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阪神の歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

2020年、球団創設85周年を迎えた阪神タイガース。西の伝統球団のショートをこれまで多くの選手が守ってきました。

今回は伝統ある阪神タイガースの内野の花形ポジションである「ショート」を守った歴代選手の成績や年俸などをご紹介しながら、阪神タイガース歴代最強のショート(遊撃手)についてまとめてみました。

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阪神タイガース歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にショートを守った選手を確認してみましょう。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 西江 一郎 19 137 0.250 3 51
1951 白坂 長栄 17 106 0.241 6 44
1952 白坂 長栄 17 120 0.271 6 43
1953 吉田 義男 23 128 0.267 2 34
1954 吉田 義男 23 119 0.273 3 41 盗塁王
1955 吉田 義男 23 128 0.281 3 28 最多安打、ベストナイン
1956 吉田 義男 23 127 0.290 8 34 盗塁王、ベストナイン
1957 吉田 義男 23 111 0.297 8 32 ベストナイン
1958 吉田 義男 23 127 0.286 2 27 ベストナイン
1959 吉田 義男 23 130 0.272 5 32 ベストナイン
1960 吉田 義男 23 126 0.249 5 24 ベストナイン
1961 吉田 義男 23 115 0.228 5 22
1962 吉田 義男 23 127 0.261 3 22 ベストナイン
1963 吉田 義男 23 120 0.262 4 31
1964 吉田 義男 23 123 0.318 8 29 ベストナイン
1965 吉田 義男 23 119 0.265 4 12 ベストナイン
1966 吉田 義男 23 103 0.263 2 20
1967 藤田 平 6 131 0.291 16 44 最多安打、ベストナイン
1968 藤田 平 6 129 0.240 11 32
1969 藤田 平 6 130 0.293 19 54 ベストナイン
1970 藤田 平 6 121 0.275 9 51 ベストナイン
1971 藤田 平 6 122 0.272 28 61 ベストナイン
1972 藤田 平 6 130 0.276 18 64
1973 藤田 平 6 130 0.281 17 59 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1974 藤田 平 6 100 0.302 16 47 ベストナイン
1975 藤田 平 6 102 0.290 9 56 ダイヤモンドグラブ賞
1976 藤田 平 6 103 0.278 12 39
1977 藤田 平 6 119 0.300 11 43
1978 榊原 良行 37 105 0.288 3 28
1979 真弓 明信 7 125 0.275 13 51
1980 真弓 明信 7 113 0.285 29 74
1981 真弓 明信 7 111 0.273 13 36
1982 真弓 明信 7 130 0.293 15 55
1983 平田 勝男 30 100 0.250 2 28
1984 平田 勝男 30 128 0.268 6 41 ゴールデングラブ賞
1985 平田 勝男 30 125 0.261 7 53 ゴールデングラブ賞
1986 平田 勝男 30 124 0.267 5 33 ゴールデングラブ賞
1987 平田 勝男 30 126 0.261 3 21 ゴールデングラブ賞
1988 和田 豊 6 127 0.279 1 20
1989 八木 裕 3 102 0.214 16 40
1990 和田 豊 6 126 0.304 8 36
1991 和田 豊 6 129 0.298 0 34
1992 久慈 照嘉 8 121 0.245 0 21 新人王
1993 久慈 照嘉 8 128 0.244 1 16
1994 久慈 照嘉 8 130 0.251 0 14
1995 久慈 照嘉 8 123 0.266 1 24
1996 久慈 照嘉 8 130 0.278 0 16
1997 久慈 照嘉 8 126 0.257 3 20
1998 今岡 誠 7 133 0.293 7 44
1999 今岡 誠 7 128 0.252 6 39
2000 田中 秀太 60 113 0.251 1 17
2001 沖原 佳典 8 71 0.197 4 14
2002 田中 秀太 00 81 0.245 0 5
2003 藤本 敦士 9 127 0.301 0 36
2004 藤本 敦士 9 111 0.257 5 33
2005 鳥谷 敬 1 146 0.278 9 52
2006 鳥谷 敬 1 146 0.289 15 58
2007 鳥谷 敬 1 144 0.273 10 43
2008 鳥谷 敬 1 144 0.281 13 80 ベストナイン
2009 鳥谷 敬 1 144 0.288 20 75
2010 鳥谷 敬 1 144 0.301 19 104 ベストナイン
2011 鳥谷 敬 1 144 0.300 5 51 最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2012 鳥谷 敬 1 144 0.262 8 59
2013 鳥谷 敬 1 144 0.282 10 65 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2014 鳥谷 敬 1 144 0.313 8 73 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2015 鳥谷 敬 1 143 0.281 6 42 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2016 北條 史也 2 122 0.273 5 33
2017 大和 0 100 0.280 1 16
2018 北條 史也 2 62 0.322 1 20
2019 木浪 聖也 0 113 0.262 4 32

1950年代

50年代は主に3人の選手が守りました。50年は3年目の西江一郎選手が守りましたが、71失策を記録しています。翌年は西江選手に代わり白坂長栄選手が抜擢され、打撃面はそこまで成績は残せませんでしたが、鉄壁の守備でチームに貢献しました。53年からは立命館大学を中退して入団した吉田義男選手が1年目からレギュラーを掴みました。

俊足を武器に広い守備範囲を誇り、「今牛若丸」の愛称でファンに愛されました。54年に現在でもプロ野球史上最年少記録である20歳シーズンで盗塁王を獲得し、2年後の56年に再び盗塁王を獲得しました。55年から60年まで6年連続でベストナインを受賞し、リーグを代表するショートとして活躍しました。

1960年代

60年代も引き続き吉田選手が務めます。60年で連続ベストナイン受賞は途絶えますが、62年と64年、65年にベストナインを受賞しています。特に64年は自己最高打率となる.318、自己最多タイとなる8本塁打を記録しての受賞となりました。

その吉田選手がセカンドに回り、藤田平選手が起用されます。市立和歌山商業からプロ入りし、1年目から出場機会を得ていましたが、2年目となった67年は開幕から1番ショートで出場し、リーグ9位の打率.291、トップの154安打を放ちました。

高卒2年目でレギュラーをがっちり掴み、ショートとして長く活躍していきます。

1970年代

藤田選手は順調に試合出場を重ね、71年に自己最多となる28本塁打を放ち、74年には初の3割を達成、78年に守備の負担軽減を目的にファースト回るまで70年代は4回のベストナインと2回のダイヤモンドグラブ賞を受賞しました。

藤田選手がファーストの回った78年は4年目の榊原良行選手がポジションを掴み自身初の規定打席に到達しましたが、オフにクラウンライターライオンズからチームの主軸を務めていた田淵幸一選手らとのトレードで真弓明信選手が加入したことによりセカンドに回り、79年はその真弓選手が起用され、自身初となる二桁本塁打を記録しました。

1980年代

真弓選手は82年までショートを務め、80年には1番打者ながら29本塁打を放ちました。83年にセカンドに回ると代わりに起用されたのは明治大学から入団して2年目の平田勝男選手でした。

下位打線を打つことが多く、打撃面では特筆すべき成績は残していませんがバントの技術はピカイチであり、華麗な身のこなしでゴールデングラブ賞を84年から4年連続で獲得するなど小技と堅守でチームに貢献しました。

88年は4年目の和田豊選手が起用され当時の日本記録となる56犠打を達成、89年は3年目の八木裕選手が守り16本塁打を記録しました。

1990年代

90年と91年は再び和田選手が主に起用され、自身初の3割を記録しましたが92年にセカンドにコンバートされ、92年はルーキーの久慈照嘉選手が抜擢されます。

堅実な守備を武器に開幕から先発出場を続け、打率は.245だったものの新人王に選ばれました。翌年以降もレギュラーとして出場を続けますが、97年オフに中日へトレードされ、代わりに2年目の今岡誠選手が起用され、2年間ショートを守りました。

98年は3割近いアベレージを残しますが、翌99年は前年の成績を下回る苦しいシーズンでした。

2000年代

打撃不振に陥り今岡選手がレギュラーを外れると野村克也監督が起用したのは高卒6年目の田中秀太選手でした。俊足を武器に活躍し、この年はプロ初本塁打を記録しました。翌年はルーキーの沖原佳典選手に譲りましたが、02年は再びメインで起用されました。

星野仙一監督2年目の03年、チームは優勝を果たしますがショートのレギュラーを務めたのは3年目の藤本敦士選手で、主に8番を務め打率.301を記録し、切れ目のない打線に欠かせない存在でした。翌年はアテネ五輪の代表に選ばれましたが、チームではルーキーの鳥谷敬選手の起用が増え、前年より出場試合数は減少しました。

05年からは藤本選手がセカンドに回り、鳥谷選手がポジションを掴みました。レギュラー1年目から全試合出場、07年にはセリーグのショートとしては最多となる398試合連続フル出場を達成しました。08年には初のベストナインに選ばれ、チームの顔に成長していきました。

2010年代

引き続き鳥谷選手がレギュラーを務め、10年は3番打者として104打点を記録し2度目のベストナインを受賞しました。11年には初めてゴールデングラブ賞を受賞し、13年からは3年連続でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しましたが16年は打撃不振に陥り、スタメンを外れることも多くなりました。またサードでの起用も増え、代わりに北條史也選手が起用され、球団史上4人目となる高卒4年目以内での100安打を記録しました。

17年はセンターでゴールデングラブ賞受賞経験がある大和選手が本職であるショートのポジションを掴みますが、同年オフにFAでDeNAに移籍し、18年はシーズン途中にプレー中の負傷で離脱しましたが北條選手が多く起用されて規定打席未満ながら打率.322を記録しました。

19年はオープン戦から好調だったルーキーの木浪聖也選手が開幕スタメンを勝ち取り、113試合に出場しました。

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阪神タイガース歴代ショート年俸ランキング!歴代最高年俸は鳥谷敬選手の4億!

ここでは阪神タイガースの歴代ショートを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はショートのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2015 鳥谷 敬 4億0000万円 0.281 143
2 1997 久慈 照嘉 6600万円 0.257 126
3 2017 大和 5000万円 0.280 100
4 2004 藤本 敦士 4600万円 0.257 111
5 1999 今岡 誠 4000万円 0.252 128

 

阪神のショートは1人の選手が長い年数起用されるケースが多い傾向が見られますが、1位は平成で最も長い11年連続でレギュラーを務めた鳥谷敬選手で、2015年の4億円が歴代最高年俸となりました。プロ野球史上2位となる1939試合連続出場記録を持ち、巨人の坂本勇人選手や中日の井端弘和選手など好選手が多くいるセリーグのショートでベストナイン6回とゴールデングラブ賞4回を受賞しています。

2位は6600万円久慈照嘉選手で、自己最高年俸だった97年は126試合に出場して打率.257を記録しました。守備の名手ながら自己最多の3本塁打を記録しましたが、同年オフにトレード中日に移籍しました。

3位は大和選手5000万円です。元々ショートを守っていましたが、鳥谷選手がレギュラーの座をがっちり掴んでいたため、セカンドや外野での起用が中心でした。14年にはセンターのレギュラーとして起用され、ゴールデングラブ賞を受賞するなど守備でチームに貢献していましたが、17年は念願だったショートで起用され打率.280を記録しました。同年オフにFA権を行使し、DeNAに移籍しました。

4位は04年の藤本敦士選手。03年にレギュラーを掴み、8番打者として打率.301を記録してチームの優勝に貢献すると年俸は1400万円から4600万円に大幅アップしました。迎えた04年は前年より成績は落としましたが、アテネ五輪の代表に選ばれ日本代表の一員としてプレーしました。

5位にランクインしたのは今岡誠選手でした。96年のドラフト1位で東洋大学から入団すると1年目から97試合に出場し、2年目の98年からショートのレギュラーとして起用されました。98年は打率.293、7本塁打、44打点を記録して年俸は4000万円になりました。99年は打撃不振に陥り本塁打と打点はそこまで変わらなかったものの打率は大きく成績を落としました。

 

私が思う歴代最強の阪神タイガースのショート(遊撃手)は鳥谷敬選手!

生え抜きの名選手が揃う阪神タイガースのショートですが、歴代最強のショートは鳥谷敬選手だと考えます。

ここで、鳥谷敬選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1981年6月26日
身長:180cm
出身:東京都
最終学歴:早稲田大学
血液型:B型

1981年(昭和56年)6月26日生まれ、東京都東村山市出身。埼玉県の聖望学園高校から早稲田大学を経て、2003年のドラフト会議で自由獲得枠選手として阪神タイガースに入団しました。

2020年シーズン開幕前までで、プロ通算16年で2,169試合に出場して打率.280、138本塁打、822打点を記録しています。2017年にはプロ野球史上50人目となる通算2,000本安打を達成し、ドラフト会議導入後では最速となる14年目シーズンでの達成となりました。

プロ野球史上2位となる1,939試合連続出場、4位となる667試合連続フルイニング出場を記録しており、怪我を押して出場を続ける姿は「鉄人」と評されました。

広角に打ち分ける打撃技術に加えて、勝負強さを持ち合わせており、10年には3番打者として104打点を記録しました。また、堅実なスローイングと安定感のある捕球技術で守備の名手が揃うセリーグのショート部門でゴールデングラブ賞を4度受賞しています。

10年代後半はサードや代打での出場が増え、思うような成績が残せない中19年シーズン限りで阪神を退団し、所属チームが決まっていませんでしたが、20年3月に千葉ロッテマリーンズへの加入が決定しました。

16年在籍した阪神を離れましたが、残した成績は阪神タイガース歴代史上最強のショートに相応しい記録の数々です。

鳥谷敬の凄さが分かる名言・語録集!阪神一筋の天才打者の伝説エピソードから努力論まで

 

阪神タイガース歴代ショート(遊撃手)に関する豆知識

これまで阪神タイガースの監督は25人が務めていますが、平成に入ってからは11人が務めています。その内4人がショートのレギュラーを務めた経験がある監督です。

96年に指揮した藤田平監督は前年シーズン途中に二軍監督から一軍監督代行を務め、監督に昇格するとスパルタ指導を進めましたが成績不振によりシーズン途中で休養しました。その後を受けて吉田義男監督が3度目となる監督の座につきますが、1年目の97年は5位、98年は6位に終わり退任しました。

09年には79年から4年間ショートを守った真弓明信監督が就任しました。3年間率いて1年目は4位、2年目は優勝した中日に1ゲーム差の2位、3年目は再び4位でした。最終年はクライマックスシリーズ進出を最後まで争いましたが及ばず、辞任しました。

真弓監督の後を受けて和田豊監督が一軍打撃コーチから昇格しました。1年目は5位に終わりましたが、2年目からは3年連続でAクラス入りを果たし、14年にはクライマックスシリーズのファイナルステージで巨人を破り、日本シリーズに進出しました。平成に監督を務めたショート出身の監督では最も良い成績を残しました。

このように平成時代の阪神の監督は、ショート出身の監督が多く務めました。

【阪神】歴代監督を成績と一緒に徹底解説! 優勝回数が一番多いのは藤本定義監督!

 


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まとめ

・阪神タイガースのショートは各年代で1人の選手が長く守る傾向がある。

・吉田義男選手は最年少での盗塁王、和田豊選手は当時の日本記録となる56犠打、鳥谷敬選手はプロ野球史上2位となる1,939試合連続出場の記録を残した。

・歴代で一番年俸が高かったのは、鳥谷選手の4億円。

・鳥谷選手は2017年に史上50人目となる通算2,000本安打を達成した阪神タイガース歴代最強のショートである。

 

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