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アレックス・ロドリゲスの凄さが分かる名言・語録集!天才ホームランバッターの伝説エピソードから努力論まで

松井秀喜がMLBワールドシリーズでMVPをとった2009年、優勝したニューヨーク・ヤンキースのメンバーは実に豪華でした。野球殿堂入りを果たしたデレク・ジーター、マリアノ・リベラ、背番号が永久欠番となったホルヘ・ポサーダ、アンディ・ペティット、通算2500安打を越えるロビンソン・カノ、本塁打と打点王に輝いたマーク・テシェイラなどビッグネームが連なります。そのメンバーの中で4番を打ったのがA-Rodことアレックス・ロドリゲスです。

通算で3000本を越える安打、700本に迫る本塁打、300を上回る盗塁と、球史に残る記録を残し、端正な顔だちもあり、ハリウッド女優や人気歌手らと交際するなど、華やかなアメリカンドリームの体現者でもあるA-Rod。

しかし禁止薬物の使用スキャンダルが相次ぎ、162試合の出場停止処分を受けるなど、負のイメージも背負い、素晴らしい記録を残しながら、記者投票での野球殿堂入りは果たせなかったバリー・ボンズやロジャー・クレメンスのように、厳しい評価の目を向けられてもいます。

今回は光と影に彩られたA-Rodことアレックス・ロドリゲスの凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才ホームランバッターの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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アレックス・ロドリゲスについて

まずはアレックス・ロドリゲスの経歴を追ってみます。

1975年7月27日生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリンの出身。4歳の時にドミニカ共和国サントドミンゴに移住し、8歳の時に両親が離婚。再びアメリカに戻り、フロリダ州マイアミに住みます。高校時代は野球の他、バスケットボールやアメリカンフットボールでも活躍。1993年、マイアミ大学に進学する予定でしたが、シアトル・マリナーズがドラフト1巡目、しかも全体1位で指名し、プロ入りを決めます。

1994年はルーキーながらMLBの遊撃手としては史上3人目となる18歳でのメジャーデビューを果たします。3年目となる1996年に才能が開花し、史上3番目の若さで首位打者に輝き、ここから17年連続でシーズン100安打以上、15年連続で20本塁打以上を記録します。

1998年には遊撃手にして打率.310、打点124、42本塁打、46盗塁という、すべての要素において圧倒的な成績を残しました。2000年オフにフリーエージェントとなり、テキサス・レンジャーズに移籍後も素晴らしい活躍を続け、2003年には史上最年少で通算300本塁打を記録し、MVPも獲得。しかしチームは低迷し、2004年にニューヨーク・ヤンキースへトレードとなります。

ヤンキースではデレク・ジーターが不動の遊撃手として存在するため、主に三塁を守り、2005年に通算400本塁打とMVPを獲得。2007年に通算500本塁打を達成し、本塁打と打点の2冠に輝き、2010年には通算600本塁打に到達。しかし2013年に禁止薬物使用の疑惑が発覚し、翌2014年は全試合出場停止。2015年に復帰し、通算2000打点と3000本安打を達成。2016年シーズン途中で引退を発表ししました。

MLB通算22年(出場停止の1年を除く)、通算3115安打、696本塁打、329盗塁、打率.295。MVP3回、首位打者1回、本塁打王5回、打点王2回、シルバースラッガー賞10回、ハンク・アーロン賞4回、ゴールドグラブ賞2回。通算400、500、600本塁打の最年少記録など、数々のメジャー記録を打ち立てました。

引退後は野球解説者や実業家として活躍しています。

 

私が選ぶ、アレックス・ロドリゲスの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「私はプレッシャーは健全だと思いますが、それを扱える人はほんの少数です」

思えばA-Rodは、プロ入りの時からプレッシャーを感じていた筈です。ドラフトはマリナーズの1位というだけでなく、全米でも1位です。日本とは違い、毎年1200人以上も指名されるドラフトの1位はエリート中のエリートです。

A-Rodは生涯年俸だけで400億円を越え、その他の収入を合わせればとんでもない収入を手にし、ハリウッド女優や人気歌手らと交際するなど、まさにアメリカンドリームの体現者です。しかし、それらのすべてもまたプレッシャーともなり得ます。つまり結果と共に得られるものすべてはプレッシャーの種にもなるのです。

A-Rodの言う通り「プレッシャーは健全」です。なぜなら一流の者は常にプレッシャーにさらされるのが必然だからです。そしてそれを上手く扱ってこそ、超一流になれるのです。

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【名言語録その2】

「野球を表す言葉があります。それはわからないということです」

野球は筋書きのないドラマ、といいますが、人生もまた同じだと言えるかもしれません。A-Rodの野球人生において、もっもわからないことは禁止薬物問題を起こしたことです。

2009年にアメリカでもっとも有名なスポーツ雑誌であるスポーツ・イラストレイテッド誌が、2003年のドーピング検査で104名の選手から禁止されているステロイドの陽性反応があったことを報じ、その中にA-Rodの名前もありました。

当初は薬物使用を強く否定していたA-Rodですが、すぐに2001年から3年間にわたり禁止薬物の使用を認めました。更に2013年にはマイアミ・ニュータイムズという新聞が、マイアミのバイオジェネシスという医療機関が、メジャー選手たちに機能増強剤(PED)を提供していたことを報じ、A-Rodは証拠隠滅の工作も行っていたことが判明しました。

当時のコミッショナーであるバド・セリグは、A-Rodに対して211試合の出場停止処分を科しますが、彼は不服を申し立てて試合に出続け、MLBや選手会まで提訴し、完全に孤立します。さすがに味方がいなくなったと理解した後、一転して処分軽減を求め、1シーズン162試合の出場停止を受け入れました。

他にも高校時代から禁止薬物を使用していたという証言や、ヒト成長ホルモンの不法所持で逮捕されたカナダ人医師との関係も明らかになり、彼の評価は急落。同じようにドーピング問題で糾弾されたバリー・ボンズやロバート・クレメンス、マーク・マクガイア、サミー・ソーサなどと同様に、輝かしい数々の記録を残しながら、アメリカ野球殿堂入りは難しくなりました。

 

【名言語録その3】

「あのことによって僕は、鏡の前で、自分の人生をしっかり見つめなおす機会を得た。自分のすることすべて、決定すべてに責任があるのだと気が付くことができた」

「あのこと」とはもちろん薬物問題による出場停止です。処分が決定した後、A-Rodは一度球団側から断られたものの球団オフィスを訪ね、フロントスタッフたちに謝罪し、ファンに対しては手書きの謝罪文を発表しました。

そして復帰した2015年、本拠地ヤンキースタジアムにおいて、娘たちの前でMLB史上29人目となる3000本安打を記録し、辛辣で厳しいニューヨーカーたちから拍手をもらいました。

引退後は解説者としても活躍し、2023年のWBCでは決勝戦後にデビット・オルティズと共にインタビューアとして大谷翔平に話を聞き「憧れるのを辞めましょう」というインタビューに感銘を受けたと語っています。そして大谷の口から、日本時代に憧れていたメジャー選手のひとりとしてA-Rodという名前を聞いた時には、本当にうれしそうでした。

「人は自分の犯した間違いすべてによって定義づけられる必要はない。そこからどのように立ち直ったかについてもまた重要だ」

まさにその言葉通りであり、A-Rodはプレーヤーとしての栄光と挫折の意味を、残りの人生で証明していくことでしょう。

 

名言からの学び

・プレッシャーはあって当たり前である

・人生は簡単に転ぶ

・人は何度でも立ち上がることができる

 

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