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湯浅京己の凄さが分かる名言・語録集!独立リーグ出身でタイトル受賞者の伝説エピソードから努力論まで

2004年、プロ野球界を襲った再編問題は、野球界全体を大きく揺さぶり、その結果から生まれたものは東北楽天ゴールデンイーグルスと、数々の独立リーグです。NPBとは違う、もうひとつのプロとして誕生した独立リーグ。その出身投手として、NPBで初めてタイトルを獲得したのが湯浅京己です。

なかなか経営基盤が安定しない球団も多い独立リーグですが、2021年までにNPBに入団した選手数は126名います。打者ではすでに角中勝也が首位打者と最多安打のタイトルを手にしており、2022年には獅子奮迅の活躍でチームを支えた湯浅が最優秀中継投手となり、投手として初のタイトルを獲得しました。

湯浅の武器は真上から力強く投げ下ろすストレート。その威力は抜群であり、侍ジャパンの投手コーチとして湯浅を日本代表に迎い入れた吉井理人は、そのストレートを「非常識」と表現しています。

今回は「非常識」なストレートで打者をねじ伏せる湯浅京己の凄さが分かる名言や語録を紐解き、独立リーグ出身でタイトル受賞者の伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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湯浅京己について

まずは湯浅京己の経歴を追ってみます。

1999年7月17日生まれ、三重県尾鷲市出身。小学4年生から野球を始め、最初は主に内野手でした。福島県の聖光学院高校に進学しますが、腰痛によりマネージャーを経験し、完治後、2年生の秋に投手として復帰。3年の夏にチームは甲子園大会に出場するものの、湯浅はベンチ入りを逃します。卒業後はBCリーグのトライアウトに参加し、富山GRNサンダーバーズに入団します。2018年は先発として15試合に登板し、3勝7敗。NPBのドラフトで阪神タイガースから6位指名を受け、入団します。

ルーキーイヤーの2019年は2軍で育成重視の方針で練習しますが、二度にわたる腰椎の骨折があり、翌2020年はほぼリハビリに専念。2021年もケガで出遅れますが、6月に1軍登録され、プロ初マウンドを踏みます。2022年は春季キャンプから1軍に加わり、開幕1軍入り。中継ぎとして17試合連続無失点を記録し、オールスターにもファン投票で選出されます。シーズンを通して活躍し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。野球日本代表のメンバーにも選出されました。

プロ通算4年間で2勝、43ホールド、防御率1.92。最優秀中継ぎ投手1回。

 

私が選ぶ、湯浅京己の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「アツアツでした」

2022年10月10日、セリーグCSファーストステージ第3戦、横浜DeNAベイスターズと阪神タイガースの対戦で、勝った方がファイナルステージ進出となる試合でした。タイガース1点リードの8回2死からマウンドに上った湯浅が、9回も続投。1アウト満塁のピンチを招きますが、見事にダブルプレーで切り抜け、お立ち台で発した言葉です。

京己という名前は「あつみ」と読みます。それにかけて湯浅は、8月頃からインタビューなどで「アツアツ」というフレーズを口にするようになりました。実際、優勝争いをする中、熱い場面で登板することが多くなり、それに応えるような投球を見せてくれました。

その結果、独立リーグ出身の投手として、初めてタイトルを獲得するという快挙を達成しました。独立リーグの選手にとってNPB入りして活躍することは大きな夢です。しかし現状ではまだまだ狭き門ですし、ドラフトされても育成がほとんどです。湯浅の快挙は独立リーグで頑張るものにとって、また高校時代に華々しい活躍が出来ないかった選手にとって、大きな希望になるものだろうと思います。

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【名言語録その2】

「本当に1試合1試合、自分ができることをやっていこう、という感覚しかないです」

2021年6月5日の1軍デビュー戦では「ただ投げていた、という感じでした」という投球の結果、1イニング2失点に終わった湯浅。それまでの野球人生通り、なかなか順風満帆とは行きませんでした。

高校時代は腰痛のため、選手ではなくマネージャーとしての日々もあり、プロ入り後も4年間で3度の骨折。「3回目は診察室に入り、自分の画像を見たときに折れているなと分かった瞬間に涙が出て。その時はすごい落ち込みました」という湯浅。その時に彼を支えたのが独立リーグ時代の監督だった伊藤智仁に言われた「青いクマ作戦」でした。

「青いクマ」とは、ア=焦るな、オ=怒るな、イ=威張るな、ク=腐るな、マ=負けるな、を略したものです。湯浅はその言葉を忘れないようグローブに書き入れているそうです。アドバイスした伊藤智仁は登板過多でプロ選手として短命に終わった自身の経験もあり、投げられない辛さをよく知る人物であるだけに、その言葉には説得力があります。

「リハビリも長くて、たくさんの人に支えられてここまで来たので、恩返ししたいという気持ちは強いです」

腰椎の骨折に苦しめられた湯浅ですが、その経験が彼の活躍を支える背骨となっているのです。

 

【名言語録その3】

「辛いことも多かったけど、その期間があったから今の姿がある。無駄ではなかった」

長いリハビリの期間、ずっと自分が1軍で投げている姿をイメージしながらモチベーションを保っていたという湯浅。事前にイメージトレーニングを繰り返していたことは、後々に結果として戻ってきます。

「まともキャンプをしたのが初めてだった」という2022年春季。1軍キャンプへの参加はイメージトレーニングを現実の環境に適応させる場だったと言えます。それについて湯浅は「春季キャンプから1軍に呼んでもらったことで、環境に慣れていき、マウンドでもバッターを見ていく中でいろいろ考えながら投げられているのかな、と思います」と語っています。

また体がプロ仕様に変化してきたことも、大きいでしょう。湯浅は甲子園での試合前には岩崎優投手と共にアルプススタンドで階段トレーニングを行っています。良いトレーニングだと思い、岩崎に「一緒にやらせてくださいと直訴」しました。その意図について「下半身に刺激を入れる意味もあるし、ピッチングフォームも意識しながらやって」いるそうです。

投げ終わった後によく笑顔を見せる湯浅ですが、それは「野球ができている喜び」と「1軍で投げられるている幸せ」を感じ、「自然と笑顔に繋がって」いるのだとか。「ポーカーフェイスは憧れだけど、やろうと思ってもできないので」と笑う姿は、きっと誰かの憧れになることでしょう。

 

名言からの学び

・早熟さイコール才能ではない

・経験者の言葉は力を持つ

・イメージトレーニングは経験の積み重ねがあって開花する

 

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