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槙原寛己の凄さがわかる名言・語録集!ミスターパーフェクトの伝説エピソードから人生哲学まで


2018年シーズン終了時点までのプロ野球で、最後の完全試合は1994年5月18日に記録されたものです。それから25年間は達成者がいません。長いプロ野球の歴史においてもわずか15人しか達成しておらず、平成ではただ一度だけしかなかった大記録の達成者は槙原寛己です。

エラーも許されない完全試合は、投手だけの力ではなく、守る野手にもプレッシャーがかかります。西口文也は2005年に9回までパーフェクトで抑えながらも味方の援護点がなく、幻に終わりましたし、2006年には山本昌がエラーによる出塁で、2012年には杉内俊哉が9回ツーアウトから四球を出して完全試合は達成されませんでした。

また槙原といえば1985年の阪神タイガースが優勝した年に、今も語り継がれるランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のバックスクリーンに飛び込む3連続本塁打を食らった投手として、あるいは1999年には新庄剛志に敬遠のボールを打たれてサヨナラ負けしたことやオールスターゲームでユニフォームを忘れて練習着で登板するなど、プロ野球ファンに語り継がれる様々な場面に登場します。

今回は完全試合男、槙原寛己の凄さがわかる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学まで迫ります。

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槙原寛己について

まずは槙原寛己の経歴を追ってみます。

1963年8月11日生まれ、愛知県半田市出身。大府高校で選抜高校野球大会に出場して注目され、ドラフトではジャイアンツ以外の指名を拒否。ジャイアンツより1位指名されて入団

2年目から155キロを計測する剛速球を武器に活躍し、新人王を獲得します。背番号54番の槙原寛己、50番の駒田徳広、55番の吉村禎章の三人でジャイアンツの「50番代トリオ」として注目されます。

その頃の印象ですが、西武ライオンズでオリエントエクスプレスと呼ばれた郭泰源の156キロという当時の最速記録に匹敵する速球は威力抜群でしたが、コントロールは悪い印象でした。1985年にはタイガースのクリーンナップに3連発を食らうなど、荒れた日も多く、勝ち数と負け数が拮抗する成績を残します。

しかし徐々に安定感を増し、斎藤雅樹、桑田真澄と共にチームの三本柱として君臨。1994年5月18日の対広島カープ戦で、平成唯一となる完全試合を達成。1998年からはチーム事情によりストッパーに転向し、2001年シーズンを限りに引退。

完全試合とノーヒットノーランの歴代達成者は?両者の意味や違いもチェック!【プロ野球】

 

現役通算19年間で159勝、56セーブ、防御率3.19。通算2111の奪三振は日本歴代16位であり、生え抜きのジャイアンツ選手では1位です。タイトルには縁がありませんでしたが、完全試合やバックスクリーン3連発など、野球ファンの記憶に残るシーンをいくつも残した投手です。

引退後は野球解説者として活躍しています。

 

私が選ぶ、槙原寛己の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録集その1】

「3人目くらいになると放心状態だった」

1985年4月17日のタイガース戦7回裏、クリーンナップのバース、掛布、岡田に3連続でバックスクリーンに本塁打を打たれた時の心境を語った言葉です。この時、槙原は初めて実戦で使ったシュートで、前の打席にバースを仕留めたことが頭にあり、次の打席でもシュートを投じたところ本塁打になってしまったそうです。

実戦で初めて使う球を、前年まで2年で62本の本塁打を放っていたバースに投じるとは、里崎智也曰く「シュートを選択したのが間違い」と言われても仕方がないと思いますが、その度胸はたいしたものです。

1988年の7月には登板前日に花火をしていて、利き腕の右手人差し指に火傷を負い、怒られるのが嫌でそのまま投げて完投勝利。終盤には血をにじませながらの投球で、マスコミには「2日くらい前からマメができた」と嘘をつき、当時の中継では解説者が「魂の投球」とほめていて、槙原自身、つい笑ってしまったそうです。

そんな図太い槙原でも、さすがにバックスクリーンに三連発を食らっては、放心状態になるのもわかります。

ただその度胸が多くの勝ち星につながった面もあるのだろうと思います。

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【名言語録集その2】

「7回頃になると、ベンチがシーンとしてるんですよ。誰も僕と口をきかない。目を合わせようとしない」

1994年5月18日福岡ドームでの対カープ戦。槙原は史上15人目の完全試合を達成します。エラーも許されない状況のため、チーム全体が緊張する中、捕手の村田真一が「男ならやってみろ」と声をかけてくれたそうです。

完全試合達成の裏では、九州遠征ではしゃぎまくり、門限を破って罰金と1カ月の外出禁止を告げられた槙原が、「罰金はいいです。でも30過ぎの男をつかまえて、1カ月の外出禁止はないでしょう」と詰め寄り、翌日の試合で結果を見せるということになり、その結果が完全試合となったそうです。

同僚だった元木大介によれば、試合後に槙原は「大介、やったぞ。これで罰金もなくなったし、外出禁止もない」と、記録よりもそちらの方を喜んだとのこと。

昭和最後の完全試合は阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の今井雄太郎が、1978年8月31日に記録しています。噂では酒を飲んで登板したとの話もある(本人は否定)酒豪です。その今井はたまたま槙原の完全試合に居合わせたそうで、思わず涙したと話しています。伝説が受け継がれた瞬間と言えるかもしれません。

大記録の達成の瞬間。それを味合わせてくれる選手は、いつまでも忘れない記憶を残してくれる選手だと思います。

 

【名言語録集その3】

「ただ結局、何が大事かといえば、試合に勝つことであって、ここぞというところでキッチリと力を出せはいいわけです。早い話が、ランナーなんか出しちゃっても、気にしなくていいんですよ」

テリー伊藤との対談での言葉です。
同じく三本柱のひとりでコントロールのいい桑田真澄とは対照的に、荒れた剛速球を武器とし、見逃せばボールになるフォークを決め球にしていた槙原だけに、四球でランナーを出すことなど気にしていなかったようです。

そんな投手がひとりもランナーを出さない完全試合を記録するのだから、野球は面白いなあと思います。

1991年7月24日のオールスター第2戦は延長になってしまい、投手の駒がいなくなり、12回になって前日に登板していてもう出番はないと思っていた槙原に出番が巡ってきました。オールスターなので、他チームの投手には無理をさせられないという監督の藤田元司の判断だつたのでしょう。しかし槙原はユニフォームをクリーニングに出したままで、練習用のTシャツでマウンドに上がりました。

新庄剛志による敬遠ボールを打ってのサヨナラ安打も含め、ここまで多くの話題を提供してくれた選手も珍しいと思います。

槙原はその意味でも歴史に残る選手だといえるでしょう。

 

名言からの学び

・つまらないこだわりが大きなことを生み出す時もある。

・大記録の影には案外他愛のない事実が隠れている。

・自由奔放さが様々な奇跡を呼び込む。

 

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