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北別府学の凄さが分かる名言・語録集!広島初の200勝投手の伝説エピソードから努力論まで

ストライクゾーンというのは実は立体です。ホームベース上にあるストライク空間のどこかをかすりさえすれば、それはストライクです。奥行きのある立体としてストライクゾーンを広く使える投手は、同じ球種であっても、打者から見れば違う種類の珠を投げているようなものです。そんな投球術を駆使し、広島カープの生え抜きで唯一200勝を上げたのが、北別府学です。

そのコントロールの良さから「精密機械」とも呼ばれた北別府ですが、ホームベース上に置いた3つの缶を3球で倒して見せたとか、テレビのバラエティ番組で分割された的すべてにボールを当てたとか、それを実証する逸話がいくつも残されています

北別府はダブルプレーを狙って、強い当たりを野手の正面に打たせるため、ボール半分だけ甘くするという芸当をやってのけ、しかもそれを真っ直ぐだけでなく、シュート、スライダー、カーブなどの変化球でも出来たそうです。捕手だった達川光男は北別府について「ボールの縫い目で勝負できる」と、そのコントロールを絶賛しています。

今回は抜群のコントロールで広島初の200勝投手となった北別府学の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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北別府学について

まずは北別府学の経歴を追ってみます。

1957年7月12日生まれ、鹿児島県曽於郡(現曽於市)出身。都城農業高校では1年生からエースとして活躍し、公式戦で完全試合を達成するなどしましたが、甲子園出場はなりませんでした。しかし1975年のドラフト1位で広島東洋カープが指名し、入団します。今でいう「サプライズ指名」であり、全国的にはまったく知られていない選手でした。

ルーキーイヤーから1軍登板を果たし、プロ初勝利をあげます。2年目から先発ローテーションの一角に入り、3年目の1978年に初の2桁勝利を記録すると、持前のコントロールを生かし、この年から11年連続で2桁勝利を続け、カープのエースとしての地位を築き上げます。

1979年には17勝をあげて、リーグ優勝に貢献。1982年には20勝して最多勝、ベストナイン、沢村賞を獲得します。1986年にも最多勝に輝き、最優秀防御率、最高勝率ら数々の投手タイトルを総なめにし、チームをリーグ優勝に導き、二度目の沢村賞とMVPにも選ばれました。

1989年と90年には2桁勝利に届きませんでしたが、1991年そして92年と再び2桁勝利を重ね、1992年に通算200勝を達成。カープの生え抜き選手では初の快挙であり、20世紀最後の達成者でもありました。

1994年限り引退しましたが、現役通算19年間で213勝、防御率3.67。MVP1回、最多勝2回、最優秀防御率1回、最高勝率3回、沢村賞2回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回。

引退後は解説者、カープのコーチなどを務めましたが、2020年1月に白血病であることを明かし、5月に骨髄移植手術を受け、6月にはカープの話が出来るくらいまで回復しているそうです。更なる回復を心からお祈りしております。

 

私が選ぶ、北別府学の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「平日の広島市民球場のナイターでは『仁義なき戦い』のセリフのようなヤジが飛び交い、とても女性や子どもが来られるところではなかった」

今や「カープ女子」が流行語となり、どの球場にも若い女性の姿を見かけますが、昭和の時代の地方球場では、まだまだ選手からもファンからも荒っぽい言葉が飛び出す雰囲気がありました。特に広島といえば菅原文太主演の映画『仁義なき戦い』で知られた怖いイメージもあります。

広島東洋カープは12球団の中でも特異な球団です。自動車メーカーであるマツダの旧名東洋工業の名前が親会社として入ってはいるものの、球団経営への関与は限定的であり、「市民球団」と言われるように、かつては市民の樽募金によって球団存続の危機を乗り越えることもありました。被爆地として原爆投下からわずか5年後に設立されたカープは、いろいろな意味で戦後広島の象徴でもあります。そんな中でチーム歴代最多の勝利数を上げている投手が北別府です。

北別府の他に、197勝をあげている長谷川良平、完全試合男の外木場義郎、他に安仁屋宗八、佐々岡真司、大瀬良大地など、3文字姓の投手が活躍するというカープ。伝統的に強力な投手陣と堅守好走のチームですが、特に北別府の頃は「大野さんや川口、新人王になった長富、中継ぎにも川端、金石など、他球団にいったら先発ができる投手がいた。もったいないくらいの中継ぎ陣だった。だから自分が投げる試合は勝たないと、という意識は自ずと強くなった」そうです。

当時、中継ぎは先発ローテーションから漏れた投手が担当し、中継ぎ専門の投手というポジションは確立していませんでした。いくら中継ぎで好投してもなかなか評価にはつながらず、投手は先発完投して価値があるという時代であり、誰もが虎視眈々と先発の地位を狙っていたのです。そして先発すれば最後までマウンドは譲らないというのは、チーム内での争いを制する面もあったのです。

今では分業制が普通となり、先発と中継ぎが競い合うという構図は減りました。同時にシーズン投球回数が200回を越える投手は減り、近年では2016年、17年、19年に200回を越えた投手はひとりもいません。一方、北別府はシーズン200回を7度も記録しており、通算で135完投もしています。

起用法や価値観は時代で変るものですが、激しいヤジが飛び交う中、誰よりもマウンドに立ち続けたことは間違いなくエースの証明でもあるのです。

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【名言語録その2】

「僕は環境の甘さが選手を弱くしていると思いますよ」

プロ野球史上、歴代23位となる通算3113回の投球回数を誇る北別府。上位には金田正一、米田哲也、小山正明など、北別府よりも15年から20年ほど前に活躍した選手が多く、1975年以降にプロ入りした選手では山本昌に次ぐものとなります。

 

「もちろん自分が投げるときにはリリーフには負担をかけない。その上で最低15勝を基準に、そこからいくつ上乗せできるか。エースが上乗せした数字で優勝が見えてくると思って投げていた。それがエースというものだと思っていました」

抜群のコントロールを武器に、カープが日本一になったすべてのシーズンで勝ちに貢献した北別府。カープの黄金期のエースだけに、己に求めるものも高かったようです。

近年、先発投手は球数100球ほどで降板するケースが多くなっています。投手の肩は消耗品であるというメジャーリーグ流の考え方が主流になってきているためですが、メジャーの先発は中4日であり、日本は中6日が多いので、同じように見てはいけないという指摘もあります。

個人的には投手の故障はメジャーの方が多いように感じます。また先発投手以上に中継ぎや抑え投手の登板過多による故障が目立ち始めているようにも思います。身体がまだ成長過程にある高校生などの投げ過ぎは間違いなく問題ですが、プロ野球での投手起用の最適解はまだ見つかっていないのかもしれません。

ただ先発投手最高の栄誉である沢村賞の基準に、完投数と投球回数の規定があることを考えれば、時代やスタイルの問題ではなく、「先発投手の理想形」として先発完投というものがあるのは否定できません。

優勝を争うチームで「理想のエース」を目指した北別府だけに、「先発投手の理想形」を求めようとしない姿勢が引っかかるのかもしれません。

 

【名言語録その3】

「カープの日本一を見届けるために必ずや復活します」

白血病と診断され、2020年に骨髄移植を受け、闘病を続ける北別府の言葉です。1984年の日本一以降、カープは5度リーグを制覇し、4度日本シリーズに出場していますが、2019年まで日本一はありません。特に近年は2016年からリーグ3連覇を果たしただけに、カープに関わるすべての人たちにとっても、今度こそという期待感が強いと思います。

津田恒美が脳腫瘍で闘病していた時、マスコミやチームには水頭症と伝えていましたが、北別府は本当の病名を知っていたひとりです。ある時、津田の容態が急変し、周囲には内緒で奥さんと共に津田を見舞い、そっとその手を握ったそうです。そしてチームメイトにばれないよう、選手たちが乗る新幹線に何食わぬ顔で途中の駅から乗り込みました。

共に戦い、津田の無念をよく知る北別府だけに、この病との戦いには負けられません。

ブログやユーチューブでも、さまざまな発信を行っている北別府ですが、その動機について「私は現役時代、勝ちさえすればそれがファンサービスだと思っていました」と告白し「違うよね。プロなんだから」と自らを否定しています。だから「応援してくれた人に申し訳なかったなという思いも込めて発信しようと」考えたのだそうです。

先発完投にこだわるなど、古くてもこだわるべきところにはこだわり、過去を省み、改めてファンサービスをやろうとするなど、新しいことも取り入れる。そこに北別府らしさが見える気がします。

 


広島東洋カープ70年史 (B.B.MOOK1491)

 

名言からの学び

・やり続けることがプロの証明である。

・自ら理想を求めることを止めてはいけない。

・必要ならば古きも新しきもない。

 

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