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岡本和真の凄さが分かる名言・語録集!天才ホームランバッターの伝説エピソードから努力論まで

プロ野球選手にとって背番号はもうひとつの「顔」です。大成功を収めて永久欠番となって語り継がれる場合もありますし、ファンが「あの背番号といえば」というように記憶にとどめることもあるでしょう。

読売ジャイアンツで背番号3番といえば、永久欠番であり、ミスタープロ野球長嶋茂雄ですし、8番といえば多くのファンが原辰徳を思い出すでしょう。そのふたりの背番号を組み合わせた38番を入団当初に背負ったのが、若き主砲、岡本和真です。

その背番号は2度の本塁打王に輝いた村田修一がつけていた25番に変わりましたが、岡本は2018年には期待に応えてレギュラーを獲得しました。このまま岡本が活躍を続ければ、38番は出世番号として期待の若手が背負う番号になるかもしれません。

高校進学時には、全国の20校を越える強豪校からスカウトを受けたという岡本。投手として小学3年生で100キロ、中学3年生で135キロを記録していたといいます。プロ野球史上最年少となる22歳3ヶ月で3割、30本塁打、100打点を残した才能は、まだまだとどまることをしりません。

今回は史上最年少で3割、30本塁打、100打点を記録した若き天才ホームランバッター岡本和真の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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岡本和真について

まずは岡本和真の経歴を追ってみます。

1996年6月30日生まれ、奈良県五條市出身。小学生の時から怪童として知られ、リトルシニアでも全国ベスト4に貢献するなどの活躍をしました。高校進学時には全国の強豪校からスカウトをされますが、地元奈良県の強豪智辯学園高校に進学。1年生の秋には4番に座ります。3年の時には春の選抜大会と夏の選手権大会で甲子園に出場。ホームランも放ち、U18の日本代表にも選ばれ4番を任されました。

2014年のドラフトでは読売ジャイアンツが1位指名し入団当時の監督だった原辰徳の提案で、長嶋茂雄と原の背番号を組み合わせた38番を背負うことになります。

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早速1年目からチャンスをもらい、1軍で17試合に出場し、プロ初ホームランも記録します。2年目はじっくりと2軍で鍛えられ、2017年にはそれまでの3塁手から外野手としても出場し、選手としての幅を広げ、背番号も村田修一がつけていた25番に変更します。

2018年、レギュラーとして全試合に出場し、4番にも座ります。プロ野球史上最年少となる22歳3ヶ月で3割、30本塁打、100打点をクリアし、ジャイアンツの若き大砲として、その名は全国に知られるようになりました。

2019年もジャイアンツでは原辰徳以来となる、生え抜き右打者による2年連続30本塁打を記録し、リーグを代表する強打者として、更なる活躍が期待されています。

2019年シーズン終了時点で、プロ通算5年間で327安打、65本塁打、打率.281。

今後、そのパワフルな打撃は、更なる飛躍が期待できると思います。

 

私が選ぶ、岡本和真の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「ストレートを投げてくるわけないのに、ストレートのタイミングで入ってしまった。間違っていた」

高校2年の時、近畿大会で龍谷大平安高校との対戦での4打席目、3ボールになったものの、相手投手は勝負をしてくる気配を感じた岡本は、4球目を打ちに行き、スライダーで打ち取られてしまいました。その打席について回想した言葉です。

面白いのはストレートのタイミングで振りに行ったことを反省しているのであって、3ボールから打ちに行ったのは気にしていないことです。並みの選手ならば四球を意識して、振りに行くにしても真ん中周辺の甘いストレートにだけ狙いを絞るのが普通でしょう。それで他の球種ならば見逃してもOKだと考えると思います。

しかし、すでに強打者としてその名を知られていた岡本は、3ボールでストライクを取りに来るとしたら変化球だと読み切れなかったことを反省しているのです。

 

「ストレートを打った後の打席の初球が変化球やったり、変化球攻めが多くなってくるので、それを狙える準備はしておかなければいけないと思うようになりました」

これはまさに「打って決める」人のメンタリティであり、言葉だと思います。

そこに岡本の4番打者としての資質が感じられます。

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【名言語録その2】

「骨折というか、指の骨が欠けていたんです。まあ、今さらいうことでもないですし、自分がプレーできると思ったらできるので」

岡本がレギュラーを獲得した2018年、9月14日の対横浜DeNAベイスターズ戦で、パットン投手から右手親指にデッドボールを受けましたが、実はそれによって指を骨折していたそうです。結果としてその後も試合に出続け、チームでただひとり全試合に出場しました。

本人によれば、特別に痛みに強いわけでもないけれども、せっかくレギュラーを完全に手中におさめられそうなことや、ヒットが出ていないことの方が気になって、休まなかったそうです。当時はそんな情報は流れていませんでしたし、あまり知られていない事実です。

 

「昔からそういうのは表に出ないタイプ。でも人に負けるのが嫌なんです。それに痛くて退くのって、恥ずかしいじゃないですか。あの死球も自分で当たりに行ったようなもんだし」

おとなしそうに見える岡本ですが、内心には熱いものを持っているようです。

 

「いい車は乗りたいですよ。いい服も買いたいですし。メディアさんの前で出さないだけ。調子乗ってると思われるのが嫌なんです。プロ野球選手になりたいと思ったのも、野球が好きなのはもちろんですが、やっぱりお金持ちになりたいから。子どものころ、『ドラフト1位で1億円や』って、おじいちゃんと言ってた記憶があります」

プロ野球選手は今でもジャパニーズ・ドリームのひとつですし、さまざまな夢を与える職業です。

それを叶えるためには、多少の怪我では休まないという岡本の強さが感じられます。もちろん無理をしすぎるのは必ずしも正しいことではありませんが、そう何度も訪れない人生のチャンスを逃さないためには、覚悟を決めて取り組むのも必要なのだと思います。

 

【名言語録その3】

「打てなくて終わった後の休みの日は、ずっとモヤモヤしますね、やっぱり。でもそこで引きずるんじゃなくて、結局引きずるんですけど、明日はこうしようとか、うまくいかなかったら、こうしようという積み重ね。そこをずっと考えています」

悪いことはさっさと忘れてしまいたいものですが、岡本の言うように「結局引きずる」ものです。なので大切なのは起こったことを素直に反省し、それを次にどう生かすか考えることです。やはりそうした地道な積み重ねが、いつか養分になり、芽を出す土壌になるのだと思います。

岡本は子どもの頃、何も塗っていないものと、一部をピンクに塗ったスポンジボールを用意し、何も塗っていないものはフルスイングし、ピンクのものは見逃すという練習をして、選球眼を鍛えていたそうです。

それでも3ボールからだと「がっつり振っちゃう」そうで、アマチュア代表の頃から「マサさん」「カズピー」と呼び合うなど、仲が良い吉田正尚に相談したりしています。その吉田は岡本のことを「のほほんとしている」と言いながらも「やるときはやる男」と評しています。それは同じプロ選手であり、日本代表の4番候補同士でもある友人への信頼なのでしょう。

 

「毎回毎回バランスよくは打てない。空いてはそうさせないようにしてくるから。その中で崩されても、詰まっても打てるようにしたい。泳がされても、詰まっても入るのは力が逃げてないから」

それはコーチだった田代富雄の教えでもあります。

他にも二岡智宏や井端弘和、そして臨時コーチをつとめた松井秀喜らの教えを咀嚼し、自分に合うものを取り入れ、積み重ねることで、岡本は次世代の強打者として成長を続けていくことでしょう。

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名言からの学び

・資質に応じたメンタリティを持つことが大事。

・チャンスをつかむには相応の覚悟がいる。

・あらゆる積み重ねが成長の土台となる。

 

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