つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

西武

埼玉西武ライオンズの歴代投手(エース)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

球史に名を残す大投手を数多く輩出してきた埼玉西武ライオンズ。

今回は埼玉西武ライオンズの歴代投手をリサーチして、最強の投手(エース)をご紹介します。

名投手たちの輝かしい実績を一緒にチェックしていきましょう!!

スポンサーリンク

 

埼玉西武ライオンズの歴代投手(エース)一覧まとめ!

1950年以降、そのシーズンの主な先発・中継ぎ・抑えの選手を一覧表にしてみました。

まずは先発から見てみましょう。そのシーズンで先発登板があり、最も多く勝ち星を挙げた投手を掲載しています。

埼玉西武ライオンズの歴代投手(先発)一覧まとめ!

選手名 背番号 先発登板 防御率 勝利数 投球回 完投数 タイトル
1950 川崎 徳次 21 22 3.43 12 231 16
武末 悉昌 18 14 3.09 12 165.1 11
1951 野口 正明 28 25 2.81 12 191.2 9
川崎 徳次 21 15 2.31 12 159.2 6
1952 野口 正明 28 30 2.59 23 260.1 15 最多勝利
1953 川崎 徳次 21 23 1.98 24 294.1 18 最多勝利、最優秀防御率、MVP、ベストナイン
1954 河村 久文 15 21 1.99 25 276 4
1955 河村 久文 15 30 2.35 21 279.1 10 最多奪三振
大津 守 16 27 2.50 21 255.2 11
1956 島原 幸雄 18 40 1.35 25 373.2 15
1957 稲尾 和久 24 33 1.37 35 373.2 20 最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、MVP、ベストナイン
1958 稲尾 和久 24 31 1.42 33 373 19 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、MVP、ベストナイン、日本シリーズMVP
1959 稲尾 和久 24 30 1.66 30 402.1 23
1960 稲尾 和久 24 24 2.59 20 243 19
1961 稲尾 和久 24 30 1.69 42 404 25 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン
1962 稲尾 和久 24 29 2.30 25 320.2 23 ベストナイン
1963 稲尾 和久 24 34 2.54 28 386 24 最多勝利、最多奪三振、ベストナイン
1964 井上 善夫 11 29 3.23 17 247.2 8
1965 池永 正明 20 30 2.27 14 253.2 14 新人王
1966 田中 勉 29 36 2.34 23 296.1 13 最多奪三振、ベストナイン
1967 池永 正明 20 40 2.31 23 335.1 19 最多勝利
1968 池永 正明 20 36 2.45 23 305 22
1969 池永 正明 20 32 2.57 18 263.1 21
1970 河原 明 18 28 4.18 13 237.1 12
1971 高橋 明 14 27 3.73 14 204.2 11
1972 東尾 修 21 41 3.66 18 309.2 13
1973 東尾 修 21 37 3.29 15 257.1 14
1974 加藤 初 11 26 2.95 12 189 7
田中 章 15 6 2.61 12 131 3
1975 東尾 修 21 31 2.38 23 317.2 25 最多勝利、最多奪三振
1976 東尾 修 21 22 3.18 13 243.1 15
1977 山下 律夫 17 18 3.46 12 156 3
1978 東尾 修 21 35 2.94 23 303.1 28
1979 松沼 博久 15 29 4.03 16 212.1 10 新人王
1980 東尾 修 21 33 3.79 17 235.1 18
1981 森 繁和 11 30 3.77 14 200.1 10
1982 松沼 雅之 16 24 2.76 11 172.2 6
1983 東尾 修 19 29 2.92 18 213 11 最多勝利、最優秀防御率、ベストナイン、MVP、ゴールデングラブ賞
1984 東尾 修 21 32 3.32 14 241.1 20 ゴールデングラブ賞
1985 東尾 修 21 23 3.30 17 174.1 11 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1986 渡辺 久信 41 24 2.87 16 219.2 13 最多勝利、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン
1987 工藤 公康 47 26 2.41 15 223.2 23 最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン、日本シリーズMVP
東尾 修 21 27 2.59 15 222.2 17 MVP、ゴールデングラブ賞
1988 渡辺 久信 41 25 3.60 15 185 14 最多勝利
1989 渡辺 久信 41 28 3.41 15 226.2 17
1990 渡辺 久信 41 29 2.97 18 224.1 16 最多勝利、ゴールデングラブ賞
1991 工藤 公康 47 23 2.82 16 175.1 10 最高勝率
1992 石井 丈裕 11 19 1.94 15 148.1 8 最高勝率、沢村賞、MVP、ベストナイン、日本シリーズMVP
1993 工藤 公康 17 23 2.06 15 170 4 最優秀防御率、最高勝率、MVP、ベストナイン
1994 郭 泰源 18 21 4.98 13 130 4 最高勝率
1995 新谷 博 17 23 2.93 11 169 7
1996 西口 文也 13 27 3.17 16 210.1 2
1997 西口 文也 13 26 3.12 15 207.2 2 最多勝利、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1998 西口 文也 13 25 3.38 13 181 1 最多勝利、最多奪三振、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1999 松坂 大輔 18 24 2.60 16 180 6 最多勝利、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2000 松坂 大輔 18 24 3.97 14 167.2 6 最多勝利、最多奪三振、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2001 松坂 大輔 18 32 3.60 15 240.1 12 最多勝利、最多奪三振、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2002 西口 文也 13 29 3.51 15 182 3 ゴールデングラブ賞
2003 松坂 大輔 18 27 2.83 16 194 8 最優秀防御率、最多奪三振、ゴールデングラブ賞
2004 松坂 大輔 18 19 2.90 10 146 10 最優秀防御率、ゴールデングラブ賞
西口 文也 13 21 3.22 10 117.1 0
帆足 和幸 34 14 4.30 10 104.2 1
2005 西口 文也 13 25 2.77 17 172 3
2006 松坂 大輔 18 25 2.13 17 186.1 13 ゴールデングラブ賞
2007 涌井 秀章 16 28 2.79 17 213 11 最多勝利
2008 岸 孝之 11 26 3.42 12 168.1 4 日本シリーズMVP
2009 涌井 秀章 18 27 2.30 16 211.2 11 最多勝利、沢村賞、ゴールデングラブ賞
2010 涌井 秀章 18 27 3.67 14 196.1 6 ゴールデングラブ賞
2011 西口 文也 13 22 2.57 11 140 2
2012 牧田 和久 35 27 2.43 13 178 3
2013 岸 孝之 11 26 3.08 11 178.1 3
野上 亮磨 20 24 3.95 11 152.2 0
2014 岸 孝之 11 23 2.51 13 161.1 5 最高勝率
2015 十亀 剣 21 24 3.55 11 152 1
2016 菊池 雄星 16 22 2.58 12 143 2
2017 菊池 雄星 16 26 1.97 16 187.2 6 最多勝利、最優秀防御率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2018 多和田真三郎 18 26 3.81 16 172.2 5 最多勝利
2019 ニール 54 17 2.87 12 100.1 0
2020 髙橋 光成 13 20 3.74 8 120.1 1
2021 髙橋 光成 13 26 3.78 11 173.2 0
2022 髙橋 光成 13 26 2.20 12 175.2 0
スポンサーリンク

 

1950年代

50年代前半は戦前からプロの世界で活躍していた川崎徳次投手野口正明投手が活躍しました。川崎投手は53年に最多勝、最優秀防御率、MVP、ベストナインを獲得、野口投手は52年に最多勝を獲得し、それぞれ20勝以上を挙げてのタイトル獲得でした。

50年に南海から移籍してきたプロ2年目の武末悉昌投手は同年チームトップタイの12勝、54年は同じくプロ2年目の河村久文投手が25勝を挙げる等、若い力も投手陣を牽引しました。

55年は河村投手と並んで大津守投手が21勝を挙げ、56年は島原幸雄投手がリーグトップとなる先発登板40試合を記録、25勝を挙げて防御率1.35をマークしました。

57年にプロ2年目で35勝を挙げて最多勝を獲得した稲尾和久投手は、最優秀防御率、MVP、ベストナインも受賞、翌年も33勝を記録して2年連続で最多勝と最優秀防御率を獲得しました。また、MVPとベストナインも2年連続で受賞し、巨人との日本シリーズでは7戦中6戦に登板、第3戦以降は5連投でチームの日本一に貢献して「神様仏様稲尾様」と評されました。

1960年代

稲尾投手は61年にタイ記録となるシーズン42勝を挙げ、3回目の最多勝と最優秀防御率を獲得、投球回数は404イニングを数えました。毎年チームトップの勝ち星を記録してきた稲尾投手ですが、63年に28勝を挙げて4回目の最多勝を獲得した以降は肩や肘の怪我に苦しみリリーフ登板が中心になりました。

サウスポーの井上善夫投手は64年に17勝を挙げてブレイク、同年5月にはノーヒットノーランを達成しました。

翌65年はルーキーの池永正明投手が14勝を記録して新人王に輝き、66年は5月に完全試合を達成した田中勉投手が23勝を挙げました。

池永投手と田中投手を軸に据えてチームは戦っていきましたが、田中投手は首脳陣への不満を語り67年オフに中日へトレードされ、池永投手は67年に最多勝を獲得し、69年まで勝ち頭としてチームを牽引しましたが、八百長に加わったと判断され後に球界追放となり、フルシーズンプレーしたのは69年が最後となりました。

1970年代

八百長事件で複数の主力投手が抜け、苦しいチーム事情の中、70年は河原明投手が13勝、71年は高橋明投手が14勝を挙げましたが、2桁の敗戦数を記録しました。

68年のドラフト会議で1位指名を受けて入団していた東尾修投手は打者の懐をえぐるシュートを武器にチーム力が低下したチームを牽引し、72年と73年にチームトップの勝ち星を挙げました。東尾投手が6勝に終わった74年は先発の加藤初投手と71年から中継ぎとして登板を重ねていた田中章投手が12勝をマークしました。

75年になると東尾投手が15勝を記録して高卒7年目で初めて最多勝に輝き、76年と78年もチームトップの勝ち星を挙げました。

77年は大洋から加入した山下律夫投手が先発ローテーションの一角として12勝を記録、79年はドラフト外で入団したアンダースローの松沼博久投手が防御率2.21で16勝をマークして新人王を受賞、福岡から所沢移転後1年目のチームを引っ張りました。

1980年代

80年代前半は円熟味が増した東尾投手が投手陣を牽引し、83年に2回目の最多勝を獲得最優秀防御率に加えてMVPも受賞してチームのリーグ優勝に大きく貢献しました。また、14勝を挙げた84年は通算200勝を達成し、85年はタイトル獲得こそならなかったものの17勝3敗と高い勝率を誇りました。

81年はプロ3年目の森繁和投手が14勝、82年は兄の松沼博久投手とともに78年オフに入団していた松沼雅之投手がチームトップとなる11勝を挙げ、10勝をマークした兄とともに先発ローテーションの一角を担いました。

85年に抑えも務めて11セーブを挙げていた渡辺久信投手は、86年に先発として24試合に登板、16勝を記録して最多勝に輝き、東尾投手が引退することとなった88年に2回目の最多勝を獲得する等、新エースに名乗り出ました。

87年に東尾投手とともにチームの勝ち頭だった工藤公康投手も同時期に先発として活躍し、87年はリーグトップの23完投を記録、防御率2.41で最優秀防御率のタイトルを獲得し、日本シリーズでも2勝1セーブを挙げて日本シリーズMVPを受賞しました。

1990年代

渡辺投手が90年、工藤投手が91年にチーム最多勝を記録し、92年はプロ4年目の石井丈裕投手が前年の7勝から15勝へ大きく勝ち星を伸ばし、沢村賞とMVPを受賞しました。

93年は工藤投手が最優秀防御率とMVPを受賞、94年は打線の援護に恵まれた郭泰源投手が13勝5敗の成績を残して最高勝率のタイトルを獲得しました。

工藤投手が94年オフにFAでダイエーに移籍し、先発投手陣が再編された95年にローテーションの中心を務めた新谷博投手はチーム最多となる11勝を挙げ、その新谷投手と96年に投手陣を牽引したのは大卒2年目の西口文也投手でした。

切れ味鋭いスライダーを決め球とし、このスライダーは大小に加えて縦横に変化する等様々なバリエーションがあり、空振りを多く奪いました。97年には最多勝、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、MVPとタイトルを多く獲得、リーグ2連覇を果たした98年も2年連続の最多勝を獲得しました。

99年は横浜高校から前年のドラフト会議で1位指名を受けて入団した「平成の怪物」松坂大輔投手がルーキーイヤーから輝きを放ち、16勝を挙げて最多勝と新人王を獲得、高卒新人の最多勝獲得は45年ぶりの快挙でした。

2000年代

松坂投手は150キロを超えるストレートと打者の手元で消える高速スライダーで相手打者を打ち取り、00年は14勝、01年は15勝で99年から高卒新人初となる3年連続での最多勝獲得となりました。

松坂投手が肘を痛めて離脱した02年は西口投手がリーグ2位となる15勝をマーク、8月には9回2アウトにヒットを打たれてノーヒットノーランを逃した試合がありました。

03年は松坂投手が復活して初の最優秀防御率を獲得、松坂投手がアテネオリンピックに参加して夏場にチームを離れた04年は松坂投手、西口投手、パームが武器のサウスポー・帆足和幸投手が10勝を挙げました。

西口投手は05年に自己最多となる17勝を挙げ、翌年は松坂投手が自己最多17勝をマークし、高校時代に大活躍した甲子園球場でプロ入り後初勝利とホームランを記録しましたが、同年オフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグのボストン・レッドソックスへ移籍しました。

松坂投手がチームを去った後、活躍したのは松坂投手と同じ横浜高校出身で05年のルーキーイヤーからローテーション入りを果たしていた涌井秀章投手で、07年と09年に最多勝を獲得、大きなカーブと抜群の制球力を武器に08年の日本シリーズで巨人打線を封じ込めて日本シリーズMVPに輝いた岸孝之投手も活躍しました。

2010年代

涌井投手は10年もチームトップの14勝を挙げましたが、翌年は怪我により離脱し、12年はシーズン途中に抑えに回りました。

11年は39歳のシーズンだった西口投手が勝ち頭になり、12年は2年目のアンダースロー・牧田和久投手が抑えから転向して13勝を記録、翌13年は岸投手とプロ5年目の野上亮磨投手が11勝で並び、野上投手は初の二桁勝利達成となりました。

涌井投手が13年オフにFAで地元のロッテへ移籍し、14年は岸投手がエースとして奮闘、
5月にノーヒットノーランを達成しました。15年は怪我もあり5勝に終わり、代わりにチームを牽引したのは十亀剣投手でしたが、好不調の波が激しく16年以降は低迷し、16年はサウスポーの菊池雄星投手がプロ7年目で初めて二桁勝利を記録、翌年は最多勝と最優秀防御率を獲得しました。

菊池投手は18年に14勝を挙げると同年オフにメジャーリーグに挑戦することになりますが、菊池投手を上回る16勝を挙げて最多勝を獲得したのは前年5勝だった多和田真三郎投手でした。

岸投手が16年オフにFAで楽天へ移籍し、18年オフに菊池投手が抜けたことから多和田投手への期待が高まりましたが、19年シーズン途中に多和田投手は体調不良のため戦列を離れ、来日1年目だったザック・ニール投手が11連勝を記録する等、ローテーションの中心として活躍しました。

20年からは19年に10勝をマークしていた髙橋光成投手が一本立ちし、22年までチームトップの勝ち星を記録しており、3年連続となる開幕投手を務めた23年シーズンも活躍が期待されています。

スポンサーリンク

 

埼玉西武ライオンズの歴代投手(中継ぎ)一覧まとめ!

続いて中継ぎ投手の一覧です。最優秀中継ぎのタイトルが創設された1996年からの表になります。05年にホールドポイント(ホールド+救援勝利)が導入されるまでは登板数が一番多い投手を掲載しています。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 ホールドポイント タイトル
1996 橋本 武広 34 55 2.27 0 -
1997 橋本 武広 34 68 1.68 2 - 最多ホールド
1998 橋本 武広 34 66 3.53 1 -
1999 橋本 武広 34 55 3.54 1 -
2000 橋本 武広 34 65 3.00 2 -
2001 橋本 武広 34 60 3.06 0 -
2002 森 慎二 19 71 2.07 6 - 最優秀中継ぎ
2003 森 慎二 19 61 2.31 7 - 最優秀中継ぎ
2004 星野 智樹 26 56 2.15 4 -
2005 森 慎二 11 48 4.22 2 19
2006 石井 貴 21 46 3.49 4 27
2007 三井 浩二 29 47 2.22 4 27
2008 星野 智樹 26 63 2.38 4 29
2009 星野 智樹 26 62 4.08 1 23
2010 藤田 太陽 45 48 3.91 6 25
2011 ミンチェ 23 48 1.98 6 27
2012 ウィリアムズ 54 55 1.70 4 29
2013 ウィリアムズ 54 47 1.89 1 22
2014 ウィリアムズ 54 60 2.96 6 26
2015 増田 達至 14 72 3.04 2 42 最優秀中継ぎ
2016 牧田 和久 35 50 1.60 7 32
2017 シュリッター 47 64 2.83 1 33
2018 平井 克典 25 64 3.40 3 24
2019 平井 克典 25 81 3.50 5 41
2020 平良 海馬 61 54 1.87 1 34 新人王
2021 ギャレット 33 61 3.77 4 21
2022 平良 海馬 61 61 1.56 1 35
水上 由伸 69 60 1.77 4 35 新人王
スポンサーリンク

 

1990年代

90年代後半に多くの試合に登板したのはサウスポーの橋本武広投手でした。93年オフにトレードでホークスから入団し、95年からワンポイントリリーフとして50試合以上の登板を続けました。

97年にはホールドを積み重ねて最多ホールド投手に輝きました。

2000年代

橋本投手は01年までチーム最多登板を記録し、その橋本投手を上回る登板数を02年に記録したのは00年に抑えとして起用され、この年はセットアッパーとして起用された森慎二投手でした。落差の大きなフォークボールを武器に抑えの豊田清投手に繋ぐ役割を担い、02年と03年に最優秀中継ぎのタイトルに輝きました。

04年はサウスポーの星野智樹投手が主にワンポイントリリーフとして56試合に登板、ホールドポイントが導入された05年は森投手が19ホールドポイントを記録しました。

06年は先発から中継ぎに回った石井貴投手がセットアッパーを担い、07年は前年に石井投手とブルペン陣を支えた三井浩二投手が自己最多の47試合に登板してリーグ3位となる27ホールドポイントをマークしました。

三井投手が不調に陥った08年は星野投手がその穴を埋め、翌09年もリリーフエースとして活躍しました。

2010年代

星野投手が不調に苦しんだ10年にリリーフエースの座を掴んだのは09年途中に阪神からトレードで加入した藤田太陽投手でしたが、11年は二軍暮らしが続き、11年は先発経験があり、ロングリリーフとして当初は起用されていたミンチェ投手がセットアッパーの座に就きました。

そのミンチェ投手は同年オフにFA権を行使してオリックスに移籍、チームはメジャーリーグ経験者のランディ・ウィリアムズ投手を獲得、12年から14年まで球威のあるストレートを武器にセットアッパーを担いました。

15年はプロ3年目で初めて開幕一軍を果たした増田達至投手がセットアッパーに起用されて最優秀中継ぎを獲得、増田投手が抑えに回った16年は先発から配置転換された牧田和久投手、翌17年は牧田投手とともに増田投手へ繋ぐ役割を担ったブライアン・シュリッター投手が33ホールドポイントを記録しました。

牧田投手とシュリッター投手が17年限りでチームを離れ、新たな中継ぎエースとして台頭したのはプロ2年目の平井克典投手で、18年は24ホールドポイント、19年は歴代2位となる81試合に登板して41ホールドポイントを記録し、チームのリーグ連覇に大きく貢献しました。

20年は夏場に平井投手が先発に回り、高卒3年目の平良海馬投手が代わりを務めて54試合の登板で防御率1.87、34ホールドポイントをマークして新人王に輝きました。

21年に抑えの増田投手が不調になると平良投手が代役を務め、リード・ギャレット投手がセットアッパーに起用され、22年は再び平良投手と前年に育成枠から昇格していた水上由伸投手が勝ち試合の終盤を任され、水上投手はパリーグ初となる育成出身での新人王受賞者になりました。

埼玉西武ライオンズの歴代投手(抑え)一覧まとめ!

ここではその年一番多くセーブを記録した投手を掲載しています。

74年からセーブがプロ野球に導入されましたが、導入当初はリリーフ専門の投手は少なく、確実に勝利するために先発のエースやローテーション投手の1人が終盤の3イニングを投げることがありました。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 セーブ数 タイトル
1974 田中 章 15 44 2.61 12 9
1975 東尾 修 21 23 2.38 23 7 最多勝利、最多奪三振
1976 東尾 修 21 21 3.19 13 5
1977 永射 保 31 34 3.33 9 6
1978 池田 弘 44 24 4.50 3 2
1979 森 繁和 11 18 4.52 5 7
1980 森 繁和 11 22 4.70 10 7
1981 古沢 憲司 51 32 2.05 1 6
1982 森 繁和 11 45 3.18 10 10
1983 森 繁和 11 59 1.48 5 34 最優秀救援
1984 森 繁和 11 38 2.81 6 13
1985 渡辺 久信 41 28 3.20 8 11
1986 郭 泰源 12 30 2.91 5 16
1987 渡辺 久信 41 21 3.07 5 8
1988 小田 真也 52 41 3.48 1 5
1989 山根 和夫 17 31 3.88 6 4
1990 鹿取 義隆 26 37 3.00 3 24 最優秀救援
1991 鹿取 義隆 26 34 1.78 7 8
1992 鹿取 義隆 26 37 2.47 10 16
1993 鹿取 義隆 26 41 2.25 5 16
1994 新谷 博 17 33 2.91 10 9 最優秀防御率
1995 潮崎 哲也 16 45 1.92 5 12
1996 潮崎 哲也 16 39 2.84 8 11
1997 石井 貴 14 57 3.61 10 9
森 慎二 19 35 3.28 6 9
1998 デニー 36 53 2.60 7 8
1999 西崎 幸広 21 33 3.41 2 20
2000 森 慎二 19 58 1.83 5 23
2001 豊田 清 20 47 2.83 5 28
2002 豊田 清 20 57 0.78 6 38 最優秀救援
2003 豊田 清 20 58 1.24 2 38 最優秀救援
2004 豊田 清 20 34 0.98 5 11
2005 豊田 清 20 35 3.97 3 19
2006 小野寺 力 14 59 2.82 7 29
2007 グラマン 54 30 4.08 4 17
2008 グラマン 54 55 1.42 3 31
2009 小野寺 力 14 47 3.98 3 16
2010 シコースキー 50 58 2.57 2 33 最多セーブ
2011 牧田 和久 35 45 2.61 5 22 新人王
2012 涌井 秀章 18 52 3.71 1 30
2013 サファテ 26 58 1.87 9 10
2014 高橋 朋己 43 63 2.01 2 29
2015 高橋 朋己 43 62 2.92 2 22
2016 増田 達至 14 53 1.66 3 28
2017 増田 達至 14 57 2.40 1 28
2018 増田 達至 14 41 5.17 2 14
2019 増田 達至 14 65 1.81 4 30
2020 増田 達至 14 48 2.02 5 33 最多セーブ
2021 平良 海馬 61 62 0.60 3 20
2022 増田 達至 14 52 2.45 2 31
スポンサーリンク

 

1970年代

埼玉西武ライオンズの歴史を振り返ってみると同様の傾向が見られ、74年はリリーフ中心だった田中章投手がチームトップの勝ち星とセーブを挙げましたが、翌年からの2年間チームトップのセーブ数を記録したのはエースの東尾修投手で、75年は最多勝に輝きました。

77年は変則サウスポーの永射保選手が規定投球回に到達しながら6セーブを挙げ、78年はリリーフ中心で登板した池田弘投手、79年は前年のドラフト会議で1位指名を受けて入団した森繁和投手が先発にリリーフにフル回転しました。

1980年代

森投手は80年に二桁勝利とチームトップのセーブ数を記録、森投手が登板31試合中30試合に先発登板した81年は古沢憲司投手がチームトップでした。

82年に就任した広岡達朗監督は開幕早々に森投手をリリーフに回し、以降はリリーフエースとして登板を重ね、83年に34セーブを挙げ最優秀救援のタイトルを獲得しました。

森投手が怪我で登板が減少した80年代半ばは先発と兼務した渡辺久信投手郭泰源投手が活躍しました。

88年と89年はリリーフ専門の小田真也投手山根和夫投手がチームトップのセーブ数をマークしました。

1990年代

90年代に入ると分業制が確立されていき、巨人でリリーフ専門投手として活躍していた鹿取義隆投手が移籍1年目の90年に最優秀救援を獲得、92年には通算100セーブを達成しました。

鹿取投手が中継ぎに回ると新谷博投手が先発を務めながら9セーブを記録して最優秀防御率に輝き、95年からの2年はシンカーを武器とした潮崎哲也投手が最終回に登板し、セーブを積み重ねました。

97年は石井貴投手森慎二投手、98年はデニー投手が試合を締め、リーグ連覇に貢献しました。

99年は日本ハムで先発として活躍していた西崎幸広投手が抑えに回り、20セーブを挙げました。

2000年代

00年は森投手が防御率1.83、23セーブを記録しましたが翌年不調に陥ると豊田清投手が代わりを務め、豊田投手は02年と03年に最優秀救援を獲得しました。

豊田投手は02年に防御率0.78、04年に防御率0.98を記録する等安定したピッチングを披露していましたが、05年は怪我に苦しみ19セーブに留まり、同年オフにFAで巨人に移籍しました。

06年と09年は小野寺力投手が多くのセーブを挙げ、07年からの2年はアレックス・グラマン投手が最終回のマウンドに上がり、08年は31セーブを記録しました。

2010年代

10年はロッテや巨人でリリーフとして活躍していたブライアン・シコースキー投手が33セーブを挙げて最多セーブのタイトルを獲得、シコースキー投手が肘痛でシーズン途中に退団した11年はルーキーの牧田和久投手が先発から抑えに回り、22セーブを挙げてチームとしては松坂大輔投手以来の新人王に輝きました。

12年は先発ローテーションの柱だった涌井秀章投手が配置転換され、13年はセットアッパーを務めていたデニス・サファテ投手が抑えに回りました。

サファテ投手がホークスに移籍した14年に抜擢されたのは球威のあるストレートが武器の高橋朋己投手でした。2年間で51セーブを挙げ、守護神定着を期待されていましたが、16年シーズン開幕直後に肘痛で離脱、前年に中継ぎとして登板を重ね、最優秀中継ぎに輝いていた増田達至投手が代役を務めました。

増田投手は不調だった21年は平良海馬投手に抑えの座を譲りましたが、それ以外の年では毎年安定した成績を残しており、20年には33セーブを挙げて最多セーブを獲得しました。

22年シーズン終了時点で通算175セーブを記録しており、23年シーズンでの通算200セーブ達成が期待されています。

スポンサーリンク

 

【埼玉西武ライオンズ】歴代投手の年俸ランキング!歴代最高年俸は松坂大輔投手の3億3000万円!

ここでは埼玉西武ライオンズの歴代投手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は先発・中継ぎ・抑えとしてチームトップの成績を残したシーズンの数字を記載しています。

先発投手の年俸が高くなる傾向がありますが、埼玉西武ライオンズでは傾向どおり先発投手が多くランクインしました。

1 2006 松坂 大輔 3億3000万円 2.13 17 25
2 2022 増田 達至 3億0000万円 2.45 2 52
3 2005 豊田 清 2億3000万円 3.97 3 35
4 2012 涌井 秀章 2億1000万円 3.71 1 55
5 2005 西口 文也 2億0000万円 2.77 17 25
5 2014 岸 孝之 2億0000万円 2.51 13 23

 

1位は「平成の怪物」と呼ばれ、ルーキーイヤーだった99年からエースとしてチームを引っ張った松坂大輔投手で、メジャーリーグに挑戦する前の最後のシーズンとなった06年の3億3000万円が歴代最高年俸となりました。渡米前最後のシーズンも17勝を挙げ、しっかり結果を残して海を渡りました。

2位は22年の増田達至投手3億円です。10年代後半は主に守護神として勝利に貢献し、20年に最多セーブのタイトルを獲得しました。21年からは複数年契約を結び、22年は前年の不調から脱して31セーブを挙げました。

3位は05年まで守護神を務めた豊田清投手。01年に抑えの座を掴むと毎年安定した成績を残し、02年と03年は2年連続で最優秀救援のタイトルに輝きました。05年は年俸2億3000万円でプレーしましたが、同年オフにFAで巨人に移籍しました。

4位は松坂投手がチームを去った後にエースとして奮闘した横浜高校の後輩・涌井秀章投手で、07年に最多勝を獲得する等、先発の柱としてチームを牽引していましたが、2億1000万円でプレーした12年は抑えを任され、30セーブを記録しました。

5位には2人ランクインし、2億円でプレーした05年の西口文也投手と14年の岸孝之投手です。西口投手は切れ味鋭いスライダーを武器に90年代後半からローテーションの一角として勝利に貢献し、岸投手は大きな変化をするカーブで相手打者を打ち取り、00年代後半からエース格として投げ続けました。

 

私が思う最強の埼玉西武ライオンズの歴代投手は松坂大輔投手!

白星を多く積み重ね、チームを牽引した投手が多い埼玉西武ライオンズの投手で、歴代最強の投手は「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔投手だと考えます。

ここで、松坂大輔投手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球評論家
生年月日:1980年9月13日
身長:182cm
出身:東京都
最終学歴:横浜高校
血液型:O型

1980年(昭和55年)9月13日生まれ、東京都江東区出身。1998年のドラフト会議で3
球団が1位指名をして、抽選の結果、交渉権を獲得した当時の西武ライオンズに入団しました。

横浜高校在籍時に甲子園春夏連覇、夏の決勝戦でのノーヒットノーラン等、数々の伝説を残して入団し、プロの世界でも1年目からローテーションの一角を担いました。

デビュー戦となった99年4月7日の日本ハム戦では最速155キロを計測して、8回2失点でプロ初勝利を挙げ、5月のオリックス戦では当時5年連続首位打者を獲得していたイチロー選手との初対戦で3打席連続三振を奪いました。最終的には16勝を挙げて45年ぶりとなる高卒新人での最多勝獲得投手になりました。00年は14勝、01年は15勝を挙げて史上初となる高卒新人年からの3年連続での最多勝を獲得しました。

150キロを超えるストレートと鋭く曲がる高速スライダー、縦に変化するスライダーを武器に三振の山を築き、メジャーリーグ挑戦前最後のシーズンとなった06年までの8年間で1355奪三振を記録しました。

8年間で積み上げた白星は108勝、獲得したタイトルは最多勝3回、最優秀防御率2回、最多奪三振4回、沢村賞1回を数え、高校時代から鍛え上げたフィールディングも評価され、ゴールデングラブ賞はパリーグ記録となる7回受賞しています。

西武ライオンズ在籍時にはシドニーオリンピックとアテネオリンピック、06年の第1回WBCに中心投手として出場、06年のWBCでは3試合に登板して3勝を挙げ、日本の世界一に大きく貢献して大会MVPに選出され、日本のエースとして君臨した松坂大輔投手が、記録でも記憶にも残る埼玉西武ライオンズの歴代最強のピッチャーではないでしょうか。

松坂大輔の凄さが分かる名言・語録集!天才投手の復活までの努力論や人生哲学まで

スポンサーリンク

埼玉西武ライオンズの歴代投手に関する豆知識

90年代後半から主力として活躍した西口文也投手。ライオンズ一筋21年で182勝を挙げ、最多勝2回、沢村賞を1回獲得する等、記録を残してきましたが、ピッチャーなら誰もが憧れる大記録を達成するチャンスが3回ありました。

1回目は02年8月のロッテ戦。フォアボール1個で9回2アウトまでたどり着き、ノーヒットノーランまであと1アウトでしたが、小坂誠選手にヒットを打たれました。

2回目は05年交流戦の巨人戦。デッドボールで出塁させたのみで、またしてもノーヒットのまま9回2アウトを迎えましたが、清水隆行選手に得意のスライダーをライトスタンドに運ばれました。

3回目は2回目と同じ05年8月の楽天戦。過去2回と違い1人のランナーも許さず9回を投げ切りましたが、味方打線は得点することができず、試合は延長戦へ突入しました。
迎えた10回表、沖原佳典選手にライト前ヒットを許し、完全試合・ノーヒットノーランを逃しました。

西口投手は引退会見で「ノーヒットノーランを達成できなかったことが心残り」と話していましたが、素晴らしい投球を数多く見せてくれた大投手の1人としてファンの心に刻まれています。

西口文也の凄さがわかる名言!天才投手の伝説エピソードから人生哲学にも迫る!

まとめ

・埼玉西武ライオンズの先発投手は稲尾和久投手や東尾修投手、松坂大輔投手が多くのシーズンでチームの勝ち頭だった。

・中継ぎでは森慎二投手や増田達至投手がタイトルを獲得し、抑えでは豊田清投手や増田投手がタイトルを獲得する活躍を見せた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、06年シーズンの松坂投手の3億3000万円。

・松坂投手は史上初の高卒新人のルーキーイヤーからの3年連続最多勝等、数々のタイトルを獲得し、WBCのMVPにも選ばれた埼玉西武ライオンズ歴代最強の投手である。

 

関連記事

埼玉西武ライオンズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

埼玉西武ライオンズの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

埼玉西武ライオンズの歴代セカンド(二塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

埼玉西武ライオンズの歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

【西武ライオンズ】歴代4番打者の一覧まとめ!印象的な4番打者もご紹介

スポンサーリンク

-西武

こんな記事も読まれています