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達川光男の凄さがわかる名言・語録集!伝説的エピソードから人生哲学まで迫ってみた!

2019/01/13


かつてテレビで、プロ野球の珍プレーを紹介する番組がありました。その中で毎回のように登場し、人気者になった選手がいます。達川光男です。

当っていないのに再三デッドボールをアピールしたり、プレー中にコンタクトレンズを無くして試合を中断させたり、コミカルな仕草やとぼけた言葉で、一躍全国区の選手になりました。

もちろん実力が伴っていたからこその人気であり、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回獲得。当時のセリーグを代表する捕手として、投手王国といわれた広島カープを支え、引退後も指導者として、多くの球団に招かれています。

今回は達川光男の凄さがわかる名言や語録から、その伝説的エピソードを紐解き、人生哲学まで迫ってみましょう。

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達川光男について

まずは達川光男の経歴を追ってみます。

1955年7月13日生まれ、広島県広島市出身。広島県立広島商業高校時代には春の選抜準優勝、夏は優勝。その後、東洋大学に進学。1977年のドラフト4位で広島東洋カープに入団。しばらくはなかなか活躍できずにいましたが、1983年からレギュラー捕手となり、84年の日本一に貢献。86年と91年にもリーグ制覇を果たします。

初めは決してうまい捕手とは言えませんでしたが、研究熱心さと努力の積み重ねで、通算213勝の北別府学、勝利もセーブも100以上記録した大野豊と佐々岡真司、炎のストッパー津田恒美、最多奪三振3回の川口和久など、まさにカープの投手王国というべき時代を支えました。
達川の内助の功は、彼がレギュラーを獲得して引退するまで、カープがたった1度しかBクラスにならなかったことにも表れていると思います。

現役15年間で、1334試合に出場。通算895安打、本塁打51本、打点358点、通算打率.246ではありましたが、打撃は意外性のあるものでした。
守備は通算の盗塁阻止率は.366、捕逸52回と、高いレベルで安定していました。

引退後は1999年から2年間、カープの監督を務めますが、他にホークス、タイガース、ドラゴンズでコーチとして活躍。多くの選手を育てています。

【広島カープ】歴代監督を成績と一緒に徹底紹介!優勝回数最多は古葉竹識監督!

 

私が選ぶ、達川光男の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録集その1】

「人をわかるというのは難しいですよ」

達川は捕手として打者の集中力を削ぐため、名捕手野村克也が使ったので有名な「ささやき戦術」を多用していました。それは打者にいろいろ話しかけたり、独り言のようにつぶやいたりして、惑わせたり迷わせたりする技です。

ヤクルトスワローズの主砲として活躍した486本塁打の大杉勝男との勝負で、味方投手を鼓舞するために、大杉のことを「石ころ」と言ってしまい、逆に大杉に火をつけ、本塁打をあびた上、拳骨で小突かれたそうです。
ささやき戦術の一端が分かると共に、さすが珍プレーのスターともいうべきエピソードです。

 

「ピッチャーは信頼しても、信用するな」

そのような言葉も残していますが、当時のカープには前出の通り、信頼できる素晴らしい投手が揃っていました。そんな投手たちでも必ず抑えるわけではありません。

その日の調子や、打者との兼ね合いもあります。達川は投手たちを信頼していても、客観的なデータと経験から、安易に良い結果ばかりが出るわけではないので、信用はしていませんでした。だからこそ、投手をサポートし、打者にささやくこともあったのでしょう。

達川の真骨頂のひとつは、彼が正捕手の間に、川端順と長冨浩志という二人の投手が新人王になっていることです。新人ですから捕手のリードが影響しているのは違いありません。

それは新人の頃、三村敏之コーチに「いいキャッチャーにならなくてもいい。 勝てるキャッチャーになれ」と言われ、投手のことや相手打者のことを観察することで、「人をわかるというのは難しい」と悟り、だからこそどうすべきか考え続けたからこそなのでしょう。

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【名言語録集その2】

「当たってないのに塁に出たのが1回で、当たってても出してもらえなかったことが3回ある」

死球が当ったふりをするので有名になった達川。本当にこの言葉通りかどうかはわかりませんが、どんな方法でも出塁しようとする執念が感じられます。

1986年カープと西武ライオンズの日本シリーズでは、第1戦で通算251勝をあげた東尾修の内をえぐってくる球に膝をつき、手首を抑えて死球をアピールしましたが、死球にはならず。
第3戦ではオリエントエクスプレス郭泰源の球が手に当たったと、手袋まで脱いで必死に主張しますが却下されます。同じ試合の終盤に渡辺久信から間違いない死球を受けますが、この時は元気に一塁へ向かい、スタンドから笑いが起きました。

本人は至って真面目にやっているのでしょうが、その全身からあふれるコミカルさに、誰もがつい笑ってしまう、不思議な選手でした。

他にもプレイ中に、二度もコントタクトレンズを落とし、試合を中断して探したことがあります。当時コンタクトは高価だったので、必死に他の者が歩かないように静止していた姿が思い出されます。

そんな達川も現役を引退後は変ります。
コーチとしてこんな事を言っています。

「選手をいい状態で監督に預けるのが仕事。目立たぬように、はしゃがぬように」

引退試合に、抑えの大野豊とともにリリーフカーに乗ってグラウンドに登場した達川らしくない言葉ですが、人は立場によって変わるということなのでしょう。

 

【名言語録集その3】

「データは主食じゃなくデザートのようなもの」

日本の野球は、捕手の役割が重要視され、捕手を中心としたデータ野球が主流です。
近年はトラックマンというシステムでデータを集め、それを解析することでトレーニングや戦略に生かすチームも増えてきています。

達川は監督として、コーチとして、データの重要性を強調するとともに、それだけではダメだということも言っています。

「データはあればあるほどいいけれど、それをうまく選択するのが大切」

それを強く感じたのは、日本プロ野球の最強打者落合博満との対戦だったそうです。
データによると、このところ落合は一度も初球を振っていなかったので、試合では初球は打ってこないと思い、簡単にストライクを取りにいってホームランを打たれました。
翌日、落合本人に聞いてみたところ、ここ数試合で当たった投手はどれもコントロールが悪かったので初球は様子見をしていたが、カープの投手はコントロールがいいので初球から狙っていた、と話したそうです。

木を見て森を見ず、という言葉がありますが、データにはそういう危険性もあります。野球に限らず、普通の仕事などでも平均値50点を鵜呑みにすると、分布が50点付近に固まっているのか、20点と80点に二極化しているのか、あるいはまったくバラバラなのかはわかりません。
データにはそういった落とし穴があります。

達川は捕手らしいデータ分析と、人間味あふれるキャラクターの組み合わせで、数字だけでは計れない野球の魅力を、きっとこれからも伝え続けてくれることでしょう。

 

名言からの学び

・人に対する信頼と、おかれた状況における信用とは、別問題である。双方を損なわない落としどころが結果を引き出す。

・人は立場によって、自分を変えなければ成長しない。

・人の決断において、データはあくまでも参考資料であり、それだけに頼らず、もっと総合的に判断すべきである。

 

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