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伊藤智仁の凄さがわかる名言・語録集!悲劇の天才投手の伝説エピソードから人生哲学まで


有名検索サイトで「高速スライダー」という言葉を検索すると、必ず最初に出てくる投手の名前は伊藤智仁です。同僚であった名捕手の古田敦也が「直角に曲がる」と評した伊藤の高速スライダーは、今でも魔球として伝説のように語られています。

スライダーという球種は、現在日本ではもっとも多く投げられている変化球でしょう。1980年代半ばほどから、スライダーを軸にする投手が増え、その後は誰もが投げる変化球になりました。しかし魔球とまで呼ばれたのは伊藤くらいです。

現役生活の9年間は、その多くがリハビリに費やされ、年間二桁勝利の経験もなく、タイトルもわずか2ヶ月半の14試合登板で勝ち取った新人王と、怪我と戦って得たカムバック賞のみです。それでも、名将野村克也はある雑誌で伊藤を史上最高の投手候補に選んでいますし、古田は「全盛時の彼なら、間違いなく、そのままメジャーでも通用しましたよ。賭けてもいい」とまで断言しています。

今回は短い現役時代に、対戦相手やファンに鮮烈な印象を残し、記憶に残る悲劇の天才投手伊藤智仁の凄さがわかる名言や語録から、伝説エピソードや人生哲学まで迫ります。

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伊藤智仁について

まずは伊藤智仁の経歴を追ってみます。

1970年10月30日生まれ、京都府京都市出身。花園高校から三菱自動車京都に入社。都市対抗で活躍し、バルセロナ五輪代表にも選出されて大会27奪三振を記録。銅メダルの獲得に貢献。1992年のドラフトでは3球団から1位指名され、交渉権を獲得したヤクルトスワローズに入団。

翌1993年4月20日には初先発初勝利をあげ、6月9日には16奪三振のセリーグタイ記録を作るなど、わずか2ヶ月半で7勝、防御率は驚異の0.91。しかし14試合で1733球、6月ひと月で694球という投球数の多さから肩を故障。そのままシーズンを終えますが、その2ヶ月半のみの活躍で見事に新人王を獲得します。

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以降2年間はリハビリに費やされ、登板はありません。1996年になって一軍に復帰しますが、思うような投球はできませんでした。1997年には抑えに転向。かつてのような150キロを越える快速球と魔球と呼ばれた高速スライダーのキレは戻らなかったものの、7勝19セーブでカムバック賞を受賞します。

しかし故障は続き、1999年、2001年と肩の手術を受け、2003年に引退。現役生活9年間で通算37勝25セーブ、防御率2.31の成績を残します。

その後はスワローズの投手コーチ、BCリーグの富山サンダーバーズ監督、2019年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスの投手コーチに就任しています。

 

私が選ぶ、伊藤智仁の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「僕は三振を取りたいなんて思ったことがないんです。出来れば1球でアウトを取りたい」

1993年にセリーグタイ記録となる一試合16三振を奪った伊藤ですが、その日は「本当に調子が悪くて」結果として三振が取れてしまったのだそうです。そのために「150球も投げてしまった」ことを悔やんでいます。

現在、読売ジャイアンツのエースである菅野智之も、理想はひとりの打者を1球で打ち取ることだと語っていますが、高速スライダーで三振を奪うイメージの強い伊藤だけに、意外な気がします。

そんな伊藤が投球過多で故障するのですから皮肉だといえます。当時のプロ野球は先発投手が完投をするのは当たり前で、投手の選手生命は短く、30歳を過ぎればベテラン扱いでした。

しかし伊藤の才能を惜しむ野村克也は、後に当時の監督として登板過多を本人に謝罪しています。それを聞いた伊藤は「マウンドを降りるほうが嫌でした」と、野村のせいではないと否定しました。

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ドラフトの際に、球団首脳やスカウトが松井秀喜を押す中、野村だけは伊藤獲得を主張して譲らず、スカウトとケンカまでして、1位指名したというだけあり、誰よりも彼の才能を評価していたのは野村だっただけに、伊藤の故障は心に引っかかっていたのでしょう。

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【名言・語録その2】

「プロ野球はすべて数字で評価される世界。天才はその名にふさわしい記録を残していますよ」

その成績に関わらず、天才と評されることがある伊藤が、自分が思う天才像についてそう語っています。

自分への取材は、ほとんどが0.91という防御率を残したルーキーイヤーの2ヶ月半についてか、怪我とリハビリについてだと笑う伊藤。

 

「もしも、故障をしなくてそのまま投げ続けていたとしたら、たぶん打ち込まれて成績はもっと悪くなっていたはずです。でも結果的にそこまで投げることはできなかった。だから世間の人は『いい想像』をしてくれているんだと思います」

プロに入ってすぐに鮮烈な記憶だけを残し、その後はほとんど記録に残らなかったこそ、天才だと呼ばれるのだろうと、伊藤は謙虚に受け取っているようです。

 

「世間の人が、自分のことを『悲運のエース』という目で見ていることは知っていますけど、僕自身は全然悲運だとか、不幸だとか考えたことはないです。でもこうやって世間の人々が、今でも自分のことを話題にしてくれることは嬉しいですよ。まさにラッキーだと思います」

 

「マメが破れてピッチングを止めてしまったら、それ以上強くならない。痛くても投げ続けることで新しい皮が出来て、強くなる」

繰り返す故障と長いリハビリに耐え続けられたのは、そんな発想の転換と我慢強い姿勢があったからなのでしょう

 

【名言・語録その3】

「最後に皆と野球がしたかっただけ」

引退試合後の伊藤の言葉です。現役を終えても、コーチなどを歴任し、野球界に貢献している伊藤ですが、心から野球が好きなのだろうというのが伝わってきます。

伝家の宝刀というべき高速スライダーについて、コーチとして誰かに伝えるのかについては、「僕は全然、教えますよ。握りも投げ方も。でもね、僕のスライダーは誰がやっても投げられないですよ」と答えています。

本人は天才と呼ばれるのをやんわりと否定しますが、高速スライダーについては誰にも真似できない天賦の才だと認めているようです。確かに持って生まれた身体的なものもあるし、それを伝承するのは無理なのでしょう。

しかし伊藤がプロ野球界に残したのもは他にあります。

「僕の体験もあって登板間隔や球数が管理されるようになり、選手寿命も延びていった」

 

「僕の野球人生はたしかにリハビリばかりだったかもしれない。でもピッチャーを守るという意味では、球界に爪痕を残すことができたんじゃないかな」

現在のプロ野球では、無闇に球数を多く放らせることは減ってきましたし、肩を手術した投手がリハビリを経て、復活するケースも増えています。

それは本人の意図とは違うものの、はからずも「悲運」と呼ばれた彼の野球人生が、多くの人や考え方に影響を与えたのだと思います。

 

名言からの学び

・自分の理想と、他者の評価は必ずしも一致しない。

・発想の転換がプラス思考を生み出す。

・結果こそが誰かに影響を与え得る。

 

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