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和田豊監督の凄さが分かる名言・語録集!阪神一筋で鋼のメンタルを持つ男の伝説エピソードから人生哲学まで


チームの生え抜きというのは、球団の歴史を背負い、伝統を継承し、まとめ役として期待されるキーパーソンです。それだけに人格者であり、チームのために犠牲となる精神をもった選手がそのポジションにおさまります。阪神タイガースにおいて、生え抜きといえば和田豊です。

伝統のあるチームというのは、それだけでさまざまな重圧があります。特に阪神タイガースは野球の聖地である甲子園球場を本拠地とし、何かと厳しい関西のファンを抱えているだけに、生え抜きの責任は重いものがあります。和田はそんな中、選手として、コーチとして、監督として、なんと31シーズンも続けてユニフォームを着続けました

和田は2015年に監督退任後も、タイガースのシニアアドバイザーやテクニカルアドバイザーとしてチームをサポートし続けており、昭和、平成、令和と三つの時代にまたがってチームに貢献しているのはすごいことです。

今回は現役中も引退後も、一貫して阪神一筋に頑張る和田豊監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その鋼のメンタルを持つ男の伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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和田豊について

まずは和田豊の経歴を追ってみます。

1962年9月2日生まれ、千葉県松戸市出身。我孫子高校では1年時に夏の甲子園大会に出場。卒業後は日本大学へ進学します。東都リーグ二部だったチームを一部に昇格させる原動力となり、1984年のロサンゼルスオリンピックでは日本代表に選ばれ、見事金メダルを獲得します。

1984年のドラフトで阪神タイガースより3位指名を受けて入団。翌1985年には新人ながら日本一の輪に加わります。1988年に当時の日本記録となる56犠打を記録し、足が使え、小技がうまい2番バッターとしてレギュラーを獲得しました。1990年にはシーズン打率3割を記録。その安定した打撃から1番バッターとして起用されるようになります。

1993年に小技だけでなく打撃力を磨いて、最多安打を放ち、1994年にはチームの生え抜きでは初の1億円プレーヤーとなり、チームの顔のひとりとなります。1997年、開幕から24試合連続安打の日本記録を打ち立てます。1999年に通算200犠打を記録。2001年、選手兼任コーチに就任しますが、シーズン終了後に引退を表明しました。

現役通算17年間で1739安打、29本塁打、93盗塁、212犠打、打率.291。最多安打1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回

引退後は長らくタイガースのコーチを務め、2011年には監督に就任。2013年に2位となるもののクライマックスシリーズで敗退。翌2014年は同じく2位から日本シリーズ進出を決めますが、日本一には手がとどきませんでした。2015年シーズン後に退任。

監督通算4年間で273勝、Aクラス3回。

退任後はチームのシニアアドバイザー、次いでテクニカルアドバイザーに就任し、チームを支えています。

 

私が選ぶ、和田豊の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「俺ね、選手として秀でたものが何もなかったんだよ。『すべてが足りない』『何もない』という選手を、ここまでしてくれたのはタイガースファンなんだ」

現役17年で1739安打を放っていることから、「何もない」選手である筈はないのですが、本人はそんな風に感じていたようです。

打者の華というべきホームラン数が少なく、かといって盗塁王を獲るほど足が速いわけでもない。更に守備も堅実ではあるものの美技を生むわけでもところが、「足りない」印象を抱かせていたのかもしれません。

 

「何がどう『足りない』か。補うためにどう『工夫する』か。ユニフォームを脱ぐ日まで、それは続いていく」

自分が抱く「足りない」感じを補うために、和田は常に自分に出来ることを「工夫する」努力を続けました。この現状の自分に満足しないことが、「足りない」と感じつつも、歴史あるタイガースで歴代4位の安打数を記録させたのでしょう。

和田が監督に就任した時、俳優の渡辺謙との対談で、打ち勝つ野球を目指すのか、守り抜く野球を目指すのかを問われ、「僕は守っていきたい」と答えています。事実、和田の采配は奇襲や状況を大きく動かすものではなく、選手を信頼し、我慢して動かないものでした。

それは自分に「足りない」と感じ「工夫」し続けた和田らしく、選手自らが「工夫」をすることに期待し、待ち続けた結果なのでしょう。

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【名言・語録その2】

「誰かが殻を破らないといけない」

和田の腰の重い采配ぶりに対して、賛否はありましたが、監督通算4年間でAクラス3回はタイガース史上で見れば、決して悪い成績ではありません。

2012年の反省として、前年まで打撃コーチをしていたため「何年も選手たちを見ていたので、こいつは必ず上がってくると信頼していたんですが、振り返ってみればそうやって我慢しすぎて、時期を逸してしまったという思いはあります」と語った和田。

 

「主力がやらないとだめだから」

そんな思いで、2013年の8月末に宿敵ジャイアンツに3連敗した後、自分と同じ生え抜きの鳥谷敬を4番に起用しました。4番タイプではないと批判もあった采配ですが、鳥谷はタイガース史上最多安打を記録している打者です。

大人しいタイプの鳥谷ですが、チームの中心として、殻を破って欲しいと期待したのだと思います。

 

「最後は勝てなかったけど、一つの殻は破ったかなと。この敗戦を糧にしてやっていきたい」

2014年にリーグ2位からクライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズに駒を進めたものの、敗戦後に和田はそう話しています。

しかし鳥谷はこの年に打率.313を残し、ひとつの「殻を破る」ことが出来たのだと思います。

 

【名言・語録その3】

「野球と人生って、似てるところがあってさ。一度よくなっても、ずっとは続かないし、どこかで壁にぶち当る。そのとき壁を押して突き進んでいいときと、一歩下がって冷静になった方がいいときがある。行き詰ったときには『もう一回帰ってみよう』っていう場所があることが大事なんだよ。技術的にも、気持ち的にも、人生におけるふるさとという意味でも」

ベンチでは常に延長12回を想定し、最悪の事態を考慮して戦うという和田。勝っている時でも追い付かれた場合を考えて采配をとるっていたそうです。

地道にリスク回避に動くよりも、後先考えない派手な玉砕に魅力を感じる人もいるでしょうが、監督は年間通してのアベレージをマネージメントする仕事です。

もしかすると和田の地味な戦術は、派手さを好む関西の人には、いまひとつ魅力的ではなかったのかもしれません

タイガースで野球をやるということは、「平常心を保つのが、すごく難しい状況の中で野球をやらないといけない。いい方にも悪い方にも」という状況なのだと和田は言います。

それでも和田にとって「もう一回帰ってみよう」という場所は、きっと甲子園球場なのでしょう

 

名言からの学び

・自分に満足しないことが成長のカギとなる

・自分の殻は自分で破るしかない

・原点回帰できる場所は大事である

 

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