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巨人

巨人の歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

これまで多くの選手が守り、名選手を輩出している巨人の外野のポジション。

今回は伝統ある巨人の外野を守った歴代選手の成績や最高年俸などを調べ、巨人歴代最強の外野手についてまとめてみました。

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巨人軍の歴代外野手一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主に外野を守った選手を一覧にしてみました。まとめてみると多くの選手が複数のポジションでレギュラーを経験している特徴が見られました。

それではライトから順にご紹介します。

巨人軍の歴代外野手(ライト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 萩原 寛 2 124 0.275 6 48
1951 南村 不可止 1 113 0.283 5 62 日本シリーズMVP
1952 南村 不可止 1 115 0.315 8 76 ベストナイン
1953 南村 不可止 1 123 0.277 5 49 ベストナイン
1954 南村 侑広 1 125 0.285 7 61
1955 南村 侑広 1 105 0.252 2 30
1956 宮本 敏雄 40 113 0.263 19 69 打点王
1957 宮本 敏雄 40 129 0.259 21 78 打点王
1958 宮本 敏雄 40 107 0.219 6 23
1959 国松 彰 36 76 0.237 10 35
1960 宮本 敏雄 40 112 0.228 8 25
1961 坂崎 一彦 19 114 0.256 9 47
1962 宮本 敏雄 40 115 0.237 4 24
1963 坂崎 一彦 8 118 0.273 9 41
1964 坂崎 一彦 8 114 0.237 5 38
1965 柴田 勲 12 92 0.239 8 26
1966 国松 彰 36 116 0.272 6 44
1967 国松 彰 36 117 0.260 8 38
1968 国松 彰 36 117 0.256 12 58
1969 末次 民夫 38 118 0.257 9 40
1970 末次 民夫 38 124 0.249 12 43
1971 末次 民夫 38 92 0.311 4 29 日本シリーズMVP
1972 末次 民夫 38 115 0.283 21 63
1973 末次 民夫 38 126 0.262 13 59
1974 末次 利光 38 129 0.316 13 77 ベストナイン
1975 末次 利光 38 113 0.252 13 46
1976 末次 利光 38 119 0.281 9 47
1977 柳田 眞宏 36 114 0.340 21 67
1978 シピン 11 116 0.315 16 63
1979 柳田 眞宏 36 114 0.265 14 44
1980 淡口 憲治 35 114 0.294 14 47
1981 トマソン 12 120 0.261 20 50
1982 淡口 憲治 35 120 0.266 13 46
1983 スミス 7 102 0.285 28 72
1984 スミス 7 84 0.255 17 50
1985 吉村 禎章 55 120 0.328 16 56
1986 吉村 禎章 7 128 0.312 23 72 ベストナイン
1987 吉村 禎章 7 127 0.322 30 86 ベストナイン
1988 呂明賜 97 79 0.255 16 40
1989 緒方 耕一 44 76 0.308 3 22
1990 吉村 禎章 7 84 0.327 14 45
1991 吉村 禎章 7 91 0.277 10 42
1992 駒田 徳広 10 130 0.307 27 64
1993 バーフィールード 29 104 0.215 26 53
1994 松井 秀喜 55 130 0.294 20 66
1995 松井 秀喜 55 131 0.283 22 80
1996 松井 秀喜 55 130 0.314 38 99 MVP、ベストナイン
1997 広沢 克 10 126 0.280 22 67
1998 高橋 由伸 24 128 0.300 19 78 ゴールデングラブ賞
1999 高橋 由伸 24 118 0.315 34 98 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2000 高橋 由伸 24 135 0.289 27 74 ゴールデングラブ賞
2001 高橋 由伸 24 140 0.302 27 85 ゴールデングラブ賞
2002 高橋 由伸 24 105 0.306 17 53 ゴールデングラブ賞
2003 高橋 由伸 24 118 0.323 26 68 ゴールデングラブ賞
2004 高橋 由伸 24 109 0.317 30 79
2005 高橋 由伸 24 88 0.298 17 41
2006 矢野 謙次 48 103 0.269 6 30
2007 高橋 由伸 24 133 0.308 35 88 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2008 高橋 由伸 24 91 0.236 17 41
2009 亀井 義行 9 134 0.290 25 71 ゴールデングラブ賞
2010 長野 久義 7 128 0.288 19 52 新人王
2011 高橋 由伸 24 95 0.246 15 37
2012 長野 久義 7 144 0.301 14 60 最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2013 亀井 善行 9 86 0.257 3 25
2014 長野 久義 7 130 0.297 13 62
2015 長野 久義 7 130 0.251 15 52
2016 亀井 善行 9 66 0.252 3 23
2017 長野 久義 7 134 0.261 16 46
2018 亀井 善行 9 123 0.254 13 49
2019 亀井 善行 9 131 0.284 13 55

1950年代

50年代は4人の選手がライトを守りました。44年からレギュラーを務めた萩原寛選手は50年に124試合に出場しました。

その後を受けたのは南村不可止(侑広)選手で、5年守りベストナインを受賞しています。56年からの3年は宮本敏雄選手が務め2年連続で打点王を獲得しましたが、59年は発症した腰痛の影響もあり国松彰選手が守りました。

1960年代

60年と62年は宮本選手が守りましたが、打率は落ち込み61年と63年、64年はレフトから回った坂崎一彦選手が務めました。

65年の1年間のみセンターから回った柴田勲選手、66年からの3年間はライトから国松選手が回り、コンスタントに出場しました。その国松選手から69年にレギュラーを奪ったのは末次民夫選手でした。

1970年代

末次選手は中央大学から入団6年目の70年に初めて規定打席に到達し、76年までレギュラーを務め、その間日本シリーズMVPを獲得するなどON砲に次ぐ5番打者としてチームのV9に貢献しました。

77年のオープン戦で目を負傷し、代わって柳田眞宏選手が114試合に出場して打率.340、本塁打21本の好成績をマークしました。翌年は大洋から移籍してきた本職がセカンドのジョン・シピン選手が起用されましたが、シピン選手がセカンドに移ると再び柳田選手がライトの守りにつきました。

1980年代

79年オフに柳田選手が移籍すると75年にレフトのポジションを掴んだ経験がある淡口憲治選手が80年と82年に起用されました。81年はゲーリー・トマソン選手が主に起用されましたが、132三振を喫するなど確実性に欠け翌年は大きく試合数を減らしました。そのトマソン選手の代わりに獲得したのがレジー・スミス選手で、2年間で45本塁打とまずまずの働きを見せ巨人で現役を終えました。

85年からは3年目の吉村禎章選手がポジションを掴み、3年連続で打率3割を記録し、ベストナインも2回受賞しました。88年は台湾からやってきた呂明賜選手が6月に出場機会を得ると17試合で10本塁打を記録する鮮烈なデビューを飾り、89年は内野との兼任で緒方耕一選手が多く起用されました。

1990年代

88年のシーズン中に負った左膝靱帯断裂の大怪我から吉村選手が復帰し、再びライトで起用され3割を記録して復活を見せました。92年は原辰徳選手のコンバートによりファーストから駒田徳広選手が回り、自己最多の27本塁打を記録しました。駒田選手が翌年ファーストに戻るとジェシー・バーフィールド選手が務めますが低打率に終わり、94年から松井秀喜選手が守り、96年には38本塁打を放ち最後まで本塁打王を争い、タイトルは逃したもののMVPに輝きました。

松井選手がセンターに移ると94年オフにFAで入団していた広沢克(克己)選手がレフトからコンバートされ22本塁打を記録しましたが、翌年は慶応大学から入団したスーパールーキーの高橋由伸選手が開幕から起用されました。

その高橋選手はルーキーイヤーから3割を記録し、ゴールデングラブ賞を受賞。翌年は終盤にライトフェンスに激突しながら打球を処理した際に鎖骨を骨折し離脱しましたが打率.315、34本塁打、98打点の好成績をマークしました。

2000年代

00年以降も高橋選手が主に起用され、怪我で離脱することも少なくなかったですが安定した成績を残しました。高橋選手がセンターで起用された06年は4年目の矢野謙次選手がポジションを掴み、自己最多の出場試合数となりました。

07年からは再び高橋選手が戻り、1番に起用されると開幕戦でセリーグ史上初の初球先頭打者本塁打を放つなど35本塁打を記録し、年間を通して活躍しましたが、翌年は腰痛を発症して離脱したため規定打席に到達した最後のシーズンでした。

09年は亀井義行選手が5番に定着して25本塁打を記録し、初の規定打席に到達しました。

2010年代

10年代に入ると主に2人選手が務めました。10年はドラフト1位で入団した長野久義選手が不振の亀井選手からポジションを奪い、新人王を獲得。以降は18年に広島に移籍するまでライトとセンターでレギュラーを務める年が続きました。12年には最多安打を同僚の坂本勇人選手と受賞し、安定した成績を残し続けました。

長野選手がセンターで出場した年は亀井善行(義行から改名)選手が務め、怪我で離脱することが多くあり満足いくシーズンは少なかったですが、18年は9年ぶりに規定打席に到達、19年は主に1番打者として出場し、守備でもライトゴロやオーバーランした打者走者を一塁で刺すなど好守を見せ、ベテランとしてチームの5年ぶりに優勝に大きく貢献しました。

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巨人軍の歴代外野手(センター)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 青田 昇 23 137 0.332 33 134 ベストナイン
1951 青田 昇 23 114 0.312 32 105 本塁打王、打点王、ベストナイン
1952 青田 昇 23 114 0.260 18 79
1953 与那嶺 要 7 104 0.307 6 54
1954 与那嶺 要 7 125 0.361 10 69 首位打者、ベストナイン
1955 与那嶺 要 7 107 0.311 13 65 ベストナイン
1956 与那嶺 要 7 123 0.338 13 47 首位打者、ベストナイン
1957 与那嶺 要 7 126 0.343 12 48 首位打者、MVP、ベストナイン
1958 坂崎 一彦 19 108 0.245 5 28
1959 藤尾 茂 9 115 0.264 13 70
1960 与那嶺 要 7 126 0.228 5 26
1961 国松 彰 36 127 0.223 7 30
1962 国松 彰 36 122 0.252 7 35
1963 柴田 勲 12 126 0.258 7 27
1964 柴田 勲 12 134 0.253 15 40
1965 吉田 勝豊 8 133 0.264 7 44
1966 柴田 勲 12 114 0.251 7 25 盗塁王、日本シリーズMVP
1967 柴田 勲 12 126 0.287 18 50 盗塁王、ベストナイン
1968 柴田 勲 12 130 0.258 26 86
1969 柴田 勲 12 111 0.229 9 32 盗塁王
1970 柴田 勲 12 128 0.256 9 40
1971 柴田 勲 12 119 0.282 3 32 ベストナイン
1972 柴田 勲 12 128 0.293 6 28 盗塁王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1973 柴田 勲 12 125 0.277 6 34 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1974 柴田 勲 12 128 0.275 12 50 ダイヤモンドグラブ賞
1975 柴田 勲 12 126 0.262 10 45
1976 柴田 勲 12 121 0.284 10 36 ダイヤモンドグラブ賞
1977 柴田 勲 12 127 0.287 18 52 盗塁王、ダイヤモンドグラブ賞
1978 柴田 勲 12 125 0.292 13 50 盗塁王、ダイヤモンドグラブ賞
1979 柴田 勲 12 114 0.241 9 33
1980 松本 匡史 2 71 0.278 1 15
1981 ホワイト 10 127 0.273 13 55
1982 松本 匡史 2 113 0.282 1 12 盗塁王、ダイヤモンドグラブ賞
1983 松本 匡史 2 125 0.294 6 24 盗塁王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1984 クロマティ 49 122 0.280 35 93
1985 クロマティ 49 119 0.309 32 112
1986 クロマティ 49 124 0.363 37 98 ベストナイン
1987 クロマティ 49 124 0.300 28 92 ベストナイン
1988 駒田 徳広 10 116 0.307 11 40
1989 クロマティ 49 124 0.378 15 72 首位打者、最多安打、MVP、ベストナイン
1990 クロマティ 49 117 0.293 14 55
1991 ブラッドリー 2 121 0.282 21 70
1992 モスビー 49 96 0.306 25 71
1993 緒方 耕一 44 108 0.234 2 17 盗塁王
1994 コトー 53 107 0.251 18 52
1995 マック 12 120 0.275 20 52
1996 マック 12 127 0.293 22 75
1997 松井 秀喜 55 135 0.298 37 103 ベストナイン
1998 松井 秀喜 55 135 0.292 34 100 本塁打王、打点王、ベストナイン
1999 松井 秀喜 55 135 0.304 42 95 ベストナイン
2000 松井 秀喜 55 135 0.316 42 108 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP
2001 松井 秀喜 55 140 0.333 36 104 首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2002 松井 秀喜 55 140 0.334 50 107 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2003 清水 隆行 9 101 0.240 14 44
2004 ローズ 20 134 0.287 45 99 本塁打王、ベストナイン
2005 ローズ 20 101 0.240 27 70
2006 高橋 由伸 24 97 0.260 15 51
2007 ホリンズ 49 124 0.257 12 45
2008 谷 佳知 8 120 0.295 10 45
2009 松本 哲也 64 129 0.293 0 15 新人王、ゴールデングラブ賞
2010 松本 哲也 31 94 0.287 0 22
2011 長野 久義 7 140 0.316 17 69 首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2012 松本 哲也 31 83 0.258 0 11
2013 長野 久義 7 144 0.281 19 65 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2014 橋本 到 32 103 0.256 4 35
2015 立岡 宗一郎 58 91 0.304 0 14
2016 長野 久義 7 143 0.283 11 42
2017 陽岱鋼 2 87 0.264 9 33
2018 長野 久義 7 116 0.290 13 52
2019 丸 佳浩 8 143 0.292 27 89 ベストナイン、ゴールデングラブ賞

1950年代

40年代からレギュラーを務めていた青田昇選手51年に本塁打王と打点王を獲得し、青田選手の後を与那嶺要選手が長く務めました。首位打者3回、MVPを獲得しセンターのレギュラーを務めた5年はすべて3割を超えるハイアベレージを記録しました。

58年は坂崎一彦選手、59年はキャッチャーからコンバートされた藤尾茂選手が起用され、キャッチャーとしての出場が36試合だったにも関わらずオールスターファン投票で1位になり、捕手部門のベストナインに選出される異例のシーズンでした。

1960年代

60年は再び与那嶺選手が務めましたが低打率に終わり、巨人で過ごした最後のシーズンとなりました。レフトやライトでレギュラー経験がある国松彰選手が2年務めた後、柴田勲選手が台頭します。

65年のみライトに回り吉田勝豊選手が起用されますが、他の年は柴田選手が務め赤い手袋を装着し盗塁王を3回獲得しました。

1970年代

70年代は引き続き柴田選手が守り盗塁王3回、ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ賞も6回受賞するなど走攻守にわたり活躍を見せました。

78年に通算6回目の盗塁王を獲得していますが、34歳シーズンでの獲得は現時点でもセリーグ最年長記録になっています。

1980年代

80年からは「青い稲妻」と呼ばれた俊足の松本匡史選手が抜擢されます。81年はロイ・ホワイト選手に譲りレフトに回りますが82年と83年は2年連続で盗塁王を獲得しました。84年から松本選手は再びレフトに回り、センターを務めたのは巨人史上最強の助っ人、ウォーレン・クロマティ選手でした。

加入初年度に35本塁打を記録すると3年目まで30本塁打以上を記録し、怪我で離脱した88年は駒田徳広選手にポジションを譲りましたが、復帰した89年には打率.378のハイアベレージで首位打者、最多安打、MVPを獲得、80年代の巨人の中軸を担いました。

1990年代

90年代初頭は助っ人外国人が主に守り、後半は「ゴジラ」がセンターに移りました。

クロマティ選手の後、メジャーリーグでの実績があるフィル・ブラッドリー選手ロイド・モスビー選手が務めまずまずの成績を残しますが定着には至りませんでした。93年は緒方耕一選手盗塁王を獲得する活躍を見せますが、94年はヘンリ・コトー選手が主に起用されました。

95年はメジャーリーグで成績を残していたシェーン・マック選手が務めました。1年目は1番打者、2年目は中軸を打ち俊足を生かしたダイナミックな守備と左投手に強い打撃でチームの優勝に貢献しました。

そのマック選手が96年限りで退団するとライトから松井秀喜選手がコンバートされました。98年には初の本塁打王を獲得、99年には初めて40本塁打を記録し、日本人選手の40本塁打は巨人では77年の王貞治選手以来22年ぶりの快挙でした。

2000年代

引き続き松井選手が務め、00年には本塁打と打点の二冠王、01年は首位打者、02年は再び本塁打と打点の二冠王に輝き海を渡りました。チームの中心だった松井選手が抜けてからはなかなか定まらないポジションの一つになりました。

03年はレフトから清水隆行選手が回りましたが、慣れないセンターの守備の影響で低打率に終わり、チームは近鉄からタフィー・ローズ選手を獲得します。01年に当時の日本記録タイとなる55本塁打を記録したスラッガーは、実績に違わぬ活躍を見せて移籍初年度は45本塁打を放ち本塁打王を獲得しました。しかし翌年は右肩の故障や首脳陣と衝突するなど成績を落とし、2年で退団しました。

06年は高橋由伸選手がライトからコンバートされましたがプレー中の負傷で戦線離脱をしてシーズン後半からはレフトに回り、07年はデーモン・ホリンズ選手、08年は谷佳知選手が務めたものの思ったような成績は残せず、09年は育成出身の松本哲也選手がポジションを掴み、スピードを生かした守備と小技を武器に育成枠出身野手としては初の新人王とゴールデングラブ賞を受賞する活躍を見せました。

2010年代

10年以降は1年ごとに選手が代わっています。10年は怪我の離脱がありながらも松本選手が務め、11年はライトから長野久義選手が回り首位打者を獲得しました。12年は再び松本選手、13年は長野選手、14年と15年は若手の橋本到選手立岡宗一郎選手がそれぞれ起用されるもののレギュラー定着は果たせず、16年はまたしても長野選手が務めました。

17年は日本ハムからFAで移籍してきた陽岱鋼選手の活躍が期待されましたが、コンディション不良で開幕スタメンを逃し、87試合に出場と物足りない成績に終わり、リベンジを誓った翌年も開幕早々故障で離脱し、長野選手がセンターを担いました。

19年は広島からFAで入団した丸佳浩選手が1年を通して守り、攻守両面で前年まで3年連続MVPの実力を発揮してチームの5年ぶりの優勝に貢献しました。

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巨人軍の歴代外野手(レフト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 小松原 博喜 22 140 0.256 8 55
1951 与那嶺 要 7 54 0.344 1 26
1952 与那嶺 要 7 116 0.344 10 53
1953 岩本 尭 5 109 0.254 7 46
1954 岩本 尭 5 100 0.225 2 24
1955 岩本 尭 5 118 0.266 12 60
1956 岩本 尭 5 125 0.254 8 46
1957 岩本 尭 5 121 0.199 8 27
1958 与那嶺 要 7 128 0.293 8 58 ベストナイン
1959 坂崎 一彦 19 122 0.284 15 64 ベストナイン
1960 国松 彰 36 125 0.238 11 46
1961 高林 恒夫 7 119 0.219 1 22
1962 坂崎 一彦 8 126 0.276 6 44
1963 国松 彰 36 108 0.268 9 43
1964 国松 彰 36 126 0.194 4 17
1965 国松 彰 36 136 0.259 11 39
1966 柳田 利夫 5 96 0.206 5 18
1967 高倉 照幸 10 73 0.274 15 44
1968 高田 繁 8 120 0.301 9 30 新人王、日本シリーズMVP
1969 高田 繁 8 120 0.294 12 46 ベストナイン
1970 高田 繁 8 130 0.262 10 26 ベストナイン
1971 高田 繁 8 127 0.270 11 51 盗塁王、ベストナイン
1972 高田 繁 8 128 0.281 19 62 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1973 高田 繁 8 121 0.251 14 42 ダイヤモンドグラブ賞
1974 高田 繁 8 121 0.252 12 30 ダイヤモンドグラブ賞
1975 淡口 憲治 35 114 0.293 12 42
1976 張本 勲 10 130 0.355 22 93 最多安打、ベストナイン
1977 張本 勲 10 122 0.348 24 82 ベストナイン
1978 張本 勲 10 115 0.309 21 73
1979 高田 繁 8 96 0.275 8 21
1980 ホワイト 10 128 0.284 29 75
1981 淡口 憲治 35 116 0.313 13 35
1982 ホワイト 10 107 0.296 12 42
1983 淡口 憲治 35 119 0.302 10 50
1984 松本 匡史 2 121 0.259 3 24
1985 松本 匡史 2 130 0.302 5 37
1986 松本 匡史 2 119 0.256 3 26
1987 松本 匡史 2 106 0.244 3 20
1988 蓑田 浩二 2 93 0.234 6 18
1989 原 辰徳 8 114 0.261 25 74
1990 原 辰徳 8 103 0.303 20 68 ベストナイン
1991 原 辰徳 8 127 0.268 29 86 ベストナイン
1992 吉村 禎章 7 91 0.317 6 32
1993 吉村 禎章 7 94 0.270 8 43
1994 グラッデン 32 98 0.267 15 37
1995 広沢 克己 80 131 0.240 20 72
1996 清水 隆行 35 107 0.293 11 38
1997 清水 隆行 35 118 0.304 12 36
1998 清水 隆行 35 129 0.301 13 52
1999 清水 隆行 35 116 0.295 8 32
2000 清水 隆行 35 115 0.271 11 46
2001 清水 隆行 35 126 0.324 7 29
2002 清水 隆行 9 139 0.314 14 58 最多安打、ベストナイン
2003 ペタジーニ 13 100 0.323 34 81
2004 清水 隆行 9 135 0.308 16 60
2005 清水 隆行 9 127 0.300 15 50
2006 清水 隆行 9 121 0.216 6 20
2007 谷 佳知 8 141 0.318 10 53
2008 ラミレス 5 144 0.319 45 125 打点王、MVP、ベストナイン
2009 ラミレス 5 144 0.322 31 103 首位打者、最多安打、MVP、ベストナイン
2010 ラミレス 5 144 0.304 49 129 本塁打王、打点王
2011 ラミレス 5 137 0.279 23 73
2012 高橋 由伸 24 130 0.239 8 56
2013 ボウカー 42 105 0.262 14 46
2014 アンダーソン 42 87 0.319 15 50
2015 亀井 善行 9 109 0.272 6 35
2016 ギャレット 5 123 0.258 24 68
2017 亀井 善行 9 109 0.251 6 47
2018 ゲレーロ 5 82 0.244 15 54
2019 ゲレーロ 44 101 0.237 21 36

 

1950年代

小松原博喜選手は50年に自己最多となる140試合に出場し、盗塁数も最多となる34盗塁を記録しました。翌年からはセンターに移るまでの2年間、与那嶺要選手がハワイから来日して俊足を武器に活躍しました。与那嶺選手は58年にセンターからコンバートされ再び務めました。

それまでの5年間は岩本尭選手が守り、56年にはセリーグ史上初となる3イニング連続本塁打を記録しています。59年はセンターから坂崎一彦選手が移り、ベストナインを受賞しました。

1960年代

60年はライトから国松彰選手が移り、61年はルーキーの高林恒夫選手が2番で起用されましたが翌年は打撃不振に陥り、再び坂崎選手が務めました。

坂崎選手がライトにポジションを移すとセンターを守っていた国松選手が再び起用され、3年間守った後に柳田利夫選手高倉照幸選手が1年ずつ務め、68年からはドラフト1位で明治大学から入団した高田繁選手が1年目から抜擢されました。1年目から3割をマークし、新人王に輝くと日本シリーズでも26打数10安打でヒットを量産しMVPに輝きました。

1970年代

74年まで高田選手が守り、69年に初受賞したベストナインを72年まで受賞、71年には盗塁王にも輝きチームのV9にONコンビとともに貢献しました。

75年は5年目の淡口憲治選手が台頭しましたが、翌年からの3年は日本ハムからトレードで加入したヒットメーカー・張本勲選手が起用されました。張本選手はリーグが変わっても実力を発揮し、移籍初年度にリーグ最多となる182安打を放っています。

1980年代

80年はヤンキースの中軸を打っていたロイ・ホワイト選手が入団し、29本塁打を放ちメジャーリーガーの実力を見せつけました。そこから淡口選手、ホワイト選手、淡口選手と1年ごとに入れ替わり、ウォーレン・クロマティ選手がセンターで起用されたことから松本匡史選手がレフトにポジションを移し、85年には打率.302をマークしました。

88年はベストナイン受賞経験のある蓑田浩二選手が阪急からトレードで入団して93試合に出場、翌年は岡崎郁選手のサード起用により押し出される形で原辰徳選手がコンバートされました。

1990年代

前年に引き続き原選手が起用され、90年は20本塁打、91年は29本塁打を放ち2年連続でベストナインに選ばれファーストにコンバートされるとライトから吉村禎章選手が移りました。吉村選手の後をメジャーリーグで活躍したダン・グラッデン選手が起用されましたが、全盛期に程遠いプレー内容で成績は残せず1年限りで退団しました。

95年は前年オフにヤクルトからFAで入団した広沢克己選手が守りましたが、本職がファーストだったためリズムが掴めず、打率.240に終わり翌年からは東洋大学から入団した清水隆行選手がポジションを掴みました。1年目から3割近いアベレージを残し、同期入団の仁志敏久選手とともに1・2番を組み松井秀喜選手や高橋由伸選手へ繋がる強力打線の一角を担いました。

2000年代

引き続き清水選手が起用され、原監督就任1年目の02年にキャリアハイの成績を残し最多安打のタイトルを獲得しました。03年は松井選手が抜けたセンターで起用され成績を落としましたが、04年からは再びレフトに移り安定した成績を残しました。清水選手がセンターを守った03年はヤクルトから移籍したロベルト・ペタジーニ選手が起用され、守備は不安定でしたが持ち味の打撃では打率.323、本塁打34本、打点81をマークしました。

07年は前年オフにオリックスからトレードで加入した谷佳知選手が2番で起用されリーグ3位の打率を残し、1番を打った高橋選手と打線を牽引し優勝に大きく貢献しましたがヤクルトからアレックス・ラミレス選手が入団したことによりセンターにコンバートされました。そのラミレス選手は移籍初年度の08年からフル出場を続け、2年連続のMVPに輝きチームも07年から3連覇を達成しました。

2010年代

10年からは多くの選手が起用されています。ラミレス選手は10年に49本塁打を放ち本塁打王を獲得し、続く11年もまずまずの成績を残しますがチーム事情により同年限りで退団すると体への負担を考え高橋選手がコンバートされました。しかし怪我での離脱が度々あり、13年はジョン・ボウカー選手が代わりを務め、高橋選手が代打の切り札に回った14年はレスリー・アンダーソン選手が務めました。

その後は亀井善行選手が隔年でライトから回り、間の16年はメジャーリーグで通算122本塁打を記録していたギャレット・ジョーンズ選手が起用され、24本塁打を記録したものの三振が目立ち確実性に欠けました。

17年からは中日で本塁打王の獲得経験があるアレックス・ゲレーロ選手が多く出場しましたが、好不調の波が激しく二軍に降格することもしばしばあり、19年は2年ぶりに20本塁打を記録しましたがシーズン終了後に自由契約が発表されました。

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【巨人軍】歴代外野手の年俸ランキング!歴代最高年俸はロベルト・ペタジーニ選手の7億2000万円!

ここでは巨人軍歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手として1試合でも出場したことがあるシーズンの数字を記載しています。巨人の外野手は打力を期待されて入団した外国人選手が多く、高い年俸で契約している外国人選手が多くランクインしています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2003 R.ペタジーニ 7億2000万円 0.323 100
2 2002 松井 秀喜 6億1000万円 0.334 140
3 2004 T.ローズ 5億5000万円 0.287 134
4 2008 A.ラミレス 5億0000万円 0.319 144
5 2019 丸 佳浩 4億5000万円 0.292 143

1位はロベルト・ペタジーニ選手で、2003年の7億2000万円が歴代最高年俸となりました。本職はファーストですが、清原和博選手がおり両者を共存させるため外野での起用が増え、途中怪我により離脱したため規定打席には到達しませんでしたが打率.323、本塁打34本の好成績を残しました。慣れない外野の守備ではライトを守った際にホームに大暴投をして話題になりました。

 

2位は02年の松井秀喜選手6億1000万円です。巨人で過ごした最後のシーズンとなったこの年は自己最多の50本塁打、最高打率.334をマークして3回目のMVP、本塁打王、打点王に輝き、しっかりと成績を残してメジャーリーグに挑戦しました。

松井秀喜の凄さが分かる名言集!誰もが尊敬するレジェンドの人柄や努力論に迫る!

 

3位にランクインしたのは04年のタフィー・ローズ選手でした。5億5000万円で近鉄から入団し、近鉄時代に55本塁打を放った実力を発揮、移籍初年度となった04年も45本塁打を放ち両リーグでの本塁打王経験者となりました。シーズン中にFA権を取得し、外国人野手としては初の外国人枠適用外選手になりましたが、翌年は首脳陣とのトラブルに加えて故障もあって成績を落とし退団しました。

 

4位は08年のアレックス・ラミレス選手。複数年契約を結びヤクルトから移籍した初年度の年俸が自己最高年俸の5億円でした。シーズン途中に4番に座ると勝負強さを発揮し、打率.323、本塁打45本、打点125の好成績をマークし、MVPと打点王に輝きました。その後も10年まで毎年打撃主要タイトルを獲得するなど人気、実力ともにチームを代表する打者でした。

 

5位にランクインしたのは丸佳浩選手でした。広島の3番打者として前年までリーグ3連覇に貢献、18年オフにFAで巨人に入団し、年俸は4億5000万円なりました。移籍後も開幕から3番を務め、移籍前より成績は落としましたがフル出場を果たし、なかなか固定できずにいたセンターのポジションをがっちり固めました。18年まで2年連続MVPを獲得した実力者に弟子入りする若手選手も多く、成績以上に優勝から遠ざかっていたチームにプラスの影響をもたらしました。

丸佳浩の凄さが分かる名言・語録集!天才スラッガーの伝説エピソードから努力論まで

 

私が思う最強の巨人軍の歴代外野手は松井秀喜選手!

多くのスラッガーや韋駄天など名選手が揃う巨人の外野ですが、歴代最強の選手は94年から9年間レギュラーを務めた「ゴジラ」こと松井秀喜選手だと考えます。

ここで、松井秀喜選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球解説者・ヤンキースGM特別アドバイザー
生年月日:1974年6月12日
身長:188cm
出身:石川県
最終学歴:星稜高等学校
血液型:O 型

1974年(昭和49年)6月12日生まれ、石川県能美郡根上町(現・能美市)出身。星稜高校を経て、1992年のドラフト会議で4球団による競合の結果、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団しました。

巨人での10年間で1,268試合に出場し、打率.304、332本塁打、889打点を記録しています。MVP、本塁打王、打点王をそれぞれ3回、首位打者を1回獲得しており、長打力に加えてハイアベレージを残せるスラッガーでした。また、日本時代はフル出場を続けており、4番として存在感を発揮していました。

巨人最終年となった02年に放った50本塁打は日本人では落合博満選手以来16年ぶり、巨人では王貞治選手以来25年ぶりの快挙でした。

不動の4番としてチームを引っ張り、数々のタイトルを獲得した「ゴジラ松井」がファンの心に残る巨人歴代最高の外野手と言えるでしょう。

松井秀喜の凄さが分かる名言集!誰もが尊敬するレジェンドの人柄や努力論に迫る!

巨人軍の歴代外野手に関する豆知識

巨人の外野を形成したトリオで長く成績を残していたのは、強肩強打のライト・高橋選手、打撃と堅守のセンター・松井選手、好打のレフト・清水選手のトリオです。松井選手がヤンキースに移籍するまで5年間、同時出場をしていました。

19年に松井さんと高橋さんがダブル解説をした際に当時の守備の約束事を明かしています。2人とも自分のポジションより右側の打球に対しての意識を強く持っており、右中間への打球は高橋さんに任せて、自身はレフトのケアに回っていたと松井さんは話しています。

レフトの清水さんの守備の評価が低かったためだと考えられますが、絶妙なバランスを保ちながらプレーし、三人ともそれぞれの持ち味を発揮して巨人の主力として長くチームに貢献しました。

まとめ

・巨人の外野は同じ選手が複数の外野のポジションでレギュラーを務めている。

・ライトでは末次選手と高橋選手、センターでは柴田選手やクロマティ選手、松井選手、レフトでは高田選手と清水選手が長くレギュラーを務めた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2003年シーズンのペタジーニ選手の7億2000万円。

・松井選手は本塁打王を3回獲得し、巨人の選手としては王選手以来の50本塁打を記録した巨人歴代最強の外野手である。

 

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