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潮崎哲也の凄さが分かる名言・語録集!魔球シンカーを操る天才サイドスローの伝説エピソードから努力論まで

今は数少なくなったサイドスロー投手ですが、西武ライオンズの黄金期には二人のサイドスロー投手が試合の終盤を支えていました。ひとりは読売ジャイアンツでも活躍した通算131セーブの鹿取義隆。そしてもうひとりは「魔球」とも呼ばれたシンカーを駆使して55セーブをあげ、後には先発もこなした潮崎哲也です。

サイドスローのシンカーといえば、日本プロ史上2位となる286セーブを誇る高津臣吾が有名です。実はこの高津のシンカーは、日本シリーズで潮崎と対戦し、そのシンカーの威力を目にした野村克也監督が、高津にそれを覚えるよう勧めたものでした。

その潮崎自身もまた、対戦相手がシンカーを投げていたのを見た高校の監督からのアドバイスで、身に着けたものです。変化球というものが、どのように受け継がれていくのかがわかるエピソードです。

今回は魔球シンカーを操る潮崎哲也の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才サイドスローの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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潮崎哲也について

まずは潮崎哲也の経歴を追ってみます。

1968年11月26日生まれ、徳島県鳴門市出身。地元の鳴門高校に進学しますが、当時はスリークォーターのフォームで控え投手でした。2年生の時にサイドスローに変え、3年生になって監督のアドバイスによりシンカーを覚え、徳島県大会では決勝まで進出する原動力になります。

高校卒業後は松下電器に入社。都市対抗野球で活躍し、1988年のソウルオリンピック日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献します。1989年のドラフトでは野茂英雄、与田剛と共に注目され、西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の1位指名を受け、入団します。

1年目から開幕1軍入りし、早速8連続奪三振などの快投を見せ、セットアッパーとして同じサイドスローの鹿取に繋ぐ役割だけではなく、時にストッパーとしても活躍を見せ、チームの日本一に貢献。レギュラーシーズンと日本シリーズの両方で胴上げ投手となりました。

2年目となる1991年には10勝と初の2桁勝利をあげ、入団から1996年まで7年連続で40試合以上に登板し、ブルペンを支えました。1997年に先発へと転向。自己最多となる12勝を記録。2000年には通算1000投球回に到達し、2004年限りで引退。

プロ通算15年間で82勝、55セーブ、防御率3.16。

引退後はライオンズのコーチや二軍監督、編成などに携わり、ライオンズ一筋にチームを支えて続けています。

 

私が選ぶ、潮崎哲也の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「軽い気持ちでやってみたら、あっさり変化した」

潮崎の代名詞ともいうべきシンカーですが、高校3年生の時に練習試合で、相手投手がいいシンカーを投げているのを見た当時の監督が「お前もああいうピッチャーを目指さないといけない」と言ったので、試してみたのがきっかけでした。

「カーブとまったく逆の握りにしたら正反対に変化するのでは」と考えた潮崎は、ブルペンでそれを試してみたら「あっさり変化した」のだそうです。変化球は投球フォームや握り方の相性があるので、誰かのマネをしても上手くいくとは限りません。潮崎はたまたま自分に合う投げ方をすぐに見つけることができました。

しかし潮崎は魔球とも言われたシンカーを「本来は別の球種だと思うんです」と話しています。シンカーは右打者は詰まらせて、左打者はバットの先に当ることで、主に内野ゴロを打たせるボールです。でも潮崎は社会人野球を経験し、金属バットでは芯を外してもホームランになるため、空振りをさせるためのボールとして投げていました。

どんな球種も、それぞれの投手によって様々な工夫がなされ、オリジナルなものになって行くのでしょう。

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【名言語録その2】

「常に勝ち負けのつくところで投げているわけだから、それに関しては別に何とも思わなかったですね」

潮崎の言う「それ」とは、1992年のヤクルトスワローズとの日本シリーズのことです。第5戦に延長10回表、潮崎は池山隆寛に決勝ホームランを打たれました。「少し慢心があったからこそ浴びてしまった一発でした」と反省を口にしますが、更に第6戦でも延長10回裏、秦真司にサヨナラホームランを食らいました。

2度の決定的なホームランを浴びながらも、ライオンズは見事にこのシリーズを制して日本一に輝きます。打たれながらも潮崎のシンカーは敵将野村克也に強い印象を与え、同じサイドスローの高津臣吾にシンカーの修得を命じたのです。

しかし決め球ひとつだけで活躍できるほどプロは甘くありません。そこにはシンカーというボールの威力だけではなく、たとえ打たれても淡々と仕事をこなす潮崎のメンタルの強さも含まれるものだったのでしょう。

勝ちパターンのリリーフ投手にとって、ひとつの負けを引きずらない、メンタルの強さも武器なのです。

 

【名言語録その3】

「魔球?自分ではそんな風にはまったく感じていませんでしたよ」

シンカーを投げ始めた時は、「ただの遅い球」という感覚だったという潮崎。チェンジアップに近い感覚なのか、「真っ直ぐは高く、シンカーは低く」というイメージで投げていたそうです。

投げていくうちに「この球、打たれないな」と思うようになり、更に磨きをかけることでプロにまで上り詰めましたが、もしシンカーがなかったら、高校卒業後は「草野球レベルでしかやっていなかった」だろうと語っています。

「魔球」と言われたことについても、「子どもの頃は野球マンガやアニメで、いろいろな魔球を見ていた世代」と言うだけあり、潮崎自身は「こんなのありえない」というのが「魔球」であり、彼のシンカーは全然違っているようです。

しかし面白いようにバッターを空振りさせるそのボールは、潮崎を見ていた世代の子どもたちにとっては、間違いなく「魔球」だったのではないでしょうか。

 

 

名言からの学び

・工夫がオリジナルを生み出す

・メンタルの強さは最高の武器である

・評価とは自分自身以外の声である

 

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