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平野佳寿の凄さが分かる名言・語録集!天才メジャーリーガーの伝説エピソードから努力論まで

日本プロ野球で救援投手にセーブが記録されるようになったのは1974年、ホールドが両リーグで採用されたのは2005年です。以来、100セーブ100ホールド以上をあげた投手は2021年シーズン終了時点でわずかに5人。そのひとりが平野佳寿です。

他の4人は藤川球児、武田久、増井浩俊、益田直也ですが、正直なところ藤川以外は野球通か選手や所属チームのファンでないとすぐにピンとこないかもしれません。メジャーリーグでも投げた平野ですが、彼も知名度はまだいまひとつであるように感じます。

実際、平野がメジャーに移籍した際、彼について聞かれたイチローが「地味すぎてわかんない」と答えたという逸話があります。もちろんそれはイチローらしいジョークです。レジェンドにまでいじられてしまう平野ですが、50試合以上登板したシーズンが9度もあるタフさと、リリーフ投手に欠かせない三振とゴロがとれる投球は超一級品です。

今回は地味すぎる天才メジャーリーガー平野佳寿の凄さが分かる名言と語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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平野佳寿について

まずは平野佳寿の経歴を追ってみます。

1984年3月8日生まれ、京都府宇治市出身。小学校3年生から野球をはじめ、中学の時に投手に転向し、京都府立鳥羽高校に進学。エース候補になるも腰痛持ちのためリリーフ登板が多く、チームは2年の春から3期連続で甲子園に出場しますが、平野は中継ぎで1度登板しただけでした。

高校卒業後は京都産業大学に進学。2年生になって開花し、エース格となり、リーグの最優秀選手に2回、最優秀投手に4回選出される活躍をみせました。2005年のドラフトで大学社会人希望枠でオリックスバファローズに入団します。

プロ入り後はルーキーイヤーから先発投手としてローテーション入りし、7勝をあげ、4完封10完投という結果を残します。翌2007年には8勝しますが、2年連続で勝ちを上回る2桁の負けを喫するなど、安定感に欠けました。2008年に右ひじ遊離軟骨の手術をし、2209年に1軍復帰するもわずか3勝に終わります。

2010年より中継ぎに転向。中継ぎで100奪三振越えを記録します。2011年には72試合に登板。最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。2012年シーズン終盤になってクローザーに転向すると、2014年には40セーブで最多セーブ投手に輝きます。2015年からは故障やチーム事情により、状況に応じて中継ぎも抑えも任されました。

2017年オフに海外FA権を行使し、アリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍。2018年、メジャーデビューを果たします。2年間でそれぞれ75試合、62試合に登板し、2020年にシアトル・マリナーズに移籍。コロナ禍の影響もあり、2021年からバファローズに復帰し、29セーブをあげ、見事チーム25年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。

2021年シーズン終了まで日本プロ野球通算13年間で49勝、185セーブ、142ホールド、防御率3.07。最優秀中継ぎ1回、最多セーブ1回。メジャーリーグ通算3年間で9勝、8セーブ、48ホールド、防御率3.69。

地味と言われながらも、地味とは言えない実績を積み重ねて来た平野ですが、ベテランとしてまだまだ多くのことを成し遂げてくれそうです。

 

私が選ぶ、平野佳寿の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「一番大事にしてきたことは、自分の体を知るということです」

プロ16年間で645試合に登板した平野。ケガで1軍登板が無かった2008年を除く実働15年で計算すると、年間平均43試合に登板しており、そのタフネスぶりがわかります。その体を維持するために、平野は自分の体に対して実に敏感です。

その基本は大学時代に培ったもので、たとえば毎朝、目を閉じたまま10メートルほどをまっすぐに歩いてみたり、片足立ちをしたりするそうです。すると体の軸の傾きなどがわかり、その状態を踏まえてトレーニングを行います。そのメニューは体幹を意識した内容でなんと20種類にも及びます。

登板後は温水と冷水と交互に1分間ずつ浸かるのを数回繰り返しクールダウンするそうです。その浸かり方も独特で、冷水は基本的に腰までで全身は短時間だけ、温水はしっかり肩まで入ります。

野球選手にとって最も大事な道具は自分の体です。その手入れはパフォーマンスはもちろんタフさをも変えるのです。

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【名言語録その2】

「その日の結果に一喜一憂はしない。目標は次の試合で抑えること。それが大事」

そう言いながらも平野は、アリゾナ・ダイヤモンドバックス在籍中の2019年6月にアレックス・ヤングがメジャー初登板初勝利を目前にした試合での登板後に「初勝利を逃してその後勝てない人もいる」と言い「もしかしたら、これが最初で最後のチャンスになるかもしれないんで」と自分の投球で勝ちを消さないよう結果を気にしていました。

それには過去の経験が影響しています。平野と同じ世代の投手で鴨志田貴司という投手がいました。「高卒で巨人に入って、1年目から1軍で投げていたぐらい力のあるピッチャーだったんですけど、オリックスに来てから初めて勝った」のを平野は目の当たりにしました。結局、鴨志田は2013年に記録したその1勝でプロ生活を終えました。

高校時代は無名で、ドラフト指名など夢のまた夢だった平野からすると、同学年で読売ジャイアンツから3巡目指名を受けた鴨志田は自分の前を行く存在だった筈です。その鴨志田と同じチームになって初勝利をあげる時に、自分はすでに最優秀中継ぎのタイトルを取り、抑えとして活躍しているなんて思いもしなかったことでしょう。

たとえ「結果に一喜一憂はしない」としても、その経過では多くのものを背負っているのが、中継ぎや抑えの重みなのでしょう。

 

【名言語録その3】

「僕は平野という新しいブランドを出していきたいんです」

イチローに冗談とはいえ「地味すぎて」と呼ばれた平野。ダイヤモンドバックス時代に26試合連続無失点を記録し注目された時には「いつも騒がれない男だったのに、皆さんに騒いでいただいて光栄でした」とユーモアの中にも、少し皮肉が込められた答えを返しています。

バファローズに復帰し、チームにとって25年ぶりのリーグ優勝に貢献したことは、まさに平野というブランドにとって、大きな価値になったと思います。果たして今後どんな展開を見せてくれるのか楽しみです。

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名言からの学び

・無事これ名馬

・結果と経過は同じ価値ではない

・個人もブランディングの時代である

 

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