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オリックス・バファローズの歴代指名打者一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

実績を残してきた日本人選手だけでなく、強力な外国人選手も務めてきたオリックス・バファローズの指名打者。

今回はそんなオリックス・バファローズの指名打者を務めた歴代選手の成績や最高年俸等についてまとめ、オリックス・バファローズ歴代最強の指名打者についてご紹介します。

自慢のバッティングで打線を牽引してきた強打者たちを振り返っていきましょう!!

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オリックス・バファローズの歴代指名打者一覧まとめ!

まずは指名打者制が採用された1975年以降、そのシーズンの主に指名打者を務めた選手を一覧にしてみました。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1975 長池 徳二 3 103 0.270 25 58 ベストナイン
1976 長池 徳二 3 110 0.238 12 59
1977 高井 保弘 25 111 0.277 11 56 ベストナイン
1978 高井 保弘 25 116 0.302 22 77
1979 高井 保弘 25 113 0.324 21 66
1980 河村健一郎 29 102 0.260 12 42
1981 ケージ 44 124 0.238 31 74
1982 加藤 英司 10 129 0.235 21 84
1983 水谷 実雄 4 130 0.290 36 114 打点王
1984 小林 晋哉 26 116 0.277 13 47
1985 ヒックス 3 91 0.207 22 57
1986 石嶺 和彦 29 126 0.300 33 96 ベストナイン
1987 石嶺 和彦 29 127 0.317 34 91 ベストナイン
1988 石嶺 和彦 3 128 0.296 22 76
1989 門田 博光 78 116 0.305 33 93 ベストナイン
1990 門田 博光 78 119 0.280 31 91
1991 石嶺 和彦 3 130 0.269 21 85
1992 石嶺 和彦 3 130 0.267 18 68
1993 石嶺 和彦 3 130 0.273 24 77
1994 タイゲイニー 42 78 0.248 10 56
1995 ニール 16 122 0.244 27 70 ベストナイン
1996 ニール 16 124 0.274 32 111 本塁打王、打点王、ベストナイン、日本シリーズMVP
1997 ニール 16 131 0.265 25 98
1998 ニール 99 108 0.288 28 76
1999 プリアム 5 122 0.280 20 85
2000 藤井 康雄 8 112 0.229 18 54
2001 ビティエロ 23 126 0.275 22 83
2002 セギノール 55 89 0.204 23 47
2003 山崎 武司 5 110 0.232 22 68
2004 ブラウン 23 93 0.269 15 70
2005 ブランボー 24 124 0.263 19 57
2006 ガルシア 28 91 0.249 13 37
2007 ローズ 8 132 0.291 42 96 最高出塁率
2008 ローズ 8 142 0.277 40 118 打点王、ベストナイン
2009 ローズ 8 84 0.308 22 62
2010 北川 博敏 23 119 0.307 12 61
2011 赤田 将吾 4 77 0.305 0 17
2012 スケールズ 4 85 0.262 5 23
2013 T-岡田 55 58 0.222 4 18
2014 ペーニャ 42 140 0.255 32 90
2015 カラバイヨ 99 64 0.252 12 35
2016 中島 宏之 1 96 0.290 8 47
2017 中島 宏之 1 124 0.285 9 49
2018 中島 宏之 1 77 0.289 5 34
2019 ロメロ 9 81 0.305 18 63
2020 ジョーンズ 10 87 0.258 12 43
2021 モヤ 1 106 0.229 13 47
2022 吉田 正尚 7 119 0.335 21 88 最高出塁率、ベストナイン
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1970年代

指名打者制が採用された75年は長年4番ライトでレギュラーを務めていた長池徳二選手が守備力を考慮して指名打者に回り、打率.270、25本塁打、58打点を記録して初代指名打者ベストナインを獲得しました。

長池選手が故障を抱え出場機会を減らした77年からは75年に当時の代打本塁打世界記録を更新する等、代打で結果を残していた高井保弘選手が起用され、77年にベストナインを受賞、78年から2年連続で20本塁打以上を記録しました。

1980年代

80年に高井選手は再び代打に回り、代わって河村健一郎選手が務め自己最多の102試合に出場しました。81年は長打力不足解消のためウェイン・ケージ選手が来日して31本塁打をマーク、ケージ選手がファーストに移った82年はファーストのレギュラーだった加藤英司選手が回りました。

長らく中軸を打っていた加藤選手でしたが、82年シーズン終了後に広島へトレードとなり、83年はその交換相手だった水谷実雄選手が4番指名打者として出場し、広島の黄金期を支えた実力をパリーグでも発揮して130試合フル出場で自己最多の36本塁打114打点を記録して打点王に輝きました。

水谷選手は翌年の開幕戦で頭部死球を受けて頭部骨折の重傷や後遺症に苦しみ、出場試合数が激減、代わりを務めたジョー・ヒックス選手は1年限りで退団、86年からは代打で結果を残していた石嶺和彦選手が起用され、86年は打率.300、33本塁打、96打点、87年も打率.317、34本塁打、91打点と好成績を収めて2年連続でベストナインを受賞しました。

89年はホークスが福岡に移転した影響で門田博光選手が移籍してきて、打率.305、33本塁打、93打点をマークしてベストナインに選出されました。

1990年代

門田選手は90年も31本塁打を放ち、42歳のシーズンも長打力を見せつけましたが、同年限りで古巣ホークスへ復帰し、91年からは外野に回っていた石嶺選手が再び指名打者として出場、3年間務めましたが、93年オフにFAで阪神へ移籍しました。

石嶺選手移籍後は外国人選手が起用されるようになり、94年はタイゲイニーの登録名でプレーしたテルマンチ・ゲイニー選手が務め、95年からの4年間はトロイ・ニール選手が起用されて、ニール選手は来日1年目の95年にベストナインを受賞してリーグ優勝に大きく貢献し、翌96年は32本塁打111打点で本塁打王と打点王の二冠に輝き、巨人との日本シリーズでは6打点を記録して日本シリーズMVPを受賞しました。

ニール選手が不調に陥った99年は来日2年目だったハービー・プリアム選手が起用され、前年を上回る本塁打数と打点数を記録しましたが、同年限りで退団しました。

2000年代

00年はライトやファーストで長くレギュラーを務めていた左の長距離砲の藤井康雄選手が務めて18本塁打を記録、01年に入団したジョー・ビティエロ選手は22本塁打を放ちましたが1年限りで退団し、02年は両打ちのフェルナンド・セギノール選手を獲得しました。

セギノール選手はプロ野球史上初となるシーズン3度の1試合での両打席本塁打を達成しましたが、シーズンを通して低打率に終わり、同年限りで退団しました。

毎年のように指名打者を務める選手が代わり、03年は中日で本塁打王獲得経験のあった山崎武司選手がトレードで加入して22本塁打を放ち、翌04年は山崎選手が不調に陥り来日2年目だったルーズベルト・ブラウン選手が代役を務めました。

04年にチームは近鉄と合併し、オリックス・バファローズとなった05年はクリフ・ブランボー選手、06年はカリーム・ガルシア選手が起用されましたが思うような成績は残せませんでした。

07年からの3年は近鉄時代にシーズン55本塁打を放つなど、いてまえ打線の中軸を担い、その後は巨人でプレーしていたタフィ・ローズ選手が務め、07年に42本塁打、08年には40本塁打118打点を記録して打点王に輝きました。

ローズ選手は09年に史上12人目となる通算450本塁打を記録しましたが、契約延長交渉が難航し、同年限りで退団、そのまま引退しました。

2010年代

10年は合併時に近鉄から分配ドラフトで加入し、ファーストやサードでレギュラーを務めていた北川博敏選手、北川選手がシーズン中にアキレス腱断裂の大怪我を負った11年は西武から10年シーズン前にトレードで加入していた赤田将吾選手が起用され、規定打席未到達ながら打率.305を記録しました。

12年に起用されたのはシーズン途中に加入したボビー・スケールズ選手でしたが、打率が低く1年限りで退団、13年は10年に本塁打王を獲得していたT-岡田選手が起用されましたが、故障もあり58試合の出場に止まりました。

14年はホークスから加入したウィリー・モー・ペーニャ選手が32本塁打90打点を記録して打線を牽引しましたが、1年で契約が終了、翌15年は3年ぶりに加入した独立リーグ出身のフランシスコ・カラバイヨ選手が務め、16年からは中島宏之選手がファーストから回り、3年間起用されました。

中島選手が18年限りでチームを去ると2年続けて20本塁打以上を記録していたステフェン・ロメロ選手やメジャーリーグで通算1823試合に出場した経験があり、282本塁打を放っていたアダム・ジョーンズ選手、外国人枠の関係で中日時代は出場機会が限られていたスティーブン・モヤ選手といった外国人選手が指名打者を務めました。

22年は左足の故障があり、外野から指名打者に回った吉田正尚選手が打率.335、21本塁打、88打点を記録してベストナインを受賞、同年オフにポスティングシステムを利用して海を渡りました。

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オリックス・バファローズの歴代指名打者年俸ランキング!歴代最高年俸はアダム・ジョーンズ選手の5億円!

ここではオリックス・バファローズの歴代指名打者を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は指名打者のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2020 A.ジョーンズ 4億4000万円 0.258 87
2 2022 吉田 正尚 4億0000万円 0.335 119
3 2009 T.ローズ 3億5000万円 0.308 84
3 2016 中島 宏之 3億5000万円 0.290 96
5 2019 S.ロメロ 2億8750万円 0.305 81

 

多くの強打者が起用されてきたオリックス・バファローズの指名打者ですが、1位は20年に4億4000万円でプレーした、メジャーリーグ経験豊富なアダム・ジョーンズ選手でした。20年に加入して主に指名打者として出場し、87試合の出場で12本塁打を記録しました。

2位は22年の吉田正尚選手。故障の影響もあり、本来の外野からポジションを移しての出場が続きましたが、卓越したバットコントロールとフルスイングから放たれる強烈な打球でヒットを量産、年俸4億円に見合った活躍を見せ、同年オフにメジャーリーグに挑戦するため退団しました。

3位にランクインしたのは2人で、1人目は09年に3億5000万円でプレーしたタフィ・ローズ選手です。近鉄時代に55本塁打のシーズンタイ記録(当時)を達成した強力助っ人は、オリックス入団2年目だった08年に2年連続の40本塁打以上を放ち、118打点で打点王に輝きました。09年は84試合の出場に終わりましたが、22本塁打を記録しました。

2人目は中島宏之選手。西武の主軸として00年代に活躍し、13年にメジャーリーグに挑戦しましたが、2年間でメジャーに昇格することができず、日本球界復帰の際に選んだチームは地元関西のオリックスでした。15年はファーストを務めましたが、16年からは指名打者に回り、96試合に出場しました。

5位はステフェン・ロメロ選手で、19年の2億8750万円がランクインしました。17年に来日し、17年と18年は外野での出場が多かったですが、19年は指名打者としての出場が多くなりました。17年から2年連続で20本塁打以上を記録しましたが、怪我で離脱することが多く、19年も同様で81試合と出場試合数は少なかったものの18本塁打を放ちました。

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私が思う歴代最強のオリックス・バファローズの指名打者はトロイ・ニール選手!

打線の中軸を担い、チームの勝利に貢献してきたオリックス・バファローズの指名打者ですが、歴代最強の指名打者は95年からの二連覇に貢献したトロイ・ニール選手だと考えます。

ここで、トロイ・ニール選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手
生年月日:1965年9月14日
身長:193cm
出身:アメリカ
最終学歴:ハワード大学
血液型:不明

1965年(昭和40年)9月14日生まれ、アメリカ・テキサス州出身。ハワード大学から86年のドラフトでクリーブランド・インディアンスから指名を受けて入団、92年にオークランド・アスレチックスでメジャー昇格を果たし、95年に当時のオリックス・ブルーウェーブに入団しました。

来日1年目から4番指名打者を務めて本塁打を量産し、本塁打王のタイトルには一歩及ばなかったものの長打力を発揮してベストナインを受賞、チームのリーグ優勝に貢献しました。翌96年は32本塁打111打点で本塁打と打点の二冠に輝き、95年に阪神淡路大震災後に「がんばろうKOBE」を合言葉に戦ってきたチームを二連覇に導き、巨人との日本シリーズでは6打点を記録する活躍で日本シリーズMVPに輝きました。

来日3年目となった97年も25本塁打98打点を記録しましたが、チーム編成上の都合により同年限りで退団、アメリカに戻ってプレーを続けていたところ、98年開幕直後から得点力不足に悩まされていたオリックスに声を掛けられ復帰しました。5月上旬からのプレーでしたが、98年も28本塁打76打点と結果を残し、中軸として打線を牽引しました。

来日直後から結果を残し続け、チームを二連覇、日本一に導く活躍を見せて神戸の街を勇気づけたニール選手がオリックス・バファローズ歴代最強の指名打者と言えるのではないでしょうか。

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オリックス・バファローズの歴代指名打者に関する豆知識

80年代後半から90年代前半に指名打者を務めた石嶺和彦選手門田博光選手。2人の起用法には門田選手の動向が大きく関わっていました。

石嶺選手はプロ8年目だった86年に指名打者に抜擢され、好成績を収めて同年にいきなりベストナインを受賞し、翌年も選出される活躍を見せました。88年も開幕4番を務める等、指名打者のレギュラーの地位を確立しましたが、同年オフに南海から門田選手がトレードで加入しました。

門田選手は79年に右足アキレス腱を断裂してからは主に指名打者として出場しており、石嶺選手と併用される形が想定されましたが、門田選手は石嶺選手に迷惑をかけてはいけないから年間100試合は守備につくと話し、石嶺選手もアキレス腱断裂の影響が残る門田選手が外野を守るのは厳しいと考え、減量と守備練習強化で守備につく準備を進めました。

89年は門田選手の試合当日の体調でお互いの出場ポジション(レフトまたは指名打者)が決まるという流れを採用していました。

まとめ

・石嶺和彦選手やトロイ・ニール選手が長くレギュラーを務めている。

・水谷実雄選手やニール選手、タフィ・ローズが打撃主要タイトルを獲得している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、20年のアダム・ジョーンズ選手の4億4000万円。

・ニール選手は来日1年目からベストナインを受賞し、翌年は本塁打王と打点王の二冠に輝き、チームをリーグ二連覇に導いたオリックス・バファローズ史上歴代最強の指名打者である。

 

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