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ウォーレン・クロマティの凄さが分かる名言・語録集!巨人史上最強助っ人の伝説エピソードから人生哲学まで


巨人史上最強助っ人は誰か?

その候補にはアレックス・ラミレスや、ロベルト・ペタジーニ、タフィ・ローズらの名前があげられるでしょうが、彼らは他チームからの移籍組です。

あまり外国人助っ人のスカウティングが上手いというイメージのないジャイアンツですが、「生え抜き」と呼んでもいいチーム史上最強の助っ人はジャイアンツのウォーレン・クロマティでしょう。

メジャーリーグでレギュラー選手として1000本以上の安打を放ち、30歳という年齢で日本にやってきた、まさに現役ばりばりのメジャーリーガーだったクロマティ。

独特のクラウチングスタイルから勝負強い打撃を見せ、スタンドの観客と一体になった「バンザイ」コールで人気者となり、助っ人としては長い7年間在籍中、数々の名シーンを残しました

『菊とバット』の著作で有名なロバート・ホワイティングとともに、日本での経験を『さらばサムライ野球』という本に残し、ベストセラーにもなりましたが、なかには辛辣な表現もあるものの、その人気に影が差すことはありませんでした。

それほどジャイアンツファンに愛された最強助っ人クロマティ

今回はそのクロマティの凄さが分かる名言や語録を紐解き、巨人史上最強助っ人の伝説エピソードから人生哲学まで迫ります。

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ウォーレン・クロマティについて

まずはウォーレン・クロマティの経歴を追ってみます。

1953年9月29日生まれ、アメリカのフロリダ州出身。高校卒業後のドラフトでシカゴ・ホワイトソックスに指名されるも短大に進学。

翌年一次ドラフトでミネソタ・ツインズ、二次でサンディエゴ・パドレス、更に次の年は一次でオークランド・アスレチックスにドラフトされるも合意せず、同年の二次ドラフトでモントリオール・エキスポズに入団します。

入団三年目から活躍するようになりますが、レフトを守り、後にファーストも守りましたが、一塁守備はあまりうまくはなく、エラーも多く記録しました。タイプとしては出塁率の高い中距離ヒッターで、敗戦に怒ってクラブハウスのフードテーブルをひっくり返したという逸話も残っています。

1983年のオフにFA権を得ますが、サンフランシスコ・ジャイアンツなどのオファーがあったものの、破格の年俸60万ドルで3年契約という条件から、同じジャイアンツでも、日本の読売ジャイアンツに移籍。

ジャイアンツにはその前年からレジー・スミスというメジャーリーグで2000本安打と300本塁打を越えた大打者が在籍していたことも、間違いなく影響を与えたことでしょう。

1984年から35本塁打を放ち、チームの主力打者として活躍。若大将と呼ばれた原辰徳を抑えて4番を打つこともありました。

1986年の10月には頭部に死球を受けた翌日、代打で満塁ホームランを放ち、1987年には中日ドラゴンズの宮下昌己の死球をきっかけに、有名な大乱闘を引き起こし、物議をかもしました。

1989年には開幕から96試合まで打率4割を維持し、ジャイアンツ史上シーズン最高打率の.378で首位打者を獲得。1990年6月には敬遠のボールを打ってサヨナラ安打にするなど、印象的な活躍を見せました。

1990年に退団し帰国。カンサスシティ・ロイヤルズでメジャー復帰しますが、この年限りで引退。

日本通算7年間で951安打、171本塁打、打率.321。MVP1回、首位打者1回、ベストナイン3回などの記録を残しました。

ちなみにメジャーリーグでの通算は通算10年間で1104安打、61本塁打、打率.281を記録しています。

 

私が選ぶ、ウォーレン・クロマティの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「俺は最盛期に日本でプレーする最初の大リーガーになるだろう」

当時、日本にやってくる助っ人外国人は、メジャーリーガーといっても、ジャイアンツで同僚になったレジー・スミスのようにすでに最盛期を過ぎてしまった選手か、あるいは控え選手で、来日前年までレギュラークラスだったという選手は、まずいませんでした。

クロマティはまだ30歳で、前年までエキスポズのレギュラーであり、FAで他のメジャーチームからの誘いもありました。しかしジャイアンツが破格の契約で獲得に成功します。

少年時代に、貧しくてアパートを追い出され、母親と弟と3人で安ホテルを転々としていたことがあり、より高額で自分を評価するチームということで、ジャイアンツを選んだようです

 

「日本の投手がオレとまともに勝負しようとせず、かわそうとばかりするだろ。だから長打を狙わず、単打が打てればいいと思ってるんだ」

そもそも長距離砲ではないクロマティですし、助っ人に期待されるのは長打、というのを割り切ることで、日本通算.321という高打率を残せたのでしょう。

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【名言語録その2】

「ボールがスイカに見えるよ」

絶好調時にそういって記者を笑わせていたクロマティですが、当初はなかなか日本になじめなかったようです。

すぐに帰ろうと思っていたのに、長らく日本でプレーすることになったのは、本人曰く王貞治のおかげだそうです。

王と行った日本料理店の個室で、日本でのバッティングについてアドバイスを受け「世紀の大打者から秘密のバッティング・セミナーを受けている」と感激したそうです。

ドラゴンズの宮下の死球が発端となった乱闘事件でも、王は「ナイスファイト」と言って注意されることはなかったそうです。

まだメジャーでは黒人差別のあった時代を知っていて、黒人だけの二グロリーグを目にしているクロマティだけに、マイノリティを過小評価しない王をリスペクトし、王も彼を高く評価していた関係がわかります。

自らの著書などで、原辰徳をナルシストと言い、桑田真澄は孤立していた時期があって、優勝のビールかけの際も自分で自分にかけていたとか、江川卓は「本当のプロ」だと褒めつつも、毎年引退の話をしていた、また中畑清はショーマンで頭が下がると言いつつ、「ジャイアンツの中で最も王を嫌っている中畑が、王のもとで誰よりも熱心にプレイしている」と暴露し、乱闘で因縁があった星野仙一に対しては「あいつは狂っている」と暴露しているクロマティ。

そこには多少辛辣な表現もありますが、当時のジャイアンツやプロ野球の内側を知る、重要な資料になっています。

しかし王へのリスペクトは変らず、後年、日本のテレビ番組に出演した際にも「王さんオンリー、柴田さんノー、土井さんノー」と当時のコーチ陣よりも、王を慕う気持ちを語っていました。

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【名言語録その3】

「もっと個性を認めなきゃ。私がいるときからそうだったけど、日本はみんな同じことをしているからね」

クロマティは当時を振り返り「日本の野球は本当に高いレベルだった」と褒めつつも「メジャーリーグよりはしただったけどね」と言っています。

 

「メジャーで成功した選手は一体、何人いるんだい?たしかにピッチャーは野茂や黒田などたくさんいたけど、野手で成功したのはイチローだけだよ。あとは松井も頑張っていたけどね。ただふたりとも外野手だ。井口や松井稼頭央?どうだろう、彼らは成功したとは言えないんじゃないかな」

確かにWBCで優勝するなど、日本の野球のレベルは高いものがあります。しかしクロマティの指摘もまたもっともです。

彼の独特のクラウチングフォームは日本人で見ることはありません。

日本ではよく打者でも投手でも理想のフォームということが言われますが、考えてみると歴代最多本塁打の王貞治を筆頭に、最多安打のイチローもかなり変則的なフォームです。

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日本人メジャーリーガーのパイオニア野茂英雄もそうですし、ある意味、大谷翔平の二刀流も変則だと言えます。

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そう考えるとクロマティの言う「個性を認める」という意味が、より説得力を持つと思います。

 

まとめ

・時に割り切りが好結果を生む。

・信頼できる者との出会いが運命を動かす。

・個性を認めることがレベルを高めることにつながる。

 

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