つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

オリックス

オリックス・バファローズの歴代投手(エース)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

2024/02/03

歴史に名を残す名投手がマウンドに上がってきたオリックス・バファローズ。

今回はオリックス・バファローズに所属した歴代投手をリサーチして、最強の投手(エース)についてご紹介します。

それでは早速チェックしていきましょう!!

スポンサーリンク

 

オリックス・バファローズの歴代投手(エース)一覧まとめ!

1950年以降、そのシーズンの主な先発・中継ぎ・抑えの選手を一覧表にしてみました。

まずは先発から見てみましょう。そのシーズンで先発登板があり、最も多く勝ち星を挙げた投手を掲載しています。

オリックス・バファローズの歴代投手(先発)一覧まとめ!

選手名 背番号 先発登板 防御率 勝利数 投球回 完投数 タイトル
1950 天保 義夫 19 37 3.68 18 328 21
1951 阿部 八郎 14 36 2.79 12 254.2 14 最多奪三振
1952 ニューベリー 23 20 3.22 11 206.1 10
1953 柴田 英治 12 27 3.04 17 209.2 8
1954 梶本 隆夫 33 31 2.73 20 309.1 17
1955 梶本 隆夫 33 34 2.86 18 273.1 19
1956 梶本 隆夫 33 33 2.25 28 364.1 20 最多奪三振、ベストナイン
1957 梶本 隆夫 33 33 1.92 24 337.1 26 最多奪三振
1958 米田 哲也 18 36 2.12 23 305.2 25
1959 米田 哲也 18 34 2.11 18 331.1 20
1960 米田 哲也 18 33 2.73 22 306.2 20
1961 梶本 隆夫 33 31 2.80 17 269.2 17
1962 米田 哲也 18 30 3.23 20 261.2 10 最多奪三振
1963 石井 茂雄 20 27 2.92 17 256 11
1964 石井 茂雄 20 33 2.85 28 325 18
1965 石井 茂雄 20 34 2.83 21 302 18
1966 米田 哲也 18 36 3.19 25 310 18 最多勝利
1967 足立 光宏 16 29 1.75 20 268 17 最優秀防御率、MVP、ベストナイン
1968 米田 哲也 18 43 2.79 29 348.2 22 MVP
1969 梶本 隆夫 33 18 2.97 18 187.2 9
1970 米田 哲也 18 31 3.57 16 236.2 12
石井 茂雄 20 33 3.22 16 229.1 13
1971 山田 久志 17 31 2.37 22 270 16 最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン
1972 山田 久志 17 27 3.08 20 231 15 最多勝利、ベストナイン
1973 山田 久志 17 26 3.57 15 207.1 12
米田 哲也 18 23 2.47 15 175.1 11 最優秀防御率
1974 水谷 孝 15 16 2.91 11 136 4
山田 久志 17 7 3.05 11 130 4
米田 哲也 18 24 4.26 11 130.2 2
1975 山口 高志 14 22 2.93 12 203 18 新人王、日本シリーズMVP
山田 久志 17 25 4.32 12 198 16
1976 山田 久志 17 27 2.39 26 259.2 23 最多勝利、最高勝率、MVP、ベストナイン
1977 稲葉 光雄 18 25 2.45 17 190.2 9 最高勝率
1978 山田 久志 17 25 2.66 18 219.2 20 最高勝率、MVP、ダイヤモンドグラブ賞
1979 山田 久志 17 27 2.73 21 237 20 最多勝利、最高勝率、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1980 山田 久志 17 22 2.96 13 200.2 18
1981 今井雄太郎 21 31 3.73 19 231.1 15 最多勝利
1982 山田 久志 17 25 3.10 16 218 17 ダイヤモンドグラブ賞
1983 山沖 之彦 12 30 3.48 15 233 16 最多奪三振
今井雄太郎 21 30 4.10 15 200 11
1984 今井雄太郎 21 29 2.93 21 218 19 最多勝利、最優秀防御率、ベストナイン
1985 佐藤 義則 11 34 4.29 21 260.1 23 最多勝利
1986 山田 久志 17 28 3.81 14 210.1 15
佐藤 義則 11 20 2.83 14 162 13 最優秀防御率
1987 山沖 之彦 12 31 2.75 19 245.1 15 最多勝利
1988 星野 伸之 28 27 3.06 13 209 16
佐藤 義則 11 25 3.22 13 195.2 14
1989 星野 伸之 28 27 3.48 15 194 11 最高勝率
1990 星野 伸之 28 27 4.02 14 190.1 10
1991 星野 伸之 28 25 3.53 16 193.2 9
1992 星野 伸之 28 25 3.62 13 196.2 16
1993 野田 浩司 21 26 2.56 17 225 4 最多勝利、ゴールデングラブ賞
1994 野田 浩司 21 27 4.24 12 193 2
1995 長谷川滋利 17 23 2.89 12 171 9
1996 星野 伸之 28 22 3.05 13 144.2 6 最高勝率
1997 星野 伸之 28 29 3.24 14 202.2 9
1998 小林 宏 22 18 3.59 10 133 1
1999 星野 伸之 28 26 3.85 11 156.2 4
川越 英隆 20 25 2.85 11 177 8
金田 政彦 15 29 3.49 11 188 4
2000 小倉 恒 27 3 2.98 9 105.2 0
2001 加藤 伸一 1 26 3.69 11 168.1 2
2002 小倉 恒 27 15 3.50 7 100.1 1
2003 具臺晟 15 19 4.99 6 113.2 0
2004 川越 英隆 20 20 4.17 7 144.2 3
2005 JP 25 28 3.51 14 200 5
2006 デイビー 6 24 2.62 10 165 4
2007 デイビー 6 26 3.21 8 162.2 2
平野 佳寿 16 26 3.72 8 171.2 2
2008 小松 聖 28 22 2.51 15 172.1 3 新人王
2009 金子 千尋 19 21 2.57 11 171.2 5
2010 金子 千尋 19 29 3.30 17 204.1 7 最多勝利
2011 寺原 隼人 20 25 3.06 12 170.1 7
2012 西 勇輝 21 19 2.78 8 123 2
2013 金子 千尋 19 29 2.01 15 223.1 10 最多奪三振
2014 金子 千尋 19 26 1.98 16 191 4 最多勝利、最優秀防御率、沢村賞、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2015 西 勇輝 21 24 2.38 10 162.2 3
東明 大貴 26 25 3.35 10 161.1 2
2016 西 勇輝 21 26 4.14 10 165.1 2
2017 金子 千尋 19 27 3.47 12 184.1 6
2018 西 勇輝 21 25 3.60 10 162.1 0
2019 山岡 泰輔 13 26 3.71 13 170 2 最高勝率
2020 山本 由伸 18 18 2.20 8 126.2 1 最多奪三振
2021 山本 由伸 18 26 1.39 18 193.2 6 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2022 山本 由伸 18 26 1.68 15 193 4 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2023 山本 由伸 18 23 1.21 16 164 2 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
スポンサーリンク

 

1950年代

戦前から在籍していた天保義夫投手は戦時中の勤務の際に負った指の欠損というハンデを乗り越え50年に18勝を挙げ、51年は3年目の阿部八郎投手が12勝を記録しましたが、どちらも黒星が先行する結果となりました。52年はジミー・ニューベリー投手が11勝、53年は柴田英治投手が前年に続いて17勝を記録してチームの勝ち頭でした。

54年に入団した梶本隆夫投手は1年目で開幕投手に抜擢されて20勝を記録しましたが新人王を逃し、55年18勝、56年28勝、57年24勝と多くの白星を積み重ねましたが、タイトルは56年のベストナインのみで、最多勝にはあと一歩届かないシーズンが続きました。

その梶本投手とWエースとしてチームを牽引したのは56年に入団していた米田哲也投手で、落ちるボールを武器に58年には23勝を挙げました。

1960年代

60年は米田投手、61年は梶本投手、62年は再び米田投手がチームトップの勝利数を記録し、米田投手が14勝を挙げた63年は前年の4勝から一気に勝ち星を伸ばした石井茂雄投手がトップでした。石井投手は翌年に28勝を記録しましたが、最多勝には2勝届かず、阪急からなかなか最多勝投手が誕生しませんでした。

66年に米田投手が25勝を挙げて初めて最多勝を獲得、この年は通算200勝を達成しました。

梶本投手、米田投手、石井投手とともにローテーションを支えた足立光宏投手は67年に最優秀防御率とMVPとベストナインを受賞、68年は米田投手がMVPに選出される活躍を見せました。

1970年代

50年代からエースとして君臨してきた梶本投手と米田投手ですが、70年代に入ると衰えが見え始め、代わって台頭したのは68年にドラフト1位で入団していたアンダースローの山田久志投手でした。

3年目の71年に22勝、防御率2.37の好成績を収めて最優秀防御率と最高勝率に加えてベストナインを受賞、翌72年も20勝を挙げて最多勝2年連続となるベストナインに選出されました。

73年は最優秀防御率のタイトルを獲得した米田投手と、74年は7試合の先発ながら勝ち星を重ねた水谷孝投手米田投手と同数となる11勝を挙げました。

リリーフに回っていた山田投手が先発に戻り12勝を記録した75年はプロ1年目の山口高志投手も12勝を記録して新人王を獲得、同年の日本シリーズでは6試合中5試合に登板して日本シリーズMVPに輝きました。

山田投手は76年と79年に最多勝を獲得、76年と78年にはMVPを受賞する等エースとして抜群の成績を残し、76年オフに中日からトレードで加入した稲葉光雄投手も移籍1年目の77年に17勝を記録して最高勝率のタイトルを獲得しました。

1980年代

山田投手は75年から86年まで12年連続で開幕投手を務め、80年代もエースとして登板を続け、80年代も3回チームトップの勝ち星を挙げました。その山田投手とともに先発ローテーションを支えたのは81年と84年に最多勝を獲得した重いストレートが武器の今井雄太郎投手、先発とリリーフエースを兼任した年もあり、先発としては87年に最多勝に輝いた山沖之彦投手、82年と83年はチーム最多セーブを挙げ、84年から先発に回り2年目の85年に21勝を記録して最多勝を獲得した佐藤義則投手でした。

山田投手が引退を決意した88年に佐藤投手と投手陣を牽引したのは高卒5年目の星野伸之投手で、球速は速くありませんでしたが大きなスローカーブを決め球とした緩急自在なピッチングで13勝を挙げ、翌年は最高勝率のタイトルを獲得しました。

1990年代

コンパクトなフォームから球速以上に感じるストレートとスローカーブを駆使してエースの座を掴んだ星野投手は91年には16勝を挙げる等、88年から5年連続でチーム最多勝を記録しました。

93年は阪神からトレードで加入した野田浩司投手がエース級の働きを見せて17勝を挙げ最多勝を獲得、鋭く落ちるフォークを操り翌年は1試合17奪三振のプロ野球タイ記録(95年には1試合19奪三振の新記録)を達成しました。

95年は91年に新人王を獲得していた長谷川滋利投手がチームトップとなる12勝を挙げ、96年は再び星野投手が最高勝率のタイトルを獲得しました。

星野投手が6勝に終わった98年は小林宏投手がシーズン途中でリリーフから先発に回り、自身初となる二桁勝利を記録しました。

2年連続3位となった99年は星野投手、98年のドラフト2位で入団した川越英隆投手、プロ7年目のサウスポー・金田政彦投手がそれぞれ11勝をマークしました。

2000年代

00年代に入ると3年連続最下位を含む8年連続Bクラスとチームは低迷し、苦しいシーズンが続きました。チーム最多勝も二桁に届かないシーズンがあり、01年の加藤伸一投手は11勝を記録しましたが、00年と02年の小倉恒投手、03年の韓国出身のサウスポー・具臺晟投手、04年の川越投手は10勝未満の勝ち星にとどまりました。

「JP」の登録名でプレーし、近鉄時代の01年に最多勝を獲得した経験のあるジェレミー・パウエル投手は04年オフの球団合併の際にオリックスに移り、05年は14勝を挙げましたが同年オフに巨人へ移籍しました。

06年は03年から広島で3年間プレーした後、加入したトム・デイビー投手移籍1年目で10勝を記録、翌年はプロ2年目だった平野佳寿投手とともに8勝を挙げて2年連続でチームトップの勝ち星を記録しました。

06年のドラフト会議において希望入団枠で入団しながらプロ1年目は8試合の登板に終わった小松聖投手は2年目の07年に15勝を挙げ、防御率も2.51と安定した投球を披露して新人王を獲得しました。

08年に開幕投手を務めた金子千尋投手は09年に初めて1年間を通して先発ローテーションの一角を担い、11勝を挙げました。

2010年代

10年に2年ぶりとなる開幕投手を務めた金子投手はこの年17勝を挙げてホークスの和田毅投手と最多勝のタイトルを分け合い、10年代は13年に15勝を挙げて最多奪三振のタイトルに輝き、14年に16勝をマークして最多勝、最優秀防御率、チーム初となる沢村賞、リーグ2位ながらMVPを受賞しました。

10年オフにベイスターズからトレードで加入した寺原隼人投手はベイスターズ時代の07年以来となる二桁勝利を11年に記録、翌12年は高卒4年目の西勇輝投手が奮闘し、10月に平成生まれ初となるノーヒットノーランをホークスの小久保裕紀選手の引退試合で達成しました。西投手は15年に東明大貴投手とともにチームトップの勝ち星を挙げ、16年と18年もチーム最多の勝利数を記録しました。

19年に開幕投手を務めた山岡泰輔投手は鋭く変化する縦スライダーを武器に13勝4敗を記録して最高勝率のタイトルを獲得、同年防御率1.95を記録して最優秀防御率のタイトルを獲得していた山本由伸投手は20年に最多奪三振のタイトルに輝くと21年からは他を寄せ付けない圧巻のピッチングを披露し、史上初となる3年連続での投手四冠、65年ぶり2人目となる3年連続での沢村賞、史上3人目となる3年連続でのMVP受賞に加えて、23年には戦後初となる2年連続でノーヒットノーランを達成しました。

最速159キロのストレートを中心にどの球種もトップレベルの多彩な変化球を投げ分け、23年にはパリーグ歴代2位となる驚異の防御率1.21を記録、東京オリンピックやWBCでも活躍した日本球界を代表するエースは23年オフに海を渡ることが決定しました。

スポンサーリンク

 

オリックス・バファローズの歴代投手(中継ぎ)一覧まとめ!

続いて中継ぎ投手の一覧です。最優秀中継ぎのタイトルが創設された1996年からの表になります。05年にホールドポイント(ホールド+救援勝利)が導入されるまでは登板数が一番多い投手を掲載しています。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 ホールドポイント タイトル
1996 野村 貴仁 15 54 2.86 4 -
1997 水尾 嘉孝 12 68 2.26 1 -
1998 水尾 嘉孝 12 55 1.89 3 -
1999 鈴木 平 43 42 3.98 5 -
2000 高橋 功一 41 48 4.97 2 -
2001 嘉勢 敏弘 28 70 3.21 2 -
2002 山口 和男 14 41 2.50 2 -
2003 萩原 淳 42 41 6.90 1 -
2004 歌藤 達夫 12 53 5.60 2 -
2005 菊地原 毅 43 71 1.38 3 36 最優秀中継ぎ
2006 菊地原 毅 43 45 3.44 1 23
2007 本柳 和也 34 49 3.21 3 18
2008 菊地原 毅 43 55 2.98 3 22
2009 香月 良太 17 64 4.18 3 23
2010 平野 佳寿 16 63 1.67 7 39
2011 平野 佳寿 16 72 1.94 6 49 最優秀中継ぎ
2012 平野 佳寿 16 70 2.15 7 28
2013 佐藤 達也 15 67 1.73 2 42 最優秀中継ぎ
2014 佐藤 達也 15 67 1.09 6 48
2015 岸田 護 18 50 2.56 4 19
2016 吉田 一将 14 54 2.66 5 26
2017 黒木 優太 54 55 4.22 6 31
2018 山本 由伸 43 54 2.89 4 36
2019 近藤 大亮 20 52 3.44 4 26
2020 ヒギンス 52 41 2.40 3 22
山田 修義 57 48 3.89 4 22
2021 ヒギンス 52 49 2.53 1 29
2022 阿部 翔太 45 44 0.61 1 23
2023 山崎颯一郎 63 53 2.08 1 28
スポンサーリンク

 

1990年代

90年代はサウスポーの活躍が光りました。球威のあるストレートを武器にセットアッパーを務めた野村貴仁投手が96年に54試合に登板、クロスファイヤー気味に投球した水尾嘉孝投手は97年に68試合に登板し、翌98年は防御率1.89の好成績を残しました。

99年は96年にチーム最多セーブを記録した右のサイドスロー・鈴木平投手がチームトップとなる42試合に登板しました。

2000年代

00年代に入ると異色の経歴を持つ投手の奮闘が目立ち、制球難を克服した高橋功一投手は00年に自己最多となる48試合の登板を果たしましたが同年肩を痛めて翌年の登板はゼロに終わりました。

01年に70試合に登板した嘉勢敏弘選手は外野手として94年のドラフト会議で1位指名を受けて入団していましたが、97年に2試合に登板、その後2年間の登板はゼロで00年に本格的にピッチャーに転向していきなり70試合に登板しました。

02年は最速158キロを誇る山口和男投手が41試合に登板、03年は内野手として入団しながら9年間で結果が残せず00年シーズン途中にピッチャーへ転向した萩原淳投手が41試合に登板したものの防御率は6.90でした。

04年はルーキーの歌藤達夫投手が53試合に登板し、ホールドポイントが導入された05年は前年オフに広島からトレードで移籍してきた菊地原毅投手が安定した投球を披露して最優秀中継ぎのタイトルに輝きました。

菊地原投手は06年と08年もチームトップのホールドポイントを記録、07年からリリーフに専念した本柳和也投手や08年からセットアッパーを務めた香月良太投手といった社会人出身のピッチャーの好投も光りました。

2010年代

10年に先発から中継ぎに回った平野佳寿投手は落差の大きいフォークを武器に短いイニングで実力を発揮し、11年に最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。

平野投手が抑えに回った13年は最速155キロの剛球右腕・佐藤達也投手最優秀中継ぎを獲得し、翌14年は防御率1.09を記録しました。

15年に佐藤投手が抑えに移ると佐藤投手と同じく速いストレートで押す岸田護投手が19ホールドポイントを記録、16年は13年のドラフト1位だった吉田一将投手が自己最多となる54試合に登板しました。

17年はルーキーながらセットアッパーを任された黒木優太投手、18年はプロ2年目だった山本由伸投手がセットアッパーを担い、19年は4年目の近藤大亮投手が26ホールドポイントを記録する等、プロ年数の浅いピッチャーの活躍がありました。

新型コロナウイルスでシーズンが短縮された20年はタイラー・ヒギンス投手とサウスポーの山田修義投手が中継ぎ陣を支え、ヒギンス投手は21年もチームトップとなる29ホールドポイントを記録してリーグ優勝に貢献しました。

22年は20年のドラフト6位指名を受けて球団新人最年長となる28歳で入団していた阿部翔太投手が44試合の登板で防御率0.61と好成績を記録、23年は山崎颯一郎投手がリリーフエースとして登板を重ね、チームのリーグ三連覇の原動力となりました。

スポンサーリンク

 

オリックス・バファローズの歴代投手(抑え)一覧まとめ!

ここではその年一番多くセーブを記録した投手を掲載しています。

74年からセーブがプロ野球に導入されましたが、抑え専門で登板する投手は少なく、ロングリリーフをして結果的にセーブがついているケースが多くありました。また、先発の合間にリリーフをこなす選手もおり、そのため登板数に比べて投球回数が多い選手が多くいました。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 セーブ数 タイトル
1974 山田 久志 17 34 3.05 11 11
1975 山田 久志 17 6 4.32 12 2
1976 山口 高志 14 16 2.82 12 9
1977 山口 高志 14 29 3.05 10 11
1978 山口 高志 14 40 2.78 13 14 最優秀救援
1979 山口 高志 14 16 1.97 1 6
1980 今井雄太郎 21 9 5.95 8 3
山口 高志 14 16 5.14 1 3
1981 関口 朋幸 15 41 4.46 6 12
1982 佐藤 義則 11 39 2.49 4 13
1983 佐藤 義則 11 32 4.12 1 16
1984 山沖 之彦 12 44 4.10 11 15
1985 山沖 之彦 12 21 4.83 7 6
1986 アニマル 50 42 2.63 5 19
1987 アニマル 50 18 4.08 2 5
1988 山内 嘉弘 14 29 2.27 4 11
1989 山内 嘉弘 14 39 3.24 4 12
1990 伊藤 隆偉 26 45 4.72 1 6
1991 佐藤 義則 11 21 4.22 3 8
1992 伊藤 隆偉 26 27 2.98 2 6
1993 伊藤 隆偉 26 33 2.31 1 16
1994 渡辺 伸彦 47 37 1.96 3 11
1995 平井 正史 33 53 2.32 15 27 最高勝率、最優秀救援、新人王
1996 鈴木 平 43 55 2.43 7 19
1997 小林 宏 22 53 2.56 7 15
1998 木田 優夫 20 23 4.62 4 16
1999 小倉 恒 27 46 2.17 5 11
2000 小倉 恒 27 45 2.98 9 10
2001 大久保勝信 35 53 2.68 7 14 新人王
2002 大久保勝信 35 28 3.95 1 10
萩原 淳 42 48 2.64 3 10
2003 加藤 大輔 14 40 5.17 4 9
2004 山口 和男 18 40 3.80 3 17
2005 大久保勝信 35 39 1.60 2 22
2006 大久保勝信 35 36 4.67 0 15
2007 加藤 大輔 15 63 2.59 3 26
2008 加藤 大輔 15 63 3.29 2 33 最多セーブ
2009 加藤 大輔 15 48 5.23 4 13
2010 岸田 護 18 51 3.27 6 12
2011 岸田 護 18 68 2.61 5 33
2012 岸田 護 18 52 2.42 4 18
2013 平野 佳寿 16 60 1.87 2 31
2014 平野 佳寿 16 62 3.43 1 40 最多セーブ
2015 佐藤 達也 15 59 3.22 2 13
2016 平野 佳寿 16 58 1.92 4 31
2017 平野 佳寿 16 58 2.67 3 29
2018 増井 浩俊 17 63 2.49 2 35
2019 増井 浩俊 17 53 4.83 1 18
ディクソン 32 37 3.03 2 18
2020 ディクソン 32 39 3.28 0 16
2021 平野 佳寿 16 46 2.30 1 29
2022 平野 佳寿 16 48 1.57 3 28
2023 平野 佳寿 16 42 1.13 3 29
スポンサーリンク

 

1970年代

オリックス・バファローズでもセーブ導入当初は先発の合間にリリーフをこなす投手がおり、75年の山田久志投手や76年と77年の山口高志投手は先発として10試合以上に登板していました。

一方で74年の山田投手の先発登板は7試合のみ、78年に14セーブを挙げて最優秀救援のタイトルを獲得した山口投手は2試合の先発登板であり、分業制へと野球界の意識が変わっていったこともうかがえます。

1980年代

80年代に入るとリリーフ専門投手が現われ、80年はリリーフ専任だった山口投手と並び先発の今井雄太郎選手が3セーブを挙げましたが、81年の関口朋幸選手はすべてリリーフでの登板、82年と83年にチーム最多セーブを記録した佐藤義則投手は2年間の先発登板が1試合のみでした。

83年に先発の柱としてチーム最多勝となる15勝を挙げていた山沖之彦投手は84年にリリーフ中心で登板して15セーブを記録、メジャーリーグでの登板経験のあったアニマル・レスリー投手は喜怒哀楽を全面に出した投球スタイルで人気を博し、来日1年目の86年に19セーブをマークしました。

チーム名が阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスとなった88年は、前年のドラフト会議で2位指名を受けて入団した山内嘉弘投手がフォークボールを武器に活躍しました。

1990年代

90年代前半はセーブ数が一桁の投手が多く、フォークボールで奪三振率の高かった伊藤隆偉投手や先発も務めた佐藤投手がチームトップのセーブ数を記録しました。伊藤投手は93年に16セーブを記録、94年は阪神からトレードで移籍してきた渡辺伸彦投手が11セーブを挙げる活躍を見せました。

伊藤投手が先発に回り、渡辺投手が中継ぎに回った95年に驚きの活躍を見せたのが高卒2年目の平井正史投手でした。この年は53試合全てリリーフで登板し、最速157キロのストレートとフォークボールで打者を打ち取り、15勝5敗27セーブを記録して抑えながら最高勝率のタイトルを獲得最優秀救援と新人王にも輝きました。96年は前年の反動からか不調に陥り、抑えを鈴木平投手に譲り、鈴木投手は19セーブを記録しました。

97年は小林宏投手が抑えを務めて15セーブを挙げ、小林投手が先発に回った98年は同年に巨人からトレードで加入した木田優夫投手が16セーブを記録しましたがオフにFA権を行使してメジャーリーグに挑戦、99年は前年12登板だった小倉恒投手がプロ7年目で自己最多となる48試合に登板して、5試合連続セーブを記録する等11セーブを挙げました。

2000年代

ストレートが速くてフォークボールを武器としたピッチャーが活躍した00年代はチームの低迷期であり、セーブ数がそれほど伸びないシーズンが多くありました。

00年の小倉投手は抑えながらチーム最多勝(9勝)を記録、01年はシーズン途中からルーキーの大久保勝信投手が抑えに定着し、14セーブを挙げて新人王に輝きました。

大久保投手は02年も投手経験なしで内野手から転向した異色の経歴を持つ萩原淳投手と並びチーム最多セーブを記録しましたが、03年に右肘を手術して約2シーズン離脱、大久保投手が不在だった03年と04年は力強いストレートを放つ加藤大輔投手と中継ぎ経験豊富な山口和男投手が抑えを務めました。

05年は大久保投手が抑えに復帰して防御率1.60で22セーブを挙げて復活を果たしましたが、翌年15セーブを記録したものの右肩痛で離脱しました。

大久保投手は07年に中継ぎに回り、中継ぎとして奮闘していた加藤投手が配置転換され、独特の軌道を描くナックルカーブを駆使して08年には最多セーブを獲得しました。

2010年代

09年にリリーフ失敗が目立った加藤投手に代わって、先発から移り10年から3年間抑えで起用された岸田護投手は10年の交流戦でプロ初セーブを記録、セットアッパーを務めた平野佳寿投手とのコンビで試合を締め、3年間で63セーブを挙げました。

岸田投手が先発再転向を目指した13年は平野投手がセットアッパーから抑えに昇格、いきなり31セーブを記録すると翌年は当時のパリーグ新記録となる40セーブをマークして最多セーブに輝きました。15年は失敗が目立ち佐藤達也投手に抑えを譲りましたが、16年に31セーブを挙げて復活、17年も29セーブを記録して同年オフにFA権を行使してメジャーリーグに挑戦しました。

平野投手の穴を埋めたのは日本ハムで中継ぎ・抑えとして活躍し、FAで入団した増井浩俊投手でした。増井投手は移籍1年目で35セーブを記録、18年には史上4人目となる12球団からすべてからセーブを挙げる等活躍を見せ、19年シーズン途中まで抑えを務めました。不調に陥った増井投手に代わり13年から先発ローテーションの一角を担っていたブランドン・ディクソン投手がシーズン途中から抑えに回り、安定した投球を披露して増井投手と並ぶ18セーブを挙げ、翌年もチームトップのセーブ数を記録しました。

21年はメジャーリーグで150試合に登板した平野投手がチームに復帰、毎年30セーブ近い数字を残して、21年からの三連覇に大きく貢献、23年10月には日米通算250セーブを記録して名球会入りを果たし、プロ野球通算でも250セーブまであと8に迫り、24年シーズンを迎えます。

スポンサーリンク

 

【オリックス・バファローズ】歴代投手の年俸ランキング!歴代最高年俸は山本由伸投手の6億5000万円!

ここではオリックス・バファローズの歴代投手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は先発・中継ぎ・抑えとしてチームトップの成績を残したシーズンの数字を記載しています。

投手の年俸は先発投手が高くなる傾向がありますが、オリックス・バファローズのトップ5にはリリーフ投手の方が多くランクインしました。

順位 年度 選手名 年俸 防御率 勝利数 登板数
1 2023 山本 由伸 6億5000万円 1.21 16 25
2 2017 金子 千尋 5億0000万円 3.47 12 27
3 2016 平野 佳寿 3億0000万円 1.92 4 58
3 2018 増井 浩俊 3億0000万円 2.49 2 63
5 2019 B.ディクソン 2億1800万円 3.03 2 37

1位は山本由伸投手で、メジャーリーグ挑戦前最後のシーズンとなった23年の6億5000万円が歴代最高年俸となりました。21年から2シーズン続けて投手四冠を達成した絶対無敵のエースは最高年俸でプレーした23年も史上初となる3年連続での投手四冠、65年ぶり2人目となる3年連続での沢村賞、史上3人目となる3年連続でのMVP受賞等、圧倒的な成績を残して海を渡ることになりました。

2位は17年の金子千尋投手5億円です。00年代後半からエースとしてチームを牽引し、10年と14年に最多勝に輝いた技巧派投手は17年も自身7回目となる二桁勝利を記録しました。

3位は2人が並び、1人目は16年の平野佳寿投手です。先発、セットアッパーを経て13年から守護神を務め、15年に年俸は3億円に到達しましたが、不調で配置転換を経験する等苦しいシーズンとなり、同額で迎えた16年は守護神に返り咲き、防御率1.92で31セーブを挙げました。

同じく3位は18年の増井浩俊投手でした。日本ハムで中継ぎ・抑えとして活躍していた実力者は17年オフにメジャーリーグに挑戦した平野投手の穴を埋めるべくFAで獲得、移籍1年目の18年は63試合に登板して35セーブを記録する活躍を見せました。

5位は19年に2億1800万円でプレーしたブランドン・ディクソン投手。13年に来日してから先発ローテーションの一角を担っていましたが、19年シーズン途中に不振の増井投手に代わって抑えを務め、18セーブを記録してチームの窮地を救いました。

スポンサーリンク

 

私が思う最強のオリックス・バファローズの歴代投手は山本由伸投手!

昭和、平成、令和とそれぞれの時代で絶対的エースが誕生したオリックス・バファローズで、歴代最強の投手は令和のプロ野球を代表する名投手となった山本由伸投手だと考えます。

ここで、山本由伸投手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1998年8月17日
身長:178cm
出身:岡山県
最終学歴:都城高校
血液型:AB型

1998年(平成10年)8月17日生まれ、岡山県備前市出身。2016年のドラフト会議で4位指名を受けて、都城高校からオリックス・バファローズに入団しました。

プロ1年目の春先から二軍で好投を見せ、8月に先発で一軍デビューを果たし、同月プロ初勝利を記録しました。先発ローテーション入りを期待されたプロ2年目はチーム事情から中継ぎに回り、シーズン途中からセットアッパーを務め、パリーグ歴代3位となる15試合連続ホールドポイントを記録する等、54試合で36ホールドポイントを挙げました。

プロ3年目から先発に定着し、2年続けて8勝を記録、先発定着1年目だった19年は防御率1.95の好成績を残して最優秀防御率に輝きました。プロ5年目の21年には18勝を挙げて初となる最多勝を獲得、防御率1.39で2回目の最優秀防御率に加えて2回目の最多奪三振初の最高勝率を手にして投手四冠に輝きました。

最速159キロのストレートとすべてがトップレベルの多彩な変化球を腕の振りがコンパクトで踏み込んだ左足を突っ張る独特なフォームから投げ分けて相手打者を翻弄、22年と23年にノーヒットノーラン(戦後史上初となる2年連続)を達成し、23年にはプロ野球史上初となる連続での投手四冠を3年に伸ばす等、圧倒的な成績を残し続けました。

プロ通算7年間で132試合に登板、防御率1.82、70勝、922奪三振の記録を残し、獲得したタイトルは数知れず、東京オリンピックやWBCでも日本のエースとして活躍した山本投手。23年オフにはポスティングシステムでメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースへの移籍が決まり、誰もがエースと認めてメジャーリーグに送り出す山本由伸投手がオリックス・バファローズ史上歴代最強のエースで間違いないでしょう。

山本由伸の凄さが分かる名言・語録集!天才投手の伝説エピソードから努力論まで

 

オリックス・バファローズの歴代投手に関する豆知識

山本由伸投手は23年オフにメジャーリーグに挑戦することになりましたが、反対にメジャーリーグから帰ってきて活躍を続けている投手がいます。

平野佳寿投手はプロ1年目の06年から先発ローテーションの一角を担い、セットアッパーを経て13年から抑えを務めました。速いまっすぐと落差の大きいフォークボールを駆使して高い奪三振率を記録、17年オフにメジャーリーグに挑戦するまで114セーブを挙げました。

メジャーリーグでは3年間プレーして主に中継ぎを務めながら8セーブを記録、21年にオリックスに復帰することになり、移籍後も自身を気にかけてくれていたオリックスへの恩返しのために優勝すると入団会見で発言、同年は29セーブを挙げて発言どおりチームの25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献しました。翌年以降もセーブを積み重ね、23年には日米通算250セーブに到達、この250セーブ達成は史上最年長でパリーグに所属するチームの投手としては史上初となる快挙でした。

次なる目標を中日で活躍した岩瀬仁紀投手の通算登板数1002試合に定めた平野投手。23年シーズン終了時点での835試合からの上積みがまだまだ期待されています。


まとめ

・オリックス・バファローズの先発投手は米田哲也投手や山田久志投手、星野伸之投手らが多くのシーズンでチームの勝ち頭だった。

・中継ぎでは菊地原毅投手や平野佳寿投手、佐藤達也投手がタイトルを獲得し、抑えでは平井正史投手や平野投手がタイトルを獲得する活躍を見せた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、23年シーズンの山本由伸投手の6億5000万円。

・山本投手は前人未到の3年連続投手四冠等、数々のタイトルを獲得し、東京オリンピックやWBCでも日本のエースとして活躍したオリックス・バファローズ歴代最強の投手である。

 

関連記事

仰木彬監督の名言・語録集!名将のリーダーシップ論や人生哲学に迫る!

梨田昌孝監督の凄さが分かる名言・語録集!こんにゃく打法を編み出した名将の伝説エピソードから人生哲学まで

田口壮の凄さが分かる名言・語録集!イチローとも親交の深いメジャーリーガーの伝説エピソードから努力論まで

オリックス・バファローズの歴代指名打者一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

オリックス・バファローズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

スポンサーリンク

-オリックス

こんな記事も読まれています