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【野球名言】内川聖一の凄さが分かる名言・語録集!天才ヒットメーカーの伝説エピソードから努力論に迫る


もしも野球の走塁が時計と同じ方向に回るものだったら、イチローや松井秀喜のような右投げ左打ちの選手は存在しなかったかもしれません。わずか一歩か二歩の違いとはいえ、1塁ベースに近いというのはヒットを放つのに有利です。そんな不利な右打者として、歴代最高のシーズン打率.378を残したのが内川聖一です。

同じ右打ちのレジェンドで657本塁打を記録した野村克也が、「プロ野球誕生以来の右の好打者」と評した内川。史上2人目となるセパ両リーグで首位打者を獲得するなど、稀代のヒットメーカーとして活躍しています。

横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)時代には、イップスによる送球難に苦しみながらも首位打者に輝き、福岡ソフトバンクホークスではチームの柱として、若手を引っ張る活躍をしていますが、日本代表として幾度も国際試合に出場し、数々の印象的なシーンを見せてくれています。

今回は最高の右打者であり、天才ヒットメーカー内川聖一の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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内川聖一について

まずは内川聖一の経歴を追ってみます。

1982年8月4日生まれ、大分県大分市出身。大分工業高校では度重なる踵の手術に見舞われながらも、高校通算43本の本塁打を記録。甲子園出場はならなかったものの、2000年のドラフトで横浜ベイスターズから1位指名を受けて入団します。

ルーキーイヤーの2001年に1軍デビューし、2002年には初安打、初本塁打も記録。2003年からはレギュラーに手が届きそうになりながらも、病気や送球難などでつかみきれないシーズンを繰り返し、2007年に内野手から外野手へとコンバート。2008年になってレギュラーに定着します。

2008年シーズンは右打者としてのシーズン最高打率となる.378で首位打者を獲得。最多安打、最高出塁率も記録し、チームの主軸へと成長し、2009年のWBC日本代表にも選出されます。この大会では打撃だけでなく、好守でもチームを助け、日本優勝の立役者のひとりとなります。

その後、ベイスターズの主軸として活躍しますが、2010年シーズン終了後にFAを宣言。福岡ソフトバンクホークスに移籍します。2011年には見事に首位打者を獲得し、江藤慎一以来の史上2人目となるセパ両リーグで首位打者となり、MVPに輝きます。

以来、2019年シーズンまでホークスを6度の日本一に導く原動力(2020年1月現在)となり、各種国際大会の日本代表にも選出されます。2018年には通算2000本安打を記録し、右打者としてはラミレス、長嶋茂雄に次ぐ史上3番目の速さでの達成となりました。

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2019年シーズン終了時点まで、現役通算19年間で2171安打、196本塁打、打率.303。MVP1回、首位打者2回、最多安打2回、最高出塁率1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞1回。

実績と経験を積み重ねたベテランとして、まだまだ活躍してくれそうです。

 

私が選ぶ、内川聖一の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「普段通りにできないのが僕の普通なんですよ。だから『いつも通りにやろう』って自分に言い聞かせることにエネルギーを使うくらいなら、緊張したり不安な自分を受け入れたほうがいい」

プロ野球選手として、史上2人目のセパ両リーグでの首位打者を獲得し、チームの主軸としてチャンスに強いバッティングを見せて来た内川ですが、本人いわく「基本的に強くないんですよ、メンタル」だとのことです。

何をもってメンタルが強いと呼ぶべきなのか難しいところですが、緊張して力んだ状態でどういうパフォーマンスが出せるか、そこがプロにとっては重要です。

田中将大も「そういうときこそ自分にできること、自分がコントロールできることだけにフォーカス」すると語っています。

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万全の準備を整えたつもりであっても、いざとなった時、シミュレーション通りにはいかないのはよくあることです。環境が整うまで動けないようでは、なかなか良い結果は望めません。必要なのは状況に合わせた対応力です。

内川は非常を日常とすることで、ネガティブさを受け入れ、自らの対応力を鍛え上げたのだと思います。

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【名言語録その2】

「自分の中に逃げ道を作ってはいけないと思うんです。全部、自分の責任にして、結果を出さなければダメだと思います」

2013年のWBC準決勝プエルトリコ戦で、内川は痛恨の走塁ミスを犯します。2塁ランナー井端、1塁ランナー内川でダブルスチールを仕掛けようとした場面で、いったんスタートを切った井端が2塁に戻ったのに対し、内川はそのまま2塁へ向かってしまいアウトになりました。サインがどうだったのかはわかりませんが、ギャンブルスタートのサインでない限り、後続のランナーは前のランナーの動きに注意しておかなければいけません。

内幕はわかりませんが、内川は言い訳しませんでした。それどころか「取り返す機会を作るために成長しないといけない」と語り、2017年のWBCでも日本代表としてプレイします。

ベテランになるとケガのリスクを怖れて、代表に選ばれるのを回避する選手もいますが、内川は汚名返上とばかりに奮起しました。

 

「だってWBCは僕の人生を変えてくれた大会だから」

2008年に首位打者を獲得したものの、まだ知名度は低かった内川ですが、2009年のWBCでの活躍によって、一気に全国で知られるスター選手になりました。内川にとって大きな転機のひとつだったと思います。

機会というものは簡単に何度も訪れません。機会を生かしてスターとなり、更に失敗を取り返すために、実力で次の機会を手に入れた内川は、その過程においても大きな成果を手にしたと言えます。

 

【名言語録その3】

「バントでこれだけ囲まれるのは照れるね」

2018年の日本シリーズ第5戦で送りバントを決めた内川の言葉です。2011年にホークスに移籍して以降、2018年シーズン終了まで一度も送りバントをしたことがなかった内川ですが、工藤公康監督のサインについて、自分でもバントだと思っていたそうです。

三振が少ない内川だけに、ヒッティングという選択肢もある場面でしたが、ベテランらしく指揮官の考えを理解したのでしょう。

ベイスターズに在籍していた時、仁志敏久に「結果が良くても悪くても、自分のプレーについて意図を説明できないようじゃ、それは考えていることにはならない」と諭されたという内川。

プロの仕事にとって重要なのはクオリティの再現性です。よくある「なんとなく」という一過性の感覚では、次に同じことを再現するのが難しくなります。

 

「このボールを、こんな風に打てばホームランになりやすい。あの時自分の中では見えていたんです。だから打った瞬間も別に驚かなかった。あ、やっぱりそうなったかって」

2017年の日本シリーズ第6戦で、9回裏に放ったホームランはそんな感覚ので打ったそうです。そこにはしっかりとした再現性があります。

 

「しょうもないことを考えるんですよねぇ。一般的に言われていることでも、本当に正しいのかとか。バッティングのことを考えるのが好きなんですよね」

常識を疑うことは進歩をもたらす要です。当たり前がいつまでも当たり前であるとは限りません。

そこにはベテランに達した内川が、まだ成長する可能性を感じさせます。


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名言からの学び

・対応力が本番での成果を決める。

・機会を生かせば、次なる機会も得られるチャンスとなる。

・考えることで再現力を鍛え、常識を疑うことで進歩する。

 

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