佐々木主浩の血液型は?成績や年俸から妻との馴れ初めまで調査
佐々木主浩さんは横浜ベイスターズ時代に日本一になった時の抑え投手でした。日本一に輝いた1998年のプロ野球界は、まさに横浜ベイスターズ一色の年でした。愛称は「ハマの大魔神」で親しまれており、終盤の9回で横浜が一点でもリードしていれば絶対的な安心感がありました。
日本一になった翌々年にはメジャーにも挑戦し、抑え投手として安定した投球を見せてくれました。今までの長いプロ野球の歴史の中でもトップクラスの抑え投手の一人が佐々木主浩さんです。
今回はそんな、佐々木主浩さんのプロフィール(血液型など)や、成績・獲得タイトルなどをまとめてみました。
また、他にも奥様との馴れ初めについてもまとめています。佐々木主浩さんを振り返るうえで参考にして頂ければと思います。
佐々木主浩のプロフィール
ここでは佐々木主浩さんのプロフィールを記載させて頂きます。
生年月日:1968年2月22日
ポジション:投手
出身学校:東北高校→東北福祉大学
出身チーム:横浜大洋ホエールズ(横浜ベイスターズ)→シアトル・マリナーズ→横浜ベイスターズ
監督経歴:なし
血液型:O型
東北の中心宮城県の出身で高校も強豪東北高校に進学しました。高校時代は2年の夏からエースとして活躍し3季連続の甲子園にも出場しています。しかも、3年生の春夏には甲子園でもベスト8にも進出しています。
その後も野球の名門東北福祉大学に進学し、東北福祉大学の黄金期を支えた投手でした。
当時はプロ野球の世界へ多くの選手を輩出しており、まさに野球エリートの道を歩んでいる選手だったと言えると思います。
そして、1989年のドラフトで横浜大洋ホエールズから1位指名を受けプロの道へ進んでいます。
【横浜DeNA】ドラフト1位指名の歴代選手一覧!その後の成績や活躍もチェック
血液型はO型なんですね。以下でプロ野球選手の血液型についても触れているので興味のある方は合わせてチェックしてみて下さいね。
成績・年俸や獲得タイトルをチェック!
まず、成績や年俸を一覧にまとめてみました。
年度 | 登板 | 勝利数 | 敗北数 | セーブ | 防御率 | 年俸 | 所属チーム |
1990年 | 16 | 2 | 4 | 2 | 5.85 | 600万 | 横浜大洋ホエールズ |
1991年 | 58 | 6 | 9 | 17 | 2.00 | 980万 | 横浜大洋ホエールズ |
1992年 | 53 | 12 | 6 | 21 | 2.46 | 2550万 | 横浜大洋ホエールズ |
1993年 | 38 | 3 | 6 | 20 | 3.27 | 5500万 | 横浜ベイスターズ |
1994年 | 31 | 3 | 1 | 10 | 2.15 | 6000万 | 横浜ベイスターズ |
1995年 | 47 | 7 | 2 | 32 | 1.75 | 6900万 | 横浜ベイスターズ |
1996年 | 39 | 4 | 3 | 25 | 2.90 | 1億4000万 | 横浜ベイスターズ |
1997年 | 49 | 3 | 0 | 38 | 0.90 | 1億7500万 | 横浜ベイスターズ |
1998年 | 51 | 1 | 1 | 45 | 0.64 | 3億3000万 | 横浜ベイスターズ |
1999年 | 23 | 1 | 1 | 19 | 1.93 | 5億 | 横浜ベイスターズ |
2000年 | 63 | 2 | 5 | 37 | 3.16 | 4億 | シアトル・マリナーズ |
2001年 | 69 | 0 | 4 | 45 | 3.24 | 4億7000万 | シアトル・マリナーズ |
2002年 | 61 | 4 | 5 | 37 | 2.52 | 5億1000万 | シアトル・マリナーズ |
2003年 | 35 | 1 | 2 | 10 | 4.05 | 8億1000万 | シアトル・マリナーズ |
2004年 | 25 | 1 | 2 | 19 | 3.18 | 6億5000万 | 横浜ベイスターズ |
2005年 | 9 | 0 | 3 | 4 | 9.00 | 6億5000万 | 横浜ベイスターズ |
本当に素晴しい活躍をしていたことが分かる成績の一覧ですよね。
1991年の2年目途中から抑えに起用されその実力を発揮しはじめました。特に1997年、1998年においては防御率が0点台ですから抜群の安定感があったことが感じ取れます。
今の日本球界にはこれだけの存在感がある抑えがいないのが少し寂しく思えてしまいます。
次は佐々木主浩さんの獲得したタイトルを記載していきます。
主な獲得タイトル
NPB
最優秀救援投手:5回(1992年、1995年~1998年)
MVP:1回(1998年)
最優秀投手:1回(1998年)
ベストナイン:1回(1998年)
月間MVP:4回(1991年7月、1997年8月、1998年6月、1998年9月)
ファイアマン賞:5回(1992年、1995年~1998年)
正力松太郎賞:1回(1998年)
最優秀バッテリー賞:1回(1998年、捕手 谷繁元信)
優秀JCB・MEP賞:1回(1998年)
JA全農Go・Go賞:1回(1992年5月)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:2回(1997年、1998年)
日本プロスポーツ大賞 大賞:1回(1998年)
日本プロスポーツ大賞 殊勲賞:1回(2000年)
報知プロスポーツ大賞:1回(1998年)
毎日スポーツ人賞 ファン賞:1回(1998年)
セ・リーグ会長特別賞:1回(2005年)
MLB
新人王:1回(2000)
Toppsルーキーオールスターチーム 右投手部門:1回(2000年)
Baseball Digestルーキーオールスターチーム リリーフ部門:1回(2000年)
この様に多くのタイトルや賞を獲得しているのが分かります。
抑え投手の最大の名誉である最優秀救援投手も4年連続を含めて5回獲得しています。
そして抑え投手では中々選出されないベストナインにも1度選ばれています。
やはり1998年は横浜ベイスターズのセ・リーグ制覇と日本一の立役者として大きく注目を浴びていたのだということだと思います。
それにしても抑え投手でここまで多くの賞を受賞しているのは凄いですよね。
妻との馴れ初めエピソード
佐々木主浩さんの妻は女優の榎本加奈子さんです。1990年代に多くのドラマなどで活躍されていました。
ですが、佐々木主浩さんはその前に一度結婚していました。ですので再婚という形になっています。佐々木主浩さんは、年齢のせいもあったと思いますが、メジャーの最後の方はあまり活躍できない状態が続きました。
帰国後も古巣横浜ベイスターズに戻りましたが、全盛期のような活躍ができない時に榎本加奈子さんと出会い、献身的に育児や家事を手伝ってくれたことがきっかけのようです。
前妻との関係も上手くいっていないことがあると思いますが、一番つらい時に榎本加奈子さんが支えになっていたということのようです。
まとめ
・佐々木主浩さんは東北宮城県の出身で東北高校、東北福祉大学と野球エリートの道を進み1989年の横浜大洋ホエールズから1位指名を受けプロの世界へ入りました。
・セ・リーグ優勝、日本一に輝いた1998年はまさに佐々木主浩さんの全盛期でした。多くのタイトルや賞も受賞しているのが1998年です。
・佐々木主浩さんの現在の奥様は女優の榎本加奈子さんです。佐々木主浩さんがつらい時に献身的に支えになってくれたことが結婚への道になったようです。
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