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高木豊の凄さが分かる名言・語録集!Youtubeでベストナインおじさんの異名を持つ名手の伝説エピソードから野球観まで


スーパーカーといえば赤い跳ね馬のフェラーリや暴れ牛のランボルギーニなどを思い浮かべますが、プロ野球の世界では1985年に横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の近藤貞夫監督が名付けた「スーパーカートリオ」です。チームの俊足三選手をそう呼んだのですが、その三人とは屋鋪要、加藤博一、そして高木豊です。

高木豊は俊足巧打の内野手として活躍しましたが、チームは長期低迷しており、「スーパーカートリオ」も話題作りの目的もありました。しかし三人合わせて通算817盗塁という数は見事ですし、更に1700本を越える安打を放った高木は、チームの顔でもありました。

かつてはフジテレビの「プロ野球ニュース」の解説者としても人気者となり、2018年からはYoutuberとして、さまざまな野球の話題を提供し人気を集めています。また息子三人がサッカーのJリーガーであり、アスリートを育てる父親として子育ての面でも注目されています。

今回はYoutuberとしてベストナインおじさんとも呼ばれる高木豊の凄さが分かる名言や語録を紐解き、俊足巧打の名手に関する伝説エピソードや野球観に迫ります。

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高木豊について

まずは高木豊の経歴を追ってみます。

1958年10月22日生まれ、山口県山口市出身。多々良学園高校では甲子園出場はなく、中央大学に進学。東都リーグで活躍し、全日本大学野球選手権大会で優勝。日米大学野球の代表にも選出されます。1980年のドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。1年目から1軍で初安打、初盗塁を記録しますが、3年目となる1983年にレギュラーとなり、打率3割を越え、27盗塁、機敏な守備でゴールデングラブ賞を受賞します。

1984年には56盗塁を決め、盗塁王を獲得。1985年、屋鋪要、加藤博一と共に「スーパーカートリオ」と名付けられ、俊足巧打堅守でベストナインとなります。1983年から1986年まで4年連続で打率3割を越え、不動のレギュラーとしてチームを牽引しました。

その後、1990年と91年に連続ベストナインとなり、1992年には通算300盗塁に到達。しかし1993年のオフ、チームの若返りを理由に自由契約となり、日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)に移籍。1994年シーズン後に引退します。

現役通算14年間で、1716安打、88本塁打、321盗塁、打率.297。盗塁王1回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞1回。

引退後は野球解説者となり、2004年のアテネオリンピックではコーチを務めました。2012年から2年間、横浜DeNAベイスターズのコーチを務め、2018年にはYoutuberとして活動を始めました。

 

私が選ぶ、高木豊の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「勝負事っていうのは背水の陣を敷くのが一番だと思うんですね。自分の経験からも、ギリギリの環境から出てくる覚悟や底力が勝ちを取りに行く決め手になると思います」

高木が在籍していた当時のホエールズ(現ベイスターズ)は、たまにAクラスに入れば上出来の、万年Bクラスが定位置という弱小球団でした。選手を大人として扱う放任主義といえば聞こえはいいですが、同時期に西武ライオンズが広岡達朗監督のもと、厳しい管理野球で万年最下位チームから脱皮したのを思うと、残念ながらフロントの判断に疑問を感じます。

当時はFAもない時代ですし、「チームは勝てないから、個人成績を求めるしかなかった」という高木の言葉は、プロとして成績で年俸が決まる以上、当然のことです。

 

「『塁に出たら走れ』と言われていた。『走ってもいい』じゃなくて『走れ』です」

チーム方針として、走れるなら走れという、いわゆるグリーンライトではなく、盗塁のサインが出ている状況ですから、選手としては走るしかありません。その結果もあり、高木は生涯で321盗塁していますが、失敗も多く、成功率は300盗塁以上で最低の.643です。

ただそのような厳しい要求の中でプレーしたことは、まさに背水の陣を敷くような感覚であり、高木自身の成長につながったのだろうと思います。

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【名言語録その2】

「何がなんだかわからない」

1993年、高木は130試合に出場しながらも、チーム内の世代交代による若手起用を名目に、自由契約となりました。同時にスーパーカートリオの一角だった屋鋪も解雇となっています。上記はその時の高木のコメントです。

チームにとっての功労者が大量解雇された裏側には、いろいろな事情があるのでしょう。しかしその前年まで3年連続で3割を記録していた高木だけに、まだやれると思っていたはずですし、解雇は青天の霹靂だったのではないでしょうか。

移籍したファイターズで結果が出ずに引退しますが、大沢啓二監督は「もっとやれると思ってとった」と語っています。とはいえ起用法は本来のポジションではない外野でしたし、衰えと言う以上に気持ちの問題があったように思います。

 

「人間って高い目標を持っていると、要求を出してもそれに応えようとする。それが逃げ道なんです。逃げ道はサボることではなく、進んでいくこと」

もし高木がそのままベイスターズで高い目標を持ってプレーし続けていれば、ホエールズ在籍者として最後の、ベイスターズ在籍者としては初の2000本安打の達成者になっていたかもしれません。

 

【名言語録その3】

「プライドや固定観念なんか邪魔なだけ。人にはその時々で、美味しくなる方法があるんです」

2018年にYoutuberデビューしたことについての言葉です。高木だけでなく、元プロ野球選手として中村紀洋、里崎智也などがYoutuberとしてデビューしていますが、高木のチャンネルはその内容の面白さから、多くのファンを集めています。

その人脈の広さから、ゲストとして江川卓を呼んで、大きな騒動となったドラフトの時のことを聞いたり、アメリカ留学をしていた間にロサンジェルス・ドジャースから勧誘されたことも暴露してしまいました。また原辰徳がゲストの際には、長嶋茂雄監督の頃にスタメンを外されていた時代に「よし、他の球団でやろうって、思った時期がある」という驚くべき発言を引き出しています。

 

「Youtubeのいいところは本音で話せるところ。テレビだとスポンサーの関係上、好きなことが言えない場合が多い。だからこそ、本音でしゃべれるチャンネルを作りたかったんです」

長らくテレビで解説者を務めている高木らしい本音なのでしょう。それがうけているのは当然だと思います。

 

「ダブルスチールはまずいね。単独スチールくらいにしておかないと」

これは野球に関してのコメントではなく、ダブル不倫が発覚してコーチを退任した、ある元ジャイアンツのコーチに向けたジョークです。

そのコメント力は野球界の不要な固定観念をいくつも壊してくれるかもしれません


己(おのれ) 三兄弟をプロサッカー選手に導いた子育て論

 

名言からの学び

・環境と努力が人間力のキャパシティを決める。

・衰えとは目標を失うことである。

・本音とは固定観念を破壊するツールである。

 

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