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清宮幸太郎の凄さが分かる名言・語録集!天才ホームランバッターの伝説エピソードから努力論まで

伝説のホームラン王であるベーブ・ルースにあやかり、「和製ベーブ・ルース」や「ベーブ」などと愛称をつけられた選手たちがいます。古くは山下実や田中勝雄、野村克也がおり、そして二刀流ということで大谷翔平もそう呼ばれますが、次世代の打者ということでは、清宮幸太郎がいます。

2015年の夏に甲子園で活躍して、一躍全国にその名を知られると、高校通算111本という本塁打を記録し、その去就に注目が集まりました。プロ入りを決めた2017年のドラフト会議では、高校生最多タイとなる7球団の競合となり、大きな話題となりました。

父親はラグビー選手や監督として活躍していた清宮克幸というスポーツエリートですが、勉学の方でも優秀だったそうで、まさにスーパーエリートと呼ぶべき清宮。しかし持って生まれた才能を生かすための努力も人一倍しているからの結果だといえます。

今回は「和製ベーブ・ルース」と呼ばれる清宮幸太郎の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才ホームランバッターの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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清宮幸太郎について

まずは清宮幸太郎の経歴を追ってみます。

1999年5月25日生まれ、東京都新宿区出身。リトルリーグ時代には世界大会に日本代表として出場し、アメリカのメディアが「和製ベーブ・ルース」と呼ぶほどの活躍をし、優勝に導きます。

早稲田実業高校では1年の時から主軸を任され、夏の選手権大会に出場し、甲子園で2本の本塁打を放ちます。その後、アンダー18の日本代表として国際大会でも活躍し、高校通算で111本の本塁打を記録し、公式戦だけでも打率は4割を越え、29本塁打を放ち、ドラフトの目玉となります。

2017年のドラフトでは、高校生として福留孝介と並ぶ史上最多の7球団による指名があり、北海道日本ハムファイターズが指名権を獲得。ドラフト1位で入団が決まりました。

プロ1年目から1軍での出場を果たし、デビューから連続7試合連続安打の記録を作り、シーズン7本の本塁打を放ちます。2年目は骨折もあり、本塁打数も1年目と同じでしたが、球団通算8000号を打つなど強運ぶりを見せました。

2019年シーズン終了時点で、プロ通算2年で、83安打、本塁打14本、打率.202。

少しずつ経験を積み重ねて来た清宮ですが、高校の先輩である王貞治も活躍をし始めたのは、プロ入り4年目です。ここからの飛躍に期待ができると思います。

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私が選ぶ、清宮幸太郎の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「注目されることは力にしかなっていないので」

有名スポーツ選手を父に持ち、自身も幼少期から活躍して注目されてきた清宮。まだ若いうちにスターになると、注目されることがストレスになったり、あるいは慢心につながったりすることも往々にしてあります。しかし清宮は年齢に似合わず、泰然自若としています。それは同じく高校生の頃から騒がれた中で、落ち着いた雰囲気を見せていた松井秀喜を思い出させます。

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小学生の時、なんと130キロの快速球を投げ込み、世界大会ではパワーあふれる他国の選手をものともせず、大会最長飛距離となる本塁打を放つなど、規格外の活躍を見せた清宮。父が監督を務めていたサントリーラグビー部のグラウンドで、小学生なのに40メートルの距離からキックを蹴り、ゴールを決めていたそうです。

それを見ていた父の克幸は「プレースキックにしても、バッティングにしても、球に与えるインパクトが大きい。このセンスに独特のものがあるよね」と我が子のプレイに目を細めていました。

幼い頃からのそういった成功体験が、注目されることにも免疫を作り出し、それを力にすることができるメンタルを作り上げたのでしょう。

しかし父の教えは、成功体験を生かすことだけではありませんでした。

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【名言語録その2】

「この負けが、いつか、必要な負けだったというか、自分にとって必要な経験だったと言えるような野球人生をこれからも送っていきたいです」

2016年に甲子園を目指すも、西東京大会の準々決勝で敗れた後の言葉です。清宮は翌年の高校最終年度も、西東京大会の決勝で敗れ、甲子園出場を逃しています。その時に残した言葉は「最後、良かったと言えるような、今日の負けかなと思います」というものです。

父の克幸はよく「ネセサリーロス」という言葉を使います。「必要な敗北」ということですが、清宮はその父の教えを常に心に持ち続けているようです。

 

「勝つことも大事だけど、負けも絶対に必要」

確かに負けが教えてくれることもたくさんあります。負けではないにしても、マイナスと思えることから学ぶことは間違いなくあります。

エリートとして挫折の少ない人生に見えますが、中学1年の時には腰を疲労骨折し、長いことリハビリに励む生活を送り、また中学2年では腰椎の分離症でろくにプレーができませんでした。その類まれな能力は、まだ成長しきっていない体には諸刃の剣でもあったのです。しかし清宮は成長に合わせた肉体改造に取り組み、故障を克服してきました。

彼を指導してきた竹下雄真は「ポテンシャルは未知数で、肉体的にまだまだ余白を残している状態」だと話し、メジャーの歴史に残る大選手であるアレックス・ロドリゲスや、今まさに活躍している強打者アーロン・ジャッジの名前を出して、彼らに匹敵するポテンシャルだと絶賛しています。

勝ちを知り、負けに学び、己を鍛える、そんな清宮ですが、プロではまだ活躍できているとは言えません。しかし清原和博のような例外はいるものの、高校卒ルーキーの野手がすぐに1軍で活躍するケースは極めて少なく、王貞治にしても、若くして活躍したイメージのある土井正博や立浪和義にしても、戦力になったのは3年から4年目くらいです。通算400本塁打を記録した山崎武司などはプロ入り7年目までで11本塁打しか残していません。

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ここまではプロの投手に「負け」ている清宮ですが、そろそろ多くの敗北から学んだことを生かし、そのポテンシャルを発揮してくれることを期待しましょう。

 

【名言語録その3】

「野球のことだけを考えたら、進学するメリットはほとんどなかった」

学業も優秀で、早稲田大学への進学も選択肢にあった清宮ですが、まさに「野球のことだけを考え」て、プロに進むことにしました。

 

「やっぱ、野球がしたかったんで。プロに行けば、全部、野球に使えるじゃないですか」

高校時代の監督である和泉実は2015年のチームについて「甲子園まで行って、しかもベスト4なんて思いもしなかった。二度とあんな年はないね。不思議なチームでした」と語り、1年生でありながら主軸を任せていた清宮の影響力を、チーム力のひとつとしています。

プロ入りして、2018年に1軍登録となった時、静岡の草薙球場でホームランを放った清宮ですが、栗山英樹監督は試合前に「幸太郎を静岡に呼んだんだからさ、ベーブ・ルースに会わせないと」と話しています。草薙球場には1934年に日米野球で来日した記念にベーブ・ルースの銅像があります。和製ベーブ・ルースと呼ばれた清宮に、何かを感じて欲しかったのでしょう。実際に清宮がホームランを打つと、栗山監督は「ベーブ・ルースが打たせてくれたね」と嬉しそうでした。

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清宮は、監督たちに、チームの雰囲気を変えられる選手として、認識されているし、期待されているということなのだと思います。

 

「バリー・ボンズだって全部打ってたわけじゃないんだぐらいの気持ちでやってます」

そんな喩えにしても、視線は偉大なメジャーリーガーにある清宮。その先に広がる大きな未来に期待したくなります。

 


王先輩から清宮幸太郎まで 早実野球部物語 (世の中への扉)

 

 

名言からの学び

・注目される環境もまた学びの場である。

・次の勝利のために、敗北から学ぶこともある。

・影響力もひとつの才能である。

 

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