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鈴木尚広の凄さが分かる名言・語録集!代走レジェンド盗塁王の伝説エピソードから努力論まで


チャンスをより広げる手段として、代打や代走を使うというのは、勝敗を左右する重要な戦術です。特に代走は同点や逆転のランナーであることも多く、牽制死はもっての外ですし、盗塁を試みる場合もほぼ確実にセーフになることが求められます。そんな厳しい条件の中、代走として日本最多の132盗塁を決めているのが鈴木尚広です。

それぞれの塁間は90フィート、27.341メートルですが、単純に足が速ければ盗塁ができるわけではありません。投手や捕手との駆け引き、スタートの思い切り、スライディング技術などがないと、盗塁を成功させるのは難しいのです。

1969年に飯島秀雄という100メートル10.1秒の記録を持つオリンピック選手が、代走専門の選手としてロッテに入団しましたが、その足を持ってしてもプロ在籍3年で23盗塁、盗塁死は17を数えました。それほど盗塁とは技術が必要なのです。

今回はそんな盗塁のスペシャリストであり、代走レジェンドの盗塁王鈴木尚広の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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鈴木尚広のプロフィール詳細

まずは鈴木尚広の経歴を追ってみます。

1978年4月27日生まれ、福島県相馬市出身。相馬高校では特に大きな実績は残しませんでしたが、読売ジャイアンツのスカウトが別の選手を見に来ていて、たまたまのぞいた試合で、鈴木がサヨナラ本塁打を放ったのが目に止まり、ドラフト4位で指名されます。プロ15年で10本しか本塁打を打たなかった鈴木が、本塁打で注目されたというのは面白い話です。

1997年にプロ入り後、俊足を生かすためにスイッチヒッターに挑戦。2002年に1軍に昇格し、初盗塁に初安打も記録します。2003年には内外野を守り、104試合に出場し、チーム1位の18盗塁を決め、レギュラー獲得を期待されますが、翌年、外野に固定されるも、打力不足が露呈。結果が出せずに終わりました。

2006年、25盗塁と走力で活躍し、その後は故障者や不調者の代わりに準レギュラーのような形で多く試合に出るようになり、2008年には30盗塁し、守備でもゴールデングラブ賞を獲得。2010年頃から厚い選手層に阻まれて控えが増え、2012年くらいからはほぼ守備と走塁のスペシャリストとして、登場するようになりました。

2014年、藤瀬史朗の持つ代走による日本記録106盗塁を更新。代走で28得点という高い生還率でチームに貢献。翌2015年には監督推薦でオールスターに出場し、盗塁も決めました。2016年のシーズンを最後に引退。

プロ通算15年間で、355安打、10本塁打、盗塁228、打率.265。ゴールデングラブ賞1回。規定打席に1度も達しませんでしたが、代走による132盗塁は日本最多で、200盗塁以上の選手による成功率.829は史上1位です。

引退後は解説者を経て、2019年からジャイアンツのコーチに就任しました。

 

私が選ぶ、鈴木尚広の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「僕自身もレギュラーを目指してきて、たどり着いたところがたまたま代走というポジションだったわけです」

ほぼすべてのプロ野球選手は、レギュラーを目指して日々戦っています。鈴木も最初から走塁のスペシャリストになったわけではなく、「プロの世界でもまれていく、淘汰されていく中でそういう道を選んだ」のです。

得意な筈の走塁でも初めは「たとえば投手のクイックにしても、パッと動いたらもう投げているみたいな感じで、盗塁するどころの話じゃありませんでした」というほど、プロの壁を感じた鈴木。

しかし強者たちにもまれる中で「走塁で必要とされる人間になれば、必ず1軍に残れるんだなと思った」ことから、思い切って打撃よりも、走る方に比重を置いた練習や準備を心がけるようにしたところ、走塁のスペシャリストとして活躍できるようになったそうです。

 

「ひとつの物事に特化すると、別の部分は削らなければならない。もちろん守備もバッティングも高いレベルにあればレギュラーでずっと出られているはずですが、そうはいかないから、走る方を上に、上に伸ばしていくという考え方でした」

スペシャリストとして成功するとは、何かを削る覚悟が必要だということなのでしょう。

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【名言・語録その2】

「走塁ができなくなれば僕がいる価値はないですから。だからずっと向上し続けないといけない。ひとつしか強みがないから、常にその覚悟は持っていました」

そのひとつの強みを向上させるため、鈴木はスピードスケートのオリンピック金メダリスト清水宏保のアドバイスを受けるなど、貪欲に取り組みました。

 

「意識をしなければ生まれ変わることはできないじゃないですか。だから、自分で決めたことを継続していくことも大事なんですね」

よく「足にスランプはない」と言いますが、鈴木はそれに首を横に振ります。「自分で動こうと思っても動けなくなる」そうで「感覚的スランプ」と表現しています。

鈴木は盗塁の際にいわゆる投手のクセはあまり気にしていませんでした。それよりも「事前に自分で徹底的に調べ上げておきつつ、初球からでもスタートを切れる環境、感性を自分で整えておくことが大事」なのだそうです。その感覚がずれるとスランプになるということなのでしょう。

 

「よく、ピッチャーが投げないと始まらない、というじゃないですか。その時点で相手のペースになっているんで、スタートに一瞬の遅れが生じてしまうんです」

それを克服するために鈴木は「自分の世界に引き込んでやろう」と考えるのだそうです。相手投手だけでなく、相手ベンチや球場全体を自分の世界に引き込み、勝負する。それが鈴木のアプローチなのです。

 

【名言・語録その3】

「今まで経験したことのない大きな不安が一気に押し寄せてきた」

鈴木の故郷である福島県相馬市は、2011年の東日本大震災で津波による大きな被害を受けました。広島遠征中にテレビでその光景を目にした鈴木は激しく動揺したようです。

彼がケガをするとボールにメッセージを書いて送ってくれる父がいる故郷。しかも未曾有の災害ですから動揺するのは当然です。日清戦争での死者は約13000人ですが、この震災の死者はそれ以上の15000人を越え、2019年に至ってもまだ2500人を上回る行方不明者がいます。

しかし弟から「お兄ちゃんは野球をやることが使命。お兄ちゃんにしかできないことをやって」と励まされて、グラウンドに立ったそうです。

鈴木は2015年に岩手県陸前高田市で、震災後に初めて開催された市民マラソン大会に応援参加するなど、さまざまな支援活動を行っています。

原辰徳は「彼が塁に立つことだけで、相手にはプレッシャーを与えて、味方には勇気を与える」と語っていますが、鈴木は東北の被災地出身者として、多くの被災者に勇気を与えたと思います。

原辰徳監督の名言!名将のリーダーシップ論や人生哲学に迫る

 

名言から学び

・スペシャリストはさまざまなものを削ぎ落した末に生まれる。

・戦う時は、覚悟を持って、自分の世界に引き込む準備をする。

・どんなに苦しい時も自分にやれることをする。

 

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