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西山秀二の凄さが分かる名言・語録集!解説やコーチとしての評価も高い名捕手の伝説エピソードから努力論まで


捕手というのは、まさに扇の要だけに熟練の技が生かされやすいポジションです。しかも即席でこなせるポジションではないため、ベテランになっても長くチームに貢献する選手が数多く見られます。なかでも広島カープの名捕手達川光男の後釜として、古田敦也や谷繫元信ら名捕手がひしめく1990年代のセリーグで、2度のゴールデングラブ賞に輝いたのが西山秀二です。

まだ激しいタックルもありの時代であり、西山の体を張った果敢なプレーは、時に乱闘騒ぎになり、故障も多くなりがちでしたが、多くのファンの印象に残っているだろうと思います。また打撃でもカープ史上唯一のシーズン打率3割に輝いた捕手でもあります。

中学時代には桑田真澄とバッテリーを組み、高校時代にはライバルとして激戦を繰り広げた西山。子どもの頃から高いレベルでの野球を経験したことが、大きな財産になったのだろうと思います。

今回は解説やコーチとしての評価も高い名捕手西山秀二の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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西山秀二について

まずは西山秀二の経歴を追ってみます。

1967年7月7日生まれ、大阪府八尾市出身。小学生の頃はソフトボールをやっており、八尾市立大正中学校では投手を志望したものの、チームに桑田真澄がおり、捕手としてバッテリーを組むことになりました。上宮高校に進学すると4番を任されますが、桑田の所属するPL学園高校に敗れるなど、甲子園出場はなりませんでした。1985年のドラフト4位で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団。

1軍での出場機会のないまま、1987年のシーズン途中に広島東洋カープへトレードとなります。1989年から控え捕手として1軍でもマスクをかぶるようになり、1990年にはプロ初安打を記録。達川の後継として徐々に力をつけ、1993年にレギュラーを獲得。1994年には初のゴールデングラブ賞とベストナインに輝きます。1996年、カープの捕手としては歴代唯一となるシーズン打率3割を記録。2度目のゴールデングラブ賞とベストナインを獲得しました。

しかし以降は持前のアグレッシブさからケガも多く、他の捕手との併用が増えます。2004年終了後にコーチ就任依頼を断り、自由契約となって読売ジャイアンツに移籍。2005年シーズン限りで引退します。

プロ通算20年間で716安打50本塁打36盗塁、通算打率.242。ゴールデングラブ賞2回、ベストナイン2回。

引退後はジャイアンツのコーチを務めた後に解説者として活躍しています。

 

私が選ぶ、西山秀二の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「お前らの代は不幸だと言う人もいますが、史上何番目かのすごいチームと戦った実績は、プロでやっていける自信になりました」

いわゆる「KK世代」である西山。中学時代にバッテリーを組んだ桑田真澄とは別の高校に進学し、ライバルとなったわけですが、桑田や清原和博らを擁するPL学園高校は、高校野球史上に残る強者であり、同世代にとって大きな壁でした。特に地方予選で対戦するとなると、その壁を越えなければ憧れの甲子園には手が届きません。

しかし高校時代には壁となった桑田と清原ですが、プロでも若くして活躍した姿は、共に切磋琢磨した者たちにとって大きな指針となったのも間違いないでしょう。松坂大輔を中心とした「松坂世代」もそうですが、身近に指針となるべき存在がいると、その世代ごと大きく成長するようです。

西山の母校である上宮高校も伝統的に野球の強豪校ですから、KKコンビがいなければ甲子園出場も叶ったかもしれませんが、それ以上にプロとして活躍するための指針を得られたことは幸いだったのだと思います。

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【名言語録その2】

「桑田はこんなところに来いへんかったもん。中学生でもそうなのに、なんでプロが出来ないの?」

プロ入りしてから、投手が暴投したボールを止められず、コーチに叱られた時に西山が言い返した言葉です。まだ新人の頃ですから、なかなか尖がった返事です。西山の負けず嫌いでやんちゃなところが出ているのと同時に、桑田という抜群のコントロールを誇る投手の存在が、西山にとって好投手の基準になっていたことがわかります。

 

「すんごいコントロールしとったよ。ミットを構えたところにしか、ホンマにボールが来んかった」

 

「モノが違うっていうのはあれをいうんでしょうね。準硬式でしたが、投げれば、ほとんどがノーヒットノーランか完全試合でした」

そんな投手が西山の基準であったからこそ、捕手として投手をリードする力がついたのかもしれません。江夏豊は「投手の能力を引き出すという意味で一番いいキャッチャーは、広島の西山秀二捕手だ」と語っていたことがあります。

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良い投手は捕手を育て、良い捕手は投手を育てます。その循環がまさにバッテリーとして、野球というスポーツを輝かせる源になっているのでしょう。

西山は最後に所属したジャイアンツで、桑田とバッテリーを組んだ試合があります。その時の西山の楽しそうな顔が印象的でした。そんな瞬間を見られるのも、プロ野球の楽しみ方のひとつではないでしょうか。

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【名言語録その3】

「3割打っているキャッチャーは誰も叱れないんです」

1994年にゴールデングラブ賞とベストナインに輝いた西山ですが、両賞の常連である古田敦也がケガをしたからだという声が多かったそうです。しかし1996年にその評価は変ります。

 

「僕は初めて3割打ってから、ええキャッチャーや、と言われるようになりました。外される不安がないから、そりゃ好きなようにやれますわ。それでバッターを打ち取ると大きな自信になる。続けて試合に出ないとキャッチャーは成長しませんから」

やはり経験は大きな糧となります。しかしその経験を積むためには、自分を選ばせるだけの結果も必要です。捕手は守りの要とはいえ、野球は点取りゲームです。打てる捕手はどのチームでも欲しい人材でしょう。

西山は「巨人の阿部は昔からリードが悪いと言われていますが、あれだけ打てば誰も外せませんよ。それは阪神の城島にも同じことが言える」と話しています。阿部慎之助と城島健司のリードが良いか悪いかはともかく、打者として外せない戦力なのは確かでしょう。

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「打てないキャッチャーは失敗したら外されるという不安があるから、思いきったリードができない。相手と戦う前にベンチと戦っている」

伸び悩んでいる捕手たちに聞かせたい言葉だなと思います。

 


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名言からの学び

・大きなライバルは成長の糧となる。

・互いに育て合う良い循環がチームを強くする。

・結果を出すことが成長への近道である。

 

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