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鳥谷敬の凄さが分かる名言・語録集!阪神一筋の天才打者の伝説エピソードから努力論まで


バッテリー以外で一番多くを求められるポジションは、間違いなく遊撃手です。

守備範囲の広さはもちろん、肩の強さも求められ、ダブルプレイの要としての判断力も必要で、的確なバックアップ、中継プレイといった仕事もあります。その過酷な遊撃手として、667試合も連続フルイニング出場という記録を作ったのが、鳥谷敬です。

更には1939試合連続出場という史上2位の記録も持ち、2018年シーズン終了時で2066本の安打を放っています。土のグラウンドにこだわって歴史ある甲子園球場でのプレーを望んでから、押しも押されもしない阪神タイガース生え抜きのスター選手に上り詰めた鳥谷。

2018年時点で鳥谷の983得点はタイガース史上で断トツの1位です。つまりタイガースでもっともホームに戻って来た選手であり、それだけファンに歓喜の瞬間をもたらしてくれたということになります。

今回は阪神一筋の天才打者、鳥谷敬の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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鳥谷敬のプロフィール詳細

まずは鳥谷敬の経歴を追ってみます。

1981年6月26日生まれ、東京都東村山市出身。聖望学園高校を卒業後、早稲田大学に進学。1番セカンド田中浩康、2番センター青木宣親、3番ショート鳥谷、4番サード比嘉寿光、5番ファースト武内晋一、6番ライト由田慎太郎、投手には越智大祐、宮本賢という、後にプロ入りする選手たちがずらりと並ぶなかで、3冠王や2度の首位打者を獲得するなど大活躍し、スカウトの注目を集めます。

5球団から強いアプローチを受けますが、土のグラウンドを希望していることなどもあり、2003年のドラフト希望枠でタイガース入りが決定。翌2004年の開幕戦からスタメン出場。2005年にはレギュラーを獲得します。

レギュラー定着後、やや好不調の波が激しいものの、過酷なショートのポジションでシーズン打率.280程度、本塁打10数本の成績を残し続けます。2009年に自身初の20本塁打を記録。打率や安打数、長打率などでチーム1位の打撃を見せ、シーズン終了後に選手会長に就任。2010年には打率3割を越え、遊撃手として史上初めて100打点以上を叩き出しました。

その後もチームの主力として活躍し、試合にも出続けますが、2016年に深刻なスランプに陥り、7月24日にスタメンを外れ、2011年から続いていたフルイニング出場が667試合で途切れます。しかし2017年には5月に死球を顔面に受け、鼻骨を骨折するものの、試合には出続け、9月8日には通算2000本安打を記録します。

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2018年シーズン終了時まで、通算15年で2066安打、138本塁打、130盗塁、打率.281、ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞5回。2018年には連続試合出場が史上2位となる1939試合で途切れましたが、背水の陣で2019年シーズンも挑み続けています。

 

私が選ぶ、鳥谷敬の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「結果的にヒット、ホームランになったものをほめられて、喜んでいたのでは、先がありません」

シーズンオフ、選手たちの慰労の場である納会で、終盤になって宴を抜け出し、鳥谷はひとりジムでウェートトレーニングをしていたそうです。彼のストイックさが伝わってきます。

同じくタイガースに在籍した金本知憲は、ケガに強く、左腕を骨折しながら、右手一本でヒットを打ったことで有名ですが、鳥谷もケガに強く、2010年には守備の際にマートンと激突して腰椎骨折の重傷でも試合に出場し続け、2017年にも顔面に死球を受けて鼻を骨折しましたが、それでも次の試合以降も出続けています。

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もちろん骨折ほどのケガを押してまで出場するのはどうかと賛否があると思います。当然ながらパフォーマンスは落ちるし、起用方法も限定されます。そんな選手を戦力とみるかどうかは、チーム事情によっても対応が分かれるところでしょう。

 

「一番はね。やっぱり他の人が出たら、自分のポジションを失ってしまう可能性がある。これが第一前提というか、一番なんです」

プロの場合、ひとつの不運、あるいはひとつのチャンスが、レギュラーを失ったり得たりするきっかけになり得ます。たった1試合が運命を変えてしまうこともあるのです。たかが1試合、されど1試合、それがプロの世界です。

 

「人にチャンスを与えるということは、それだけ自分が長くできる可能性が少しずつ減る」

このような貪欲さやストイックさがないと、遊撃手で667試合もフルイニング出場することはできなかっただろうと思います。

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【名言語録その2】

「いつかこんな日が来ることはわかっていた。後悔はないよ。後悔しないだけの練習はしてきたつもりだから」

2016年に667試合連続フルイニング出場が途切れた時の言葉です。

 

「どれだけ調子が悪くても自分で代えてもらいたいという思いはない。代えるという判断は監督がすることで、代えると言われたら仕方ないですけど、自分はどんな状態でも大丈夫ですと言って行くつもりですから」

無事これ名馬、という言葉がありますが、監督にとって打撃はもちろん、守備や走塁の面でも計算できる選手が出続けてくれることは、戦術面でもベンチ入り選手のやりくりの面でも助かります。個人成績だけではない価値がそこにはあります。

2018年シーズン終了時点で、広島カープの田中広輔が568試合、埼玉西武ライオンズの秋山翔吾が536試合、連続フルイニング出場していますが、セパ合わせても1シーズンフルイニング出場する選手は毎年10名程度しかいません。

 

「悪いときには悪いなりに、しっかりやらないといけない。その中でも塁に出るというのは自分の中で最低限、やらなければいけないことだと思っている」

鳥谷は悪くても塁に出るため、選球眼を磨いており、2018年シーズン終了時点で歴代14位にあたる1034四球を記録しています。うち敬遠は21しかなく、1000四球以上で最少であり、いかに選球眼が優れているかわかると共に、それに伴う出塁率の高さは特筆すべきですし、ヒットは打てなくとも次につなげるという貢献度は素晴らしいものがあると思います。

 

【名言語録その3】

「ホントに日頃の積み重ねが大切だと思います。ひとつのゴロに対してどう捕るか、素早く投げるにはどうしたら良いか、いつも考えてきて、時には正面の打球を逆シングルで捕ってみたりといろいろ試してきた。そういう積み重ねで、ひとつひとつできるようになったのかなと思います」

同時期に井端弘和という名手がいたために、ゴールデングラブ賞は5回(遊撃手では4回)ですが、鳥谷の守備力は過小評価されているようです。

甲子園球場は土のグラウンドです。データを見ると、プロレベルでは必ずしも土や天然芝の球場で捕球エラーが増えるわけではありませんが、人工芝のように一塁へのワンバウンド送球が、土ではアウトにならず、内野安打になるケースは増えます。データには現れづらい部分ですが、鳥谷の守備でかなり内野安打を防いでいるのは確かです。

鳥谷はノックだけでなく、打者がフリーバッティングをする際に、その打球を受ける練習をします。ノックはあくまでもグラウンドの特徴をつかむためのもので、フリーバッティングでは打球に対する反応の練習なのだそうです。

わざわざ土のグラウンドにこだわってタイガース入団を選び、ケガをしても出続け、打てなくても四球を選び、黙々と必要なプレーをこなす。それが鳥谷という選手です。

2013年のWBC台湾戦は4時間半を越える激戦になりましたが、勝負を分けたのは9回1死から、選球眼を生かして四球で出塁した鳥谷が、2死という絶体絶命の場面で見事に盗塁を決めところでした。それで勢いづいた井端がサヨナラ打を決めます。

 

「アウトになることは考えなかった。腹をくくって思い切りいくしかないと思った」

冷静に四球を選び、覚悟を決めて走る。そのシーンが鳥谷という選手をよく表していたように思います。

 


キャプテンシー (角川新書)

 

名言からの学び

・何があっても譲らない強い気持ちが自分の居場所を作る。

・継続は力なり。

・覚悟を決めるには、裏付けとなる相応の経験が必要である。

 

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