つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

横浜

横浜スタジアムの満員時の収容人数は何人?球場の歴史はいつから?

cropped-baseball-1222404_1280.jpg

横浜DeNAベイスターズのホームグラウンドである横浜スタジアムですが、2012年からベイスターズがDeNAベイスターズになりました。
今までにはないイベントや球団としてのチーム力も年々つけはじめ老若男女様々なファン層を取り入れることに成功している球団の一つです。

2016年ペナントレースも3位となり初のクライマックスシリーズに出場しました。2016年シーズンは主催試合38試合目での観客動員数100万人を突破しました。史上最速の速さで100万人ということは1試合毎の観客動員数も増えている証拠と言えます。
そんな横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムについて調べてみました!

スポンサーリンク

 

横浜スタジアムの満員時の収容人数

横浜スタジアムはなんと12球団のホームグラウンドで使用している球場の中で1番か2番に収容人数が少ないんです。その理由として外野席の縦幅の狭さがあげられるのではないかと思います。

外野席はかなり階段が急なイメージがあります。外野フェンスも比較的高い方の球場で屋外球場ということから縦幅が最初の段階で広くされなかったのではないかと思われます。
収容人数の内訳は内野席22,321席・外野席・5,365席・立ち見2,353人・(うち車椅子席6席)で30,039人となっています。ただし、消防法上の定員では30,730人となっています。

ちなみに同等で少ないのが楽天の本拠地である現在の名称はKoboパーク宮城です。2015年オフに改修され30,508人と30,000人越えの収容人数となりました。ほぼ収容人数は横浜スタジアムと同じと言ってよいのではないかと思います。

 

球場が出来たのはいつから?

居留外国人のクリケットグラウンドとして1874年(明治7年)に着工されました。翌々年の1876年(明治9年)に竣工されました。1896年(明治29年)日本初の国際野球試合が行なわれました。旧制第一高等学校対横浜在住米国人チームです。2試合行なわれ2試合ともに旧制第一高等学校が大勝した記録が残っています。
その後、関東大震災などもあり1925年(大正14年)には震災で被害があった部分の震災復興事業の着工が行なわれました。

1934年(昭和9年)にはあのベーブ・ルース、ルー・ゲーリック率いるアメリカ大リーグオールスターも来日し全日本と対戦しました。21対4で全日本は大敗を喫しました。

1948年(昭和23年)には日本プロ野球初のナイトゲームが開催されました。(巨人対中日)

その後は、期間があいて1977年(昭和52年)に株式会社横浜スタジアムができ同年4月に新球場の工事着工が行なわれ、翌年の1978年(昭和53年)に日本で初めての多目的スタジアムとしてお披露目され4月4日に大洋対巨人の対戦が行なわれました。

その時の日本プロ野球では21年ぶりのフランチャイズ新球場となりました。横浜スタジアムの歴史は本当に古く一番最初の歴史から見ると現在まで約140年の歴史がある球場となっています。

スポンサーリンク

 

横浜スタジアムの豆知識情報

メインで使用し始めて横浜大洋ホエールズ時代は中々勝つことができず、万年Bクラスだったこともあり、球場はいつ行ってもすいている時が多かったのが大洋時代です。今ではDeNAが所属する球団ということもあり、イメージが昔と180℃変わり女性ファンも増え、球場もボールパーク化して多くのファンが楽しめる球場として存在しています。

また2020年の東京オリンピックにむけ2017年の11月頃から改修工事が行なわれ収容人数も35,000人まで収容できるようにする予定となっています。他にもよりファンが楽しめるような座席や設備を整えるように回収する方向で進んでいるようです。

 

まとめ

・横浜スタジアムの歴史は約140年。球場としての歴史を感じさせます。

・あの大リーグのスパースターベーブ・ルース、ルー・ゲーリックも横浜スタジアムでプレー。港町、横浜ならではの歴史。

・2020年の東京オリンピックに向け大きな改修工事を予定。ファンを魅了する素敵な多目的スタジアムに・・・!!

スポンサーリンク

-横浜

こんな記事も読まれています