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川上憲伸の凄さが分かる名言・語録集!天才メジャーリーガーの伝説エピソードから努力論まで


メジャーリーグ史上1位に輝く652セーブをあげたニューヨーク・ヤンキースのマリアーノ・リベラは、ほぼひとつの球種しか投げませんでした。カットボールです。日本人でそのカットボールを駆使し、メジャーリーグにも挑戦したのが川上憲伸です。

鋭く小さく曲がるカットボールは、三振を取るというよりもバットの芯を外すボールですが、川上は抜群のコントロールで三振を奪うことも出来るし、フィールディングのうまさから打たせてダブルプレーに取ることも出来る投球術を駆使し、中日ドラゴンズのエースとして一時代を築きました。

大学時代の頃からの好敵手である高橋由伸が在籍する読売ジャイアンツから、21世紀最初のノーヒットノーランを記録し、セリーグ最多となる月間MVPを8回受賞するなど、故障がなければもっともっと勝ち星を重ねていたことでしょう。

今回はカットボーラーとして活躍した川上憲伸の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才メジャーリーガーの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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川上憲伸について

まずは川上憲伸の経歴を追ってみます。

1975年6月22日生まれ、徳島県徳島市出身。徳島商業高校ではエース兼4番打者として夏の選手権大会で甲子園出場を果たし、明治大学に進学。東京六大学野球でもエースとして活躍し、1997年のドラフト逆指名で中日ドラゴンズへ入団

初年度の開幕から一軍に定着。先発としてローテーションを守り、14勝をあげて新人王に輝きます。この年の新人の活躍は素晴らしく、高橋由伸、坪井智哉、小林幹英ら、他の年に散らばっていれば全員が新人王でもおかしくない、ハイレベルな争いでした。

翌1999年から2001年までは不調続きとなりますが、カットボールを習得することで2002年にノーヒットノーランを達成。シーズン二桁勝利をあげます。2004年にはリーグ優勝に貢献する17勝をあげ、MVP、沢村賞、最多勝などを獲得しました。この年から4年連続で二桁勝利を記録し、ドラゴンズのエースとしてだけでなく、日本を代表する投手となります。

2008年のオフにFA権を行使して、メジャーリーグへ移籍。2009年、アトランタ・ブレーブスと契約を結びます。2009年は勝ち星に恵まれないものの好投しましたが、肩の違和感もあり、2011年に退団。

2012年から古巣のドラゴンズに復帰しましたが、相次ぐケガなどから、往年の力は取り戻せず、2014年に退団。その後も現役復帰を模索しましたが、2017年に引退を表明しました。

日本での現役14年間で、通算117勝、防御率3.24。MVP1回、沢村賞1回、最多勝2回、最多奪三振1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回、新人王。メジャーでは現役3年間で通算8勝、防御率4.32。

引退後は解説者として活躍しています。

 

私が選ぶ、川上憲伸の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「僕の野球人生、自分の中で成功したというのであれば、カットボールがなければ成功してないと思いますね」

ルーキーイヤーに大活躍して新人王を獲得した川上ですが、2年目以降は苦しみました。それは左打者対策がうまくいかなかったからだそうで、左打者にはスライダーが真ん中付近に行ってしまい、持ち球として使えなかったためです。

川上はある時、メジャーリーグのワールドシリーズをテレビで見ていて、ニューヨーク・ヤンキースの大投手マリアーノ・リベラが「見たことがない球を投げとる」のを見て、左打者対策の秘策として、リベラの魔球カットボールを習得しようと考えました。

まずはその握りを真似ようと録画して、コマ送りで確認しようとしたそうです。しかし当時はまだVHSの時代ですから、肝心なところはわからずじまいでした。そこで指先ではなく、腕や肘の角度を研究しました。

そもそもカットボールと同様のボールならば、日本人でも投げる人がいました。

ただし「くせ球」という表現で呼ばれ、その投手特有のものとされ、ひとつの球種としては認知されませんでした。

それをカットボールという球種として、意識的に使用した日本人投手は武田一浩が最初でしょう。川上はその武田にもアドバイスを求め、カットボールを完全に自分のものにして、球界を代表する投手になりました。

すべては弱点克服のため、貪欲に武器となるものを磨き続けた結果です。

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【名言語録その2】

「開幕投手には勝ち負け以上に求められる役割がある。つまり、この時点でチームで一番いいピッチャーではなく、チームにとって一番意味のあるピッチャー、それが開幕投手なんだと」

日本での現役14年間で、ドラゴンズ史上最多となる通算7度の開幕投手を任された川上。見方によっては長い1年間の1試合にすぎませんが、やはり開幕戦というのはいろいろな意味で重みがあります。まずチームのエース同士の投げ合いであり、その年のベストと考えられるオーダーで挑む初戦でもあり、一年を占う試金石でもあります。

更にプロ野球でAクラスに入るひとつの目安は勝率5割です。初戦を落とすと5割を上回るには必ず連勝が必要となりますが、初戦に勝つと連敗しなければ常に5割以上であり、プラスのスタートになるか、マイナスのスタートになるかは、その後の戦いにおいてもだいぶ印象が違います。

川上にとって最後の開幕戦先発は、2014年のことです。メジャーリーグからドラゴンズへ復帰し、故障も多くて、思うように投げられない時期であり、ファンから見ても川上の開幕投手抜擢は意外でした。

しかし谷繫元信監督は、まさに勝ち負け以上の役割を、川上に期待したのだろうと思います。6回2失点という結果は、まさにそれ以上の何かを残すことができたのではないでしょうか。

 

【名言語録その3】

「もともと子どもの頃に好きで始めた野球なのに、目いっぱいやっちゃっているような気がするんです。プロだから、本当はこんなこと言ったら叱られるのかもしれないけど、もう一回ワクワクしながら投げてみたい。少年野球や草野球の選手みたいにね」

イチローが引退後、草野球に参加して話題となりましたが、この川上と似たような気持ちだったのかもしれません。

メジャーリーグでそれが実現するかもしれないと思っていたようですが、そうはいかなかったそうで、日本に復帰した後に「たとえばバレンティンにスローボールを投げてみるとか」を考えていたそうです。シーズン60本のホームランを放ったバレンティンに、スローボールを投げるのは怖いでしょうが、野球ファンとして単純に面白いなとも思います。

ドラゴンズの投手コーチだった山田久志は、川上について「プライベートも普通の野球選手とは違っていた」と話しています。先発ローテーションに入っている投手の場合、いわゆる上がりの日という休みの日がありますが、ある時、山田が上がりの日に何をしていたかと尋ねると、川上は「ひとりで終日、海を見ていました」と答えました。

山田いわく「ひとりで海を見に行く野球選手なんて聞いたことがない。ゴルフや酒が趣味の野球選手ならいっぱいいるけどね」だとのことです。

カットボールでバットをへし折る投球に比べ、川上のナイーブでロマンチストな素顔が感じられる話です。

 

まとめ

・一芸に秀でることで、自らを底上げできる。

・エースは結果以上の何かを残す。

・プロはロマンチストの一面を持っている。

 

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