ベーブ・ルースの凄さが分かる名言・語録集!伝説エピソードから人生哲学にも迫る!
愛称は「Babe」(赤ちゃん)でも、190センチ近い巨漢だった、メジャーリーグの伝説のスラッガー、ベーブ・ルース。通算714本の本塁打を放ったことで有名ですが、投手としても94勝を上げており、元祖二刀流として、大谷翔平のブレイクで再び注目を浴びています。
アメリカの野球殿堂に最初に選ばれた中の一人であり、メジャーリーグでは今も絶えずに語られる人気者でもあります。1934年には全米選抜チームとして来日し、その人気から日本にもプロ野球を設立させようという気運をもたらしました。
また1976年10月、王貞治がルースの通算本塁打714本を抜いた時には、日本中で大きなフィーバーとなります。ルース贔屓のアメリカでも日本のプロ野球が知られるきっかけとなり、それは2016年にイチローとピート・ローズの通算安打記録について比較論争が起こるのを予見していたような出来事でした。
今回はそんなアメリカはもちろん、日本球界へも大きな影響を与えたベーブ・ルースの凄さが分かる名言・語録、伝説エピソードから人生哲学にも迫ります。
ベーブ・ルースについて
まずはベーブ・ルースの経歴を追ってみます。
ベーブ・ルースことジョージ・ハーマン・ルース・ジュニアは1895年2月6日生まれ、メリーランド州ボルティモア出身。
ドイツ系移民の両親のもとに生まれるが、9人兄弟中成人を迎えられたのはわずかに2人という厳しい環境の中、幼少期から非行に走り、全寮制のセント・メアリー少年工業学校という更生のための学校に入りました。そこで神父より野球を教えられ、人生が一変します。
1913年、地元ボルティモアのマイナーリーグのチームと契約。翌年、ボストン・レッドソックスと契約し、メジャーリーグにデビューしました。
レッドソックスでは主に投手として活躍しますが、打者としての才能の片鱗も見せ、大谷翔平にも期待された同一シーズン内での10勝10本塁打というメジャーの歴史でも唯一の記録を残しています。
1919年、ルースはニューヨーク・ヤンキースに売却され、以降、名門レッドソックスは2004年までワールドシリーズを制することが出来ず、「バンビーノの呪い」として語り継がれることになりました。
ルースはヤンキースで打者として開花し、ヤンキース黄金期を支える活躍。メジャー初のシーズン50本塁打、34年間も破られなかったシーズン60本塁打など、数々の偉業を達成しました。
22年に及ぶ現役生活で、投手として通算94勝をあげ、最優秀防御率1回、打者として714本塁打、首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回、MVP1回。
伝説の大打者は1948年8月、まだ53歳で永眠し、財産の多くは自らの財団に贈られ、恵まれない子供たちのために使われています。
私が選ぶ、ベーブ・ルースの凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「簡単ではないかもしれない。しかしそれはできない理由にはならない」
厳しい環境から這い上がり、アメリカンドリームを実現したルース。そのためか彼は生涯、子どもたちに夢や希望を持つよう支援し続けました。
1926年10月、ワールドシリーズ前に、敗血症で苦しむ少年にサインボールを贈り、そこに「君のためにホームランを打つ」と書き、実際にシリーズでホームランを放ったという話は、その後に取り上げられ、さまざまな尾鰭がつきながらも、美談として日本でも語られました。
「もし野球でなければ、刑務所か墓場のどちらかにいただろう」
そう語るほど非行少年だったルースにとって、野球との出会いはまさに神父が与えてくれた福音だったことでしょう。そしてはそれはアメリカだけでなく、中米諸国や日本にも広がり、多くの子どもに夢を与える力になりました。
【名言語録その2】
「守備の甘いところに打つのがコツだ。だからオレはホールの外に打つ」
ユーモアにあふれる言葉です。野球におけるホームランの魅力を教えてくれた最初の選手であるルースらしいともいえます。彼がホームランを量産しはじめた頃、ホームランを二桁記録する選手は稀であり、その価値はルースの登場まで認識されていませんでした。
ルースのホームラン革命から約30年後、日本のプロ野球でも青バットと呼ばれた大下弘がホームランを量産するまでは、同じような状況がありました。
「ファンは2塁打を3本打つのではなく、ホームランを1本打つのを見に来るんだ」
誰にも邪魔されずに悠々とダイヤモンドを一周するホームランは、まさにキングの打撃であり、皆が魅了されました。日本でも王貞治による世界記録が達成された頃には、老若男女がその一打に注目しました。
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三振も多かったルースですが、「三振を恐れてはいけない」と言っています。
空振りばかりの人生を、ホームランで変えた男だけに、彼のホームランに期待するファンにこたえたいという気持ちが強かったに違いありません。
【名言語録その3】
「諦めない者には、誰も勝てない」
1923年に建てられた旧ヤンキースタジアムは「ルースが建てた家」と呼ばれるほど、人気を集めたルースですが、2009年には新しい球場に代わりました。2006年の起工式は8月16日でルースが亡くなって58年目に当たる日に実施されました。ルースを愛する思いがまだつながっているのがわかります。
「昨日のホームランは今日の試合を勝たせてはくれない」
結果を残しても、翌日にはすぐに次の結果を求める姿勢は、まさにプロフェッショナルであり、ルースは野球というスポーツエンタテイメントについて、真のプロフェッショナリズムを知らしめた最初の選手といえます。
1934年に来日した全米選抜チームには、ルースの他に「アイアンホース」と呼ばれながら、後に自分の名からゲーリック病とも呼ばれる筋萎縮性側索硬化症で37歳で亡くなったルー・ゲーリック、三冠王のジミー・フォックスなど、後に野球殿堂入りかる選手が9人もおり、16戦全勝で帰国します。
その対戦相手となったのが後の読売ジャイアンツであり、日本プロ野球の曙となります。
日本の甲子園球場にはルースが亡くなった翌年から今日に至るまで記念のレリーフが飾られていますし、仙台市の八木山動物公園内には、かつてそこにあった八木山球場でルースが来日初ホームランを放った記念のブロンズ像と落下地点に立て看板があります。
ルースはそうやってアメリカだけでなく、日本でも伝説の野球選手となっているのです。
野球好きなお子様がいらっしゃる方は以下もオススメです。努力することの大切さを学ぶことができます。
↓
ベーブ・ルース―やくそくのホームラン (講談社 火の鳥伝記文庫)
名言からの学び
・どんなに厳しい状況に置かれても、それは何かをやり遂げるための言い訳にはならない。
・恐れてばかりいては、大きな結果は望めない。
・諦めなければ、何かを成し遂げられる可能性が高まる。
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