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吉田義男監督の凄さが分かる名言・語録集!牛若丸と称された名手の伝説エピソードから指導方法まで


背番号の永久欠番は、まさにチームのレジェンドというべき存在にだけ許された特例です。プロ野球でもっとも永久欠番があるのは読売ジャイアンツで、王貞治の1番や長嶋茂雄の3番など6つの永久欠番があります。それに次ぐのは阪神タイガースで藤村富美男の10番、村山実の11番、そして23番をつけていた吉田義男です。

現役の頃はその華麗な守備から「牛若丸」「今牛若」などと呼ばれ、オールドファンの方の中には史上ナンバー1の遊撃手に押す声も多くあります。また1985年にはタイガースの監督として日本一に輝き、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布らを擁した猛虎打線の破壊力を史上最強の打線と考える人もいます。

吉田はそんな日本球界のレジェンドでありながら、単身フランスに乗り込み、世界に野球を広めようと代表監督を務めたこともあります。

今回は牛若丸と称された名手吉田義男の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから指導方法にまで迫ります。

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吉田義男について

まずは吉田義男の経歴を追ってみます。

1933年7月26日生まれ、京都府京都市出身。旧制京都市立第二商業学校に入学しますが、戦後の学制改革により府立山城高校に編入。夏の甲子園選手権大会にも出場します。その後、立命館大学に進学するも、1953年に中退して阪神タイガースに入団

1年目から遊撃手のレギュラーを獲得し、俊足巧打堅守の選手として活躍を始めます。翌1954年には盗塁王を取り、1962年にはリーグ優勝に貢献しました。1964年には179打席連続無三振という当時の日本記録を作ります。

また日米野球で来日したニューヨーク・ヤンキースの監督だったケーシー・スタンゲルが吉田の守備についてメジャーでも通用すると太鼓判を押しています。いまだにメジャーで通用した日本人遊撃手はいないので、当時の吉田がメジャーでプレーしていたらと想像したくなります。

1969年にはコーチ兼任となり、そのオフに引退。現役通算17年間で1864安打、66本塁打、350盗塁、打率.267。盗塁王2回、ベストナイン9回。当時はゴールデングラブ賞がなかったのですが、もしあれば最多記録である福本豊の12回を越えていたかもしれません。

引退後は1975年から77年、1985年から87年、1997年から98年と、3度にわたってタイガースの監督につきます。1985年には今も語り継がれる強力打線で日本一に輝いています。監督通算8年間で484勝、Aクラス4回というのは、歴代タイガースの監督としては上々の戦績だと思います。

 

私が選ぶ、吉田義男の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「ボールは操るもの。操られてはいけない」

現役時代にはセリーグの最多守備機会を15度も記録し、シーズン94併殺打といった記録も残しています。当時、ゴールデングラブ賞があれば確実に10回以上は受賞しているでしょう。ボールを捕球すると、素早くワンモーションで送球する姿に、ある解説者は「捕る前に投げている」と言ったそうです。

吉田は不調になると「出足がワンテンポ遅れて、ボールに操られるような感じがする」と口にしていたそうです。野球の守備では最初の一歩が重要です。ショートバウンドも出足が良ければイレギュラーな変化に対処できますし、送球まですべてが素早く行えます。

名手の吉田もプロ1年目は30失策をしており、思うようにプレーできたわけではありません。しかし、ひたすら練習することでそれを克服しました。

「いつもボールとグラブを持ってましたな。全体練習だけじゃなく、合間にもフェンスやトタン板、寮でも部屋の壁にボールをぶつけて、ずっとやってた」

トタン板は波状に作られているので、ぶつけたボールは不規則に跳ね返ります。そういった事で対応力を養っていったのでしょう。ただしトタン板にボールを当て続けるのは、うるさくて近所迷惑だったかもしれませんが。

 

「守備で道を究めたという自負はあります」

いかに守備がうまかったとはいえ、並み居るプロがいる中、そう言い切れる自信はすごいと思います。

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【名言・語録その2】

「縦じまのユニフォームを横じまに変えても、来てもらいたい」

大阪の生んだスター、清原和博がFA宣言をした際に、吉田はそう言ったそうです。もちろん大阪らしい冗談も入っていますが、それだけ地元生まれで強打の人気選手が欲しかったのでしょう。

タイガースの本拠地は兵庫県の西宮市にある甲子園球場であり、大阪はオリックス・バファローズの本拠地である筈なのですが、人気は圧倒的にタイガースです。関西という広域で愛されるタイガースも、チームの日本一ということになるとただ1度。吉田が指揮した1985年のみです。常勝球団となるために柱となる選手を待望する気持ちがよくわかります。

 

「1985年の優勝は野球で勝った、負けたというだけじゃなくて、社会現象が起きていたということが語り継がれていく要因やないですか」

強力打線で打ち勝つ野球は見ていて面白いものです。猛牛打線といわれた近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)や、山賊打線といわれる埼玉西武ライオンズなど、破壊力のある打撃陣がそろうと大量点差をひっくり返す劇的な展開を生みやすく、勢いに乗りやすい面があります。

強力打線であるがゆえに作戦らしい作戦はいらず、監督らしいことはしていないとの指摘もありましたが、吉田はチャンスで併殺打を打った選手にも「おしかったな」といった声をかけていたそうです。

実際に併殺打は強い当たりだったからこそであり、長嶋茂雄も打球の速さゆえに併殺が多い選手でした。またコーチが熱心に指導し始めると「教えるな」と怒ったそうです。教え過ぎないというのは権藤博などもつながる指導方法です。

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【名言・語録その3】

「勝負の世界に実績は無言の説得力です」

体が小さい(167センチ)吉田は、大きい選手にどうやったら勝てるのかをいろいろ考えていたそうです。グラブは体の一部と感じられるほど使い込み、現役時代には3つくらいしか使っていないほど、自分にフィットするよう細かく調整していたそうです。

こだわりは守備だけでありません。400勝投手の金田正一がもっとも苦手な打者として吉田の名を上げ、とにかく三振しない粘り強いバッティングが嫌だったと語っています。

 

「自信と不安は心のなかにいつも同居しています。不安な気持ちを消し、自信だけにするためにも、いつもの練習をずっと続けるようにしていました。高校時代もプロ時代も」

吉田は野球を世界に広めるために、フランスのクラブチームや代表の監督を務めた経験があります。フランスの選手たちは小柄なおじいさんの吉田が、ダブルプレイの手本を見せると、そのプレーに驚いたそうです。

またフランスの選手たちを甲子園に招いた時、たくさんの人にサインを求められる吉田を見て、改めて敬意を表したそうです。

まさに無言の説得力です。

「監督は別ですけど(笑)、野球選手が技術を追求するときは、妥協せず、切磋琢磨していく姿勢は必要やと思いますよ」

監督だけが別なのは、監督には妥協も必要だということでしょうか(笑)


牛若丸の履歴書 (日経ビジネス人文庫)

 

名言からの学び

・自負心は極めた者にだけ許される。

・教えない事も、教えである。

・実績は最高の説得力である。

 

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