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矢野燿大監督の凄さが分かる名言・語録集!苦労人で捕手出身監督の伝説エピソードから努力論まで


同じ大学に1990年から1992年の間に在籍していた中から、11名ものプロ野球選手を輩出した東北福祉大学ですが、その中にはメジャーリーガーになった佐々木主浩と斎藤隆、1492試合連続フルイニング出場の金本知憲も含まれています。また2019年から阪神タイガースの監督に就任した矢野燿大(2009年まで輝弘)もそのひとりです。

今でこそ埼玉西武ライオンズの秋山翔吾が八戸大学、山川穂高が富士大学、福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐が広島経済大学、東北楽天ゴールデンイーグルスの則本昂大が三重中京大学など、地方大学からもプロになる選手が増えてきましたが、かつては東京六大学か東都リーグの選手がほとんどで、地方にはそれらの大学のセレクションに漏れた者が入学し、プロなど遠い夢でした。

矢野も東都リーグに所属する東洋大学のセレクションに落ち、失意を抱えながら寒い東北の地へと向かったひとりです。しかし全日本大学野球選手権の決勝で、東都リーグ亜細亜大学のエースで、後に8球団によるドラフト1位指名を受けた小池秀郎に敗れはしたものの、その善戦でプロのスカウトの目を集め、地方大学からプロ入りを果たしました。

志望大学のセレクションに落ち、プロ入り後も芽が出ずにトレードされましたが、共にどちらも踏み台にして大きな飛躍を見せた矢野

今回はそんな矢野燿大監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、苦労人で捕手出身監督の伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

 

矢野燿大のプロフィール詳細

まずは矢野燿大の経歴を追ってみます。

1968年12月6日生まれ、大阪府大阪市出身。本名は矢野輝弘。大阪市立桜宮高校では投手以外の全ポジションを守り、主将も務めました。大学は東洋大学のセレクションに落ちて、恩師の伊藤義博が監督になっていた東北福祉大学に一般入試で入学します。全日本大学野球選手権での準優勝など活躍し、三塁手として大学日本代表にも選ばれています。

1990年のドラフトで読売ジャイアンツと中日ドラゴンズの2位重複指名の末、ドラゴンズが指名権を獲得し入団。1年目から一軍出場しますが、なかなかレギュラー獲得はならず、時に外野手として出場することもありました。

1997年オフに2体2のトレードでタイガースに移籍。1998年には110試合に出場し、翌年ついに規定打席に達してレギュラー捕手の座を獲得します。2001年にはドラゴンズ時代に彼をトレードに出した星野仙一監督の就任で危機感を持ち、広島カープから移籍してきた大学の同窓生である金本知憲に刺激を受けてケガをしない体づくりをし、正捕手を死守します。

星野仙一監督の凄さが分かる名言・語録集!伝説を残した名将の人生哲学やリーダー論とは?

 

2003年と2005年にはチームのリーグ優勝に貢献し、2006年には通算100本塁打を達成しました。

2010年のシーズン限りで現役を引退。プロ通算20年で1347安打、112本塁打、打率.274。ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞2回。

引退後は評論家、日本代表バッテリーコーチ、タイガースの一軍コーチ、二軍監督を歴任し、2019年シーズンより一軍監督に就任しました。

 

私が選ぶ、矢野燿大の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「怖くてサインを出せなくなるようなぎりぎりの場面を経験しないと、キャッチャーは育たない」

日本のプロ野球において捕手が担う役割は極めて大きく、そのためか慢性的に人材不足気味のポジションです。しかも少年野球では誰もやりたがらないポジションでもあります。

矢野も少年野球時代、遊撃手から捕手にポジションを変えられた時は嫌だったそうです。打撃のいい矢野は、高校や大学時代、そしてプロ入りしたドラゴンズでも捕手以外のポジションも守っています。

捕手として一皮むけたのは、タイガースで名捕手でもあった野村克也監督のもとで3年間学べたことでしょう。矢野が野村に教えてもらったことで一番大切なことは「感じる」ということだったそうです。

 

「たとえばバッターならスタンスや握り、肩に力が入ってるとか。ランナーが走ろうとしているかも、やはり出ますからね。でも感じようとしなければ、何もわからない」

野村にはその「見方」「教え」を学んだと言っています。タイガースの監督就任が決定した後、矢野がわざわざ家まで挨拶しにきたと野村が語っています。その律儀さも矢野らしい感じがします。

野村克也監督の名言!苦労人の努力やリーダー論など人生哲学に迫る

 

ドラゴンズで芽が出なかった頃、毎年クビになる選手たちを見ていて、このままなら後悔すると思い、自らいろいろチャレンジしなければいけないと思い、努力を重ねた矢野。

悔しいトレードがありながらも、それを糧に成長した矢野の姿は、奥底にある雑草のような強さを感じます。

 

【名言語録その2】

「ピッチャーが中途半端な気持ちで俺のサインに頷いて投げるより、自分が本当に納得する球を投げてもらいたい」

これは投手が好きに投げればいいという事ではありません。「投手にできるだけ自分の考えを持って欲しい」という意味であり、「自分の考えで打ち取ったらピッチャーとして自信になるし、うれしいはず」という意図があります。

 

「自分で考えて投げたボールでいい結果が得られたときの喜びは、リードされて打ち取ったときとは比べものにならないと思うんです」

監督や投手は、時に打たれた言い訳を捕手のリードのせいにしてしまいます。それが捕手の負担を重くしている面もあると思います。

捕手ばかりでなく、投手も共に考えることで、己の責任も感じ、自然にパフォーマンスが向上するという事もあるだろうと思います。更にそれが捕手と投手の阿吽の呼吸につながれば、より結果が伴う筈です。

JFKトリオの一角としてバッテリーを組んだ藤川球児は「ミットしか見えなくてもええほど、オレは矢野さんを信頼してた」と語っていますが、まさにバッテリーの完成形だったといえます。

 

「でも首振って打たれたらざまあみろって思うこともあるんやけど」

そう笑う矢野ですが、タイガースに厳しい関西の人には、監督になった今も、何かにつけ「優しい」とか「甘い」と言われているようです。

 

「『自主性』は人によっては甘く感じられたりする部分があると思うんです。でもプロとしてやる以上は『自分がどういうふうになりたいか』『どうありたいか』を考えたときに、自然と何をやるべきか見えてくる」

人気球団への甘えが感じられると言われるタイガースだけに、矢野が考える自主性こそ、強いチームの選手が持っている規律のひとつであり、チームに必要な要素だろうと思います。

 

【名言語録その3】

「何かをやろうとするときに、人はどうしても『やり方』ばかりを見てしまうものです。でも自分が将来どうなりたいか、それを想像する。これが『あり方』であると思うのです」

ドラゴンズからの移籍当初は「星野のスパイ」とやじられたという矢野。現役引退の際には、56歳で亡くなられた恩師伊藤義博の仙台にあるお墓にわざわざ報告に行った律儀者だけに、タイガースファンに受け入れられるのも早かったと思います。

タイガースの監督に就任するにあたり、前任者で大学のチームメイトだった金本知憲からも背中を押されたそうです。

金本知憲監督の凄さが分かる名言・語録集!伝説エピソードや努力論にも迫る!

 

「何か自主的なことをすると『脱金本』みたいな書かれ方もしたりするけど、俺にとっては全然『脱』ではないのよ。『続』なのよ」

そう語り、金本が指揮していた時期についても次のように擁護しています。

 

「あの時は右も左も分からない若手選手たちを導く必要があった。朝の連続ティー打撃やトレーニングなんかも、強制してでもやらせて土台を作る必要があった時期だったと思う」

日本代表チームのコーチになった時、ホークスの柳田悠岐がフリー打撃でいきなりフルスイングするのを見て、初球からフルスイングする準備をしているのとしていないのでは、積み重ねを考えると全然違うだろうと感じだそうです。

監督となり、試合の途中で笑顔やガッツポーズが多すぎると批判する人もいるようですが、苦労人の矢野だからこそ、他人の努力や結果を素直に受け入れ、それを受け入れられるのは、優しさや甘さではなく、彼の真摯さだと思います。

 

名言からの学び

・あらゆる経験が人を育てる糧となる。

・自主性もまた規律である。

・方法論も大事だが、理念もまた大事である。

 

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