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ハンク・アーロンの凄さが分かる名言・語録集!天才スラッガーの伝説エピソードから努力論まで

1977年9月3日、王貞治が当時の世界記録となる756号ホームランをライトスタンドに打ち込み、日本中に大フィーバーが起こりました。それは今の大谷翔平以上の熱狂であり、王貞治は国民栄誉賞に輝きます。それまで755本のホームラン世界記録をもっていたののが、ハンク・アーロンです。

正確に言えばアーロンの記録は当時のMLB記録で、現在はバリー・ボンズによって塗り替えられています。ただしボンズは禁止されているステロイド使用による記録も含まれています。またプロ野球記録ということならば、アメリカの二グロリーグで活躍したジョシュ・ギブソンが通算972本のホームランを放ったとされています。

しかし大きく違っているのは、ギブソンはチーム力に大きな差があり、公式記録も曖昧な、黒人だけの二グロリーグで達成したものだということです。一方、アーロンは現在の大谷と同様にベーブ・ルースという白人たちの伝説があり、マイノリティとしての壁がありました。それは奇しくも王が中華民国籍のマイノリティで、日本国籍ではないことと似ています。

今回はマイノリティの壁を壊し、最強打者に与えられる賞に名前を残すホームランキング、ハンク・アーロンの凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才スラッガーの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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ハンク・アーロンについて

まずはハンク・アーロンの経歴を追ってみます。

本名ハンク・ルイス・アーロン、1934年2月5日生まれ、アメリカ合衆国アラバマ州モービル出身。貧しい家庭の生まれで野球の道具は買えず、棒でボトルキャップを叩いて練習するなど、路上で見つけた材料で野球の真似事をしていました。高校時代はセミプロのチームでプレーし、15歳で憧れていた黒人最初のMLB選手ジャッキー・ロビンソンが所属していたブルックリン・ドジャース(現ロサンジェルス・ドジャース)のトライアウトを受けますが、合格できませんでした。

その後、二グロリーグのプリチャード・アスレチックス、モービル・ブラックベアーズ、インディアナポリス・クラウンズを経て、ついにMLBのボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)と契約を結びます。1954年、メジャー契約となり、すぐに確実性と長打力を併せ持つ打撃が開花。1956年にはシーズン200安打で打率.328を記録し、首位打者を獲得します。翌1957年には44本塁打で本塁打王の他、打点王にも輝き、チームをワールドシリーズ優勝に導く立役者となります。ここから7年連続で30本塁打以上を記録し、再び首位打者、そして打点王を2度獲得しました。

チームは1966年に本拠地をアトランタに移しますが、その年に再び本塁打王と打点王の二冠に輝き、その後もコンスタントに打ち続けます。1973年シーズン終了時にベーブルースの本塁打記録にあと1本と迫りますが、白人至上主義者などに嫌がらせを受け、娘の誘拐が示唆されるなど緊張が続きましたが、1974年にルースの記録を抜き、MLB最多本塁打の記録を塗り替えます。

1975年、白人主義の強いアトランタから離れるように、ミルウォーキー・ブリュワーズに移籍しますが、1976年シーズンを最後に隠退します。

MLB通算23年間で、3771安打、755本塁打、240盗塁、打率.305。MVP1回、首位打者2回、本塁打王4回、打点王4回、ゴールドグラブ賞3回。MLB史上、通算3771安打は歴代3位、 755本塁打は歴代2位、6856塁打は歴代1位、2297打点は歴代1位。

引退後はブレーブスの球団副会長を歴任し、1982年に野球殿堂入り。1999年には年度最高の打者に対して贈られるハンク・アーロン賞が創設され、2021年1月22日、老衰のため86歳でこの世を去りました。

 

私が選ぶ、ハンク・アーロンの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「数多くの白人が自分のことを応援してくれていたのはよく分かっていたが、アメリカにはそれと決定的に違う現実があり、どうにも抗いようのない歴史や構造があることを思い出させてくれる」

アーロンが子どもの頃、歩道で白人とすれ違いそうになると、彼は父親に従って車道に下り、道を譲っていたそうです。更に「パイロットになりたい」と父親に伝えると「そんな黒人はいないんだよ」と諭され、「プロ野球選手になる」と言うと「黒人には無理なんだよ」と首を振られました。

黒人最初のメジャー選手が誕生したのは1947年で、ジャッキー・ロビンソンでしたが、それはまだ表面的なものに過ぎませんでした。当時の二グロリーグには通算972本のホームランを放ったジョシュ・ギブソンや、ダイヤモンドを12秒で一周して約200試合で175盗塁をしたクール・パパ・ベル、通算2000勝を上げたといわれるサチェル・ペイジなど、伝説的な顔ぶれがそろっていましたが、白人にとって個性的で優れ過ぎた黒人選手は目障りであり、控えめでほどほどの能力の選手ということで、ロビンソンが選ばれたのです。

実直な性格のアーロンもまた、成績のわりに地味な印象の選手でしたが、徐々にベーブ・ルースの持つMLB記録となる714本塁打に近づくと、にわかに注目を浴び始めました。

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【名言語録その2】

「ルースのことは忘れてほしくない。ただ私のことを覚えていてほしい」

1973年のシーズンを終えた時、アーロンは通算713本塁打とルースの記録に迫っていました。偉大なる白人ベーブ・ルースの記録を、黒人のアーロンが越えるというのは、一部の白人にとって耐えがたいことでした。このオフには白人至上主義者からの執拗な嫌がらせや脅迫が次々に届きます。

本人への殺害予告は勿論ですが、当時、大学生だった娘を誘拐するという脅迫もあり、翌1974年4月8日にルースの記録を破った日も、娘はFBI職員に警護されながら、自宅でテレビ観戦をしいられました。この時、ホームインしたアーロンにバックネット前で母親が抱きつき、離れようとしませんでしたが、それは万が一のために、息子の弾避けになるつもりだったからだそうです。

アーロン自身も球場の出入りは秘密通路を使い、必ずボディガードを連れて出掛け、レストランでは扉に背を向けて座ることはなく、席を離れたら一切テーブルに置かれた水に手をつけることはなかったそうです。ホテルのチェックインもすべて偽名を使っていました。

アーロンは公民権運動の指導者であるマーチン・ルーサー・キング・JRに会った時、「自分には何ができるだろうか」と問いかけました。キングは「君は心配しないで我々のためにプレーし続けてくれ」と答えたそうです。そのキングも1968年に暗殺されます。

アーロンはキングのアドバイス通り、黙々とプレーし続け、それでたくさんの人々に語りかけました。同じ黒人アスリートとして、アーロンとは対照的に過激な活動をしていたモハメド・アリは「ハンク・アーロンは私が唯一、自分以上に賞賛すべき人間なんだ」と語っています。

 

【名言語録その3】

「私のモットーはバットを振り続けることだった。スランプの時も気分が乗らない時も、野球以外でトラブルを抱えても、私がすべきことはただバットを振り続けることでした」

プロ野球選手になったアーロンですが、二グロリーグに入団した当時、彼は右打者なのにバットを握る時、右手の上に左手を置くクロスハンズだったそうです。

クロスハンズは練習方法のひとつとして、現在も少年野球などで使われる方法ですが、子どもの頃に、しっかりとした指導をうけたことがないアーロンですから、それは自己流だったに違いありません。そこから彼は歴史を変え、1977年には日本でも多くの野球ファンに知られる存在になりました。

1977年9月3日、王貞治がハンク・アーロンの記録を破りますが、アーロンは1974年に日米野球で来日し、王とホームラン競争をしています。結果は10対9でアーロンが勝ちました。また2006年のWBCの決勝戦で始球式に登場したアーロンは「サダハル・オーは素晴らしい人格者であり、本塁打競争をして以来の友人なんだ」と話し、日本代表監督だった王とにこやかに談笑しています。

自らも人格者だったアーロンは、引退後に「チェインジング・ザ・ドリーム基金」を設立し、それによってこれまで1000人近い子どもたちが高等教育を受けて、様々な分野で活躍しています。

2021年1月22日 、アーロンが亡くなると、アメリカのバイデン大統領は「脅迫やヘイトに向き合いながらも、ベースを回るたび、つまり755回に渡って、人々を若いさせ、人として、国として、成長することの大切さを示してくれました」と追悼しています。またオバマ元大統領も「過去に出会った中でもっとも強い人間だった」と賞賛しています。

最後にアーロンらしい言葉をもうひとつ。

「3割バッターは狙い球がきたら逃しません。2割8分のバッターは狙い球がきても、しばしばファウルにしてしまうのです。人生で何かしようという時にも、この差がそのままあてはまると思われることがあります。狙い球は絶対にくると信じてください。それをどうさばくかがすべてなのです」

 

名言からの学び

・歴史や社会は簡単には変えられないが、自分のことは変えられる

・その姿がすべてを語る

・本当に強い人間は信じる力を持ち、機会を逃さない

 

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