つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

横浜

横浜DeNAベイスターズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

複数回のチーム名変更がありながら、1950年からの歴史を持つ横浜DeNAベイスターズのキャッチャーをこれまで多くの選手が守ってきました。

今回は横浜DeNAベイスターズの歴代キャッチャーをリサーチして、横浜DeNAベイスターズ歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。

懐かしい名前が登場するかもしれません。それではチェックしていきましょう!!

スポンサーリンク

 

横浜DeNAベイスターズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 門前真佐人 17 128 0.280 25 110
1951 門前真佐人 17 97 0.255 7 44
1952 荒川 昇治 24 109 0.241 1 36
1953 目時 春雄 11 120 0.273 12 56
1954 目時 春雄 11 12 0.215 7 37
1955 目時富士雄 11 105 0.197 6 25
1956 土井 淳 25 85 0.190 2 13
1957 土井 淳 39 111 0.248 4 25
1958 土井 淳 39 108 0.242 7 38
1959 土井 淳 39 102 0.190 2 18
1960 土井 淳 39 117 0.212 2 22 ベストナイン
1961 土井 淳 39 115 0.196 0 12
1962 島野 雅亘 37 108 0.251 2 11
1963 土井 淳 39 118 0.242 1 11
1964 伊藤 勲 34 125 0.217 13 51
1965 伊藤 勲 34 104 0.197 4 17
1966 伊藤 勲 34 101 0.226 5 18
1967 伊藤 勲 5 106 0.235 5 22
1968 伊藤 勲 5 122 0.188 14 32
1969 伊藤 勲 5 126 0.266 23 60
1970 伊藤 勲 5 102 0.209 7 28
1971 伊藤 勲 5 110 0.195 4 28
1972 伊藤 勲 5 123 0.212 12 40
1973 伊藤 勲 5 130 0.236 11 35
1974 伊藤 勲 5 93 0.217 9 24
1975 伊藤 勲 5 116 0.262 10 36
1976 福嶋 久晃 10 112 0.266 18 45
1977 福嶋 久晃 10 105 0.262 13 50
1978 福嶋 久晃 10 118 0.249 15 46
1979 福嶋 久晃 10 110 0.245 13 44
1980 福嶋 久晃 10 122 0.211 13 45
1981 福嶋 久晃 10 106 0.248 7 37
1982 高浦美佐緒 39 91 0.172 0 6
1983 辻 恭彦 8 72 0.205 3 13
1984 若菜 嘉晴 9 99 0.271 8 25
1985 若菜 嘉晴 9 130 0.268 7 44
1986 若菜 嘉晴 9 122 0.288 4 29
1987 若菜 嘉晴 9 81 0.301 4 27
1988 市川 和正 33 96 0.282 6 37
1989 市川 和正 33 103 0.232 5 19
1990 谷繁 元信 1 75 0.175 3 16
1991 秋元 宏作 39 81 0.250 1 18
1992 秋元 宏作 39 98 0.213 2 27
1993 谷繁 元信 8 114 0.234 4 26
1994 谷繁 元信 8 129 0.228 5 36
1995 谷繁 元信 8 93 0.249 6 21
1996 谷繁 元信 8 127 0.300 8 54
1997 谷繁 元信 8 128 0.232 13 46
1998 谷繁 元信 8 134 0.254 14 55 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1999 谷繁 元信 8 122 0.295 11 51
2000 谷繁 元信 8 122 0.251 9 44
2001 谷繁 元信 8 137 0.262 20 70
2002 中村 武志 39 107 0.201 5 19
2003 中村 武志 39 79 0.268 11 37
2004 相川 亮二 8 102 0.263 8 46
2005 相川 亮二 8 144 0.259 8 46
2006 相川 亮二 8 119 0.245 6 39
2007 相川 亮二 8 123 0.302 2 33
2008 相川 亮二 8 101 0.255 7 22
2009 細山田武史 36 88 0.158 0 11
2010 武山 真吾 61 95 0.187 1 22
2011 細山田武史 36 84 0.208 1 11
2012 鶴岡 一成 10 102 0.189 1 15
2013 鶴岡 一成 10 108 0.250 3 40
2014 黒羽根利規 9 109 0.264 2 24
2015 嶺井 博希 39 74 0.237 5 26
2016 戸柱 恭孝 10 124 0.226 2 23
2017 戸柱 恭孝 10 112 0.214 9 52
2018 嶺井 博希 39 91 0.177 5 25
2019 伊藤 光 29 84 0.254 8 27
2020 戸柱 恭孝 10 96 0.212 5 23
2021 伊藤 光 29 53 0.213 2 13
スポンサーリンク

 

1950年代

50年代は4人の選手が守り、チームが創設された50年からの2年は阪神等でプレーした門前真佐人選手でした。2年間レギュラーとしてプレーしましたが、51年シーズン終了後に故郷の広島に移籍し、松竹から希望して移籍してきた荒川昇治選手が1年起用されました。

53年に大洋が松竹と合併すると松竹で正捕手を務めていた目時春雄選手が起用され、53年に自己最多となる12本塁打を記録しました。

その目時選手から56年に明治大学から入団した土井淳選手がポジションを奪い、同じく明治大学から入団した秋山登投手とともに活躍しました。打撃成績は目立った記録は残していませんが、巧みなリードと強肩を武器にチームを支えました。

1960年代

土井選手はコーチを兼任した60年にベストナインを受賞し、チームの初優勝に貢献、62年に島野雅亘選手にレギュラーを奪われましたが、63年に返り咲きました。

土井選手は64年シーズン限りで引退し、同年レギュラーを奪ったのは4年目の伊藤勲選手でした。打率は低かったものの一発のある打撃を披露し、69年には現在でも球団のキャッチャーとして最多となるシーズン23本塁打を記録しました。

1970年代

伊藤選手は65年までレギュラーを務め、73年には通算100本塁打を記録する等活躍しましたが、76年に福嶋久晃選手がメインで起用されるようになりました。

レギュラー1年目の76年から二桁本塁打を記録し、一発のあるキャッチャーとして活躍しました。

1980年代

81年まで福嶋選手がレギュラーを務めましたが、82年は高浦美佐緒選手、83年は阪神でレギュラー経験のあったベテランの辻恭彦選手が起用されました。

84年からの4年間は阪神を退団後、アメリカに渡っていた若菜嘉晴選手が入団してプレーし、85年は全試合に出場しました。87年に首脳陣と衝突すると出場機会は減り、88年から起用されたのは市川和正選手で、それまで85年の44試合出場が最多でしたが、88年は96試合、89年は103試合に出場しました。

1990年代

90年代は球界を代表する名キャッチャーがレギュラーを掴みました。高卒2年目だった谷繁元信選手は90年に出場機会が増え、西武から移籍してきた秋元宏作選手とともに起用されました。

打撃は谷繁選手、守備は秋元選手に分があり、それぞれの持ち味を発揮してチームを支えましたが、後に監督になる大矢明彦コーチの指導の下、力を付けた谷繁選手が93年からレギュラーの座を手にしました。

38年ぶりに優勝した98年はベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、マシンガン打線の中で恐怖の8番打者として活躍しました。

2000年代

01年に自身初となる20本塁打を記録した谷繁選手は同年オフにFA宣言をしてメジャーリーグ挑戦を表明しますが、合意には至らず、中日ドラゴンズへ移籍することとなりました。

すると中日でレギュラーを長年務めていた中村武志選手が加入し、02年と03年に起用されましたが、相川亮二選手が台頭して、04年は100試合以上に出場、アテネオリンピックの代表にも選ばれました。

相川選手は06年にWBC代表に選出される等、球界を代表するキャッチャーに成長しましたが、谷繁選手と同様に08年シーズン終了後にFA宣言をして、メジャーリーグを目指しました。最終的には国内移籍となり、ヤクルトへ移籍することとなりました。

相川選手が抜けた09年は、早稲田大学から入団した細山田武史選手がメインで起用されました。

2010年代

10年代前半はレギュラーが定まらず、後半は16年から指揮を執ったアレックス・ラミレス監督のデータ重視の采配により多くのキャッチャーが起用されました。

10年はロッテから加入した橋本将選手を押しのけ武山真吾選手が多く起用され、11年は細山田選手が試合出場を重ねましたが、レギュラー定着とはなりませんでした。

12年は08年シーズン途中に巨人にトレード移籍していた鶴岡一成選手がFA権を行使して復帰し、キャリアハイとなる出場試合数を記録、13年も同記録を更新しました。

しかし同年オフに久保康友投手が阪神からFAで入団し、人的補償で阪神に移籍することとなり、14年は黒羽根利規選手が務め、15年はプロ2年目の嶺井博希選手がポジションを奪いました。

ラミレス監督就任後の16年以降は、ラミレス監督の評価が高かった戸柱恭孝選手、嶺井選手、オリックスでレギュラー経験のあった伊藤光選手がデータや相性によって起用されました。

スポンサーリンク

 

横浜DeNAベイスターズの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は谷繁元信選手の1億4000万円!

ここで横浜DeNAベイスターズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2000 谷繁 元信 1億4000万円 0.251 122
2 2002 中村 武志 1億2500万円 0.201 107
3 2021 伊藤 光 1億1000万円 0.213 53
4 2008 相川 亮二 1憶0000万円 0.255 101
5 2012 鶴岡 一成 4000万円 0.189 102

多くの選手がマスクを被った横浜DeNAベイスターズのキャッチャーですが、1位は谷繁元信選手で、00年の1億4000万円が歴代最高年俸でした。若い頃から出場し続け、98年の38年ぶりのリーグ優勝に貢献した名キャッチャーは、最高年俸で迎えた00年も122試合に出場しました。

2位は1億2500万円中村武志選手で、谷繁選手がFAで中日に移籍したことにより、出場機会を求めてその中日からトレードで移籍した02年の年俸が、横浜DeNAベイスターズでの最高年俸でした。

3位は21年の伊藤光選手1億1000万円です。18年シーズン途中にオリックスからトレードで加入し、19年はレギュラーとして出場を重ねました。同年オフにFA権を行使せずに残留し、複数年契約を結び年俸は1億円を突破しました。

4位は08年の相川亮二選手。04年にレギュラーを掴み、アテネオリンピックやWBCの代表メンバーとしてもプレーしました。1億円に到達した08年は同年オフにFAでヤクルトに移籍したため、横浜で過ごした最後のシーズンとなりました。

5位にランクインしたのは鶴岡一成選手でした。貴重なバックアッパーとして活躍し、08年途中に巨人に移籍後も阿部慎之助選手欠場時に出場することが多く、巨人でも2番手キャッチャーとして活躍していましたが、12年にFAで横浜に戻ってきました。4000万円の最高年俸だった12年と13年はレギュラーとして出場しました。

 

私が思う歴代最強の横浜DeNAベイスターズのキャッチャー(捕手)は谷繁元信選手!

1億円プレーヤーが4人いる横浜DeNAベイスターズのキャッチャー陣で、歴代最強のキャッチャーは谷繁元信選手だと考えます。

ここで、谷繁元信選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1970年12月21日
身長:176cm
出身:広島県
最終学歴:江の川高校
血液型:A型

1970年(昭和45年)12月21日生まれ、広島県比婆郡東城町(現:庄原市)出身。1988年のドラフト会議で1位指名を受け、江の川高校から当時の大洋ホエールズに入団しました。

高卒新人ながら開幕一軍を果たし、二軍に落ちることなく80試合に出場し、翌年はレギュラーとして出場しました。西武から移籍してきた秋元宏作選手との併用が2シーズンありましたが、93年からはレギュラーを確保し、01年オフにFAで中日に移籍するまでレギュラーとして活躍しました。

大洋・横浜でプレーした13年間で1417試合に出場し、打率.237、103本塁打、462打点を記録しました。38年ぶりのリーグ優勝を果たした98年は、マシンガン打線の中で恐怖の8番打者として活躍し、攻守にわたってチームを支え、自身初となるベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。また、横浜でプレーした最後のシーズンとなった01年は自己最多となる20本塁打を放ちました。

中日に移籍後も長年レギュラーとして活躍し、高い捕球技術と卓越したリードでプロ野球を代表するキャッチャーに上り詰めました。その名選手が若い頃に経験を積み、横浜の地で活躍し、ファンが待ち望んだ38年ぶりのリーグ優勝に貢献した谷繁選手が横浜DeNA史上歴代最強のキャッチャーです。

スポンサーリンク

 

横浜DeNAベイスターズの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識

近年は生え抜きと移籍組がレギュラーを争うシーズンが続いています。

2012年に親会社が変わったことにより、横浜DeNAベイスターズにチーム名が変更になり、主にマスクを被ったのは巨人から移籍してきた鶴岡一成選手でした。トレードで巨人に移籍していましたが、FAで再入団し、2年間レギュラーを務めました。

生え抜きではパンチ力のある嶺井博希選手戸柱恭孝選手が出場機会を増やし、その2人と争っているのは、オリックスでレギュラー経験のある移籍組の伊藤光選手です。さらにBCリーグ出身の山本祐大選手も出場機会を増やしており、22年シーズンも誰がスタメンマスクを勝ち取るのか、注目です。

 

まとめ

・横浜DeNAベイスターズのキャッチャーは土井淳選手や伊藤勲選手、谷繁元信選手が長くレギュラーを務めた。

・伊藤選手は球団のキャッチャーとして最多となる23本塁打を記録した。

・歴代で一番年俸が高かったのは、谷繁選手の1億4000万円。

・谷繁選手は98年にベストナインとゴールデングラブ賞を初受賞し、38年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した横浜DeNAベイスターズ歴代最強のキャッチャーである。

 

関連記事

【横浜DeNA】選手や監督・コーチの背番号一覧!歴代永久欠番も調査

【横浜DeNA】歴代監督を成績と一緒に徹底紹介!優勝回数最多は三原脩監督、権藤博監督!

ラミレス監督の成績や年俸!采配評価や奥さんの情報もまとめた

横浜スタジアムの満員時の収容人数は何人?球場の歴史はいつから?

横浜スタジアムへの交通アクセスや最寄り駅は?食事処やホテル一覧まとめ!

スポンサーリンク

-横浜

こんな記事も読まれています