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初芝清の凄さが分かる名言・語録集!ミスターロッテの伝説エピソードから人生哲学まで

「ミスターロッテ」といえば誰か?オールドファンならば有藤通世の名前をあげるでしょう。最近のファンならば福浦和也の名をあげるかもしれません。しかし誰かを忘れてはいませんか?そのゆるキャラのようなキャラクターを愛され、勝負強い打撃で打点王にも輝いた初芝清です。

有藤や福浦のように2000本を越える安打を放ったわけではなく、本塁打も有藤に100本以上及びませんが、初芝を歴代ミスターロッテに選ぶのに、難色を示すファンはほぼいないだろうと思います。

チームの低迷時代を支え、フランチャイズの移転と共に千葉を盛り上げ、現役最後の年にリーグ優勝という美酒に酔いしれて引退したその姿は、「ミスターロッテ」というよりも「ミスターマリーンズ」というべきかもしれません。

今回はファンに愛されたミスターロッテ初芝清の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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初芝清について

まずは初芝清の経歴を追ってみます。

1968年2月26日生まれ、東京都豊島区出身。小学4年生から野球をはじめ、二松學舍大学附属高校に進学すると、投手で主軸打者として活躍。卒業後は東芝府中に入社し、内野手に転向。補強選手として都市対抗野球で活躍し、1988年のドラフトでロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から4位指名を受けて入団。

ルーキーイヤーから70試合に出場し、翌1990年にはオープンした千葉マリンスタジアムで球場初本塁打を記録。規定打席にも到達し、18本塁打を放ちました。その後はチームの主軸として1992年から5年連続2桁本塁打を放ち、1995年には打点王にも輝きます。

1998年からは3年連続で20本塁打以上を記録し、1990年シドニーオリンピックのアジア予選では日本代表にも選出され、4番も打ちました。2000年にプロ野球20世紀最後の本塁打を放ったのも初芝でした。

2003年からは主に代打での出場が多くなり、2005年に引退。その最後のシーズンに初めてのリーグ優勝を経験しました。

プロ野球通算17年間で、1525安打、232本塁打、打率.265。打点王1回。

引退後は解説者の他、社会人野球の指導者として活躍しています。

 

私が選ぶ、初芝清の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「プロは入るところではなく、活躍するための場所」

初芝は甲子園出場経験はなく、社会人でもまれてからのプロ入りです。彼のプロ入りには会社側から三つの条件があったそうです。ひとつは関東の球団であること、二つめはドラフト3位以内であること、三つめはロッテ以外の球団であることです。

その条件のうち、満たされたのはたったひとつ。そのためにドラフトの後、周囲からはため息が漏れ、誰も喜んではくれなかったそうです。しかし初芝は粘り強く、会社を説得し、入団許可を得ました。

言うまでもなくプロ野球選手になるのは狭き門です。例えば夏の甲子園に出場するチームは全国で49校、ベンチ入り選手が1チーム20人ですから、総勢980人が甲子園のグラウンドに立てます。彼らはいわゆる野球エリートです。しかしドラフトは毎年最大で120名までしか指名されません。そこには甲子園組以外の高校生、大学生、社会人も含まれ、選ばれるだけですごいことです。しかしプロになっても平均在籍年数は、2020年で7.7年。レギュラークラスになれなければ、30歳前後で自由契約になります。

まさにプロは活躍しなければ、続けられない世界です。

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【名言語録その2】

「ボールってこう見えるんだ」

数々のとぼけたエピソードでも愛された初芝。1996年、不振に陥りましたが、復活するきっかけとなったのがメガネです。視力に原因があるとわかり、メガネをかけはじめた初芝は、しみじみとこの言葉を口にしたそうです。

また理髪店でブリーチを勧められ、何とことかわからないまま、せっかく勧めてくれるのだからと了解し、金髪にされてしまった話も有名です。

2001年には和歌山県の初芝橋本高校が甲子園に出場した際、校名に親近感が湧いたからという理由で、同僚だった橋本将と共にまったくゆかりのない初芝橋本高校へ、いきなり差し入れをし、理由がわからない監督を困惑させてしまったそうです。

更に初芝のせいではありませんが、2001年にイチローがメジャーリーグ挑戦を決めた時、アメリカのニュース番組でなぜか初芝の写真がイチローとして使われました。

初芝はロッテのフランチャイズが川崎球場だった時代を知っています。老朽化が激しい不人気球場で、客がスタンドで麻雀をしたり、流しソーメンをしていたりもしました。1991年に千葉へ移転した際、満員のスタジアムに感激した初芝は「プロ野球選手としてお客さんに見てもらっている、というのが実感できた」と話しています。

そんな時代を知っているからこそ、初芝はお客さんが楽しんでくれるなら、似合わない金髪でもさらりと受け入れたのでしょう。

 

【名言語録その3】

「アマチュア最高峰の舞台がどれだけ素晴らしいか、選手に体験させてあげたい」

都市対抗野球には甲子園とは違った魅力があります。応援は華やかなチアがあり、選手たちもプロを目指し貪欲な選手から、社会人野球を全うしようとがむしゃらな選手もいます。社会人野球出身の初芝は、引退後、社会人野球の指導者としても活躍しています。

初芝はプロアマ合同チームとなったシドニーオリンピックで日本代表に選ばれています。「あのユニフォームを着たら、故人のプライドなんて関係ない。それが全日本ですよ」と語るほど刺激を受け、様々な形での野球を知りました。

これまで3つの社会人チームを率い、都市対抗野球に4度出場し、2014年に準優勝。日本選手権には2度出場し、2018年に準優勝を遂げるなど、確かな実績を残しています。

初芝の掲げる座右の銘は「我信」。いかにもマイペースの人らしい言葉です。野球は以前よりも競技の裾野が狭まっていて、競技人口も減ってきています。アマチュアのレベルでも素晴らしい成功体験を持てる環境を、初芝は地道に作り上げているのだと思います。

 

名言からの学び

・本当の勝負はプロになってから

・ファンサービスは日常の中にある

・成功者は自分のフィールドを拡げる力がある

 

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