つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

ヤクルト

東京ヤクルトスワローズの歴代キャプテン&選手会長一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

今回は東京ヤクルトスワローズの歴代キャプテンと選手会長の成績や最高年俸などをリサーチしました。

時代を彩ったスター選手だけでなく意外な選手の名前が出てくるかもしれません。

それでは早速チェックしていきましょう!!

スポンサーリンク

 

東京ヤクルトスワローズの歴代キャプテン&選手会長一覧まとめ!

まずはキャプテンから見ていきましょう。

東京ヤクルトスワローズではこれまでキャプテンを置く年と置かない年がありました。選手としてセンターのレギュラーを長く務め、監督を務めた経験のある真中満さんは「代々ヤクルトではリーダーと言われる役割の選手を特定しないことが多かった」と話しています。

00年以降にキャプテンを務めた選手も20年までで6人と少なく、チームのスタイルが表れているのではないでしょうか。

東京ヤクルトスワローズのキャプテン一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
2000 古田 敦也 27 134 0.278 14 64 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2001 古田 敦也 27 121 0.324 15 66 ベストナイン、ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP
2007 宮本 慎也 6 131 0.300 5 39
2008 宮本 慎也 6 116 0.308 3 32
2012 相川 亮二 2 72 0.245 1 28
2013 田中 浩康 7 97 0.225 0 14
2018 中村 悠平 52 123 0.211 5 26
2020 青木 宣親 23 107 0.317 18 51 ゴールデングラブ賞
スポンサーリンク

00年と01年にキャプテンを務めた古田敦也選手は扇の要としてもチームを牽引し、在任2年間で連続してベストナインとゴールデングラブ賞を受賞、01年には日本シリーズMVPを獲得する活躍で4年ぶり5度目となる日本一に大きく貢献しました。

07年と08年の2年間務めた宮本慎也選手は日本プロ野球選手会の会長を務めながらキャプテンを引き受け、07年はショートで131試合に出場、08年は長年守ったショートからサードにポジションを移し、116試合の出場で打率.308の好成績を残しました。

12年に務めた相川亮二選手は09年にFAで横浜から移籍して4年目のシーズンに就任しました。開幕直後、プレー中に骨折して離脱することとなり、復帰したものの夏場に再びプレー中に骨折して72試合の出場に留まりました。

翌年はセカンドのレギュラーを務めていた田中浩康選手が就任しますが、山田哲人選手にポジションを奪われ、139試合に出場した前年から大きく出場試合数を減らしました。

5年ぶりにキャプテン制が復活した18年は正捕手を務める中村悠平選手が務め、レギュラーキャッチャーとして6年目のシーズンも123試合に出場しましたが、同時期に選手会長も務めており、負担が大きいことから1年限りでした。

19年はキャプテン不在でしたが、20年は就任した高津臣吾監督に意向でベテランの青木宣親選手が務めました。38歳シーズンでの就任は08年の宮本選手に並ぶ年長記録であり、コロナ禍でコンディショニングの維持が難しい中、107試合に出場して打率.317、18本塁打を記録し、守りの面でもゴールデングラブ賞を受賞するなどキャプテンとしてチームを牽引しました。

21年シーズンは自ら立候補して、セカンドの山田哲人選手の就任が発表されました。

 

東京ヤクルトスワローズの歴代選手会長一覧まとめ!

東京ヤクルトスワローズの選手会長はこれまでレギュラー格の選手だけでなく、チームを支えたバイプレーヤーも務めています。

また、スワローズ選手会は86年シーズン終了後に親会社の意向もあり一度脱会し、89年に復帰した過去もあります。

選手名 背番号 試合/登板 打率/防御率 本塁打/勝利 打点/奪三振 タイトル
1986 角 富士夫 5 80 0.282 6 29
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
1992 広沢 克己 8 131 0.276 25 85
1993 秦 真司 26 92 0.239 7 27
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
2000 高津 臣吾 22 35 2.08 0 29
2001 高津 臣吾 22 52 2.61 0 39 最優秀救援
2002 真中 満 31 89 0.248 4 25
2003 真中 満 31 121 0.293 6 48
2004 真中 満 31 91 0.272 4 20
2005 宮本 慎也 6 135 0.265 7 47
2006 城石 憲之 10 70 0.231 2 5
2007 城石 憲之 10 81 0.211 2 9
2008 城石 憲之 10 41 0.048 0 0
2009 石川 雅規 19 29 3.54 13 84
2010 石川 雅規 19 28 3.53 13 98
2011 石川 雅規 19 27 2.73 10 127
2012 武内 晋一 8 52 0.244 1 3
2013 武内 晋一 8 76 0.185 3 19
2014 森岡 良介 10 100 0.276 2 31
2015 森岡 良介 10 75 0.188 1 9
2016 川端 慎吾 5 103 0.302 1 32
2017 川端 慎吾 5 0 0.000 0 0
2018 中村 悠平 52 123 0.211 5 26
2019 中村 悠平 52 126 0.269 5 36
2020 中村 悠平 52 29 0.175 0 3
 
スポンサーリンク

脱会を表明した86年の選手会長は長らくサードのレギュラーを務めた角富士夫選手、野村克也監督の手腕により14年ぶり2度目の優勝を果たした92年は主砲の広沢克己選手が務め、93年はライトのレギュラーだった秦真司選手が担いました。

00年代に入り、00年と01年の2年は守護神の高津臣吾投手が務め、01年は37セーブを挙げて最優秀救援のタイトルを獲得し、チームも優勝を果たしました。

02年からの3年間はセンターのレギュラーを務めていた真中満選手が担い、100試合前後の出場試合数で推移しました。

05年に宮本慎也選手が就任しますが、同年オフに日本プロ野球選手会の会長を務めていた古田敦也選手が選手兼任監督になったため、宮本選手が会長職を引き継ぎました。そのため、東京ヤクルトスワローズの選手会長も宮本選手から他の選手に引き継ぐこととなり、城石憲之選手が就任しました。

城石選手は08年まで務めますが、腰痛に苦しみ満足のいかないシーズンが続き、09年に石川雅規選手へバトンタッチしました。

石川投手はエースとして先発ローテーションの中心を担い、選手会長を務めた3年間で計36勝を挙げました。11年は東日本大震災の影響で開幕が延期となり、開幕投手に内定していた石川投手も難しい調整を強いられましたが、復興支援のチャリティーオークション等選手会の活動にも精力的に取り組みました。石川投手の後を受け、12年にファーストと代打で起用されることが多かった武内晋一選手が就任しますが、怪我に悩まされて思うような成績が残せず、2年で森岡良介選手に代わりました。

森岡選手は08年オフに中日を戦力外となり、東京ヤクルトスワローズに入団しましたが、12年に初めて100試合に出場し、13年に自己最多の109試合に出場すると同年オフに選手会長に就任しました。選手会長1年目の14年も100試合に出場して自己最高となる打率.276を記録しました。

2年務めた森岡選手の後任にはバットコントロールに優れ、15年に首位打者を獲得した川端慎吾選手が就き、故障がありながらも16年はレギュラーとして活躍しましたが、翌年は椎間板ヘルニアの手術もあり一軍出場ゼロに終わりました。

18年からキャッチャーのレギュラーを務める中村悠平選手が引き受け、キャプテンと兼任しました。キャッチャーのレギュラーに加えて、キャプテンと選手会長の兼任は負担が大きかったため、19年は兼任を解き選手会長を続投しました。20年も引き続き務めましたが、開幕戦の当日練習で負傷して戦線を離脱、29試合の出場に終わりました。

21年も中村選手が選手会長を務めることになっています。

 

【東京ヤクルトスワローズ】歴代キャプテン&選手会長の年俸ランキング!歴代最高年俸は青木宣親選手の3億4000万円!

ここでは東京ヤクルトスワローズ歴代キャプテンと選手会長を年俸で順位付けしてみました。在任期間中最も高かった年俸を記載しています。まずはキャプテンから見てみましょう。

【東京ヤクルトスワローズ】歴代キャプテンの年俸ランキング!歴代最高年俸は青木宣親選手の3億4000万円!

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合
1 2020 青木 宣親 3億4000万円 0.317 107
2 2000 古田 敦也 2億0000万円 0.278 134
3 2008 宮本 慎也 1億8500万円 0.308 116
4 2013 田中 浩康 1億2500万円 0.225 97
5 2012 相川 亮二 1億2000万円 0.245 72

1位は青木宣親選手で20年の3億4000万円が歴代最高になりました。38歳シーズンも衰えの知らないバットコントロールで打率.317を記録し、守備面でもゴールデングラブ賞を受賞して最下位に沈んだチームで孤軍奮闘しました。

青木宣親の凄さが分かる名言・語録集!天才バッターの伝説エピソードから努力論まで

 

2位は00年の古田敦也選手2億円で、この年は134試合に出場し、自身2度目となるシーズン盗塁阻止率6割を達成して、球界ナンバーワンキャッチャーの実力を見せつけました。

古田敦也の凄さが分かる名言集!球界レジェンドのリーダー論にも迫る

 

3位にランクインしたのは08年にキャプテンを務めた宮本慎也選手1億8500万円でした。長年レギュラーを務めたショートからサードに移ったシーズンでしたが、堅実な守備と確実性の高い打撃は健在でした。

宮本慎也の凄さが分かる名言!努力家の性格・経歴から人生哲学まで!

 

4位は13年の田中浩康選手。セカンドのレギュラーを長く務め、12年は2度目のベストナインと初受賞となったゴールデングラブ賞に輝き、年俸は自己最高の1億2500万円になりました。迎えた13年は山田哲人選手にポジションを奪われ、厳しいシーズンとなりました。

5位は相川亮二選手1億2000万円でした。FAで移籍してきた選手ながらキャプテンに抜擢された12年は春先と夏場にプレー中の骨折で戦線離脱し、72試合の出場に終わり不本意なシーズンとなりました

スポンサーリンク

 

【東京ヤクルトスワローズ】歴代選手会長の年俸ランキング!歴代最高年俸は宮本慎也選手と石川雅規投手の1億8000万円!

順位 年度 選手名 年俸 打率/防御率 試合/登板
1 2005 宮本 慎也 1億8000万円 0.265 135
1 2011 石川 雅規 1億8000万円 2.73 27
3 2016 川端 慎吾 1億6000万円 0.302 103
4 2000 高津 臣吾 1億4000万円 2.08 35
5 2002 真中 満 1億2200万円 0.248 89

1位は1億8000万円で2人が並びました。1人目は宮本慎也選手で、日本プロ野球選手会の会長に就任するため東京ヤクルトスワローズの会長職は05年の1年限りでした。シーズン序盤は1番打者で起用されましたが、青木宣親選手が1番に入ったことにより2番打者としてつなぎ役に徹しました。

宮本慎也の凄さが分かる名言!努力家の性格・経歴から人生哲学まで!

 

2人目は11年の石川雅規投手で、4年連続の開幕投手を務めたこの年は5月に通算100勝を達成し、10勝をマークして4年連続の二桁勝利を達成するなどローテーションの中心を担いました。

石川雅規の凄さが分かる名言・語録集!頭で投げる小さな巨人の伝説エピソードから努力論まで

 

3位は川端慎吾選手がランクインしました。15年にリーグトップの195安打を記録し、打率.336で首位打者に輝くと年俸は1億6000万円に到達しました。迎えた16年は一時故障により離脱しましたが、打率3割越えを果たしました。

4位は00年の高津臣吾投手。守護神として9回のマウンドに上がり、99年に30セーブを挙げて最優秀救援のタイトルを獲得すると年俸は1億4000万円になりました。選手会長を務めた00年も29セーブを挙げ、シーズンを通して安定した投球を披露しました。

高津臣吾の凄さがわかる名言!名クローザーの努力論や人生哲学に迫る!

 

5位にランクインしたのは02年の真中満選手で、年俸は1億2200万円でした。主に1番センターで出場し、123試合に出場して打率.308をマークした01年オフに初の1億円突破を果たしました。02年は89試合の出場に終わり、打率も前年から大きく落とし、苦しいシーズンとなりました。

真中満監督の凄さが分かる名言・語録集!解説者としても活躍する人気者の伝説エピソードから指導方法まで

スポンサーリンク

 

私が思う最強の東京ヤクルトスワローズのキャプテンは古田敦也選手!

チームの中心選手が務めた東京ヤクルトスワローズのキャプテンですが、歴代最強のキャプテンは古田敦也選手だと考えます。

ここで、古田敦也選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1965年8月6日
身長:182cm
出身:兵庫県
最終学歴:立命館大学
血液型:B型

1965年(昭和40年)8月6日生まれ、兵庫県川西市出身。川西明峰高校から立命館大学に進み、トヨタ自動車を経て、1989年のドラフト会議で2位指名を受けてヤクルトスワローズに入団しました。

プロ通算18年で2008試合に出場して打率.294、217本塁打、1009打点を記録し、守備面でもゴールデングラブ賞を10回受賞、盗塁阻止率リーグ1位も10回記録している名キャッチャーです。

キャプテン2年目となった01年は8月に左膝の靱帯を損傷する大怪我を負いましたが、負傷から約1か月後に先発復帰し、巨人の松井秀喜選手と首位打者争いを演じました。タイトル獲得はなりませんでしたが、打率.324の好成績を残しました。

リーグ優勝を果たして出場した日本シリーズでは、自身2度目となるMVPに輝きチームを日本一に導いた古田選手が歴代最強のキャプテンです。

古田敦也の凄さが分かる名言集!球界レジェンドのリーダー論にも迫る

 

私が思う最強の東京ヤクルトスワローズの選手会長は石川雅規投手!

チームの中心選手だけでなく、縁の下の力持ちタイプの選手も務めてきた東京ヤクルトスワローズの選手会長。歴代最強の選手会長は石川雅規投手だと考えます。

ここで、石川雅規投手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1980年1月24日
身長:167m
出身:秋田県
最終学歴:青山学院大学
血液型:A型

1980年(昭和55年)1月22日生まれ、秋田県秋田市出身。秋田商業高校、青山学院大学を経て、2001年のドラフト会議で自由獲得枠選手としてヤクルトスワローズに入団しました。

1年目からローテーションに入り、12勝をマークして新人王に輝くと以降も先発の一角を担い続けています。プロ8年目を迎えた09年に選手会長に就任し、この年は自己最多となる13勝を挙げ、12勝を記録した館山昌平投手とともにチームを牽引しました。

選手会長在任期間の3年は毎年二桁勝利を記録し、シーズン平均投球回数も180イニングを越えており、離脱することなくマウンドに上がり続けた石川雅規投手が歴代最強の選手会長ではないでしょうか。

石川雅規の凄さが分かる名言・語録集!頭で投げる小さな巨人の伝説エピソードから努力論まで

 

東京ヤクルトスワローズの歴代キャプテン&選手会長に関する豆知識

東京ヤクルトスワローズのキャプテンと選手会長を務めた選手の中に日本プロ野球選手会の会長を務めた選手が2人います。

第5代日本プロ野球選手会会長を務めた古田敦也選手はキャプテン就任前の98年12月から05年11月末まで長きに渡り務めました。在任期間中の04年には近鉄の合併消滅問題に端を発したプロ野球史上初のストライキなど選手会長として奮闘しました。

古田選手が05年オフに兼任監督に就任すると会長職を引き継いだのは所属チームで選手会長を務めていた宮本慎也選手でした。16年ぶりに同一球団から選出され、在任中に宮本選手はFA制度改革やドラフト制度改革に尽力しました。

なお、宮本選手が日本プロ野球選手会会長就任に伴い退任した東京ヤクルトスワローズの選手会長は城石憲之選手が移籍してきた選手ながら務め、信頼の厚さがうかがえました。

 

まとめ

・00年以降東京ヤクルトスワローズのキャプテンを務めた選手は6人、選手会長は9人が務めている。

・キャプテンは古田選手と宮本選手の2年が最長、選手会長は中村選手が一番長く務めている。

・歴代で一番年俸が高かったのは、キャプテンは青木選手の3億4000万円、選手会長は宮本選手と石川投手の1億8000万円。

・古田選手は日本シリーズMVPを受賞、石川投手はローテーションを守り在任3年で36勝挙げている。

 

関連記事

東京ヤクルトスワローズの歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

東京ヤクルトスワローズの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

東京ヤクルトスワローズの歴代セカンド(二塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

東京ヤクルトスワローズの歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

東京ヤクルトスワローズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

スポンサーリンク

-ヤクルト

こんな記事も読まれています