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上野由岐子の凄さが分かる名言・語録集!日本代表を牽引するエースの伝説エピソードから人生哲学まで

北京五輪から東京五輪まで、13年間の年月があります。その間に就任した内閣総理大臣は9人、リーマンショックで揺れていた世界ですが、今度はコロナショックに見舞われています。その長い時間を越えて、五輪連覇を果たしたのが日本女子ソフトボールです。そして両大会で勝利の瞬間マウンドに立っていたのは上野由岐子でした。

五輪でのソフトボールは1996年アトランタ大会から4回行われましたが、その後除外され、東京大会限定で復活しました。日本はそのすべてに出場し、メダルは金2、銀1、銅1とアメリカと並ぶ強豪国ですが、うち3大会で金2、銅1のメダル獲得にエースとして貢献し続けたのが上野です。

日本リーグでは最多となる236勝(2020年まで)を記録し、世界選手権でも優勝2回、準優勝3回に大きく貢献、世界大会で2度の完全試合を成し遂げるなど、剛腕としてソフトボール史に残る記録を残し続けています。

男子の野球、女子のソフトボールと並べられることがある両競技ですが、両者にはかなり違いがあります。わかりやすいところではボールの大きさや投手の投げ方がありますが、グラウンドのサイズはもちろん塁間も10メートル近く違っています。なのでソフトボールの方が全体的にスピーディーさが要求されます。そんな競技で20年以上エースとして君臨するのは並大抵のことではありません。

今回は日本代表を牽引するエース上野由岐子の凄さが分かる名言や語録を紐解き、ソフトボール界のレジェンドの伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります

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上野由岐子について

まずは上野由岐子の経歴を追ってみます。

1982年7月22日生まれ、福岡県福岡市出身。小学生の頃からソフトボールを始め、中学生の時に全国制覇を成し遂げ、九州女子高校在籍中に世界ジュニア選手権で代表に選ばれ、速球派エースとしてチームを牽引し、見事に優勝します。2000年のシドニーオリンピックでも代表候補となりますが、ケガのために出場しませんでした。

2001年に日立高崎ソフトボール部(現ビックカメラ女子ソフトボール高崎)に入り、2試合連続完全試合など剛腕ぶりを見せつけ、新人王に選ばれます。2004年のアテネオリンピックでは五輪史上初となる完全試合を達成、銅メダル獲得に貢献します。

2008年の北京オリンピックでは不動のエースとして、2日間で3試合に登板し、413球の熱投を見せ、金メダルに貢献。後に左足が脱臼していたことを告白しています。

北京オリンピック後、ソフトボールが五輪競技から外れたこともあり、一時は燃え尽き症候群のようになり、モチベーションを欠く時期もありましたが、リーグ戦、アジア大会、世界選手権などでチームの優勝に貢献し続けました。

そして2021年の東京オリンピックにおいて、競技が復活すると、変らずエースとして13年越しの連覇を果たします。

2020年シーズン終了時点で、日本リーグ通算20年間、236勝、2267奪三振はいずれも日本記録です。

 

私が選ぶ、上野由岐子の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「これ以上、オリンピックの舞台を誰にも壊されたくなかったんです」

2004年のアテネオリンピックまで、ソフトボール日本代表の監督は宇津木妙子でした。宇津木のもとではまったく自己主張らしいものを見せなかった上野ですが、北京オリンピックで監督が斉藤春香に変ると、エースとしての矜持を見せるようになります。

斉藤は日本代表選手として長らくチームメイトと接していましたが、宇津木とは違って口下手な監督でした。そのためにチーム内では微妙なすれ違いが起こります。斉藤は上野を大会後半まで温存するため、アテネ大会や北京大会予選で好投を見せ続けていたベテラン坂井寛子を多投させます。しかし上野はなぜ若い投手にも経験を積ませないのか不満だったようです。

その坂井は坂井で、上野が足を引きずりながら投げているのを見て、もっと早めに交代した方が良いと考えていました。更に自身はその日は登板しないと言われていたのに、いきなり行けと命じられ、戸惑ったそうです。いずれも間違った判断ではないだけに、意図を言葉で明確に伝えあっていれば、容易に納得できた筈の出来事です。

ただその意図は伝わらず、上野は「自分がやってきたことを出し切るためにも変な遠慮はもうやめよう」と思ったそうです。「これまでエースとして、いろいろな重圧を背負ってきたので、それぐらいのアピールは許されるだろう」と、初めてエゴをむき出しにしました。絶対エースとはそれくらいの闘争心とプライドを持つべきだし、上野が本物の日本のエースなった瞬間はその時だったのかもしれません。

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【名言語録その2】

「正直、神様って本当にいるんだなって思いましたね。それぐらい、いろいろなことがうまくいった。結果が出たから、あれがよかったんだと言えている部分はあると思います」

北京オリンピックでの金メダル獲得について、上野は上記のような言葉を残しています。そこには暗に運が良かったというメッセージが込められていると思います。

上野はこの大会中に左足を脱臼し、右手中指も封印していたシュートの多投により、肉が削げてえぐられたような状態だったそうです。

アメリカ戦の終盤6回裏、1死ランナー2塁、バッターは4回にホームランを放っている4番ブストスという場面、監督の斉藤は上野に「どうする?」と尋ねました。斉藤の気持ちとしては上野に「『勝負するか?』って聞き方をしたら、『勝負する』って言うかもしれない」ので、あえて聞いたのですが、上野は「なんで聞くんだろう?」と思ったそうです。

 

「絶対、敬遠だと思っていましたからね。自分の勝利なんていらない。どんな手を使ってでもとにかく勝ちたかったんです」

エースはチームに勝ちを呼び込むのが仕事です。彼女は芽生えたエースのプライドに固執せず、託された役割を果たしたのです。

そうやって試合の中で成長し続けたことが、運を呼び込んだのだと思います。

 

【名言語録その3】

「私の中での道は決して直線の一本道ではありません」

北京オリンピックの後には、「とりあえず、もういいですね。めちゃめちゃ苦しかったですもん。もうあんなにがんばりたくないっていう正直な自分もいます」と語っていた上野。

しかし13年ぶりにオリンピックで開催される競技に対して、彼女はしっかりと向き合いました。それを彼女は「使命感」だと答えています。

 

「個人的な結果よりも、とにかくみんなの期待に応えたい、もう、ただそれだけです。金メダルの期待に応えるために、じゃあ自分には何ができるのか、何をしなければならないのか、どうしたいのか。いろいろな思いの中で、自分を見失わないように、後悔のないように準備をして臨みたい。その結果、最後は勝利の女神が微笑んでくれることを祈っています」

2016年に左膝前十字靭帯を痛め、2019年には打球を顔面に受け、下顎骨骨折という大怪我に見舞われました。満身創痍ながらも、上野は東京オリンピックのマウンドに立ち、13年前とは一味違う投球術で相手を翻弄し、再び金メダルを手にしました。

同じ東京オリンピックの野球には、やはり満身創痍で出場する千賀滉大がいます。千賀は上野と同じ鴻江スポーツアカデミーでトレーニングをしていますが、上野から「周りに流されちゃダメ。三流の選手は三流のことしかしない。一流の選手は三流のことはやらない」と言われたそうです。

千賀滉大の凄さが分かる名言・語録集!育成出身の天才ノーヒッターの伝説エピソードから努力論まで

 

一流は一流を知ります。上野の素晴らしい経験と知識は、ソフトボール界のみならず、野球や、その他の世界でも生かされて行くに違いありません。

 

名言からの学び

・プライドがエースを生み出す

・ひとつの大きな経験が人を成長させる

・一流は一流を知る

 

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