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レオ・ゴメスの凄さが分かる名言・語録集!中日歴代最強助っ人の伝説エピソードから努力論まで

「最強」と呼ぶとき、何を基準に「最強」とするかは、常に論議の的になります。中日ドラゴンズの歴史において、「最強」あるいは「最恐」にふさわしいひとりが星野仙一であることは間違いないでしょう。その星野が監督時代にもっとも頼りにした助っ人もまた「最強」なのではないでしょうか。それがレオ・ゴメスです。

星野に限らず、もしドラゴンズファンへの投票を行っても、中日歴代最強助っ人としてタイロン・ウッズと共にレオ・ゴメスの名前が上がるのは間違いありません。打撃成績ではウッズの方が上回る項目も多いのですが、ムードメーカーとしての役割も担い、信頼という力も含めると最強に推すファンも多いようです。

星野が阪神タイガースの監督となり、その貧打に泣かされた時、「ゴメちゃんがいてくれたらなあ」とゴメスを愛称で呼び、嘆いたそうです。実際、中日時代に一度退団したゴメスを、再び呼び戻したこともありました。

今回は中日歴代最強助っ人の呼び声も高いレオ・ゴメスの凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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レオ・ゴメスについて

まずはレオ・ゴメスの経歴を追ってみます。

本名レオナルド・ゴメス・ベレス。1966年3月2日生まれ。プエルトリコ自治連邦区カノバナス出身。ルイス・エルナエス・ネボネス高校を卒業後、1985年にアマチュア・フリーエージェントでボルチモア・オリオールズに入団。ルーキーイヤーはルーキー・アパラチアン・リーグのブルーフィールド・オリオールズでプレーし、1987年はカロライナリーグのヘイガーズタウン・サンズでは首位打者を獲得。2Aのシャーロット・ナイツに昇格し、1990年には3Aのロチェスター・レッドウィングスで打点王に輝き、9月にはメジャーに昇格しました。

1991年にはオリオールズでレギュラーを獲得。4年連続2桁本塁打を放つなど活躍しますが、1995年に膝を痛めるなどして、1996年はシカゴ・カブスに移籍。そのオフに中日ドラゴンズが獲得しました。

1997年、12球団の球場でもっともホームランが出ないナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)に本拠地を移転したドラゴンズですが、ゴメスはそれをものともせず、チーム最多の31本塁打を記録。ここから4年連続で25本塁打以上を放ち、打率も3割前後と主砲として活躍しました。しかし膝のケガが長男の教育問題などから2000年限りで退団。

2001年、ドラゴンズの新外国人がシーズン当初から不振に陥り、チーム自体も打棒が振るいませんでした。そこでゴメスが5月より復帰。打率は3割を越え、19本塁打と再びチームを引っ張りました。2002年に通算150号本塁打を記録しますが、膝のケガが悪化し、引退します。

メジャーリーグ通算7年間で、466安打、79本塁打、通算打率.243。
日本プロ野球通算6年間で、190安打、153本塁打、通算打率.293。ベストナイン2回。

引退後はマイナーリーグでコーチや監督を務めるなど活躍しています。

 

私が選ぶ、レオ・ゴメスの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「まるでアーミーのようだった」

日本の春季キャンプに初めて参加した時のゴメスの感想です。メジャーリーグのキャンプは全体練習は短く、後は各々が課題をもって個人練習をする形です。しかし日本は全体練習の時間が長く、特にゴメスが来日した頃はその傾向がより強い時代でした。更に当時の監督は「燃える男」星野仙一です。星野は常に戦う集団を作り上げる監督でしたから、「アーミーのよう」であるというのは的を射た言葉だったと思います。

メジャー経験がある選手だと、そんな日本のスタイルに馴染めず、なかなかチームに溶け込めずに終わるケースも多々あります。しかしゴメスは片言の日本語で大きな声を出し、その明るさですぐにチームに溶け込みました。

更に研究熱心で初めて見る投手に対応するため、試合中は相手投手をじっくり観察し、変則的な投球フォームの高津臣吾などには、投球モーションに合わせてタイミングを計るなど、勉強熱心でした。

パークファクターという指標があります。球場の大きさなどによる偏りの指標で、たとえば本塁打のパークファクターを見ると、日本でもっとも本塁打が出にくい球場はバンテリンドームナゴヤです。その数はセリーグ平均の約半分ほどで、神宮球場のセリーグ平均1.4倍に比べると、いかに本塁打を放つのが難しい球場かわかります。そこで助っ人では史上2位となる51本塁打を記録したのがレオ・ゴメスです。

前向きで研究熱心さと適応力の高さが成功の理由だったのだろうと思います。

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【名言語録その2】

「サッキ、ゴメンナサイ」

普段はロッカーで静かに聖書を読み、グレゴリオ聖歌を聞いて心を落ち着けるという敬虔なクリスチャンであるゴメス。2000年に石井一久のインコースを突くボールを見逃して三振となった際、佐々木昌信主審に激しく食いかかりましたが、守備につく時には佐々木主審に近寄り「サッキ、ゴメンナサイ」と謝罪したそうです。

そんな謙虚さと冷静さを持ったゴメスですが、敵チームには容赦のない強打をふるいました。特に星野監督が目の仇にするジャイアンツ戦には強く、1999年には対ジャイアンツで打率.359、13本塁打という結果を出しています。この年の4月18日の試合では、2回にソロ、3回に3ラン、5回に2ランを放ち、8回に満塁で打席が回った時には、史上初のサイクルホームランかと注目されました。結果、快挙は逃したものの、ジャイアンツをへこませるのには十分であり、星野監督がゴメスを高く評価していた理由の一端が見えてきます。

2000年に膝の故障や家族の問題で帰国したゴメスですが、星野監督は「来年も4番を任せようと思っていたので非常に残念」と話し、翌2001年に外国人選手が不調だった時には、なんとかゴメスを呼び戻し、再びチームの主砲を任せました。星野は阪神タイガースの監督に就任してからも、チームの貧打を嘆きつつ「ゴメちゃんがいてくれたらなあ」とゴメスの名を愛称で口にしていました。

いかにゴメスが必要とされ、愛されたのかがわかります。

 

【名言語録その3】

「シュガー、ベリーグット(笑)」

この言葉は当時のドラゴンズの球団社長の名前が佐藤毅であり、その名字をもじってのジョークです。とはいっても笑っていたのはゴメス本人だけでした。

敬虔なクリスチャンですが、性格は陽気で、同僚だった門倉健に対しては、その容貌から「アゴクラ」と絡んで笑いをとっていました。久慈照嘉はゴメスが「テル」と呼ぶので、2001年に登録名を「テル」に変更。チームのムードが悪いと大きな声で鼓舞するムードーメーカーでもあったゴメスの影響力の大きさがわかります。

荒木雅博はドラゴンズ最強助っ人としてタイロン・ウッズと共にゴメスの名をあげていますが、「三塁線にゴロがいったら捕りに行かない」と裏話を暴露しています。ゴメスは膝が悪かったことを、チームメートだった荒木が知らない筈はなく、ゴメスなら笑い話にしても棘にならないと知った上でのことでしょう。

引退後も女優で名古屋出身の武井咲さんが、ゴメスのファンだったということも話題になるなど、ドラゴンズファンに長く愛される存在なのは、何よりも欲しい時に結果を残し、その上で素晴らしい人柄だったからでしょう。どちらかが欠けても、最強助っ人とは呼ばれなかったと思います。


 

 

名言からの学び

・適応が成功への第一歩

・ライバルに強いことが求心力になる

・何かひとつ秀でただけでは最強とはいえない

 

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