仁志敏久の凄さが分かる名言・語録集!守備の名手の伝説エピソードから野球理論まで
プロ野球選手として活躍した後、大学などで再び学ぶという道を選ぶ人たちがいます。小宮山悟や桑田真澄は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科、吉井理人は筑波大学大学院人間総合科学研究科で、より深く野球という競技を理解しようとしています。吉井と同じ筑波大学大学院人間総合科学研究科で学んだのが仁志敏久です。
現役時代はポジショニングのうまい守備の名手であり、体は小さいながらもパンチ力のある打撃を見せた仁志。プロ入りとした時はそのものおじしない言動から「ビッグマウス」とも言われました。
しかし貪欲にメジャーリーグを目指し、それが叶わなくともアメリカの独立リーグでプレーする姿は、野球小僧そのものであり、野球を存分に楽しんでいるようでした。大学院で学ぶ理論派でありながら、経験に基づく感覚も大事にする仁志らしさが感じられます。
今回は守備の名手であり、長打力も発揮した仁志敏久の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから野球理論にまで迫ります。
仁志敏久のプロフィール詳細
まずは仁志敏久の経歴を追ってみます。
1971年10月4日生まれ、茨城県古河市出身。高校球界の名将木内幸雄が率いる常総学院高校では、1年生の時からレギュラーを獲得。夏の選手権大会で3年連続甲子園出場を果たし、準優勝にも輝いています。卒業後は早稲田大学に進学。サヨナラ満塁ホームランを放ったり、優勝を逃すサヨナラエラーをしたりしましたが、キャプテンとしてチームを引っ張りました。
その後、日本生命に入社。1995年のドラフトで読売ジャイアンツに逆指名2位で入団します。1年目から主に二塁手と三塁手で出場し、ジャイアンツでは原辰徳以来の新人王を獲得。2年目からは二塁手のレギュラーとして定着します。
1999年にゴールデングラブ賞を受賞し、また2000年、2001年と本塁打20本を記録。171センチと小柄ながら長打力も発揮します。ルーキーイヤーから2002年まで盗塁も二桁以上記録し、走攻守の揃った選手として評価を受けます。
2004年のオフにはFA権を行使してメジャー入りを目指しますが、前年に痛めた足の不安などもあり、獲得を希望する球団がなくジャイアンツに残ります。その後、不振に陥り、2006年オフに出場機会を求めてトレードを志願し、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に移籍。
2009年オフにベイスターズを退団し、再びメジャーに挑戦しますが、叶わずにアメリカ独立リーグでプレー。故障から6月に引退します。
通算15年間の現役で、1591安打、154本塁打、135盗塁、打率.268。新人王、ゴールデングラブ賞4回。歴代7位となる初回先頭打者本塁打24本を記録しています。
引退後は解説者の他、筑波大学大学院人間総合科学研究科へ入学。その後、野球日本代表のコーチやU12の監督、プレミア12のコーチなど活躍しています。
私が選ぶ、仁志敏久の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「自信がなかったらプロに入ってませんよ」
ルーキーイヤーに、プロになる自信について問われた答えです。このような受け答えから仁志は「ビッグマウス」と呼ばれました。最近の選手に比べれば大口というほどの発言には感じませんが、当時のプロ野球、しかもジャイアンツでは珍しいタイプでした。
試合では打てないとバットを投げつけ、ヘルメットを叩きつけるようなルーキーでしたが、長嶋茂雄監督は放任主義で、仁志を育てました。
171センチと小柄な仁志ですが、「打球が外野フェンスまで飛んでも落ちずに、そのままガツンと当たるような打球」を理想とし、強い打球にこだわっています。それに対して、体格にあったバッティングをしろとか、コツコツ当てろとか、解説者やOBに随分と言われたようですが、仁志は譲らず、長嶋も容認しました。
3割打っても長打のない選手は、シチュエーション次第ですが、基本的に投手からするとそんなに怖くはありません。オリックスバファローズの吉田正尚(173センチ)や埼玉西武ライオンズの森友哉(170センチ)などのように、体は小さくても長打のある選手は点に直結するため、常に脅威の対象となります。
メジャーリーグでは167センチのホセ・アルトゥーベ選手が同じように注目されています。少なくとも二桁の本塁打を記録する打者になると、投手の警戒度は格段に高くなるのです。
点取りゲームである野球ですから、得点というのは重要です。仁志は「1を争うことを意識できるかどうか。1つのプレイが1点を争うことになるし、1勝も争うことになる。1をひとつずつ制していくことで、順位も1つずつ上がる」と話していますが、まさにその言葉通りだと思います。
「世界基準の野球を考えたときに、日本的な野球が主流ではない、ということも考えなければいけないと思います」
大谷翔平など世界基準を越えた選手を輩出する日本ですが、小兵だからと小技を磨くべきというセオリーも、疑ってかかる必要がありそうです。
【名言語録その2】
「セカンドで求めらるもの、それは何事も当然のようにこなすこと」
ポジショニングがうまく、信じられない場所で何事もなかったように捕球する守備を見せた仁志ですが、ポジショニングは「データはほとんど見ないで、自分の感覚」だったそうです。工藤公康がジャイアンツに移籍してきた時、守備位置を直すように言われても変えずにいたら、真正面に打球が来て、以降は工藤も何も言わなくなったそうです。
「感覚」とは、いわゆる「勘」ではありません。仁志は打者を観察し、バットの角度などの特徴から判断していたそうです。それぞれの打者の打球の質を頭に入れ、常にこんな打球がくるというイメージを作り、更に投手の配球から、打ち損じた場合の打球まで想定していたのです。
意外なことに日本生命の時代には守備に苦しんでいて、ジャイアンツに入団し、コーチだった土井正三の指導でうまくなったという仁志。それだけに4度のゴールデングラブ賞には価値があります。
仁志は広島カープの名二塁手、菊池涼介について「日本の野球の歴史を見てもあれほどの選手はいなかった」と絶賛し、「芝生や土の状況によって動きを変えられる動物的な勘を持っています」と評価しています。更に「自分とは違うタイプのセカンドですが、すべての選手の見本になるプレーではない、という部分は共通しているかもしれません」と語っています。
それは、当然のようにこなすプレーが、実は見本とはいえないプレーから発しているということでもあり、基本を越えたプロフェッショナルな次元にあるからこそ、当然のように見えるという、逆説になっているのが面白いなと思います。
【名言語録その3】
「セオリーに一理あることがあれば、反対のことに一理あることもある」
仁志は上記の言葉に続けて「答えがひとつだと思ってしまうこと、これが一番の間違いだと思いますね」と語っています。
筑波大学大学院では「バットとグリップの握り方が与えるスイングの影響」を研究していたそうですが、常に考えるという仁志の姿勢は、高校時代に身に着いたようです。
高校時代の恩師である木内幸男は、監督の言うことだけをやっていると怒り、自分なりに考えた何かを足して答えなければならず、更に試合中には、その場でどうしてこういうプレイになったのかを、ベンチで説明してくれるのだそうです。それで考えて野球をする習慣が生まれたと言います。
木内幸男監督の凄さが分かる名言・語録集!高校野球会の名将の伝説エピソードから指導方法まで
「成功だって、理由付けが出来なければいけない。成功した理由が分からなければ、それを次から次へと続けることが出来ない」
いわゆる一発屋で終わらないためには、まさに分析力が重要です。
「その場その場の感情で、後先を考えないような言動をしてしまうと、その言動の結果は、どっちに転ぶかわからない賭けになってしまう」
それは野球に限らず、何事にも通じる言葉だと思います。
「巨人という競技をやっているのではなく、俺は野球選手。野球が思い切りできない環境なら変えた方がいい」
そう語ってトレードを志願し、最後はアメリカの独立リーグにまで行った仁志。「通算ヒット数が1591本ですか。まあ胸は張れないにしても、一応、下は向かないで済みますかね」と笑って引退するところに、かつてはビッグマウスと言われた仁志の素顔が見られる気がします。
名言からの学び
・時に常識を疑ってみる。
・感覚と勘はまったく別物である。
・考えることで道を拓く。
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