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東京ヤクルトスワローズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

球団創設70周年を迎えた東京ヤクルトスワローズの扇の要と言われるキャッチャーをこれまで多くの選手が守ってきました。

今回は東京ヤクルトスワローズのキャッチャーをリサーチして、東京ヤクルトスワローズ歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。

懐かしの選手、意外な選手の名前が出てくるかもしれません♪一緒に確認していきましょう。

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東京ヤクルトスワローズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 宇佐美一夫 35 88 0.284 5 33
1951 佐竹 一雄 21 100 0.297 6 36
1952 佐竹 一雄 21 97 0.268 1 24
1953 佐竹 一雄 21 111 0.223 2 29
1954 佐竹 一雄 4 80 0.291 1 21
1955 佐竹 一雄 4 128 0.221 3 35
1956 佐竹 一雄 4 114 0.192 1 6
1957 谷田比呂美 6 88 0.193 4 19
1958 根来 広光 27 101 0.225 7 28
1959 根来 広光 27 112 0.203 9 32
1960 根来 広光 27 112 0.192 4 18
1961 根来 広光 27 120 0.221 4 30
1962 根来 広光 27 130 0.201 5 19
1963 根来 広光 27 138 0.229 5 33
1964 根来 広光 27 118 0.244 5 33
1965 根来 広光 27 109 0.217 8 28
1966 岡本 凱孝 19 121 0.208 2 21
1967 岡本 凱孝 19 122 0.250 6 30
1968 加藤 俊夫 27 121 0.205 11 30
1969 加藤 俊夫 27 113 0.218 13 41
1970 大矢 明彦 32 93 0.204 6 27
1971 大矢 明彦 27 127 0.231 10 40
1972 大矢 明彦 27 120 0.269 5 40 ダイヤモンドグラブ賞
1973 大矢 明彦 27 121 0.189 7 21
1974 大矢 明彦 27 130 0.239 13 41
1975 大矢 明彦 27 130 0.243 9 43 ダイヤモンドグラブ賞
1976 大矢 明彦 27 122 0.228 7 42 ダイヤモンドグラブ賞
1977 大矢 明彦 27 85 0.252 8 29 ダイヤモンドグラブ賞
1978 大矢 明彦 27 118 0.268 7 44 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1979 大矢 明彦 27 100 0.271 6 31
1980 大矢 明彦 27 110 0.283 8 50 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1981 大矢 明彦 27 82 0.221 2 23
1982 大矢 明彦 27 81 0.271 1 18
1983 八重樫幸雄 28 97 0.254 16 45
1984 八重樫幸雄 28 124 0.251 18 58
1985 八重樫幸雄 28 120 0.304 13 68 ベストナイン
1986 八重樫幸雄 28 119 0.216 6 23
1987 八重樫幸雄 28 120 0.280 9 47
1988 秦 真司 26 122 0.251 7 29
1989 秦 真司 26 84 0.290 8 28
1990 古田 敦也 27 106 0.250 3 26 ゴールデングラブ賞
1991 古田 敦也 27 128 0.340 11 50 首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1992 古田 敦也 27 131 0.316 30 86 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1993 古田 敦也 27 132 0.308 17 75 最多安打、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1994 古田 敦也 27 76 0.238 3 19
1995 古田 敦也 27 130 0.294 21 76 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1996 古田 敦也 27 119 0.256 11 72
1997 古田 敦也 27 137 0.322 9 86 MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP
1998 古田 敦也 27 132 0.275 9 63
1999 古田 敦也 27 128 0.302 13 71 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2000 古田 敦也 27 134 0.278 14 64 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2001 古田 敦也 27 121 0.324 15 66 ベストナイン、ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP
2002 古田 敦也 27 120 0.300 9 60
2003 古田 敦也 27 139 0.287 23 75
2004 古田 敦也 27 133 0.306 24 79 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2005 古田 敦也 27 96 0.258 5 33
2006 米野 智人 51 116 0.235 7 37
2007 福川 将和 37 86 0.224 7 29
2008 川本 良平 28 65 0.253 2 21
2009 相川 亮二 2 122 0.247 5 43
2010 相川 亮二 2 120 0.293 11 65
2011 相川 亮二 2 126 0.244 1 33
2012 相川 亮二 2 72 0.245 1 28
2013 中村 悠平 52 84 0.234 4 24
2014 中村 悠平 52 99 0.298 5 41
2015 中村 悠平 52 136 0.231 2 33 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2016 中村 悠平 52 106 0.187 3 37
2017 中村 悠平 52 127 0.243 4 34
2018 中村 悠平 52 123 0.211 5 26
2019 中村 悠平 52 126 0.269 5 36
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1950年代

50年代は主に4人の選手がレギュラーを務めました。50年に88試合に出場した宇佐美一夫選手は36歳で入団した1年目のシーズンでした。

翌年からは松竹から移籍してきた佐竹一雄選手が起用され、6年に渡りレギュラーを務めました。57年は谷田比呂美選手、58年からはピッチャーから転向した根来広光選手がポジションを掴み、毎年100試合以上の試合に出場しました。

1960年代

根来選手は65年まで9年間レギュラーを務めますが、66年からは大卒4年目の岡本凱孝選手が起用され、2年続けて120試合を越える出場試合数を記録しました。

岡本選手が移籍した68年からは加藤俊夫選手が抜擢され、2年続けて2桁本塁打をマークしました。

1970年代

加藤選手のレギュラー定着が期待されていましたが、70年シーズン途中に不祥事でチームから無期限出場停止処分を受けると、ルーキーの大矢明彦選手がマスクを被りました。

大矢選手は強肩を武器に活躍し、72年にダイヤモンドグラブ賞を初受賞しました。打率は低かったものの2桁本塁打を記録する年もあり、70年代はベストナイン1回、ダイヤモンドグラブ賞を5回受賞してリーグを代表するキャッチャーの1人になりました。

1980年代

引き続き大矢選手が起用されますが、81年の故障をきっかけに成績を落とし、代わって起用されたのは八重樫幸雄選手でした。独特な打撃フォームで84年には18本塁打を記録するなど打てるキャッチャーとして活躍し、85年にはベストナインを獲得しました。

八重樫選手が5年務め、代打の切り札に回ると秦真司選手がポジションを掴み、88年は122試合出場しました。

1990年代

90年代に入るとスーパーキャッチャーが大活躍します。古田敦也選手は1年目の90年から野村克也監督に見出され、106試合に出場してゴールデングラブ賞を受賞しました。

強肩と広角に打ち分ける打撃技術を武器に90年代は7回ゴールデングラブ賞を受賞し、2年目にはキャッチャーとしては野村監督以来2人目となる首位打者を獲得しました。

「野村ID野球」の申し子として、90年代に4回優勝を果たしたヤクルトスワローズ黄金時代を支え、MVPと日本シリーズMVPを1回ずつ獲得しています。

2000年代

引き続き古田選手がマスクを被り、01年には2回目の日本シリーズMVPを獲得、レギュラーとして出場した最後の年となった05年にはキャッチャーとしては2人目となる通算2000安打を達成しました。

06年に古田選手がプロ野球で29年ぶりとなる兼任監督に就任すると米野智人選手が自己最多となる116試合に出場し、07年は打撃が武器の福川将和選手、08年は福川選手と併用される形で川本良平選手が起用されましたがレギュラー定着には至らず、09年は球団史上初のFA選手として横浜から相川亮二選手が加入し、122試合に出場しました。

2010年代

相川選手は12年までレギュラーを務めますが徐々に出場試合数が減っていき、代わりに中村悠平選手の起用が増えていきました。

08年のドラフト3位で福井商業高校から入団した中村選手は1年目から一軍の試合に出場しており、7年目の15年にはベストナインとゴールデングラブ賞を受賞して、チームの優勝に貢献しました。以降もコンスタントに出場していましたが、20年は開幕戦前の当日練習で負傷して二軍に降格、リハビリを経て開幕から2か月後の8月中旬に一軍に復帰しました。

 

東京ヤクルトスワローズの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は古田敦也選手の3億!

ここでは東京ヤクルトスワローズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2004 古田 敦也 3億0000万円 0.306 133
2 2009 相川 亮二 1億5000万円 0.247 122
3 2019 中村 悠平 9000万円 0.269 126
4 1986 八重樫 幸雄 2950万円 0.216 119
5 1981 大矢 明彦 2160万円 0.221 82

球界を代表するキャッチャーが登場した東京ヤクルトスワローズのキャッチャーのポジションですが、1位はやはりレジェンド・古田敦也選手で、2004年の3億円が歴代最高年俸となりました。この年は39歳のシーズンながら133試合に出場して、打率.306、24本塁打、79打点の好成績を残し、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

2位は1億5000万円相川亮二選手で、横浜の正捕手を長く務め、東京ヤクルトスワローズ初のFA選手として加入しました。開幕からスタメン出場して122試合に出場、古田選手の引退以降定まっていなかったキャッチャーのポジションを見事に埋め、球団初のクライマックスシリーズ進出に貢献しました。

3位は中村悠平選手9000万円です。高校卒業後プロ1年目から一軍出場経験を積み、4年目からレギュラーを掴みました。プロ7年目の15年にはベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、チームの優勝に大きく貢献しました。

4位は86年の八重樫幸雄選手。独特の打撃フォームで「打てる捕手」として活躍し、85年には打率.304を記録してベストナインを受賞し、年俸は2950万円になりました。86年は打率が前年を大きく下回りましたが、119試合に出場しました。

5位にランクインしたのは大矢明彦選手でした。70年からレギュラーとして起用され、ダイヤモンドグラブ賞を複数回受賞するなど安定した守備でチームを支えました。80年に2回目のベストナインと6回目のダイヤモンドグラブ賞を受賞すると年俸は2160万円になりました。

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私が思う歴代最強の東京ヤクルトスワローズのキャッチャー(捕手)は古田敦也選手!

多くの選手が東京ヤクルトスワローズの扇の要を務めてきましたが、歴代最強のキャッチャーは古田敦也選手だと考えます。

ここで、古田敦也選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1965年8月6日
身長:182cm
出身:兵庫県
最終学歴:立命館大学
血液型:B型

1965年(昭和40年)8月6日生まれ、兵庫県川西市出身。川西明峰高校から立命館大学に進み、トヨタ自動車を経て、1989年のドラフト会議で2位指名を受けてヤクルトスワローズに入団しました。立命館大学4年時にメガネをかけていることが理由の一つで指名されず、その悔しさをバネにトヨタ自動車時代は日本代表でもプレーしました。

現役通算18年で2008試合に出場して打率.294、217本塁打、1009打点を記録しています。1年目からレギュラーとして起用され、名キャッチャーだった野村克也監督の教えを受けながら出場を続けました。

相手の裏をかくリードや抜群の捕球技術、素早い送球動作と強肩で投手陣を引っ張り、ゴールデングラブ賞を10回受賞盗塁阻止率リーグ1位も10回記録するなど入団前から期待されていた守備で活躍を見せました。

そこまで期待されていなかった打撃でもプロ2年目に首位打者を獲得し、4年目の93年には最多安打に輝いています。05年にはキャッチャーとして2人目、大学と社会人を経た選手としては初の通算2000本安打を達成するなど確実性の高い打撃を見せ、クリーンアップを打つことも多くありました。

日本プロ野球選手会の会長や選手生活晩年には兼任監督を務め、プレー以外でも活躍した古田選手が間違いなく東京ヤクルトスワローズ史上最強のキャッチャーです。

古田敦也の凄さが分かる名言集!球界レジェンドのリーダー論にも迫る

 

東京ヤクルトスワローズの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識

古田選手の活躍もあり、キャッチャーの代名詞となった背番号27ですが、東京ヤクルトスワローズのキャッチャーで最初に背負ったのは58年からレギュラーを務めた根来広光選手でした。

根来選手の後を68年からレギュラーを務めた加藤俊夫選手が着用し、加藤選手が不祥事で退団するとレギュラーを掴んだ大矢明彦選手が37番から変更し背負いました。

大矢選手が85年に引退してからは欠番となり、89年にピッチャーのロン・デービス選手が着用しましたが1年で退団し、その年のドラフト会議で指名された古田選手に渡りました。

古田選手の引退後は名誉番号扱いとなり、相応しいキャッチャーが現れるまでは欠番とし、現在でも古田選手以降着用した選手はいません。東京ヤクルトスワローズの27番を背負うキャッチャーが現れる日をファンは待っています。


東京ヤクルトスワローズ50年史 1969-2019 (B.B.MOOK)

 

まとめ

・東京ヤクルトスワローズのキャッチャーは古田敦也選手が最も長い16年レギュラーを務めた。

・大矢明彦選手、古田選手、中村悠平選手の3人が守備の名手が選ばれるダイヤモンドグラブ賞・ゴールデングラブ賞を受賞している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、古田選手の3億円。

・古田選手は首位打者や最多安打の打撃タイトルも獲得し、通算2000本安打を達成した東京ヤクルトスワローズ歴代最強のキャッチャーである。

 

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