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伊原春樹監督の凄さが分かる名言・語録集!球界レジェンドの伝説エピソードからリーダーシップ論まで


不滅の400勝投手である金田正一は、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の監督を務めていた頃、監督であるにも関わらず、3塁のコーチャーズボックスに立ち、そこで見せる「カネやんダンス」は名物でもありました。同じように監督としてサードコーチャーに立っていたのが伊原春樹(1971~73は春植)です。

現役時代はそのほとんどを弱小球団で過ごした伊原。しかしコーチとしては西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)や読売ジャイアンツなど、強豪チームで指導経験を積み、ライオンズとオリックスブルーウェーブ(現オリックスバファローズ)の監督も務めました。

ヤクルトスワローズやライオンズを日本一に押し上げた名監督広岡達朗譲りの管理野球は、30年ほどたった今でも賛否両論ありますが、プロ野球選手がアスリートとして意識をし始めたのは、広岡の管理野球からであり、今では高校生でも食事や睡眠について科学的に考えるようになっています。

今回は管理野球の継承者でもある伊原春樹の凄さが分かる名言や語録を紐解き、球界レジェンドの伝説エピソードからリーダーシップ論にまで迫ります。

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伊原春樹について

まずは伊原春樹の経歴を追ってみます。

1949年1月18日生まれ、広島県甲奴郡(現府中市)出身。北川工業高校(現府中東高校)から芝浦工業大学へ進学。東都リーグでは2度の優勝を経験し、主将兼監督も務めました。

1970年のドラフトで西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)から2位指名を受けて入団。プロ野球史上もっとも有名な八百長事件の「黒い霧事件」の余波もあり、主力選手が欠けたライオンズだけに、ルーキーイヤーから1軍に定着します。

1972年には3塁のレギュラーを取るかに思えましたが、以降は次第に出場機会を失くし、1975年にジャイアンツにトレードされ、1977年には自由契約となりますが、1978年は戦力不足のクラウンライターライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に復帰。更にチームの親会社は西武に変り、1980年シーズン限りで引退しました。

現役通算9年間で189安打、12本塁打、打率.241。引退後は古巣のライオンズのコーチや球団スタッフとして黄金期を過ごし、13度のリーグ優勝と8度の日本一を経験します。その後もジャイアンツのコーチとしてリーグ優勝3度と日本一を1度経験しており、コーチやチームスタッフとして豊富な優勝経験を誇ります。

監督としてはライオンズで2002~03年、2014年、ブルーウェーブで2004年と通算4年間で、236勝をあげ、リーグ優勝1回、Aクラス2回。

2018年には社会人チームのコーチに就任しています。

 

私が選ぶ、伊原春樹の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「サードコーチャーはオーケストラの指揮者に似ているとよく言われます。ランナーの一挙手一投足や、相手チームの守備状況を俯瞰し、一瞬で分析判断してサインを出す」

伊原は更に続けて「手先ひとつで人を動かすところや、試合中のあらゆる変化にも的確に対応することなどは、まさにマエストロです」と話しています。

その伊原の指揮者ぶりについて注目されたのが、1987年のライオンズ対ジャイアンツの日本シリーズ第6戦です。ライオンズ1点リードの8回裏2アウト1塁で、走者は辻発彦。秋山幸二のセンター前ヒットで、辻は一気に3塁まで走り、更にクロマティの緩い返球の間に、本塁まで駆け抜けました。サードコーチャーだった伊原はクロマティの送球について緩慢な時があるのを、事前に観察していました。

更にもうひとつ、中継に入った遊撃手の川相昌弘の動きも見ていました。川相がクロマティからの返球を受けた後、打者走者の秋山の俊足を警戒して、1塁方向に体を向けたのを見て、辻に本塁突入をさせたのだそうです。

それを実現したのは鋭い観察眼だけでなく、瞬時に判断するためには具体的なイメージ力です。イメージとは本来漠然としたものではなく、具体的なビジョンを伴うものなのです。

それはまさに指揮者に似ています。指揮者はすべての音を具体化する仕事です。プロ野球選手には珍しい芝浦工業大学出身だけあり、理詰めの人らしい具体的なイメージを持った判断です。

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【名言・語録その2】

「何言ってんだ、このどアホ!」

ブルーウェーブの監督時代にもサードコーチャーに立っていた伊原ですが、それは「最前線で陣頭指揮を執る」ためと「お客さまへのサービス」だったそうです。

2004年3月16日、千葉ロッテマリーンズとのオープン戦で、マリーンズ監督のバレンタインは何かとサードコーチャーに立つ伊原に文句を言い、ついには「Get out of here!」、つまり「ここから失せろ!」と怒鳴りました。伊原は上記の言葉を返し、まだオープン戦モードで気楽に観戦していた観客をざわつかせました。

他にも観客のヤジに怒鳴り返すこともあった伊原ですが、そこは同じようにサードコーチャーに立った金田と似ています。

ちなみにその後、ブルーウェーブとマリーンズは遺恨試合の様相になるかと思いきや、両監督がいがみ合う事はそれきりなく、示し合わせてのパフォーマンス説も流れました。真相はわかりませんが、相手が誰でもはっきりとモノを言う伊原だけに、パフォーマンス説は怪しいようにも思います。

 

「怒る、は自分勝手な感情の発露に過ぎない。そこには愛情がないから、相手にマイナスな作用しか及ぼさない。しかし、叱る、はいわば罰を与える愛情。叱る理由がきちんと分かるから、その愛情は必ず相手に伝わる」

もしかしたらバレンタインにも何か伝わったのでしょうか。

ボビー・バレンタイン監督の凄さが分かる名言・語録集!評価も高い名将のリーダーシップ論から人生哲学まで

 

【名言・語録その3】

「選手に好かれようと思ったら、指導者も選手も成長しない」

かつて伊原が所属したライオンズやジャイアンツなど強いチームには規律があります。伊原は監督時代に茶髪やひげを禁止し、ユニフォームまでオールドスタイルにするよう統一するなどしたのは、広岡がそうだったように規律を重んじたからです。

もちろん見た目や格好でその人の価値が決まるわけではありません。しかしチームプレイには間違いなく規律も必要です。

 

「プロ野球選手は、中学高校時代からエリート扱いされてきているような自意識、自尊心の強い者ばかりですし、スタープレーヤーと呼ばれる選手クラスになると、たとえ問題があっても指摘できず、選手をおだててばかりいる監督、コーチもいます。でも、それじゃダメなんです。そこでビシッと言えるコーチ、監督であるべき」

実際、プロ野球選手になれるのは一部の野球エリートがほとんどであり、早い時期から注目され、受験などしなくても学費免除など好待遇で進路を決めて行きます。そして普通の会社員では手の届かない大金を得られるのです。

もちろんそれに伴う努力もしているのでしょうが、世の中にはどれだけ努力していても稼げない仕事はいくらでもあります。

伊原は学生運動時代に荒れる大学を見て、プロ入りすると「黒い霧事件」を目の当たりにし、選手としては芽が出ないまま、コーチやスタッフとして数々の歓喜と悲哀を見て来たからこそ、一生プロ野球選手でいることはできないのを思い、選手には人としての成長を期待しているように感じます

 

「指導の基本は、選手に対する愛情です。これはいかなる世代に対しても必要不可欠な要素です。そのなかには厳しさも必要です。なんとか成長してもらいたい、うまくなってもらいたいという気持ちがあれば、厳しさの中にある愛情も伝わりますし、こちらも選手とともに成長していきます」

好かれようと思わないけれども、愛情は注ぐ。それは指導者として潔い姿勢だと思います。


指導者は嫌われてこそ一人前

 

名言からの学び

・奇跡の瞬間とは、偶然でなく、どこかで演出されている。

・指導者は怒ると叱るの違いを考えなければならない。

・好かれずとも愛する。

 

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