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川崎宗則の凄さが分かる名言・語録集!イチローを慕う天才野球小僧の伝説エピソードから努力論まで


2019年3月に電撃引退したイチローですが、野球選手に限らず、多くの人たちの憧れとなり、目標となったのは言うまでもありません。イチローファンを自認する人はたくさんいると思いますが、ご本人も公認の人物となれば、ムネリンこと川崎宗則の他にはいないでしょう。

言うまでもなくプロ野球選手としても球界を代表するショートストップとして活躍し、イチローのあとを追うようにメジャーリーグにも挑戦。メジャーとマイナーを行き来しますが、その明るいキャラクターで愛され、MLBの公式サイトでは「メジャーリーグ史上最も愉快でエネルギーに溢れた選手」と称賛されました。

その後、日本に戻り、病気のために自由契約となりましたが、2019年の夏、台湾リーグにコーチ兼選手として復帰することとなり、野球ファンたちを喜ばせました。

今回はイチローを慕い続け、まさに野球小僧がそのまま大人になったように感じさせる川崎宗則の凄さが分かる名言と語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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川崎宗則について

まずは川崎宗則の経歴を追ってみます。

1981年6月3日生まれ、鹿児島県姶良市出身。鹿児島工業高校では甲子園出場はならかったものの、俊足巧打で知られ、1999年のドラフトで福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に4位で指名され入団

2003年に1軍に定着し、30盗塁を記録するなど、チームの日本一に貢献します。翌2004年にはレギュラーに定着し、最多安打と盗塁王を獲得。2006年にはWBCでの日本優勝メンバーとなります。その後はチームの中心選手として、走攻守すべてに活躍をみせます。

2009年のWBCでも日本の連覇に尽力し、日本を代表するショートストップとなります。2010年には選手会長となり、通算1000本安打も記録。2011年には再び、チームを日本一に導く活躍をします。

2011年オフにFA権を行使して、2012年からメジャーリーグへの挑戦を表明。マイナー契約ながらも憧れのイチローがいるシアトルマリナーズに移籍。しかしイチローが7月にニューヨークヤンキースへ移籍したことから、チームメイトでいる期間は短く終わりました。

2013年はトロントブルージェイズに移籍。マイナーとメジャーを行ったり来たりしますが、2015年まで在籍し、2016年にシカゴカブスとマイナー契約。翌2017年もマイナー契約するもすぐに自由契約となり、古巣のホークスに復帰します。しかし2018年には病気により自由契約となりました。

日本プロ野球在籍12年間で1376安打、27本塁打、267盗塁、打率.292。盗塁王1回、最多安打1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回。
メジャーリーグ在籍5年間で150安打、1本塁打、12盗塁、打率.237。

2019年台湾リーグの味全ドラゴンズのコーチ兼選手としての復帰が決まりました。

 

私が選ぶ、川崎宗則の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「ポジティブになれる人は、ネガティブな自分を知っていて、受け入れられる人なんだと思う」

いつも元気で明るく振る舞うことで有名だった川崎ですが、本人いわく「俺は弱いよ。すごくネガティブ」だそうです。

「だからポジティブになりたいって憧れがあるのかもしれないね」と話し、「みんなで野球をするより、1人で練習するほうが楽しかったんです」と語っています。そしてひとりでイチローのマネをする「1人ままごと」が好きでした。

川崎がイチローを慕いはじめたのは、体が細くても素晴らしいプレーを華麗にみせつけるイチローを見て、清原和博や秋山幸二といった体格が良く、パワフルな選手は無理でも、イチローのようなプレースタイルならばやれるかもしれないと閃いたからだそうです。

 

「そもそも俺は、イチローさんがいなければプロ野球選手になろうとも思わなかった。中学から高校まで、他の子たちが違う感じのビデオを見てる間、朝から晩までイチローさんのビデオを擦り切れるまで見てた」

川崎にとってイチローは憧れのプロ野球選手というよりも、人生の指針だったのでしょう。本来ネガティブな川崎にとって、その指針がイチローというとてつもなく高い山であったことは、終わりのない登山を続けるようなものであり、必然的にポジティブであり続けるための魔法になったのではないでしょうか。

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【名言語録その2】

「この5年間、自分の価値観をいっぱい壊してきた」

メジャーリーグに挑戦し、たくさんの挫折と経験を手にした川崎。それは日本にいたままであれば決して得られないものでした。

 

「当たり前だと思っていたベストプレーは、どれもベストではなかった」

たとえば日本では逆シングルで捕球すると、いったん踏ん張ってからボールを投げるのが内野手のセオリーです。そのほうが強く速いボールが放れるからです。しかしメジャーリーグでは走りながら臨機応変に投げるし、踏ん張らず、むしろ力を抜いて投げることで、強いボールを放ることができます。

川崎はそれについて「メジャーの選手はリストが強いとか身体能力が違うとか、それ、違うよ。騙されたらイカンです。日本人は大きな勘違いをしています」と断言しています。

 

「やろうかなと思って1年経つと、100回のうち2回はできるようになる。もう1年経つと、50回のうち3回はできるようになるんです。ずっと日本の考え方でプレーしてきていきなりは変れないけど、5年かかって、やっとポコポコと脳みそが沸騰し始めた。今までの固定観念が崩れてきて、新しいプレーをするための脳みその改修作業がついに始まったんです」

つまり日本人選手は、メジャーリーガーと違うセオリーを頭に詰め込み、体に覚え込ませているために、同じようなプレーが出来ないのだというのです。

考え方を変え、動きを体に覚え込ませれば、同じようなプレーができるということです。

経験者だけに説得力がありますし、先入観による功罪というものが、よく感じられる言葉です。

 

【名言語録その3】

「もっと、もっと閃きたいんだ。もっと野球がうまくなりたいから」

言葉がわからないままアメリカに渡り、ピンチの投手に日本語で話かけ、何を言っているのかわからなくても投手をリラックスさせてみたり、一塁への牽制で手から戻った際に、そのまま腕立てをしてみせて、名手デレク・ジーターを笑わせ、地元のテレビ局も「今日のカワサキ」というコーナーを作ってしまうほど、アメリカでも愛された川崎

 

「たくさんの試合に出られるのになぜ日本じゃないのとか、なぜマイナー契約なのにアメリカなの、ってよく聞かれるんだけど、マイナーでもメジャーでも、俺、毎日、試合には出ているからね。メジャーが野球で、マイナーが電気工事なら、そりゃ、メジャーへ行きたいって必死になるけど、メジャーもマイナーも、どっちも野球だからね」

当然、ずっとメジャーでやれるならば、それに越したことはなかったでしょうが、川崎にとっての一番は、まず野球をやれることであり、イチローに近づくことだったのでしょう。

日本にいた時は、基本練習をしっかりと繰り返し、守備位置までは常に全速力で向かう姿勢で有名でした。その全速力についてもシーズン中は練習時間が取れないので、9イニングで1日18本のダッシュをすることが、練習の一環だったそうです。

 

「野球やってりゃ苦しいことも山ほどあるし、腹が立つこともある。いろいろ夢に出てきて、寝られないことだってある。でも、次の日、野球場に行ってボールを投げときゃ忘れるし、走れば忘れてる」

まさに野球が大好きな野球小僧らしい言葉です。

 


逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法 (文春文庫) [ 川崎 宗則 ]

 

名言からの学び

・本当のポジティブはネガティブの土台の上にある

・先入観の破壊こそ、真の創造である

・好きこそものの上手なれ

 

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