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杉内俊哉の凄さが分かる名言・語録集!天才ノーヒッターの伝説エピソードから努力論まで


投手にとってノーヒットノーランは勲章というべき記録です。2019年まで甲子園では春の選抜大会で12人、夏の選手権大会で22人が達成しています。1998年の夏の選手権大会ではふたりの投手がノーヒットノーランを達成しました。ひとりは松坂大輔、もうひとりは杉内俊哉です。

日本プロ野球では81人がノーヒットノーランを記録していますが、杉内はその中にも名を連ねており、松坂世代の中だけでなく、2000年代のプロ野球を代表する投手です。

力感のないゆったりとしたフォームから、切れ味の鋭いスライダーとチェンジアップ、右打者内角へのクロスファイヤーなどを駆使し、投球イニングを越える脅威の奪三振率を誇り、歴代のサウスポーで史上1位となる勝率.648を残しています。

今回は高校でもプロでもノーヒットノーランを達成した杉内俊哉の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才ノーヒッターの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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杉内俊哉について

まずは杉内俊哉の経歴を追ってみます。

1980年10月30日生まれ、福岡県大野城市出身。小学生、中学生と全国大会に出場し、野球の名門である鹿児島実業高校に入学。1998年の夏の選手権大会では1回戦でノーヒットノーランを達成。2回戦では松坂大輔の横浜高校と対戦し、好投するも、松坂にホームランを食らうなどして敗戦。卒業後は三菱重工長崎に入社。都市対抗や日本選手権で活躍し、シドニーオリンピック代表にも選ばれます。

2001年のドラフト3位で福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に指名されて入団。ルーキーイヤーには開幕早々にプロ初勝利をあげます。2003年、先発ローテーション入りし、10勝を記録し、リーグ優勝に貢献。日本シリーズではシリーズMVPにも輝きます。

2004年6月に大量失点で降板後にベンチを殴って骨折し、その後の1軍登板はなく、再起を誓った翌2005年は18勝をあげ、最多勝利と最優秀防御率、沢村賞、MVPも獲得しました。2006年はWBC日本代表に選ばれ優勝し、2007年には15勝を記録。以降、4年連続で2桁勝利をマークします。2008年から2年連続で最多奪三振を獲得しました。

2011年オフに球団側と折り合いがつかず、FAを宣言。読売ジャイアンツへ移籍シ、エースナンバー18番を託されます。2012年5月30日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では完全試合ペースの中で、9回2アウトで四球を与えてしまいましたが、ノーヒットノーランを達成。この年から2014年まで3年連続で2桁勝利をあげます。

2015年に股関節痛のため離脱。その後、手術とリハビリを続けますが、2016年から3年間公式戦登板はなく、2018年オフに引退を表明しました。

プロ通算17年間で、142勝、2156奪三振、防御率2.95。MVP1回、沢村賞1回、最多勝利1回、最優秀防御率1回、最多奪三振3回、ベストナイン1回。奪三振数は歴代14位で史上最速イニング、通算勝率は歴代左腕1位。

引退後はジャイアンツのコーチに就任し、後進の指導に当たっています。

 

私が選ぶ、杉内俊哉の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「彼がレベルを上げてくれた」

「彼」とは松坂大輔のことです。ふたりは甲子園で投げ合い、プロでも投げ合いました。杉内がノーヒットノーランを達成すると、松坂は「杉内くんですか。意識しますよ」と話し、決勝でノーヒットノーランをやってみせるなど、お互いに競い合う関係でした。

杉内VS松坂は高校時代に松坂が勝ち、プロでも二人の対戦は杉内の3戦2敗です。

 

「結局、松坂に勝つことなく先に引退。これは心残りなんですが」

そう話しながらも「彼が1年でも長くできるように応援したい」とエールを送っています。

同じ甲子園でのノーヒッターながら、松坂とは違い、高校生でドラフトにかからなかった杉内。
高校時代から三振奪取能力は注目されていましたが、高校生は基礎的な身体能力を評価しがちなプロのスカウトの目には、まだ魅力的には映らなかったのでしょう。

しかし松坂に引っ張られるように社会人で活躍し、プロ入り後は坂本勇人や筒香嘉智らが新人だった頃に杉内のボールを見てプロの凄さを痛感し、阿部慎之助は「あのチェンジアップは2回空振りができる」と語るほどの投手になりました。

ホークスでは同じ左腕で、同じ「松坂世代」である和田毅と共に競い合い、ホークスを常勝チームへと引き上げたことは、いまだにホークスの財産になっていますし、ジャイアンツにも還元されていくだろうと思います。

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【名言語録その2】

「打たれても仕方ないと思える理由を作っておくんです。投げる時に自分の気持ちが楽になるように、最初から逃げ道を考えておくようにするんです」

強気やポジティブさを口にする選手が多い中で、杉内は繊細さを感じさせる発言も多く残しています。しかしそこには独特の理屈があります。

 

「ピッチングで自分と少しでも戦っていたら、バッターとの1対1ではなくて、もうひとりの自分も相手に1対2で戦っているわけですから」

それが「逃げ道」を考えておくという理由です。「上半身が水になっているイメージを追い求めている」と表現するようなセンシティブさから、自らの投球の不甲斐なさにベンチを素手で殴って骨折するような失敗を引き起こすこともありましたが、その感性があったからこそ1930と2/3イニングで2000もの三振が奪えたのかもしれません。

 

「僕が1軍で投げている間は、正直、楽しいと思った試合は1回もなくて、いつもプレッシャー、緊張、怖さとかそっちとの戦いの方があった」

まさにプロは対戦相手だけでなく、さまざまなものと戦っているのです。

 

【名言語録その3】

「時間が戻るのであれば、戻って投げたいですけどね」

杉内は何故かイーグルスの本拠地である現楽天生命パークと相性が悪く、2006年から引退するまで勝てませんでした。しかし2012年5月30日のイーグルス戦はジャイアンツのホームである東京ドームでの試合であり、見事な快投を見せます。

相手投手は田中将大であり、終盤まで緊迫した投手戦となりますが、7回に高橋由伸の2ランホームランで均衡を破り、杉内は9回2アウトまで完全試合の投球を見せます。田中の代打中島俊哉が打席に入り、カウント3ボール2ストライクとなり、次のボールが四球となります。

 

「ツースリーになった時点で真ん中に投げるっていうのは無責任だと思ったので」

完全試合はプロ野球史上わずかに15回しか達成されていない大記録です。打者の打ち損じもありますし、記録を考えれば際どいコースではなく、思い切って真ん中付近に投げ込むのもありでしょう。しかし勝負を考えると、この場面で打たれてはいけないのはホームランです。パンチ力のある中島だけに、一発を避けるためにも真ん中に投げるのは「無責任」と考えたのは杉内らしいと思います。

結果、四球を出し、完全試合は逃したものの、ノーヒットノーランを達成しました。その場面を振り返って、上記の言葉を語るのですが、もし時間が戻ったとしたら、どんなボールを投げるのでしょうか。

完全試合とノーヒットノーランの歴代達成者は?両者の意味や違いもチェック!【プロ野球】

気になるところですが、それでもやはり真ん中には投げないのが杉内である気がします。

 


水のように 松坂世代の最強左腕が振り返る我が半生 [ 杉内俊哉 ]

 

名言からの学び

・ライバルの存在がレベルを引き上げてくれる。

・プロは目に見えない多くのものと戦っている。

・責任とは結果である。

 

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