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坂本勇人の凄さが分かる名言・語録集!歴代最強の天才ショートの伝説エピソードから努力論まで


広いカバー能力と強肩で多くのアウトを稼ぎ、状況に応じた判断力で敵の進塁を止め、内野の要として高い守備力を求められる遊撃手。

そのためかつて打力は二の次という時代もありましたが、1980年代以降は本塁打王にもなった宇野勝や「ブンブン丸」こと池山隆寛、石毛宏典、松井稼頭央、立浪和義など打てるショートも増えてきました。

そんな中で首位打者や最多安打を記録し、更にシーズン40本もの本塁打を放っている最強打者が坂本勇人です。

インコース打ちには定評があり、巧みなバットコントロールで安打を量産し、本塁打も積み重ねてきた坂本。余程のアクシデントがなければ2020年シーズン中に通算2000本安打を達成するのは間違いないでしょうし、それは史上最年少達成記録を持つ榎本喜八に肉薄するスピードで達成されそうです。今後、もしかしたら張本勲とイチローしか達していない3000本安打に達する可能性も秘めています。

リトルリーグ時代には、田中将大とバッテリーを組み、高校は田中が北海道、坂本は青森と、野球をやる環境としては不利だと言われがちな北国で研鑚を積み、共に球界の歴史に名を残す存在となったのは、互いの逆境に強い精神力と、たゆまぬ努力を続けた結果だろうと思います。

今回はセリーグの遊撃手として初の首位打者に輝いた坂本勇人の凄さが分かる名言や語録を紐解き、歴代最強の天才ショートの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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坂本勇人について

まずは坂本勇人の経歴を追ってみます。

1988年12月14日生まれ、兵庫県伊丹市出身。リトルリーグでは投手として、捕手田中将大とバッテリーを組み、高校は青森県の八戸学院光星高校に進学。3年生の時、春の選抜大会で甲子園に出場します。2006年の高校生ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団

高卒新人ながら1年目から一軍に昇格し、初安打初打点を記録します。2008年、開幕スタメンを果たし、全試合スタメンとして出場します。またセリーグ史上最年少の19歳3ヶ月で満塁ホームランを放ち、日本シリーズでもホームランを記録。2009年には高卒3年目でシーズン打率3割を越え、ベストナインに選ばれ、日本一に貢献します。

2010年にはジャイアンツの遊撃手としてシーズン最多の31本塁打を記録。2012年、シーズン最多安打のタイトルを獲得。2013年、WBCの日本代表にも選ばれます。2014年は通算100本塁打、そして史上3番目、セリーグでは最年少で1000本安打を達成。

2015年、ジャイアンツの4番打者としてスタメン出場。2016年には首位打者を獲得し、初のゴールデングラブ賞も手にします。2018年は惜しくも首位打者は逃しますが、打率.345を残し、2019年には令和第1号となる本塁打を放ち、遊撃手としては宇野勝以来史上二人目のシーズン40本塁打を記録し、MVPとなりました。

2019年シーズン終了まで通算13年間で、1884安打、223本塁打、152盗塁、打率.293。MVP1回、首位打者1回、最多安打1回、最高出塁率1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞3回。

これまでケガの少ない選手でもあり、順調にいけば2020年に通算2000本安打を記録するでしょうし、将来は3000本安打も夢ではありません。

 

私が選ぶ、坂本勇人の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「手も足も出なかった」

リトルリーグ時代に同じチームでプレイした田中将大と、高校時代に練習試合で対戦した感想です。「惨敗でした」と語る坂本。4打数でヒットはなかったそうです。

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坂本や田中の世代は、斎藤佑樹が由来のいわゆる「ハンカチ世代」であり、前田健太、秋山翔吾の両メジャーリーガーの他、柳田悠岐、宮崎敏郎、石川歩、秋吉亮、大野雄大など、多くの人材がプロの世界で活躍しています。

三歳下の筒香嘉智によると、「野球のことに関して、坂本さんは年上も年下も関係ない」のだそうです。日本代表で一緒になると「坂本さんや秋山さんというのは、僕とか年下の人間にもいろいろ質問したり、確かめたりして聞いてくるんです」と話しています。

昔ほどではないとはいえ、上下関係が厳しい世界で、上下関係なく貪欲さを発揮できるのはある種の才能だろうと思います。そして他人の話を素直に聞けるのは、プロ選手としてというのではなく、人としての大事な資質だと思います。

2007年に亡くなった母を球場に招待した時、具合の悪い母のために、第一打席でホームランを打って喜ばせ、宮崎キャンプが終わった後、昼食を用意してくれた現地の人たちに、自分の折れたバットから作った靴ベラを贈るなど、人との関りを大事にする坂本の姿勢が伝わってきます。

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【名言語録その2】

「僕にはその感覚がなかったから、エッ!っていう感じでした」

バッティングについて、松井秀喜からのアドバイスで「自分の中では軸は体の中心線」だと思っていたのが「もっと右側を軸に」した方がいいと言われ、他にもプレミア12の日本代表で出会った選手たちや、谷佳知の助言もあり、打撃が変わったという坂本。

 

「それまでの自分の頭には右軸という発想がまったくなかったなかったので、まさに目を見開かされる思いでした」

その新たな感覚をつかみ、坂本は2019年シーズンにMVPに輝きますが、全ポジションでもっともMVPの人数が少ないのは遊撃手であり、石毛宏典、松井稼頭央以来、三人目の受賞でした。投手は59回も受賞していることに比べると、遊撃手というポジションの難しさがわかります。

守備の負担が大きいポジションで、坂本はプロ野球に所属した遊撃手の中で、本塁打は宇野勝の41本に次ぐ40本塁打を記録し、打率も西岡剛の.346に次ぐ.345、打点は6位となる94打点を残しています。

遊撃手でこれだけ打率も本塁打も残せる選手は他にいません。その上に守備の名手を表彰するゴールデングラブ賞も3度受賞しています。

坂本の進言により、東京ドーム内にイチローも使っている初動負荷のトレーニングマシンが導入され、坂本は試合前と5回終了時にそのマシンを使うそうです。

パフォーマンスの向上はもちろん、ケガの予防にも役立つということで、まだまだ進化が期待できそうです。

 

【名言語録その3】

「今まで何度も優勝させてもらったことがありますけど、主将になって立場も変わって、優勝する瞬間は本当に格別の思いで、自分が思った以上に嬉しかった」

坂本を主将に指名したのは原辰徳監督ですが、2008年、坂本がまだ2年目の時、阪神甲子園球場で原監督いわく「そりゃあもう、頭にくるような言葉ですよ」という痛烈なヤジを浴びせられたました。

その時、原監督はまだ十代の坂本がどんな反応をするのか見ていたのですが、彼は鋭い視線でにらみ返したのだそうです。それで「必ず将来、チームを引っ張っていく中心選手になれる気持ちの強さと根性を持っている」と感じたとのことです。

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原監督は坂本に「これまでキミの言葉は、坂本勇人という個人の言葉だったけれども、これからはチームの言葉になる」と伝えたそうです。何かとプレッシャーの多いジャイアンツで主将を務めるのは大変です。しかも8年間もの長きにわたって主将を務めた阿部慎之助の後釜となれば尚更でしょう。

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「やっぱり4年間、僕がキャプテンになってから優勝できていないということは、本当にプロ野球人生の中でも一番しんどいことだった」

そんな中、2019年にリーグ優勝を果たします。

今のところ、メジャー挑戦やFAの行使はせずに、生涯ジャイアンツでプレーしたいと話している坂本ですが、これから個人成績はもちろん、伝統チームの栄光を受け継ぐ者としても、更なる活躍が期待されます。


坂本勇人1500試合出場 Photo Book vol.2

 

名言からの学び

・他人の話を聞ける者が自らの世界を広げることができる。

・必要と思われるものは貪欲に取り入るることが成長につながる。

・責任が人を作る。

 

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