベストナイン、日本シリーズMVP
2010 阿部慎之助 10 140 0.281 44 92 ベストナイン
2011 阿部慎之助 10 114 0.292 20 61 ベストナイン
2012 阿部慎之助 10 138 0.340 27 104 首位打者、打点王、最高出塁率、MVP、ベストナイン
2013 阿部慎之助 10 135 0.296 32 91 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2014 阿部慎之助 10 131 0.248 19 57 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2015 小林 誠司 22 70 0.226 2 13
2016 小林 誠司 22 129 0.204 4 35
2017 小林 誠司 22 138 0.206 2 27 ゴールデングラブ賞
2018 小林 誠司 22 119 0.219 2 26
2019 小林 誠司 22 92 0.244 2 19

 

1950年代

5人が扇の要を務めました。広田順選手はハワイから来日すると1年目からポジションを獲得し、捕手としての出場試合数423はNPBにおける外国人選手としては最多記録です。

その広田選手を押し退け、藤尾茂選手が3年間守りベストナインを獲得する活躍を見せましたが、後に「V9の頭脳」と評されることになる森昌彦選手が台頭しました。

 

1960年代

59年からレギュラーを掴んだ森選手が60年代を通して活躍しました。61年から8年連続ベストナインを受賞し、打率はそこまで高くなかったものの勝負強さを武器にONコンビの後ろとなる5番を打つこともありました。

チームは65年からV9を達成しましたが、森選手は全てレギュラーとして貢献して67年には日本シリーズMVPに輝いています。

1970年代

60年代に続いて森選手がマスクを被り73年までV9を果たしますが、V9が終わった翌74年に森選手が引退します。同年マスクを多く被ったのは吉田孝司選手でした。

長嶋監督の下で多くの試合に出場し、76年のオールスターゲームでは巨人のキャッチャーとしては初のMVPを獲得しています。

1980年代

80年代は79年から出場試合数を増やしていた山倉和博選手が、80年からレギュラーの座を確固たるものにしました。77年にドラフト1位で入団した山倉選手は80年に17本塁打を記録、87年には22本塁打を記録してチームの優勝に貢献し、巨人のキャッチャーとして初めてのMVPに輝きました。80年から87年まで8年連続で100試合以上に出場し、西本聖投手や江川卓投手といった投手陣を引っ張りました。

88年は怪我の山倉選手に代わり85年オフに近鉄からトレードで移籍してきた有田修三選手、89年は中日から移籍してきた中尾孝義選手が多く試合に出場し、それぞれ前所属チームで出場機会を失っていた状況から活躍を見せ、両選手ともカムバック賞を受賞しました。

1990年代

90年代に入ると叩き上げの生え抜き選手がレギュラーの座を掴みます。81年のドラフト5位で入団した村田真一選手が90年からレギュラーとして活躍し、92年は西武から移籍してきた大久保博元選手に奪われますが翌年に奪回し、00年まで長く正捕手として君臨しました。

この頃のセリーグはヤクルトの古田敦也選手や横浜の谷繁元信選手など球界を代表するキャッチャーがおり彼らと比べると地味な存在でしたが、安定したリードと意外性のある打撃で90年代の2度のリーグ優勝に貢献しました。

2000年代

00年は90年代に引き続いて村田選手がレギュラーを務め、日本シリーズで優秀選手賞を獲得しましたが翌01年の開幕スタメンに抜擢されたのはルーキーの阿部慎之助選手でした。

この年は強肩強打を武器に活躍し、新人捕手として2人目となる2桁本塁打を放ちました。以降巨人の正捕手としてグラウンドに立ち続け、30本塁打以上を記録したシーズンもあり、07年から09年のリーグ3連覇に貢献しました。

2010年代

引き続き阿部選手がマスクを被り、10年には44本塁打、12年には首位打者と打点王、MVPを獲得しました。キャプテン、4番、正捕手として試合に出場し、チームも12年から再び3連覇を果たしました。
しかし14年に首を痛めると捕手としての出場が難しくなりファーストにコンバートされ、代わってマスクを被ったのは13年のドラフト1位で入団した小林誠司選手でした。

遠投115m、二塁への送球1.9秒の強肩で16年から4年連続で盗塁阻止率リーグ1位を記録するなど守備面での評価は高く、エースの菅野智之投手との同級生バッテリーでバッテリー賞を受賞したこともあります。しかし打撃面では物足りない成績が続き、19年は西武から移籍してきた炭谷銀仁朗選手や打撃が売りの2年目の大城卓巳選手との併用が続いたシーズンでした。

コロナウイルスで延期されている20年は守りの小林選手、経験豊富な炭谷選手、打の大城選手の誰が多くマスクを被るのか、注目です。

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巨人軍歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は阿部慎之助選手の6億!

ここでは巨人軍歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーとして1試合でも出場したことがあるシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2014 阿部 慎之助 6億0000万円 0.248 131
2 2001 村田 真一 1億1500万円 0.179 54
3 2019 小林 誠司 6000万円 0.244 92
4 1988 山倉 和博 5300万円 0.170 58
5 1990 中尾 孝義 5250万円 0.254 56

80年代に入ってから徐々にプロ野球選手の年俸は上昇していき、それ以前の選手たちの年俸は安いものでした。そのため近年在籍した選手の年俸が高く、1位は阿部慎之助選手の2014年シーズンの6億円が歴代最高年俸となりました。打撃主要2部門とMVPを受賞した12年オフに5億7000万円となった年俸は翌年オフに6億円に到達し、迎えた14年は首痛もあり途中で一塁手にコンバートされる苦いシーズンとなりました。

阿部慎之助の凄さが分かる名言・語録集!天才キャッチャーの伝説エピソードから努力論まで

 

2位は阿部選手の前にレギュラーを務めていた村田真一選手の01年シーズンの1億1500万円でした。99年オフにプロ野球史上初の1度も規定打席に到達したことない1億円プレーヤーになり、00年は同姓の村田善則選手と併用されましたがリーグ優勝に貢献し、同年オフに最高年俸に到達しました。01年はルーキーだった阿部選手にスタメンを譲る形になり、同年引退しました。

続いて3位は19年シーズンの小林誠司選手の6000万円でした。プロ入り後右肩上がりの年俸推移が続いており、19年は前年シーズンよりも出場試合数は減少したものの4年連続でリーグ最高盗塁阻止率をマークしました。なお、20年シーズンは1億円プレーヤーとして臨みます。

4位は88年の山倉和博選手。前年は22本塁打と自己最多本塁打を記録してベストナイン、ゴールデングラブ賞、巨人のキャッチャーとして初めてのMVPに輝き、自己最高年俸の5300万円になりました。しかし、88年は怪我や有田修三選手の活躍もあり58試合の出場に留まりました。

5位にランクインしたのは中尾孝義選手でした。中日に入団しプロ1年目から116試合に出場し、2年目から正捕手として活躍しましたが88年に外野手に転向。88年オフにトレードで巨人に移籍するとキャッチャーに再転向し、89年は山倉選手や有田選手とのポジション争いを制して87試合に出場したことが評価され、5250万円となりました。

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私が思う最強の巨人軍歴代キャッチャー(捕手)は阿部慎之助選手!

1人の選手が長い年数レギュラー務めた巨人のキャッチャーのポジションですが、歴代最強の選手は阿部慎之助選手だと考えます。

ここで、阿部慎之助選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・読売ジャイアンツ2軍監督
生年月日:1979年3月20日
身長:180cm
出身:千葉県
最終学歴:中央大学
血液型:A型

1979年(昭和54年)3月20日生まれ、千葉県能東葛飾郡浦安町(現・浦安市)出身。安田学園高校、中央大学を経て、2000年のドラフト会議で逆指名によりドラフト1位で読売ジャイアンツに入団するとプロ1年目から開幕スタメンに抜擢されました。

プロ19年で2,282試合に出場し、15年シーズン以降は一塁手や代打の切り札としての出場が多くなりましたが、打率.284、406本塁打、1285打点を記録しています。いずれの記録も巨人の歴代キャッチャーの中で一番の成績であり日本シリーズMVP1回、セリーグMVP1回、首位打者1回、打点王1回、ベストナイン9回を獲得。ゴールデングラブ賞にも4回輝くなどチームの中心として長く活躍しました。

17年にはプロ野球史上49人目の2000本安打を達成し、引退することとなった19年にはキャッチャーとしてプロ入りした選手としては野村克也さんと田淵幸一に次ぐ3人目となる通算400本塁打を記録しました。

07年からは巨人の第18代主将を務めて2度のリーグ3連覇にチームを導き、名実ともに巨人歴代最高のキャッチャーと言えるでしょう。

 


見抜く力 阿部慎之助の流儀 [ 長南 武 ]

 

巨人軍歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識

ピッチャーの「女房役」と形容され、投手の力を引き出すことが評価されるキャッチャー。レギュラーが決まるとなかなか他の選手は試合に出場する機会が少なくなってしまいますが、投手との相性によってレギュラーではないキャッチャーがスタメンマスクを被ることがあります。

キャッチャーとしては圧倒的な成績を残した阿部選手がレギュラーの期間も相性が良くないという理由でセス・グライシンガー投手が先発する試合は2番手捕手だった鶴岡一成選手がスタメン出場しました。

村田真一選手がレギュラーだった00年もダイエーからFAで移籍してきた工藤公康投手と高橋尚成投手が先発の試合は、プロ入り後の7年間で59試合しか出場していなかった8年目の村田善則選手がマスクを被り、自己最多の76試合に出場しました。07年にインタビューで工藤投手は自らの球を受けてきたキャッチャーの中で一番キャッチングが巧かった選手に村田善則選手の名前を挙げています。

他にも桑田真澄投手は吉原孝介選手のキャッチングを好み多くバッテリーを組むなど、巨人のエース級投手が投球する先にはレギュラーではない2番手捕手がミットを構えていることがありました。

まとめ

・巨人のキャッチャーは各年代で長く守った選手が多くいて、レギュラーを務めた間にそれぞれリーグ優勝に貢献する活躍を見せていた。

・森選手は日本シリーズ、吉田選手はオールスターゲーム、山倉選手はセリーグのMVPを巨人のキャッチャーとして初受賞する活躍をした。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2014年シーズンの阿部選手の6億円。

・阿部選手はプロ野球史上49人目の2,000本安打達成し、キャッチャーとして史上3人目の400本塁打を記録するなど巨人歴代最強のキャッチャーである。

 

 

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