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山口鉄也の凄さがわかる名言・語録集!鋼の心を持つ「育成の星」の伝説エピソードから努力論まで


2005年度のシーズンオフから誕生したプロ野球の育成選手制度。支配下選手となる70人の枠以外に有望な選手を育成する目的ですが、最低年俸は支配下選手の440万円の約半分となる240万円。しかしそこから這い上がり、3億円を越える年俸にまで上り詰めたのが、山口鉄也です。

その躍進ぶりは「育成の星」と呼ばれ、中継ぎ投手として鉄腕ぶりを発揮。過酷な中継ぎというポジションで9年連続60試合以上登板という日本プロ野球記録を作り、まさに大車輪の活躍でチームを支えました。

育成選手制度と同じく2005年より、中継ぎ投手に与えられるホールドポイント制が実施されるようになりましたが、山口はプロ野球史上2位となる324ポイントを記録。最優秀中継ぎ投手を3度受賞しています。

年間に50試合以上登板する投手は、毎年1チームにおそよ3人程度はいますが、それを数年続けられる投手はほとんどおらず、2018年シーズン終了時に4年連続で50試合以上登板している投手は5人のみです。山口の9年連続60試合以上登板というのがいかにすごい記録かわかります。

今回は「育成の星」山口鉄也の凄さがわかる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論まで迫ります。

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山口鉄也について

まずは山口鉄也の経歴を追ってみます。

1983年11月11日生まれ、神奈川県横浜市出身。横浜商業高校を卒業後、大学進学の予定でしたが、渡米し、マイナー契約でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団。マイナーチームで4年間を過ごします。

2005年に日本野球界への復帰を目指し、知人の紹介で横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)のテストを受けたものの不合格。ベイスターズの編成部長が東北楽天ゴールデンイーグルスを紹介するも不合格となり、最後に読売ジャイアンツのテストで合格。

初の育成選手ドラフトでジャイアンツに入団。もしジャイアンツも駄目だったらベイスターズが打撃投手として獲得する予定でした。

2007年に支配下登録され、5月には初勝利をあげ、育成出身選手として第一号の勝利投手になりました。2008年にリリーフとして二桁勝利をあげる活躍を見せ、まだ資格が残っていた新人王に輝きます。これも育成出身選手としては初のことです。

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2010年には当初先発に転向しますが、チーム事情により再び中継ぎとなり、それ以降は引退するまでリリーフとして登板。2013年、第3回WBCの日本代表メンバーにも選出されます。2016年に9年連続60試合以上登板という鉄腕ぶりを発揮しますが、翌年故障。2018年に惜しまれつつ引退します。

通算11年の現役生活で、642試合に登板。57勝29セーブ、273ホールド、防御率2.34。新人王、最優秀中継ぎ投手3回

引退後はジャイアンツアカデミーのコーチを務めています。

 

私が選ぶ、山口鉄也の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録集その1】

「順風満帆でプロに入っていたら、ぼくみたいな選手は成長しなかったんじゃないでしょうか」

高校時代に監督から、毎日10キロ走ればジャイアンツに指名される可能性があるといわれ、実際にスカウトも来ていたそうですが、監督に騙されただけで、プロになどいけるわけがないと思った山口は、すぐに走るのを止めたそうです。

監督はその状況をスカウトに伝えたと、山口に電話してきましたが、その時彼はビリヤード場で遊んでいました。

大学へ行くつもりだったものの、アメリカの球団から話があり、本人いわく「旅行がてら」テストを受けたところ合格。4年間をアメリカで過ごしますが、いわゆるルーキーリーグより上には行けず、日本のプロ球団のテストを受けるものの、3球団目でようやく合格します。

結果論としてはベイスターズとイーグルスは、これほどの投手を取り逃したといえますが、果たしてそれらのチームで芽が出たのかどうかはわかりません。ジャイアンツに入団し、現役通算29年間で224勝をあげた同じ左腕の工藤公康と共に自主トレを行い、「すべてを投球につなげろ」と教えられ、様々なことを吸収し、山口はブレイクしました。

工藤公康の凄さが分かる名言・語録集!努力の天才の人生哲学やリーダーシップ論とは

 

「とにかく1軍の選手とか一流の選手に触れることだと思います。見て学ばせてもらいましたし、いろいろアドバイスもいただきました。それが一番うまくなる近道だと思います」

そう口にするだけあって、内海哲也によれば、後輩らと共に自主トレをするようになると、山口は食事中に若手に向かって「何で内海さんや先輩にもっと聞こうとしない?」と熱く語ったといいます。

自らチャンスをふいにしたり、何となく流されたりしながらも、様々な経験と出会いの中で成長していった山口らしい言葉です。

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【名言語録集その2】

「マウンドに上がる前は今でもドキドキします。打たれたらどうしようとか、どうしてもマイナスなことばかり考えてしまう」

山口は同じく中継ぎ投手として活躍した浅尾拓也との対談でも、登板の時はいつも不安だったと語っています。

 

「投げたくない、投げたくないとずっとブルペンで言ってて、絶対に打たれるわって、ずっと言ってるタイプだから」

そう告白していますが、面白いことに浅尾もまた同じだと語っています。リリーフ投手のプレッシャーは相当なものです。抑えて当たり前で、打たれると先発はもちろんチームメイトやファンに合わせる顔がありません。

山口もリリーフに失敗すると血の気が引いた顔で先発に謝罪し、打たれた試合後は外食はせずに、ファンに会わないよう隠れてコンビニに行ったそうです。

かつてプロ野球では先発失格の投手がリリーフをするというイメージがあり、リリーフ投手、特に中継ぎへの評価は不当に低いものでした。しかしその役目と重責は、今やプロ野球において大きなものです。

 

「生まれ変わったら野手になりたいなあ」

そんなつぶやきを漏らすほど、マイナス思考の山口ですが、だからこそ安易な楽観に陥らず、結果として鋼のように強靭なメンタルで、幾度も窮地を乗り越えたのでしょう

 

【名言語録集その3】

「まさかこんなに左肩を使うとも思っていなかったので、びっくりしたよと、言いたいです。あと朝起きて、今日は痛いのかな痛くないのかなともう考えなくていいよ、お疲れさまと言いたいです」

山口は引退を決めた後、左肩に対してかけてあげたい言葉としてこのように発言しています。人柄があらわれた言葉です。

ジャイアンツの寮長によれば「山口はとても照れ屋でね。人の目を見て話すことができず、いつも下を向いているような男でした」といいます。それはファンもヒーローインタビューなどで感じていただろうと思います。

 

「俺は極力目立たないように、何も新聞に載らないように、と思いながらやってきた」

そんな気持ちとは裏腹に、リリーフ投手の過酷さと重要性について、世に知らせる大きな役割を担った投手のひとりであり、どの球団も、得難い戦力として、第二の山口を探しています

 

名言からの学び

・一流のものを見なければ、一流にはなれない。

・マイナス思考はメンタルの強靭さを育む一面を持っている。

・結果が歴史を作る。

 

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