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阪神タイガースの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

球団創設85周年を迎え、西の伝統球団である阪神タイガース。扇の要と言われるキャッチャーをこれまで多くの選手が守ってきました。

今回は阪神タイガースの「キャッチャー」に焦点を当て、阪神タイガース歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。

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阪神タイガースの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 徳網 茂 13 135 0.251 2 69
1951 徳網 茂 13 101 0.253 1 32
1952 徳網 茂 13 112 0.251 2 34
1953 徳網 茂 13 108 0.283 1 33
1954 徳網 茂 13 107 0.269 0 24
1955 徳網 茂 13 105 0.220 0 20
1956 石垣 一夫 29 103 0.206 5 18
1957 山本 哲也 25 93 0.226 3 21
1958 山本 哲也 25 87 0.197 3 17
1959 山本 哲也 25 122 0.190 1 15
1960 山本 哲也 25 99 0.232 1 12
1961 山本 哲也 25 107 0.186 1 11
1962 山本 哲也 25 98 0.236 0 11
1963 福塚 勝哉 8 85 0.195 0 1
1964 辻 佳紀 29 93 0.181 4 12
1965 辻 佳紀 29 114 0.220 8 22
1966 辻 佳紀 29 107 0.219 12 25
1967 辻 佳紀 29 95 0.246 11 30
1968 辻 恭彦 20 86 0.254 7 29
1969 田淵 幸一 22 117 0.226 22 56 新人王
1970 田淵 幸一 22 89 0.244 21 40
1971 辻 恭彦 20 130 0.193 8 27
1972 田淵 幸一 22 128 0.258 34 82 ベストナイン
1973 田淵 幸一 22 119 0.256 37 90 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1974 田淵 幸一 22 129 0.278 45 95 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1975 田淵 幸一 22 130 0.303 43 90 本塁打王、ベストナイン
1976 田淵 幸一 22 130 0.277 39 89 ベストナイン
1977 田淵 幸一 22 102 0.261 23 53
1978 田淵 幸一 22 117 0.288 38 89
1979 若菜 嘉晴 39 112 0.303 9 42 ダイヤモンドグラブ賞
1980 若菜 嘉晴 39 126 0.256 4 32
1981 若菜 嘉晴 39 115 0.281 3 32
1982 笠間 雄二 13 88 0.207 8 20
1983 笠間 雄二 13 127 0.271 12 41
1984 山川 猛 38 114 0.193 10 25
1985 木戸 克彦 22 103 0.241 13 32 ダイヤモンドグラブ賞
1986 嶋田 宗彦 27 91 0.256 6 24
1987 木戸 克彦 22 101 0.238 6 18
1988 木戸 克彦 22 121 0.254 6 38
1989 木戸 克彦 22 93 0.246 6 32
1990 木戸 克彦 22 102 0.235 5 30
1991 木戸 克彦 22 80 0.227 5 24
1992 山田 勝彦 35 114 0.204 4 31
1993 関川 浩一 21 89 0.279 1 19
1994 関川 浩一 21 103 0.269 2 27
1995 関川 浩一 21 124 0.295 2 30
1996 山田 勝彦 27 99 0.190 2 18
1997 山田 勝彦 27 92 0.262 4 21
1998 矢野 輝弘 39 110 0.211 3 20
1999 矢野 輝弘 39 113 0.304 3 27
2000 矢野 輝弘 39 114 0.269 5 26
2001 矢野 輝弘 39 119 0.242 8 30
2002 矢野 輝弘 39 66 0.321 6 27
2003 矢野 輝弘 39 126 0.328 14 79 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2004 矢野 輝弘 39 138 0.285 11 65
2005 矢野 輝弘 39 138 0.271 19 71 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2006 矢野 輝弘 39 133 0.274 17 78 ベストナイン
2007 矢野 輝弘 39 106 0.236 6 42
2008 矢野 輝弘 39 119 0.275 4 36
2009 狩野 恵輔 99 127 0.262 5 35
2010 城島 健司 2 144 0.303 28 91
2011 藤井 彰人 50 99 0.223 2 15
2012 藤井 彰人 50 81 0.248 1 10
2013 藤井 彰人 50 112 0.258 1 24
2014 梅野隆太郎 44 92 0.197 7 21
2015 鶴岡 一成 40 70 0.229 1 15
2016 原口 文仁 94 107 0.299 11 46
2017 梅野隆太郎 44 112 0.206 2 33
2018 梅野隆太郎 44 132 0.259 8 47 ゴールデングラブ賞
2019 梅野隆太郎 44 129 0.266 9 59 ゴールデングラブ賞

1950年代

50年代は主に3人の選手がレギュラーを務めました。50年からの6年間はルーキーの徳網茂選手が守り、1年目に69打点を挙げる活躍を見せましたが56年に石垣一夫選手にポジションを奪われました。

その石垣選手は103試合に出場するものの打率.206と打撃面に課題があり、翌年からは山本哲也選手が扇の要を務めました。

1960年代

山本選手は62年までレギュラーを務めますが、63年は前年に毎日オリオンズから移籍してきた福塚勝哉選手が起用され、自己最多の84試合に出場しました。翌64年は開幕から2年目の辻佳紀選手がスタメンに抜擢され、リーグ優勝に貢献し、67年までレギュラーを務めました。66年と67年には二桁本塁打も達成しています。

68年は「もう一人の辻」の辻恭彦選手が多くマスクを被り、江夏豊投手とのバッテリーを組み出場試合数を伸ばしました。69年は辻恭彦選手が控えに回り、起用されたのは法政大学から入団したスーパールーキーの田淵幸一選手でした。打率は.226でしたが22本塁打56打点を記録し、新人王に輝きました。

1970年代

71年は田淵選手がライトで起用されたことにより、再び辻恭彦選手が務めました。翌年からは田淵選手がキャッチャーに戻り、5年連続で30本塁打以上を放ちました。74年は45本塁打を記録し、翌76年は43本塁打を放ち巨人の王貞治選手の14年連続本塁打王を阻止して初の本塁打王を獲得しました。

78年には38本塁打を記録し、打てるキャッチャーとしてチームの主軸を務めていましたが、同年オフに誕生したばかりの西武ライオンズに電撃トレードされました。田淵選手が去った阪神のキャッチャーには代わりに移籍してきた若菜嘉晴選手が起用され、ダイヤモンドグラブ賞を受賞しました。

1980年代

80年と81年も若菜選手が引き続き起用されますが、82年は80年オフに阪急ブレーブスからトレードで移籍してきた笠間雄二選手が務め、82年には自己最多の127試合に出場しました。84年は笠間選手とのレギュラー争いを制し、山川猛選手が起用されますが1年で木戸克彦選手にポジションを奪われました。

その木戸選手は85年にダイヤモンドグラブ賞を受賞し、自己最多の13本塁打を放ちました。80年代後半も木戸選手はレギュラーとしてプレーしますが、86年は嶋田宗彦選手も多く起用されました。

1990年代

引き続き木戸選手がレギュラーに君臨しますが、91年から出場機会が減っていき92年は山田勝彦選手がレギュラーとして起用されました。キャリアハイとなる114試合に出場し、前年最下位だったチームの2位躍進に貢献しました。

翌93年は打撃が売りの関川浩一選手がポジションを掴み、打率.279の成績を残しました。95年には惜しくも3割に届きませんでしたが打率.295を記録し、生え抜きドラフト指名選手としては木戸選手以来3人目となる規定打席に到達しましたが、徐々に外野での出場が増えていきました。

関川選手が外野にポジションを移すと再び山田選手が起用され、98年からは関川選手とのトレードで移籍してきた矢野輝弘選手が移籍1年目から起用されました。99年にはチームのキャッチャーとしては20年ぶりとなる打率3割(打率.304)を記録し、正捕手の座をがっちり掴みました。

2000年代

矢野選手は順調に試合出場を続け、優勝した03年にはキャリアハイとなる打率.328、本塁打14、打点79をマークし、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

08年には北京オリンピックの代表にも選ばれ、中日の谷繁元信選手、巨人の阿部慎之助選手と並び球界を代表するキャッチャーの一人として活躍を続け、最長となる11年連続でレギュラーを務めましたが、故障もあり09年は9年目の狩野恵輔選手が開幕からスタメンで起用され、自己最多の127試合に出場しました。

2010年代

10年は前年オフにメジャーリーグのシアトル・マリナーズから城島健司選手が加入し、144試合フル出場を果たし、キャッチャーとしては史上初の両リーグでのゴールデングラブ賞受賞選手となりました。しかし、翌年以降は怪我に悩まされ、代わって楽天からFAで移籍してきた藤井彰人選手が守りました。

藤井選手は13年までレギュラーを務めましたが、先発出場は減少していき、14年はルーキーの梅野隆太郎選手、15年は久保康友投手のFA移籍による人的補償でDeNAから加入した鶴岡一成選手が多くマスクを被り、16年は打撃が売りの原口文仁選手が起用され11本塁打と持ち味を発揮しました。

17年からは梅野選手がレギュラーを掴み、18年は生え抜き捕手としては関川選手以来23年ぶりに規定打席に到達し、生え抜き捕手としては85年の木戸選手以来となるゴールデングラブ賞を受賞しました。19年もゴールデングラブ賞を受賞し、レギュラーキャッチャーとしての地位を確立しています。

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阪神タイガースの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は城島健司選手の4億!

ここでは阪神タイガースの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2010 城島 健司 4億0000万円 0.303 144
2 2006 矢野 輝弘 2億2000万円 0.274 133
3 2020 梅野 隆太郎 1億0000万円 0.250 8
4 2014 藤井 彰人 6700万円 0.215 34
5 2016 鶴岡 一成 4000万円 0 10

※2020年の成績は2020年7月1日現在の成績

 

これまで多くの選手がマスクを被ってきた阪神のキャッチャーのポジションですが、1位はメジャーリーグのシアトル・マリナーズから加入した城島健司選手で、2010年の4億円が歴代最高年俸となりました。この年は144試合フル出場を果たし、打率.303、28本塁打の好成績を残しました。プロ野球史上初の両リーグでのゴールデングラブ賞を獲得し、攻守両面で活躍しましたが、翌年以降は怪我に苦しみレギュラーとして出場した最後の年となりました。

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2位は2億2000万円矢野輝弘選手で、前年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、最高年俸となった06年も2年連続でベストナインを受賞しました。中日からトレードで加入し、移籍先の阪神でポジションを掴み、2度のリーグ優勝に貢献した名キャッチャーの1人です。

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3位は梅野隆太郎選手1億円です。プロ1年目の14年にレギュラーとして起用され、しばらく控えに回るシーズンが続きましたが、17年に再び起用されると18年にゴールデングラブ賞を初受賞しました。翌19年も2年連続で受賞し、打撃面でも自己最多の9本塁打をマークし年俸は1億円に到達しました。20年も開幕マスクを被っています。

4位は14年の藤井彰人選手。楽天から移籍し、城島選手が怪我で離脱すると代わりに起用されました。11年から3年間レギュラーとして出場し、年俸は6700万円になりました。迎えた14年は梅野選手の台頭により34試合の出場に終わり、不完全燃焼のシーズンでした。

5位にランクインしたのは鶴岡一成選手でした。13年オフに久保投手のFA移籍による人的補償としてDeNAから加入し、15年は70試合に出場しました。年俸も巨人時代の4300万円に次ぐ4200万円になりましたが、迎えた16年はわずか10試合の出場に終わり同年限りで現役を引退しました。

 

私が思う歴代最強の阪神タイガースのキャッチャー(捕手)は田淵幸一選手!

いろいろなタイプの選手がいた阪神タイガースのキャッチャーですが、歴代最強のキャッチャーは田淵幸一選手だと考えます。

ここで、田淵幸一選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1946年9月24日
身長:186cm
出身:東京都
最終学歴:法政大学
血液型:B型

1946年(昭和21年)9月24日生まれ、東京都豊島区出身。法政大学第一高校から法政大学を経て、1968年のドラフト会議で1位指名を受けて阪神タイガースに入団しました。

阪神でプレーした10年で1,141試合に出場して打率.261、320本塁打、735打点を記録しています。1年目から22本塁打を放ち、ッチャーの選手として初めて新人王を獲得すると75年には「世界の本塁打王」の巨人・王貞治選手の14年連続本塁打王を阻止して本塁打王のタイトルを獲得しました。

守備面でも強肩と捕球してから送球までのスピードを武器に活躍し、73年と74年には2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞するなど強肩強打のキャッチャーでした。

78年オフに電撃トレードで西武に移籍しましたが、阪神の4番として残した成績は歴代1位の本塁打247本、歴代3位の打点574であり、阪神タイガース歴代史上最強のキャッチャーに相応しい記録でした。

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阪神タイガースの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識

田淵選手をはじめ、多くの名選手がいる阪神のキャッチャーの中で不屈の精神で困難を乗り越えてきた選手がいます。

09年のドラフト6位で入団した原口文仁選手は入団3年目の12年に腰痛を発症し、シーズン終了後に育成選手契約に移行することとなりました。その後も相次ぐ怪我でなかなか結果を残すことができず、16年に再び支配下登録されるまで3年間育成選手としてプレーしました。

16年に一軍デビューを果たし、レギュラーを勝ち取りましたが右肩を痛めたこともあり17年はファーストで起用されました。18年はキャッチャーに戻り、代打の切り札としての起用も多く、代打で放った23安打は右打者としてはチーム最多記録でした。

一軍で結果を残し始めていましたが、19年のキャンプ直前に大腸がんを患っていることを公表し、手術と治療を経て5月に復帰するとオールスターゲームに出場し、2試合連続で本塁打を放ちました。

現在も大腸がんの経過観察は続いており、病と闘いながらプレーを続けている不屈の精神を持った選手です。

 


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まとめ

・阪神タイガースのキャッチャーは矢野輝弘選手が最も長い11年レギュラーを務めた。

・田淵幸一選手は巨人の王貞治選手の14年連続本塁打王を阻止して本塁打王のタイトルを獲得した。

・歴代で一番年俸が高かったのは、城島健司選手の4億円。

・田淵選手はキャッチャーとしても4番としても阪神タイガース歴代最多本塁打を放っており、阪神タイガース歴代最強のキャッチャーである。

 

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