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東京ヤクルトスワローズの歴代投手(エース)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

1950年の球団創設からこれまで数々の名投手が登場してきた東京ヤクルトスワローズ。

今回は東京ヤクルトスワローズの歴代投手をリサーチして、最強の投手(エース)をご紹介します。

懐かしい選手の登場があるかもしれません。それでは確認していきましょう!

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東京ヤクルトスワローズの歴代投手(エース)一覧まとめ!

1950年以降、そのシーズンの主な先発・中継ぎ・抑えの選手を一覧表にしてみました。

まずは先発から見てみましょう。そのシーズンで先発登板があり、最も多く勝ち星を挙げた投手を掲載しています。

東京ヤクルトスワローズの歴代投手(先発)一覧まとめ!

選手名 背番号 先発登板 防御率 勝利数 投球回 完投数 タイトル
1950 田原 基稔 19 37 4.14 13 287 14
1951 金田 正一 34 44 2.83 22 350 25 最多奪三振
1952 金田 正一 34 41 3.17 24 358 23 最多奪三振
1953 金田 正一 34 33 2.37 23 303.2 24 最多奪三振
1954 金田 正一 34 39 2.63 23 345.2 28
1955 金田 正一 34 37 1.78 29 400 34 最多奪三振
1956 金田 正一 34 29 1.74 25 367.1 24 最多奪三振、沢村賞
1957 金田 正一 34 35 1.63 28 353 25 最多勝利、最優秀防御率、沢村賞、ベストナイン
1958 金田 正一 34 31 1.30 31 332.1 22 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞、ベストナイン
1959 金田 正一 34 25 2.54 21 304.1 14 最多奪三振
1960 金田 正一 34 31 2.58 20 320.1 22 最多奪三振
1961 金田 正一 34 32 2.13 20 330.1 23
1962 金田 正一 34 30 1.73 20 343.1 24
1963 金田 正一 34 30 1.98 22 337 25 最多勝利、最多奪三振、ベストナイン
1964 金田 正一 34 31 2.79 30 310 22 最多奪三振
1965 佐藤 進 29 30 2.62 13 237 13
1966 佐藤 進 29 33 2.60 12 231.2 9
1967 石戸 四六 20 36 3.73 12 244.1 6
1968 石戸 四六 20 35 2.84 20 282.1 11
1969 石戸 四六 20 36 3.48 16 233 11
1970 石岡 康三 15 21 3.25 6 155 3
浅野 啓司 19 14 3.88 6 123 5
1971 松岡 弘 17 17 2.52 14 281.2 14
1972 松岡 弘 17 17 3.09 17 300 18
1973 松岡 弘 17 17 2.23 21 295 14
1974 松岡 弘 17 17 2.80 17 257.1 15
1975 安田 猛 22 27 2.73 16 243.2 13
1976 松岡 弘 17 17 3.32 17 222 16
1977 安田 猛 22 20 3.74 17 214 8
1978 松岡 弘 17 17 3.75 16 199.1 11 沢村賞
1979 梶間 健一 19 21 5.11 10 141.1 1
1980 梶間 健一 19 25 2.76 15 195.2 11
1981 松岡 弘 17 25 3.75 12 194.1 7
1982 尾花 髙夫 32 32 2.60 12 246 14
1983 梶間 健一 19 27 3.21 14 232.2 12
1984 尾花 髙夫 32 20 3.45 14 175 8
1985 梶間 健一 19 29 4.22 11 189.2 8
尾花 髙夫 32 25 4.39 11 205 10
1986 高野 光 34 30 3.10 12 209.1 11
1987 伊東 昭光 18 31 4.27 14 196 6
1988 尾花 髙夫 32 31 2.87 9 232 10
1989 内藤 尚行 24 15 2.82 12 163 3
1990 川崎憲次郎 17 26 4.05 12 202.1 15
1991 西村 龍次 29 29 2.80 15 228.1 15
1992 岡林 洋一 15 23 2.97 15 197 12
1993 伊東 昭光 18 23 3.11 13 173.2 8
1994 岡林 洋一 15 22 2.99 11 171.2 10
1995 山部 太 19 25 3.83 16 160 4
1996 田畑 一也 39 25 3.51 12 177 4
1997 田畑 一也 39 25 2.96 15 170.1 5
1998 川崎憲次郎 17 28 3.04 17 204.1 9 最多勝利、沢村賞
1999 ハッカミー 20 26 4.50 12 140 0
2000 石井 一久 16 27 2.61 10 183 3 最優秀防御率、最多奪三振
2001 藤井 秀悟 23 26 3.17 14 173.1 2 最多勝利、ベストナイン
2002 ホッジス 58 32 3.41 17 200.2 0 最多勝利
2003 石川 雅規 19 30 3.79 12 190 3
2004 石川 雅規 19 27 4.35 11 163.1 1
2005 藤井 秀悟 18 27 3.43 10 176 0
館山 昌平 25 25 3.95 10 150.1 1
2006 石井 一久 16 28 3.44 11 177.2 0
2007 グライシンガー 29 30 2.84 16 209 3 最多勝利、ベストナイン
2008 石川 雅規 19 29 2.68 12 195 3 最優秀防御率、ゴールデングラブ賞
館山 昌平 25 24 2.99 12 153.1 0 最高勝率
2009 館山 昌平 25 27 3.39 16 188.1 5 最多勝利
2010 石川 雅規 19 28 3.53 13 186.1 2
2011 館山 昌平 25 25 2.04 11 180.2 7
2012 館山 昌平 25 24 2.25 12 168.1 2
2013 小川 泰弘 29 26 2.93 16 178 4 最多勝利、最高勝率、新人王
2014 石川 雅規 19 27 4.75 10 165 4
2015 石川 雅規 19 25 3.31 13 146.2 5
2016 石川 雅規 19 20 4.47 8 116.2 1
小川 泰弘 29 25 4.50 8 158 4
2017 小川 泰弘 29 18 2.83 8 124 2
2018 ブキャナン 28 28 4.03 10 174.1 2
2019 石川 雅規 19 23 3.84 8 124.1 0
2020 小川 泰弘 29 20 4.61 8 119 1
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1950年代

50年代は球史に残る大投手が入団し、設立間もないチームのエースとして君臨しました。球団創設1年目の50年は田原基稔投手が13勝を挙げ、51年からは前年途中に入団した金田正一投手が活躍しました。

金田投手は51年に107試合中44試合で先発登板し、1度のノーヒットノーランを含む25完投をマークしました。勝ち星も22を数え、以降も20勝以上を続けました。最多勝を初めて獲得したのは57年でしたが、表彰はなかったもののリーグ最多奪三振は51年に記録すると50年代は6回記録しました。58年には31勝を挙げ、主要投手タイトル三冠に輝きました。

1960年代

金田投手は引き続きエースとしてチームを引っ張り、退団する64年まで20勝以上を毎年記録しました。シーズン投球回数も現代野球では考えられない300イニング以上を毎年投げていました。

金田投手が巨人に移籍した65年からの2年は佐藤進投手がチームの勝ち頭になり、67年からの3年は石戸四六投手が勝ち星を重ねましたが、金田投手の記録には遠く及びませんでした

1970年代

70年は石岡康三投手浅野啓司投手がチームトップの勝利数を記録しましたが、チーム自体が33勝で最下位だったため、それぞれ6勝に終わりました。

71年からは左右のエースが登場しました。右投げの松岡弘投手はプロ入り4年目の71年に開幕投手を務めると14勝を挙げ、翌年は17勝、翌々年は21勝と勝ち星を増やしていきました。同時期に左のサイドスローの安田猛投手も台頭して75年と77年にチームトップの勝利数を記録し、松岡投手とともにチームを支え、Wエースが78年の初優勝に導きました。

79年は左のサイドスローから大きなカーブを武器とした梶間健一投手が10勝を挙げました。

1980年代

梶間投手が80年に15勝、松岡投手が81年に12勝を挙げる活躍を見せました。

82年からは梶間投手と尾花髙夫投手がチームを引っ張りました。梶間投手は83年から3年連続、尾花投手は82年から4年連続で2桁勝利を記録しました。86年は84年にルーキーながら開幕投手を務めた高野光投手、87年はプロ2年目の伊東昭光投手がチームトップの勝利数を記録し、若い力がチームを牽引しました。

伊東投手がリリーフのみで18勝を挙げて最多勝に輝いた88年の先発経験投手の勝ち頭は尾花投手で9勝、89年はチームトップの8セーブをマークした内藤尚行投手が勝利数でもチームトップでした。

1990年代

90年は高卒2年目の川崎憲次郎投手が12勝を挙げ、98年には17勝をマークして最多勝に輝きました。91年は西村龍次投手がルーキーだった前年に続いて2桁勝利を記録、92年と94年は岡林洋一投手がチームトップになり、若い右投手がチームを支えました。93年は伊東投手が13勝を挙げ、リーグ連覇に貢献しました。

95年はサウスポーの山部太投手が中継ぎもこなしながら16勝、96年からの2年はダイエーからトレードで加入した田畑一也投手が野村克也監督の指導によって花開き、チームトップの勝ち星を挙げました。99年は助っ人外国人のジェイソン・ハッカミー投手が制球力を武器に12勝をマークしました。

2000年代

00年代は左腕投手の活躍が目立ちました。剛速球が武器の石井一久投手は00年に最優秀防御率と最多奪三振を獲得し、メジャーリーグから復帰した06年もチーム最多勝をマークするなどエースとして活躍しました。同時期にチームを牽引したのは同じくサウスポーの藤井秀悟投手で、01年に最多勝とベストナインを獲得、05年も10勝を挙げてチームトップでした。

03年は前年に12勝を挙げ新人王に輝いた大卒2年目のサウスポー・石川雅規投手が167cmと小柄ながらも抜群のコントロールと多彩な球種を駆使して12勝を記録、以降もローテーションを守り続け勝ち星を重ねました。

02年はケビン・ホッジス投手が17勝で最多勝を獲得、07年はセス・グライシンガー投手が16勝で最多勝を獲得するなど外国人投手の活躍もありました。石川投手とともに右のサイドスローの館山昌平投手もチームを牽引し、09年には16勝を記録して最多勝を獲得しました。

2010年代

石川投手と館山投手が引き続き先発ローテーションの柱として活躍し、13年はルーキーの小川泰弘投手が16勝を挙げて最多勝と最高勝率、新人王を獲得しました。小川投手は2年目以降もローテーションの一角を担い、エースの一人として投げています。18年はデビッド・ブキャナン投手が10勝挙げますが、翌年はコンディション不良で離脱するなど不本意なシーズンとなり同年限りで退団しました。

15年はリーグ優勝を果たしましたが、翌年以降チームは低迷期に入っており、近年勝利数を伸ばせていない小川投手や石川投手の奮起が期待されます。

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東京ヤクルトスワローズの歴代投手(中継ぎ)一覧まとめ!

続いて中継ぎ投手の一覧です。最優秀中継ぎのタイトルが創設された1996年からの表になります。05年にホールドポイント(ホールド+救援勝利)が導入されるまでは登板数が一番多い投手を掲載しています。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 ホールドポイント タイトル
1996 松元 繁 51 49 3.20 3 -
1997 加藤 博人 13 60 1.99 5 -
1998 廣田 浩章 14 52 2.56 4 -
1999 山本 樹 45 51 3.38 2 -
2000 五十嵐亮太 53 56 3.11 11 -
2001 山本 樹 45 61 2.93 6 -
2002 石井 弘寿 61 69 1.51 6 -
2003 五十嵐亮太 53 66 3.89 5 -
2004 河端 龍 26 61 3.68 3 -
2005 吉川 昌宏 62 61 3.72 3 23
2006 木田 優夫 42 56 1.44 3 26
2007 木田 優夫 42 63 3.14 1 17
2008 松岡 健一 21 65 1.39 5 34
2009 五十嵐亮太 53 56 3.19 3 32
2010 松岡 健一 21 73 2.64 3 37
2011 押本 健彦 65 65 3.28 3 26
2012 押本 健彦 65 65 3.62 4 26
2013 石山 泰稚 12 60 2.78 3 24
2014 秋吉 亮 14 59 2.28 3 22
2015 オンドルセク 58 72 2.05 5 38
2016 ルーキ 53 69 3.06 6 45
2017 石山 泰稚 12 66 3.03 3 27
2018 近藤 一樹 70 74 3.64 7 42 最優秀中継ぎ
2019 梅野 雄吾 38 68 3.72 2 30
2020 清水 昇 17 52 3.54 0 30 最優秀中継ぎ
 
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1990年代

96年は病気から復帰したサウスポーの松元繁投手が自己最多となる49試合に登板し、97年は同じくサウスポーの加藤博人投手が自己最多の60試合に登板しました。98年は96年オフにダイエーを自由契約となり入団していた廣田浩章投手が野村克也監督に指導で復活し、自己最多だった97年の59登板に次ぐ52登板を果たしました。

99年はサウスポーの山本樹投手が守護神の高津臣吾投手につなぐセットアッパーとして活躍しました。

2000年代

00年代は「ロケットボーイズ」の2人が活躍しました。150キロを超える速球とフォークボールを武器に右の五十嵐亮太投手と左の石井弘寿投手がブルペンを支え、剛速球を投げ込む姿から「ロケットボーイズ」の愛称がつけられました。01年に最多登板を果たした山本投手は石井投手の台頭により登板機会が減少していきました。

五十嵐投手が抑えに回った04年は河端龍投手が61試合に登板しました。ホールドポイントが導入された05年は右サイドスローの吉川昌宏投手、06年からの2年は巨人やオリックス、メジャーリーグで活躍した木田優夫投手を06年に就任した古田敦也監督が積極的に起用し、チームトップのホールドポイント数を記録しました。

08年は五十嵐投手とともに勝利の方程式の一角を担った松岡健一投手が自己最多の65試合に登板し、34ホールドポイントの好成績を残しました。09年はメジャーリーグ挑戦前の最後のシーズンとなった五十嵐投手が32ホールドポイントを記録し、8月には通算500試合登板を達成しました。

2010年代

長年ブルペンを支えた五十嵐投手が海を渡ると松岡投手や日本ハムから08年にトレードで加入していた押本健彦投手が起用され、ホールドポイントを積み上げていきました。

13年はルーキーの石山泰稚投手、14年は同じくルーキーの秋吉亮投手が勝利の方程式の一角を担い、後に抑えに回ることになる2人が活躍しました。石山投手は17年にもチームトップの27ホールドポイントを記録しています。

15年はローガン・オンドルセク投手が72試合に登板してリーグ2位の38ホールドポイントを記録しましたが、翌年シーズン途中に退団し、16年はジョシュ・ルーキ投手が秋吉投手とブルペンを支えました。

オリックスから16年シーズン途中にトレードで移籍してきた近藤一樹投手は18年シーズンに抑えに回った石山投手につなぐ役割を担い、42ホールドポイントでプロ入り17年目にして初のタイトルとなる最優秀中継ぎに輝きました。ベテランだけでなく若手の台頭も目立ち、19年は高卒3年目の梅野雄吾投手がフル回転し、20年は國學院大學から入団して2年目の清水昇投手が30ホールドポイントで最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。清水投手はプロ野球史上初となるプロ未勝利でのタイトルホルダーになりました。

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東京ヤクルトスワローズの歴代投手(抑え)一覧まとめ!

ここではその年一番多くのセーブを記録した投手を掲載しています。

74年からセーブがプロ野球に導入されましたが、導入当初は最終回だけ投げる投手は少なく、ロングリリーフをして結果的にセーブがついているケースが多くありました。また、先発の合間にリリーフをこなす選手もおり、東京ヤクルトスワローズでは90年代はじめまで先発投手の名前が多く登場しました。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 セーブ数 タイトル
1974 石岡 康三 15 32 2.06 6 8
1975 松岡 弘 17 23 2.32 13 6
1976 松岡 弘 17 12 3.32 17 4
1977 松岡 弘 17 23 4.12 9 7
1978 安田 猛 22 26 3.93 15 4
井原 慎一朗 26 54 3.38 10 4
倉田 誠 15 42 4.24 5 4
1979 松岡 弘 17 33 3.96 9 13
1980 井原 慎一朗 26 19 4.65 2 6
1981 神部 年男 11 27 3.54 1 10
1982 尾花 髙夫 32 10 2.60 12 4
1983 尾花 髙夫 32 25 4.69 11 6
1984 尾花 髙夫 32 25 3.45 14 7
1985 尾花 髙夫 32 15 4.39 11 7
1986 中本 茂樹 20 45 3.99 3 6
1987 高野 光 34 24 4.02 7 11
1988 伊東 昭光 18 55 3.15 18 17 最多勝利
1989 内藤 尚行 24 26 2.82 12 8
1990 内藤 尚行 24 16 4.08 10 6
1991 岡林 洋一 15 42 3.97 12 12
1992 内藤 尚行 24 32 3.55 5 10
1993 高津 臣吾 22 55 2.30 6 20
1994 高津 臣吾 22 47 2.86 8 19 最優秀救援
1995 高津 臣吾 22 39 2.61 1 28
1996 高津 臣吾 22 39 3.24 2 21
1997 伊藤 智仁 20 34 1.51 7 19
1998 廣田 浩章 14 52 2.56 4 7
1999 高津 臣吾 22 40 2.18 1 30 最優秀救援
2000 高津 臣吾 22 35 2.08 0 29
2001 高津 臣吾 22 52 2.61 0 37 最優秀救援
2002 高津 臣吾 22 44 3.89 0 32
2003 高津 臣吾 22 44 3.00 2 34 最優秀救援
2004 五十嵐亮太 53 66 2.66 5 37 最優秀救援
2005 石井 弘寿 61 61 1.95 4 37
2006 高津 臣吾 11 48 2.74 1 13
2007 高津 臣吾 22 14 6.17 0 13
2008 林 昌勇 12 54 3.00 1 33
2009 林 昌勇 12 57 2.05 5 28
2010 林 昌勇 12 53 1.46 1 35
2011 林 昌勇 12 65 2.17 4 32
2012 バーネット 34 57 1.82 1 33 最多セーブ
2013 山本 哲哉 20 64 2.87 1 11
2014 バーネット 34 33 3.34 1 14
2015 バーネット 34 59 1.29 3 41 最多セーブ
2016 秋吉 亮 14 70 2.19 3 19
2017 秋吉 亮 14 43 3.35 5 10
2018 石山 泰稚 12 71 2.08 3 35
2019 マクガフ 37 65 3.15 6 11
2020 石山 泰稚 12 44 2.01 3 20
 
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1970年代

導入初年度の74年は石岡康三投手が33試合の登板のうち32試合をリリーフで投げて8セーブを記録し、75年からの3年は先発の柱としてチームを引っ張った松岡弘投手がチーム最多セーブを記録しました。

松岡投手は79年にもチーム最多セーブを記録、78年は松岡投手とともに先発陣の中心だった安田猛投手、リリーフ登板が中心だった井原慎一朗投手倉田誠投手の3人が並びました。

1980年代

井原投手は80年も全登板がリリーフで6セーブをマーク、81年は神部年男投手が抑えで起用され10セーブを記録しました。

82年からの4年はエースとしてチームトップの勝ち星を挙げる活躍をしていた尾花髙夫投手がセーブでもチームトップの数字を残し、87年の高野光投手と89年の内藤尚行投手の2人も先発タイプの投手ながらチーム最多セーブを記録しました。

86年の中本茂樹投手と88年の伊東昭光投手はリリーフ登板のみでチーム最多セーブを記録し、伊東投手は全試合リリーフ登板ながら18勝を挙げ最多勝に輝きました。

1990年代

90年代に入ると分業制が確立されていきました。90年こそ開幕投手を務めた内藤投手が最多セーブ数を記録しましたが、91年の岡林洋一投手は先発登板は3試合だけでリリーフとして42試合に登板して12セーブを記録しました。

92年に内藤投手が10セーブを挙げましたが、翌年から抑えに定着したのは高津臣吾投手でした。野村監督の指示で遅いシンカーを習得し、サイドハンドから切れ味鋭い変化球を駆使して93年に20セーブを記録すると94年には最優秀救援のタイトルに輝きました。その後も守護神として9回のマウンドに上がり99年にも30セーブでタイトルを獲得しました。

高津投手が不調だった97年はスライダーが武器の剛腕・伊藤智仁投手が代理を務め、98年も高津投手は結果を残せず廣田浩章投手がチーム最多セーブを記録しました。

2000年代

高津投手は03年まで抑えを務めて同年オフにメジャーリーグへ挑戦し、04年は五十嵐亮太投手が中継ぎから回り37セーブを挙げて最優秀救援を獲得、翌年は石井弘寿投手が37セーブを挙げました。

06年と07年はメジャーリーグから復帰した高津投手が務め、再び海を渡った08年は韓国球界から林昌勇投手が入団し、来日1年目から33セーブを挙げました。

2010年代

林昌勇投手は毎年安定した成績を残し、11年まで守護神としてチームを支えました。12年は怪我に苦しみ、代わってトニー・バーネット投手が起用され150キロを超えるストレートを武器に33セーブを記録して最多セーブに輝きました。

13年はバーネット投手が怪我で離脱したため山本哲哉投手が抑えに回り、14年からは再びバーネット投手が9回のマウンドに上がり15年に2回目の最多セーブを獲得しました。

15年シーズン限りでバーネット投手が退団すると中継ぎの秋吉亮投手が回り、秋吉投手が打ち込まれるシーンが多かった18年は石山泰稚投手、19年はスコット・マクガフ投手、20年は再び石山投手が務めており、21年も石山投手が抑えを務めることが有力視されています。

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【東京ヤクルトスワローズ】歴代投手の年俸ランキング!歴代最高年俸は林昌勇投手の3億6000万円!

ここでは東京ヤクルトスワローズの歴代投手を年俸で順位付けしてみました。投手の年俸は先発投手が高くなる傾向がありますが、東京ヤクルトスワローズのトップにはリリーフ投手がランクインしました。なお、ランキングに採用した年度についてはチームトップの成績を残した年度となっています。

順位 年度 選手名 年俸 防御率 勝利数 登板数
1 2011 林 昌勇 3億6000万円 2.17 4 65
2 2006 石井 一久 2億4000万円 3.44 11 28
3 2016 石川 雅規 2億0000万円 4.47 8 20
4 2012 館山 昌平 1億9000万円 2.25 12 24
5 2015 T.バーネット 1億8600万円 1.29 3 59

1位は林昌勇投手で、2011年の3億6000万円が歴代最高年俸となりました。来日1年目の08年から守護神として起用され33セーブをマーク、最高年俸となった11年も33セーブを記録しました。

2位は06年の石井一久投手2億4000万円です。メジャーリーグから復帰したこの年はローテーションをシーズン通して守り、11勝を挙げる活躍を見せて古田敦也監督の期待に応えました。

3位は石川雅規投手です。プロ1年目から先発の一員として起用され、小柄ながら抜群の制球力で毎年安定した成績を残し、12年に年俸は2億円に到達しました。一度年俸はダウンしたものの16年に再び2億円になり、この年は小川投手とともにチームトップの勝ち星を挙げましたが2桁には届かず8勝に終わりました。

4位は12年の館山昌平投手。石川投手とともに00年代半ばから東京ヤクルトスワローズを牽引し、11年シーズンオフに年俸は自己最高の1億9000万円に到達しました。迎えた12年も防御率2.25でチームトップの12勝をマークするなどローテーションの中心として活躍しました。

5位にランクインしたのはリリーフとして活躍したトニー・バーネット投手です。来日2年目の12年からリリーフに回ると安定した成績を残し続け、14年は2度の怪我で離脱したものの同年オフに1億8600万円になりました。15年は41セーブを記録して最多セーブに輝き、同年限りで退団しメジャーリーグへ復帰しました。

 

私が思う最強の東京ヤクルトスワローズの歴代投手は金田正一投手!

東京ヤクルトスワローズでは数々の名投手が登場して結果を残していますが、歴代最強の投手は「カネヤン」こと金田正一投手だと考えます。

ここで、金田正一投手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手
生年月日:1933年8月1日
身長:184cm
出身:愛知県
最終学歴:大曽根中学校
血液型:B型

1933年(昭和8年)8月1日生まれ、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身。名古屋電機学校から享栄商業高校に転入し、高校3年の夏の県大会敗退後に中退し、当時の国鉄スワローズに入団しました。

途中入団となった1年目に早速デビューすると翌年からは先発の一角を担いました。国鉄スワローズに在籍した15年で防御率2.34、353勝、344完投を記録しています。55年には62登板で投球回数が400イニングに達するなど鉄腕ぶりを発揮し、チームの創成期を支えました。

剛速球と打者の頭の高さから落ちる落差の大きいカーブを武器に活躍し、15年で最多勝3回、最優秀防御率3回、表彰はなかったもののリーグトップの奪三振数を10回記録し、最高の投手に贈られる沢村賞を3回受賞しています。

巨人に移籍してからも各成績を積み上げ、通算400勝と365完投、4490奪三振が球界トップである金田正一投手が東京ヤクルトスワローズ史上歴代最強の投手と言えるでしょう。

金田正一の凄さがわかる名言・語録集!天才投手の努力論や人生哲学まで迫ってみた!

 

東京ヤクルトスワローズの歴代投手に関する豆知識

東京ヤクルトスワローズでは数々の名投手がマウンドに上がり、ファンを熱狂させてきましたが、90年代に活躍した伊藤智仁投手もその1人です。

伊藤智仁の凄さがわかる名言・語録集!悲劇の天才投手の伝説エピソードから人生哲学まで

92年のドラフト会議で3球団競合の末、1位でヤクルトスワローズに入団し、1年目から7勝を挙げ新人王に輝きました。150キロを超えるストレートと肩の可動域の広さから投じることのできた真横に曲がる高速スライダーを武器にセリーグの強打者を打ち取っていきました。

しかし伊藤投手はルーズショルダーの持病があり、投球回数が増えると故障するリスクが増えていきます。実際に93年は5月に延長12回で193球を投げるなどした結果、7月中旬に右肘の故障で離脱、ルーズショルダーの影響もあり96年5月まで一軍で登板することはありませんでした。

97年には抑えで起用され、19セーブを挙げてカムバック賞を受賞しますが、1年目に痛めた右肘と持病のルーズショルダーに悩まされ、通算37勝と思うような成績が残せず03年限りで引退しました。

伊藤投手について入団当初から積極的に起用した野村克也監督は、18年のテレビ番組で自身が登板させすぎて故障させてしまったのではないかと責任を感じていると謝罪しましたが、伊藤投手は先発として最後まで投げ抜くことが使命だと思うから気にしていないと語っていました。

野村克也監督の名言!苦労人の努力やリーダー論など人生哲学に迫る

 

まとめ

・東京ヤクルトスワローズの先発投手は金田正一投手や松岡弘投手、石川雅規投手が多くのシーズンでチーム勝ち頭だった。

・中継ぎでは五十嵐亮太投手や松岡健一投手、抑えでは高津臣吾投手や林昌勇投手がチームトップの成績を複数シーズンで記録している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、11年シーズンの林昌勇投手の3億6000万円。

・金田投手は在籍した15年で353勝を挙げて344完投を記録し、通算記録でもプロ野球トップに君臨する東京ヤクルトスワローズ歴代最強の投手である。

 

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